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今月の早出し…チベット記予告

既報のとおり、先日、宗教学者の正木晃先生と共にチベットを10日間にわたり訪れてきました。広く知られているように現在のチベットは1951年の中国侵攻以来、中国領チベット自治区となり、チベットを治めてきたダライラマ14世は1959年のチベット動乱によって、インドのダラムサラに亡命。ダラムサラに亡命政府が発足しました。以来、本国のチベットではチベット人の自治権が奪われたまま、中国の統治下に置かれ、また1966年以降文化大革命の大破壊がチベット全土を襲い、歴史ある貴重なチベット仏教文化は大きな打撃を蒙って、たくさんの寺院や文物が喪失したのです。そんなチベット国の現状を具に見ながら、それでも徐々に復興を遂げつつあるチベット仏教の現状に触れてきたのでした。

わが修験道も明治初期に神仏分離という、いわば明治の文化大革命ともいえる破壊活動によって、多くのものを失ったという、共有の歴史があるだけに、修験道の私としては同じような視点でチベットの現状を見ることになりました。

もちろん両者には多くの共通点とともに多くの相違点もあります。第一、平均高度が4000メートルを越えるという過酷な環境は、四季と自然からの恵みの豊かな日本人には想像もつかない厳しい国土であり、よくぞこんな秘境にかくも立派な仏教文化が栄えたものだと感心することしきりでした。加えて文化大革命の大破壊を経験したにもかかわらず、今も変わらぬチベット人民の篤い信仰心には刮目するものがありました。またその信仰心を支えているのは未だに厳しい戒律を守り、無所得のまま仏道修行のみに専心するチベット僧たちの営みであることが、セラ寺のワンジェイ長老や幾人かの高僧に見える中で実感したのでした。

今はまだ、チベット滞在中に参観した夥しい数の仏と曼荼羅図が頭の中で混沌としてぐちゃぐちゃの状態で、自分の言葉で語るところまでいきませんが、徐々に整理して、チベット仏教との貴重な遭遇体験を認めていければと思っています。

帰国しました

ようやくながーいながーいチベット旅行から無事昨夜帰国致しました。

6月16日朝に成田を旅立ち、北京経由で四川省の成都へ。翌日成都から西蔵(チベット)自治区のラサへ。セブンデーズINチベットを過ごしてきました。

旅行中高山病で倒れる弟子や、帰国間際に腸閉塞を起こす人などが続出し、波瀾万丈の10日間でしたが、幸い私めは高山反応も人並み以下で、終始快適な道中を過ごしました。

昨夜は成田に9時到着でしたので、一泊して、今日夕方自宅にやっと帰り着きました。 波瀾万丈のチベット旅行記は、写真整理を済ませれば、徐々に綴っていきたいと思っています。ま、今は頭の中がぐちゃぐちゃで、チベットで出会った夥しい数の仏達の顔が走馬燈のように駆けめぐっています。うまく言葉に出来るか全然自信ありませんが、ブログなどにもアップしたいと思いますので、ご期待下さい。

今日は大念仏寺晋山式

ホームページのトップページに「山人が選んだ自薦シンポ講演録」をアップしてもらいました。昨年6月の『週刊朝日』「夫婦の情景」も載せています。ご笑覧下さい。

さていよいよ明日、チベット行きの集合です。
成田近くのビューホテルに6時半集合で、参加者と顔合わせ。
そして翌日7時半に成田空港でチェックイン。9時半フライトです。
少しどきどきしますね。

今日は大阪の融通念仏宗総本山大念仏寺の66世法主猊下晋山式に行って参りました。祝賀会では浄瑠璃が上演されました。チベット行きの前は節酒に努めようと思っていましたが、宴会続きでなかなか節酒になりませんでした。

高山病が心配です。

でもはじめてのチベット体験。いいものを得て来たいと思っています。

帰りましたら、じっくりと報告させて頂ければと思っています。帰国後は結構、大峯参り、蓮華入峰修行と日程が混んでいますので、時間をかけて、報告出来ればと思います。

ともかく元気に行ってきます。

尊徳翁語録2題

「尊徳翁語録二題」

友人から二宮尊徳の語録集(やまと文庫)を紹介され、この間から読んでいる。

尊徳といえば、昔はどの小学校にも、薪を担いで歩きながら本を読んでいる銅像が建っていて、刻苦勉励、勤労倹約の象徴のような人物というイメージである。しかし語録を読み進めるとなかなかどうして、じつに合理的な考えの持ち主であり、仏教の造詣も極めて深く、含蓄と示唆に飛んだ多くの文章に出会った。少し長くなるがその中で特に気に入った一文を紹介したい。

「浄土と書けば、清浄な美しい土地である。静土と書けば、閑静なよい土地である。上土とすれば、この上なくよい土地である。定土とすれば、安居できるよい土地である。常土ならば、常住できるよい土地である。実に、浄土という音もおもしろいものではないか。思うに、一心を悟れば、どのような土地にいても、すべて浄土である。士農工商がおのおの業務を楽しみ、その他のことを顧みないならば、それも浄土である。たとい子孫が多くてもその家に安住できずも、衣食を失ったならば、すなわち地獄である」(浄土ということば・巻三の二四三より) 

刮目させられる文章である。私たちは浄土に生かされている。それは静土でもあり、上土でもあり、定土でも、常土でもある。しかしその浄土はまた地獄にも変わりうる。浄土を作り出すのも地獄を作り出すのも我が一身にある。改めて自分の足元を見つめ直している。

「地獄極楽は十万億土にあると言う。私の考えでは眼前にもある。うぐいすがさえずり人が聞いている、これは極楽だ。人が捕らえようとしてうぐいすが逃げる、これは地獄だ。貧富が互いに譲り合えば極楽だし、奪い合えば地獄だ。地獄極楽は眼前にあるではないか。」(地獄極楽は眼前に・巻五の四三七より)

まさに地獄極楽は眼前にある。我が一身にあるのである。このほか尊徳語録にはまだまだ多くの名文がある。みなさまにも是非一読をお勧めしたい。

役行者さま昇天の日イブ

世間では666は10年に一度のオーメンの日だとか。

でもここ聖地吉野山は今日は高祖役行者さまの昇天された縁日の前日で、高祖会大法要慶讃大護摩の日。明日は高祖会大法要本番です。

大宝元年・西暦701年に箕面天井ヶ岳から昇天された役行者さまは明日で1306回目のご縁日をお迎えになります。金峯山寺では役行者さまを偲んで、前日に大護摩を修法させていただいています。

明日は本番で、蔵王堂内での報恩の法要です。

今日も明日もよい天気で大変有り難いですね。

秋田の事件から見えるこの国のこと

秋田の事件が大きく報道されています。気が滅入る話です。

大人が子どもを殺す。親が子どもを殺す。子どもが親や祖父母を殺す。自分で自分を簡単に殺す。昨年は自殺者の数が3万人を越えている・・・なんと野蛮な国になったのでしょう。この国はどこまで野蛮になっていくつもりなのでしょう。

神仏なき時代の、必然の結果なのではと、危惧をしています。

ここ3年ほどの講演活動で、何度も何度も神仏なき時代の、危うさを語ってきましたが、未だにそういう視点は語られることがない。語れないくらいすでに神は死に仏は排斥されてきた。

自分を超えたものとの関係性の中で人の営みは文化を生み、宗教を育んできたのではないでしょうか?

四季の豊かな希有の国…日本の国柄が損なわれて、国民はいまどこにいてどこに向かおうとしているのか、考えようともしない。

秋田の事件だけではなく連日のように子ども殺し、肉身殺し、自分殺しが報じられています。

犬猫以下の野蛮な国です。

もういいかげんにしてもよいのではないでしょうかね。

チベット行きが待ち遠しい・・

チベット旅行ももう目の前。昨日は自分の中でチベット行きを盛り上げるため、「セブンイヤーズチベット」をレンタル屋で借りてきて見ました。映画の内容はともかく、秘境の地へ行くことの期待感と、チベット仏教との邂逅が楽しみになってきました。

にわか勉強でチベット仏教を勉強していますが、修験道の私の目から見るせいなのか、時代の同時性や修験との類似点につい目が行きます。ま、いつもの私独特の勝手な目でしょうが。

それから日本にはほとんど伝わっていない後期インド仏教のタントライズムとの、はじめての遭遇も興味津々です。

出発は6月16日。お酒も控え気味で体力作りに励んでいます。

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