尊徳翁語録2題
「尊徳翁語録二題」
友人から二宮尊徳の語録集(やまと文庫)を紹介され、この間から読んでいる。
尊徳といえば、昔はどの小学校にも、薪を担いで歩きながら本を読んでいる銅像が建っていて、刻苦勉励、勤労倹約の象徴のような人物というイメージである。しかし語録を読み進めるとなかなかどうして、じつに合理的な考えの持ち主であり、仏教の造詣も極めて深く、含蓄と示唆に飛んだ多くの文章に出会った。少し長くなるがその中で特に気に入った一文を紹介したい。
「浄土と書けば、清浄な美しい土地である。静土と書けば、閑静なよい土地である。上土とすれば、この上なくよい土地である。定土とすれば、安居できるよい土地である。常土ならば、常住できるよい土地である。実に、浄土という音もおもしろいものではないか。思うに、一心を悟れば、どのような土地にいても、すべて浄土である。士農工商がおのおの業務を楽しみ、その他のことを顧みないならば、それも浄土である。たとい子孫が多くてもその家に安住できずも、衣食を失ったならば、すなわち地獄である」(浄土ということば・巻三の二四三より)
刮目させられる文章である。私たちは浄土に生かされている。それは静土でもあり、上土でもあり、定土でも、常土でもある。しかしその浄土はまた地獄にも変わりうる。浄土を作り出すのも地獄を作り出すのも我が一身にある。改めて自分の足元を見つめ直している。
「地獄極楽は十万億土にあると言う。私の考えでは眼前にもある。うぐいすがさえずり人が聞いている、これは極楽だ。人が捕らえようとしてうぐいすが逃げる、これは地獄だ。貧富が互いに譲り合えば極楽だし、奪い合えば地獄だ。地獄極楽は眼前にあるではないか。」(地獄極楽は眼前に・巻五の四三七より)
まさに地獄極楽は眼前にある。我が一身にあるのである。このほか尊徳語録にはまだまだ多くの名文がある。みなさまにも是非一読をお勧めしたい。
友人から二宮尊徳の語録集(やまと文庫)を紹介され、この間から読んでいる。
尊徳といえば、昔はどの小学校にも、薪を担いで歩きながら本を読んでいる銅像が建っていて、刻苦勉励、勤労倹約の象徴のような人物というイメージである。しかし語録を読み進めるとなかなかどうして、じつに合理的な考えの持ち主であり、仏教の造詣も極めて深く、含蓄と示唆に飛んだ多くの文章に出会った。少し長くなるがその中で特に気に入った一文を紹介したい。
「浄土と書けば、清浄な美しい土地である。静土と書けば、閑静なよい土地である。上土とすれば、この上なくよい土地である。定土とすれば、安居できるよい土地である。常土ならば、常住できるよい土地である。実に、浄土という音もおもしろいものではないか。思うに、一心を悟れば、どのような土地にいても、すべて浄土である。士農工商がおのおの業務を楽しみ、その他のことを顧みないならば、それも浄土である。たとい子孫が多くてもその家に安住できずも、衣食を失ったならば、すなわち地獄である」(浄土ということば・巻三の二四三より)
刮目させられる文章である。私たちは浄土に生かされている。それは静土でもあり、上土でもあり、定土でも、常土でもある。しかしその浄土はまた地獄にも変わりうる。浄土を作り出すのも地獄を作り出すのも我が一身にある。改めて自分の足元を見つめ直している。
「地獄極楽は十万億土にあると言う。私の考えでは眼前にもある。うぐいすがさえずり人が聞いている、これは極楽だ。人が捕らえようとしてうぐいすが逃げる、これは地獄だ。貧富が互いに譲り合えば極楽だし、奪い合えば地獄だ。地獄極楽は眼前にあるではないか。」(地獄極楽は眼前に・巻五の四三七より)
まさに地獄極楽は眼前にある。我が一身にあるのである。このほか尊徳語録にはまだまだ多くの名文がある。みなさまにも是非一読をお勧めしたい。
« 役行者さま昇天の日イブ | トップページ | 今日は大念仏寺晋山式 »
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 「ダイアローグ」(2019.04.15)
- 「電子書籍版/吉野薫風抄の表題募集結果発表」(2019.03.23)
- 「ご意見、くださいませ・・・!!」(2019.03.16)
- 「半日断食・・・」(2019.02.26)
- 「鼻血のサイン・・・」(2019.02.24)
コメント
この記事へのコメントは終了しました。
先日は秋田事件のコメントありがとうございました。
現代人の生活が“土”から離れてしまい、
生活基盤(根を張るところ)が不安定で
心も落ち着かなくなってしまっているように思えます。
投稿: 酒徒善人 | 2006年6月10日 (土) 15時25分
>生活基盤(根を張るところ)が不安定で
>心も落ち着かなくなってしまっているように思えます。
ホントに今の日本人は帰属するものを喪失しつつありますね。家族、村落共同体、会社共同体、そして国。
もっというと自然や大地や・・・・。
どこへ行こうとしてるのでしょうかねぇ。
投稿: 吉野山人 | 2006年6月11日 (日) 16時03分