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山人といく女性修験体験…男性参加可。

Dscf0030 もう5年くらい前から、私のいる金峯山寺で5月~10月の間、毎月行っている一般の方を対象にした大峯体験修行ですが、年々参加の方も増え、好評を得ています。

そこで、9月にははじめて女性も対象にした一泊2日の修行会を企画しています(今までは女性参加は日帰り修行のみでした)。

要項は以下をご参照。

・名 称:「金峯山寺修行体験:女性参加大歓迎」
     ~回峯行者といく大峯山体験修行~

 ★今回は特別に私(吉野山人)が先達をする予定です。女性大歓迎ですが、一応、男性も参加可です。

・日 程:9月23日(土)24日(日)

■第1日目:
16時   吉野山東南院 集合
17時より 東南院本堂勤行、食事、結団式、お風呂、就寝

■第2日目:
4時    起床
5時15分 蔵王堂勤行後、出発
5時30分 勝手神社、勤行
7時    水分神社、勤行。小休止。
7時45分 金峯神社、勤行。弁当休憩。(朝食)
8時20分 旧女人結界跡地蔵尊、勤行。
10時25分足摺宿到着、勤行。
11時50分百丁到着、勤行。弁当休憩。(昼食)
12時30分護摩修法。
13時30分百丁茶屋跡出発。
13時45分九十丁登山口より車にて蔵王堂へ
14時25分吉野山、藏王堂解散式

・集 合:吉野山東南院 集合

・参加者募集:先着30名
・参加資格:男女共健脚者に限る

・参加費用:20000円

・準備品:雨具(ポンチョ)、水筒、常備薬、保険証、着替え、洗面具、リュック等

・申し込みお問い合わせ先:金峯山寺 ℡07463-2-8371

★実は自分で発案しておきながらこの5年間、体験修行会に私自身が参加して、先達をするのは今回が初めてです。
★女性に優しい??山人さんと一緒に修行しませんか!

あ、締切が・・・

今日、明日は吉野山生活です。

さて、仏教タイムスという仏教界の業界紙にチベット紀行を頼まれてわずか600字という字数の中で8回連載を執筆することになっています。

ブログでチベット日記を書き綴り、それを元になんとかなるだろうと思って安易に引き受けましたが、ご存じのように遅々として進まず、よって原稿もあがらず、ここしばらく泣きそうでした。ともかく、帰国後すぐに頼まれた締切はあっという間に目の前にきましたので、2回分だけ、おとといかき上げました。

ほっとひといきもつかの間、これも一ヶ月半ほど前に頼まれた原稿ですが、400字8枚を忘れていて、来月5日には出さないといけないことに今朝気づきました。

原稿を頼まれると嬉しくなって、なんでも引き受けてしまうお馬鹿な私ですが、締切厳守だけが評価されていたにもかかわらず、だんだんルーズになっています。

わあ、どうしよう・・・。

先生の通夜

昨日は叡山時代の恩師で、元天台宗宗務総長多紀頴信先生のお通夜に行っていました。

私は昭和46年に比叡山高校に入学し、天台宗の宗門生の専用寮・山家寮に同じ宗内生として入れてもらうのですが、その時の寮長を勤めておられたのが多紀先生で、まるまる三年間、お世話になりました。 多紀先生は叡山中学の校長先生を退任された後、叡山高校の学監を長く勤められ、その間併行して、宗内の徒弟育成を担う由緒ある山家寮(山家はもちろん伝教大師の山家学生式にちなむ名前です)の寮長に着かれ、大原の浄蓮華院のご住職の傍ら、私たち寮生と寝食を共にして指導に当たって頂きました。12年間の寮長時代を経て(ある意味、12年籠山行みたいなもの…)、京都・妙法院の執事長に就任され、後に天台宗宗務総長を勤められました。

恩師の死去に、通夜の席で、手ほどきを受けた例時作法や大懺悔の経文をみなと一緒に唱えながら、いろんな思いを巡らしました。在校中は大好きな先生というわけではなかったですが、卒業後は出会い度に可愛がって頂いていました。

宗務総長就任時に先生を囲む会を私らが発起し、以後ずっと先生を囲んで定期的な会を催してきましたが、近年は病気がちで、なかなかお出会い出来ませんでした。でもそういう会を設けることが出来たのは、せめてもの恩返しになったのではと思いました。

先生の死を目の当たりにしながら、いろんな方々にお世話になって今の自分があるのだなあと改めて思うと共に、お世話頂いた恩返しも出来ないままでいることを痛感しています。心よりご冥福をお祈り致します。 本当に有り難うございました。

昨日のWCRP

昨日は京都の国際会議場で行われたWCRP世界宗教者平和会議に出席してきました。コイズミも来賓で来ていて、挨拶して帰りました。

会議は今日明日の行われています。

ちなみに今日は私目の51回目の誕生日です。
久しぶりに家に帰って母に感謝したいと思っています

明日はWCRP世界宗教者平和会議に出席

明日から京都で開幕するWCRP世界宗教者平和会議に出席します。

予定では10:30の開会式と、午後の全体会議1,2に出て、日帰りの予定です。

ま、私などが行ったところで、その他大勢なのですが、取り組み事態はとても有意義なことだと思います。今朝の新聞で、北朝鮮の代表団入国拒否という記事がありましたが、開幕前に国に水をさされて形です。

普段私が言っている現代社会の宗教に対する扱い方を露呈する事件ですが、海外ではどうなのでしょうね。日本では宗教者の社会的地位が落下してますから、国になにかを言ったとしても相手にされないでしょうが

チベット紀行 5

Photo_5 619 Photo_6 □2006.6.19

06:00、モーニングコールで起きる。07:00、朝食へ。チベットに着いて3日目である。どうやら私は高山順応(高山馴化ともいう)がうまくいったようだ。もうほとんど空気の薄さや高地による体調の不加減は感じない。日本出発前、少し体調を崩していたので、実はかなり心配していたのだが、お陰様である。毎朝、貫田氏が全員の健康チェックをしてくれる。血液中の酸素濃度をはかる小さなインジケーターで、朝食の間、全員を周り、高度障害をおこしていないか調べてくれるのである。血中酸素濃度の数値で一目瞭然なのだという。私は連日、問題はありません、のお墨付きをいただいていた。この貫田氏、後でいろいろ話を聞く中で知るのだが、登山界では知る人ぞ知る有名人で、あのチョモランマの登頂も2度果たすなど、山登りの世界では知らない人はいないという。昨年、高野山大学を会場に、日本山岳会100周年記念の基調講演をお受けしたことがあるが、その時の依頼主で1992年に行われた日本・中国合同登山隊第二次遠征隊チョモランマ登頂隊の隊長を勤めた登山家・重廣恒夫さんとも親しく、貫田氏自身もその登頂隊に参加してるという。そんな達人がツアーコンダクターとして今回の巡礼行の総奉行を担っていてくれるのだから、心強い限りだ。同行者の中で7000㍍級の登山経験のあるというKRさんは昔から貫田さんの大ファンで憧れの人だったという。それくらい、その道では高名な人なのだ。そんな話を弟子のIZにすると、いや~、総長(私のこと)も修験道界では有名ですから…とお世辞を言われた。主宰者でチベットの達人兼宗教学者として新進気鋭の正木先生といい、「今回のツアーはものすごいメンバーばかりで、私幸せ!」って紅一点のHNさんが何度も言っていたが、彼女たちを誘って手前責任のある私にとっても嬉しいことである。

8:00、バス便乗。今日は昨日参観したデブン寺と並ぶゲルク派の三大寺院のひとつ、ガンデン寺へ向かう。ガンデン寺はラサから東に約40キロを行ったタクツェ近くの高山山頂に立つ大伽藍だ。ここはゲルク派三大寺院のなかでも、唯一ツォンカパ自身によって建てられた寺で、ゲルク派最初の寺でもある。

ガイドブックをたよりに少しゲルク派やツォンカパについて紹介しよう。ツォンカパ(1357-1419)はチベット仏教ゲルク派の創始者。中国青海省ツォンカの出身といい、チベット仏教の宗教改革者と位置づけられる高僧中の高僧。当時の堕落していた紅帽派(チベット仏教ニンマ派…紅教・古宗派)を批判し、それと区別をするために黄色い帽子をかぶった。そのためゲルク派を黄教、あるいは黄帽派という。11世紀のインドの学僧アティシャが唱えた、覚りに至る道筋を帰依、発菩提心、菩薩戒、般若行、密教の順にとらえ、すべての修行法やすべての哲学を一つの修行階梯のうちに統合する思想を元に、様々に分裂をしていた当時の宗派の教えを統合する哲学大系を打ち立てたチベット仏教史上、最高の理論家であり、チベット仏教が形成される過程で最も深い思想的影響を残したチベット人でもある。そのツォンカパが明の永楽7年(1409)に創建したのがここガンデン寺。ガンデンとは弥勒菩薩が住まいする地である兜率天の意。ガンデン寺が完成しツォンカパがここに移ってから、ツォンカパの率いる僧団は「ガンデン山の流儀」あるいは「徳行山の流儀」と称され、その略称として「ゲルク派」の名が広まったという。1419年、ガンデン寺が完成して2年後、ツォンカパはこの地で没する。彼の遺骨を納めた銀の霊塔が建てられ、今も彼はこの地に眠っている。ダライ・ラマが亡命するきっかけとなった1959年の中国解放軍侵攻によってガンデン寺は壊滅的な破壊を受けたが、近年ようやく修復がされつつある。

9:20,ガンデン寺へと続くつづら折りの山坂道をバスは砂埃を立てながら登り続けているが、ようやく見えてきたガンデン寺の遠望を前に小休止する。野原には野生?のヤクがいた。9:50,ガンデン寺に到着。海抜4300㍍というこんな高山に営まれたというのが不思議なくらい、壮大な大伽藍群である。もちろん文革によって徹底的に破壊された寺院であるため、その破壊の爪痕をそこかしこに感じるが、それでもゲルク派を代表する寺院としての偉容は取り戻しつつあるようだ。ツォンカパの霊廟に参る。ここでの勤行では天台声明も唱えさせて頂き、同行者全員で般若心経をお唱えしたが、とてもよい気持ちにさせていただいた(写真1)。勤行を終えると、ガンデン寺の住持僧で、38歳にしてゲルク派の最高学位をおさめたというニェンタク・ゲシェー(博士)師との面会が叶う。ニェンタク師は以前から正木先生が懇意にしておられる高僧で、先生曰く、今のチベットではとびっきりの傑物であり、傑物であるがゆえに中国政府からの干渉も厳しく、先生も今回の旅行で、逢えるかどうか心配されていたという。実際にお出会いしてみて、噂に違わぬ、とても聡明で、かつ大変大らかな勝れた人物だということが直感された。正直にいうと、初日のドルジェデン寺や昨日のデプン寺などの参観を通じて幾人かのチベット僧にお出会いしたが、今ひとつ、生気のない印象だった。ガンデン寺復興を推進するに相応しい特別な高僧と私たちはお出会いさせていただいたのである。全員、正木先生のお計らいで、ニェンタク師の個室に招かれ、お茶を頂きながら、しばしの歓談をさせていただく。私は日本から持参した朱扇に、厚かましくも自筆で揮毫し、最多角(イラタカ…修験独特の数珠)念珠などささやかなプレゼントをさせていただいたが、あとで思うとなんだか大それたことをしてきたようで、気恥ずかしい。

12:10、ガンデン寺を出発。一旦ホテルに戻り、昼食後、セラ寺へ向かう。当初の計画では、昨日セラ寺への参観予定だったのだが、セラ寺で有名な「論議」が日曜日には行われていないということで、今日の参観となった。14:50.セラ寺着。論議は15時からだという。すでに論議場となるセラ寺境内の中央広場の周辺は欧米人など多くの観光客が陣取って、論議開始を待っていた。

さてセラ寺である。今回のラサでの参観で、私にとってはポタラ宮殿と並ぶ大きな目的がこのセラ寺訪問であった。セラ寺(色拉寺)はラサの市街を北に5キロ行った山麓に位置する。すでに参観を終えたデプン寺、ガンデン寺と並ぶゲルク派の三大寺院。三つの中では最もラサ市内に近い。創建は1419年。ツォンカパの高弟であるシャキャイェーシェー(1352~1435)による。デブン寺同様にゲルク派の学問寺であり、多くの高僧を輩出してきた。特に、日本人であることを隠し鎖国時代のチベットに仏法を求めて潜入した河口慧海や多田等観がこの寺に滞在をしてチベット仏教を学んだことで知られ、私たち日本人にとっても深い縁を感じる憧れの地である。さて、そのセラ寺筆頭の長老チャンバイ・ワンジェイ氏に拝謁できるという。正木先生とは長年に亘る交遊があり、特別な計らいを受けたのである。論議の開始を待つ同行者には中庭で待っていただいて、正木先生に同伴して私と伊藤さん、貫田さん、テンジンさん、そして私の侍者のようにしてなぜか着いてきたAZ氏の5人だけで長老の個室を訪れた。御年80歳を超えておられるワンジェイ長老だが、御年以上に壮健で、とても親しく私たちを迎えていただいた(写真2)。正木先生も4年ぶりの再会だということでお互いとても懐かしく歓談されていた。正木先生によれば文化大革命に際し、長老も長く中国政府に監禁され、拷問で片目片足を失ったという激烈な経歴の持ち主で、チベット僧の中でも高僧中の高僧だと紹介された。穏やかで慈愛に満ちた今の容貌からは想像出来ない苦難の時代を生き抜かれた方なのである。セラ寺参観後に、再度全員を伴って訪れるお許しを得て、一旦、みなの待つ中庭に戻る。すでに論議は佳境に入っていた。といってもチベット語であるから、話の内容はわからない。ただ中庭全体に80名余りの若い僧たちが、2人一組になって大声をあげ行っていた論議の様子は壮大なものだった(写真3)。ただ見ようによっては、周りを多くの観光客が取り囲み、ちょっと見せ物っぽくなっていたのが残念でもある。本堂で勤行。艱難辛苦を乗り越えてこの地に留学した河口和尚を思うと、般若心経の途中で感極まるものがあった。まさにチベットの直中に今私はいるのである。

再びワンジェイ長老の元へ。今度は同行者全員が招じ入れられた。ガンデン寺のニェンタク師の個室でも感じたことであるが、これだけの大寺院の住持僧であるのに、個室と言っても調度品もほとんどなく、本当に質素な生活をされている。日本の僧侶とは随分違う境遇である。無所得を徹底されている生きざまには私たちも大いに学ぶべきものを感じる。ワンジェイ長老と親しくお話しをさせていただいた後、ひとりひとり直接今回の訪問の祝福を受け、同行者全員大感激の拝謁となった。

ところで高僧達との出会いは本当に有り難いご縁であったが、セラ寺ではいやなものも見てしまった。なんとこともあろうに本堂内の僧堂で、若い僧侶達がトランプに興じていたのである。破戒僧を自認し、生臭坊主を自覚している私がとやかくいえる立場ではないが、少なくとも、例えば蔵王堂内で、参観者を前に、そういったことはありえない。チベット仏教は戒律が厳しいと聞いていただけに、文革以後、復興しつつあるというチベット仏教に内在する問題の一部分を垣間見たような気がした。勝れた高僧たちとの出会いを経験した直後の出来事だっただけに、より大きな衝撃を受けたのである。

16:30,セラ寺の参観を終え、ジョカンに到着。ジョカン(大昭寺)はラサの中心街に位置し、チベット仏教で最も聖なる寺院とされる。チベット全土はいうにおよばずチベット以外の地、四川や青海、内蒙古からラサを目指す何千何万の巡礼者の多くは、ここジョカンに向かって集まってくるのである。学問寺のデプン寺やセラ寺にはない、庶民信仰の聖地を感じさせるお寺であり、門前では、多くの巡礼が五体投地を繰り返していた。また寺域周辺にはヤクの乳で作るバター灯明が燃える動物質の匂いが充満し、いかにもチベットらしい雰囲気が漂う場所でもあった。ジョカンの創建は7世紀中葉、ソンツェン・ガンポ王治世に遡る。王は権勢を振るい、ネパールよりティツゥン妃を、唐より文成公主を妻に迎えたが、それぞれの妃がインド仏教と中国仏教をチベットにもたらした。ジョカンはそのティツゥン妃によって建立された寺である。本尊はなぜか文成公主が嫁入りの道具として持参したといわれる釈迦牟尼像が祀られている。ここも巡礼者に交じって、漢人の観光客でごった返していた。本堂御宝前では、行き交う参拝客の合間を縫って、同行者全員で勤行する。勤行後、堂内の役僧さんのご案内で、特別に内陣に参拝。いぶかしげに見守る他の参詣者を尻目に、直接ご本尊像に額づかせていただいた。

17:40、ジョカン門前に広がるパルコル(八角街)へ。ジョカンの本殿はひとつの巡礼路になっていて、巡礼たちは、本殿のなかを右回りに右回りに巡礼するが、これに対してパルコンは、ジョカンを外周する巡礼路である(更に市街全体を一周するリンゴルという巡礼の路もある)。巡礼の人々は手にマニ車をまわしながら、口に「オムマニベメフム、 オムマニベメフム」と唱え、パルコルを巡礼していた。話に聞いていたほど、五体投地で廻る人の姿はあまり見かけなかった。昨日、正木先生と訪れたタンカ画専門店もこのパルコンの一角にある。体調の勝れないMT氏などホテル帰着組と別れ、私たちは再びタンカ画専門店を訪れ、パルコル周辺に軒を並べる露天のお店でお土産を買う。勢いで、つい、マニ車や金剛鈴を買ってしまった。使わないだろうなぁ。

18:00,ホテル帰着。ラサは到着してから連日の好天で、暑い日々が続いている。持参した冬服を奥にしまいこみ、数少ない夏服をとっかえひっかえ着ているが、それにしても暑い。湿気がない分、あまり汗をかかないし、汚れないのが救いである。19:00、ホテル内のレストランでチベットの民俗演劇を鑑賞しながら食事をする。意趣を凝らした演出は大変興味深いものであった。食事後、伊藤さんと同行して、「良子足道」というマッサージ店に行く。伊藤さんは昨日も来たらしい。約2時間半、全身と足底のマッサージをしてもらい支払いはなんと120元。日本円で1800円くらいである。破格に安い。日本なら15分くらいしか揉んでもらえない値段である。

23:30、思い切ってたまっていた衣服を洗濯し、干し終えるともう時計の針は1時近くになっていた。就寝。

NHK・日本の名峰

おはようございます。あいかわらず、毎日暑いですねえ…。

さて、今日の夜21:00~22:50、NHKBS-hi ハイビジョンで「日本の名峰第4回~冨士山・西の山々」が放送されます(BS2は10月7日再放送)。いろんな人のお陰で、わが大峯山も名峰ベスト10入りしたので、大きくあつかわれるようです。

是非ご覧下さい。

ちなみにNHKの日本の名峰HPは 
 ↓
http://www.nhk.or.jp/meihou/

高気圧酸素カプセル。

チベット紀行、また止まってしまっています。
いつになったら書き上がることやら・・。
一気にかき上げようと頑張ってはいるのですけどね。

閑話休題。

早実高の夏の甲子園初優勝で、ハンカチ王子・斎藤佑樹くんの大フィーバーが起こっていますが、その佑樹くんの疲労回復法として脚光を浴びているのが。高気圧酸素カプセル。

実は高気圧酸素カプセルは私もご愛用。もちろん400万円もする高価な機械ですので、自分で持っているわけではありませんが。

大阪にスパワールドという温泉ランドがありますが、そこに行くたびに、1時間4000円くらいで利用出来る施設があり、最近はいくたびに利用しています。

たしかに効果はありますねぇ。二日酔いにもよく効きますよ。

でも今まであまり知られていなかったので空いていたのですが、これから混むんだろうなあ。あんまり知られたくなかったのにぃ。

チベット紀行 4

Photo_4 Photo_3 Photo_4 Photo_5 □2006.6.18

07:00、モーニングコール。よく寝たなあ。人によってはダイヤモックスのせいで、夜中に何度も尿意をもよおし、熟睡出来ないらしい。そういや、AS氏も何度も起きていた。幸い私は出発直前までのハードなスケジュールのせいもあって、肩こりに苦しめられるものの、割合よく寝ている。08:00、食事へ。みんな、なんとなく、空気の希薄さのせいか、元気がないように見えるが、でも食事は進んでいる。HNさんなど、女性というのに、とにかくたくさん食べている。見ていて気持ちが良い健啖家である。そんな中、正木先生だけが摂生しておられるようだ。9:05、バスにてポタラ宮殿へ。ホテルからは10分足らずの距離であるが、宮殿の門前で、約50分間の足止めを食う。バスで宮殿内に乗り入れるための交渉に時間がかかったのである。10:10、ようやく交渉が成立し、入場する。5分ほどでバスの車寄せに到着。歩いた方が早かったよ。

ポタラ宮は歴代ダライ・ラマ法王の元居城。ラサの町の西の端に位置するマルポ・リ(紅い丘)にある宮殿式建築群である。チベット族の古建築の精華といわれている。「ポタラ」とは、「観音菩薩が住まう地」の意味だそうで、観音菩薩とは、その化身とされるダライ・ラマのこと。チベット仏教独特の転生活仏の信仰である。13階建ての巨大な宮殿は、主楼の高さが117メートルもあり、総面積は13万平方メートルに及ぶという。建物は白宮と紅宮に分かれている。ダライ・ラマは宗教と政治双方の最高権力者であったわけだが、政治部門は白宮で、宗教部門は紅宮で執り行っていた。白宮は建物の下層と両側に広がり、紅宮は、白宮に支えられるように、中央部分の八階以上の高層を占めている。1959年に現ダライ・ラマ14世が亡命して以来、主なき城となり、今は中国政府が博物館にしてしまった。一日の参観定員があるようで、事前に予約を入れておかないと入るのは難しいと聞く。しかも結構な参観料とか。

参観はまずダライ・ラマが政務を執った白宮に入り、次に紅宮へと案内される。歴代ダライラマの霊廟やチベット密教の「カーラチャクラ(時輪)立体曼荼羅」、法王たちの所蔵した素晴らしい工芸品や宝物の数々を参観。なかでも目をひいたのは五世の霊廟。霊塔の高さは14メートル。3700キログラムの黄金と15000個の宝石が使われたその絢爛豪華ぶりは圧倒的である。ハリウッド映画「セブンイヤーズインチベット」で有名なダライ・ラマ法王との謁見の間なども巡る。このポタラ宮から睥睨したラサの街の大展望は素晴らしかった。

しかしこのポタラ宮参観は少しがっかりもした。なにせ物凄い数の観光客である。欧米人の姿も見えるが、多くは漢人たちだ。巡礼者も見かけたものの、ダライ・ラマのいない此処は今はもう観光名所でしかない。中国政府のチベットへの力の入れようを見る限り、ダライ・ラマはここに戻って来られることは決してないだろう。それとポタラ宮の周辺がすごい。グラビア世界遺産で見たポタラ宮は秘境の宮殿に相応しく寂寥たる高地に厳然としてそびえる巨大な建物であったが、今は宮殿の表裏ともに開発が進み、私のイメージにあったポタラ宮とはまったく違った風景の中にあった。中国化が進むチベットを象徴するかのような、佇まいだったのである。それでもポタラ宮殿自体は素晴らしい。世界遺産に相応しい荘厳な楼閣と、長い年月に渡りチベット仏教の聖地として、チベット人たちが崇め続けたその偉容に接する機会を得たことは感激であった。

11:20、参観を終え、バスに戻る。宮殿前の正面広場で写真撮影をして、食事へ向かう。昼食はネパール料理であった。高山では飲酒は厳禁と教えられていたが、結構体調もよいし、参加者で酒好きの人も多くて(一番の酒好きは自分であるのに人のせいにしてはいけないが…)、かねて憧れのラサビールを注文し、豆カレーなど、ネパール料理を堪能した。

14:45、ラサ郊外のデプン寺(哲蚌寺)へ向かう。約25分で到着。デプン寺はラサ市の市街から西北に5キロほど離れた、山の斜面に立つゲルク派の寺院で、明日参観予定のセラ寺、ガンデン寺とならびゲルク派三大寺院の一つ。創建は明の永楽14年(1416)、ゲルク派の創始者ツォンカパの高弟ジャヤン・チェジュによって建てられたという。17世紀、ダライ・ラマの宗教・政治両面における絶対的権威が確立しダライ・ラマ五世がポタラ宮に居を移すまでは、ここが居城であった。しかしながら中国侵攻後、文化大革命の災禍によって、このデブン寺は他のチベット寺院同様に打ち壊しなどの大変な被害を蒙り、その爪痕は今も生々しい。往時は7000名を超える僧侶が修行をしていたというゲルク派最大の寺院だった面影は失われて久しく、境内の荒廃ぶりは痛々しいが、それでも参観中には観光客や巡礼者の姿に接し、徐々に復興しつつある状況も伺えた。

17:00、デブン寺足下に位置するネチュン寺参観。ゲルク派にとって重要なことを占うネチュン神が祀られる大切な寺院。しかしここも徹底的な文化大革命の破壊によって、多くの建物や什物が失われ、復興が始まったばかりの状況だった。

ところで、各所で、一生懸命説明をしてくれるガイドのテンジンさんはとても良い人なのだが、正直にいうと日本語はかなり聞きづらい。故に行く先々でのガイドブックは手放せない。ただ今回のツアーはなんといっても正木先生の引率であり、疑問があれば的確に答えてもらえるのは有り難かった。

18:40、一旦ホテルに帰り軽くシャワーを浴びた後、夕食のレストランへ行く。今夜はしゃぶしゃぶのお店。数年前に中国・五台山巡礼の旅をしたとき、大同という街で、羊肉のしゃぶしゃぶを食したことがあったが、中国のしゃぶしゃぶ料理はなかなかいける。しかしまさかラサまで来てしゃぶしゃぶを頂けるとは思っても見なかった。そして大同同様にここもとても美味しかった。私は日本からポン酢を持参してきていたのであるが、これが大成功。まるで日本食のしゃぶしゃぶ料理となったのである。あ、食事の話ばっかり書いている。間違いなく、毎日食べ過ぎである。

20:20、ホテル帰着。21:00,ホテル内のラウンジにある大型テレビの前でワールドカップの日本VSクロアチア戦を観戦。慶応ボーイのT君と御曹司のS君たちと一緒に観る。残念ながら0-0のドローでしたが、日本人同士で応援していると、なんだか秘境の国へ来ているような気がしませんね。

「主なきポタラ宮」

巡礼者を押しのけて、物見遊山の観光客に踏みにじられる観音菩薩の聖地・ポタラ宮。主であるべきダライ・ラマ14世は、中国の、チベット併合ともいえる侵攻政策による弾圧を避けてインドに亡命する。1959年、ラサで起きた大規模な中国に対する反乱を契機に、人民解放軍がチベット人の殺害やチベット寺院の破壊を行うが、この難を避けてダライ・ラマは亡命の道を選んだのであった。現在インド北部のダラムサラに亡命政府を樹立して、国際社会に対してチベットの独立運動を展開しているが、2度のこの地に法王がお戻りになることはないのかもしれない。

巡礼者の一人として、主なきポタラ宮を参観する中、いろんな思いが去来する。チベットは中華人民共和国の成立と共に、チベットの歴史と文化の二つながら、大中国に飲み込まれ、文化大革命によって、大きな大きな打撃を受ける。チベット人民の独立すら奪われて、その精神的支柱のチベット仏教は疲弊したのである。その象徴が主なきポタラ宮殿であり、博物館と化した聖庁なのだ。

翻って我が修験道を考えると、明治の欧米化政策は神仏分離を施策し、権現信仰の禁止と共に修験道の廃止を断行する。権現信仰の法城である金峯山寺蔵王堂もまた、明治7年には廃寺となり、13年間神社とされたが、のちに仏寺に復帰し、日本全土の修験寺院が廃絶される中、奇跡的にその法脈を保ったのである。それは偏に当時の人々の信仰心に支えられた抵抗運動の賜物であろう。

ポタラ宮殿の存続は博物館としての継承では意味がない。歴代ダライ・ラマ法王の嘆きやいかばかりであろうか…と私は思った。だからこそ、チベット人民の信仰心の継続に、いずれ迎える新たなよき時代を拓く鍵がある、そんな思いを一人巡らした主なきポタラ宮殿の参観であった。宮殿内の豪華な陳列物に饗応する中国人観光客に罪はないが、その信仰なき、無節操な態度に忍びがたい不快さを覚えたのは私だけではないだろう。

チベット紀行 3

Photo_3 617_ 617 □2006.6.17

04:00、またも事件発生。同室のAS氏が時差を直していなかったため、真夜中にけたたましく目覚まし時計が鳴ったのだ。まったく、迷惑な奴である。しかし当然、心が大らかで、慈悲深い私は何もなかったように無視して眠っているふりをした。05:00、モーニングコール。05:30,朝食。6:00,バス乗車。空港到着の後、エアバスにてチベットへ。日本からの国際便より、搭乗機が大きい。成都ーラサ間の利便さがもたらしたものであり、それほど成都とラサの行き来が頻繁に行われている証左だと、総奉行の貫田さんから聞く。

10:00、チベット西蔵自治区のゴンカル空港着。聞いていたとおり、抜けるような青空と透き通るような空気の軽さである。冬の衣服はいらんかったなぁ…と重いスーツケースを恨めしくみる。ともかく私にとって初めてのチベットである。正木先生の指示もあり、昨夜から、いただいた高度障害対策の薬・ダイヤモックスを服用しているお陰か、思ったほどの高度障害を感じない。ゴンカル空港の高度で約3600㍍というからいきなり低地から富士山山頂に着いたようなもの。空気は確かに薄い。ちょっとした階段でもハアハアする。にもかかわらず若干、頭に痛みを覚える程度で、さほどの不快感がないのは有り難い。周りの同行者を見ると結構顔色を悪くして気分のすぐれない人もいるようだ。伊藤さんも不愉快そうな顔をしていた。昨日飲み過ぎたせいかなあ。チベット滞在中の現地ガイドのテンジンさんというチベット人の方が出迎えに来てくれていた。180㎝を超える屈強な体格の人である。貫田さんも正木先生も懇意らしい。彼はかなり有名なガイドさんのようで、日本のことも詳しい。「高地ですから、慣れるまでは、なるべくゆっくり歩いて下さい。」というアドバイスに従って、行動はゆるやかにおしとやかに。確かになんだか体がふわふわしているなあ。

年代物のチャーターバスでラサに向かうが、途中、少し寄り道して、最初の訪問地コンカル・ドルジェデン寺(金剛法座寺)を参観。10:40着。ここは正木先生旧知の寺で、今はガラス張りで覆われている堂内の壁画が、まだ保護工事を施される前に、奇跡的に取材する機会を得たというチベット仏教新サキャ派の寺院である(後年このときの撮影記録は立川武蔵・正木晃共著『チベット密教の神秘』<学研>として出版されている)。私にとってはこのコンカル・ドルジェデン寺が初めてのチベット仏教との遭遇地となった。本堂脇には噂に聞いたマニ車が設置され、参詣者が回している。私も周りしてみる。このマニ車、必ず右周りに回さないといけない。一回りさせるごとに仏教経典の一切経一読と同様の功徳があるという。関西では四天王寺の極楽門前にあるマニ車が有名であるが、他ではあまり見かけない。チベット寺院ではどの寺でも設置されていた。本堂内に入ると僧たちがたくさん集っていた。説法会の最中である。ひんやりとした空気、ローソクだけのほの暗いあかりの中で経典を読誦する30名あまりの僧達を目の前にして、いささかその雰囲気に飲み込まれたような思いであった。

本堂をはじめ二層三層と続く堂内壁画は、チベット仏画史上、最大級の画家といわれるキェンツェの作とみなされている。その素晴らしい美しさは遠く日本から訪ねるに足る価値と感動を与えてくれた。但し(このあとのどのお寺でもおなじなのだが)、堂内撮影にはその都度、いくばくかの寄進を強要され、その額はお寺によって差異はあるものの、チベット滞在中、合計するとそうとうの金額を支払うことになる。もちろん日本じゃ、堂内は撮影厳禁で少々お金を払っても、そう簡単には撮影させてもらえないのだから、チベット寺院の方が良心的というなら良心的といえるかもしれない。最上層の階へ上り、全員で勤行をする。あらかじめ用意した錫杖を振って、私がお導師を勤めさせて頂いた。今回は全日程を通してチベット寺院巡礼の旅であり、単なる参観旅行ではない、という私なりの意義を込めての勤行であったが、正木先生をはじめ他の参加者にも大変喜んでもらえたようだ。チベット僧の唱えるお経に慣れ親しんだチベットの諸尊には見知らぬ日本の修験僧のお経など、とまどうばかりであったかもしれないが、諸仏供養の心は納受して頂けたに違いない。

12:10、再びバスへ。一路ラサを目指す。青い空と透き通るような大気に覆われたチベットの大地は予想どおりに雄大にして爽やかである。梅雨の日本を出発し、湿度の高い成都から入国したせいもあってか、素肌に気持ちいい快適な気候であり、高度障害もさほど私は感じない。13:00、道路の脇にそびえるネタンの摩崖大仏前を通る。バスの中から大仏を拝む。そして13:45、ラサ市に到着し、ラサでの宿泊所・ヒマラヤ飯店に入る。

チベットは人口密度の少ない国であるから、さすがに街と街の間にはあまり人家は見かけなかったが、ラサに近づくに従って建物が増えてきた。しかしながら、世界の秘境といわれたチベットである、さぞかし秘境っぽい佇まいがあるに違いないと期待していたが、案に反して、そういう私たちが想像するチベットらしい風景はラサ市内にはほとんど残っていなかった。小中国って感じで、看板に毒々しく描かれた簡体文字の中国語とともに併記されるチベット文字にわずかなチベット国の匂いを感じた程度。街全体の作りや雰囲気は完全に中国ナイズされている。「これでもう5,6年すればもっともっと中国化してチベットらしいものはいよいよ損なわれてしまいますから、是非今のうちに見ておくべきなのです。」とは正木先生の言である。

14:30,ホテルで昼食。予想に反して料理は美味しい。「高地にくると、多くの人がとてもハイな気分になるので十分摂生して下さい」と何度もいわれたが、ハイになっているせいなのか、食事が結構進む。自制をしなくては…。そういえばチベットの達人・正木先生自身は食事の量が極端に少ない。それが秘訣なのだろう。伊藤さんはどうも高度障害にかかっていて顔色も悪いが、それでも結構食べていた。

ともかくチベット旅行は高山順応がなによりも大切である。今日明日は体を空気の薄い高地に慣れさせることが一番であり、スケジュールもゆったりと組まれている。17:00、夜の食事の前に、腹ごなしも兼ねて、八角街にある正木先生御用達というタンカ画専門店を訪ねる。あいにく先生のご友人の画師は留守であったが、ここのタンカは先生が褒めちぎるだけの価値がある作品ばかりで、素晴らしいものであった。その分、他のお店のタンカと比べると単価(たんか)が高いなあ…とオヤジギャグを一人でつぶやいて、誰にも言わずに苦笑した。高度障害のハイテンションのせいなのかもしれない。土産は買うまいって心に決めてチベット入りしたが、初日にしてその禁を破り、早速購入してしまった。またまた土産物ツアーになってしまいそうである。私は海外旅行に行くと、ついついいろんなものを買ってしまう癖がある。帰国後は、ほとんど見向きもしないようなものばかりを買うのだが、何度行ってもこの癖は治らない。しかしここのタンカ画は本当に素晴らしかった。

20:00,ホテル内のレストランで食事。先生、ここの食事も美味しいよ。ダイエット出来ないなあ…。21:00、部屋に戻ってテレビをつけると辺境の地ラサというのに、成都同様、ワールドカップの生中継をやっていた。もうラサは辺境ではないのだ。しかし、諦めていた、明日の日本VSクロアチア戦も観戦することが出来そうである。有り難いけど、日常を離れて秘境の旅に出たつもりでいただけになんか複雑。

23:00、AS氏の目覚まし時計の時間設定を確認して就寝。また夜中にたたき起こされてはたまらないから…。明日からいよいよラサ市内の参観である。

「高山病対策薬・ダイアモックスについて」

文中、正木先生から勧められた高山病対策薬ダイアモックスの服用について記述しているが、このダイヤモックスは、本来はてんかんやメニエール病の特効薬として開発された薬剤(炭酸脱水酵素抑制剤・アセタゾラ)で、偶然の機会に、高山病にも非常によく効くことがわかり、欧米で普及したという妙薬である。ただし、日本では、薬事法の関係から、一般の薬局などでは入手不能で、医者の処方箋がいる。副作用は基本的には、服用法を誤らないかぎり、ほとんどないといわれているが、ただし、フェノベール、アレピアチンとは併用してはいけない。

用法はまず、チベットに入る前日の夜(就寝の前に)、半錠を服用する。次にチベットのコンカル空港に到着する30分前に、機内で残りの半錠を水とともに服用。そして最初の2日間は、朝・昼・晩の3回、半錠ずつ服用し、高度順応がうまくいって体調がよければ、服用は止める。また体調に何らかの異常を感じた場合は、ただちに服用する。バッファリンのような薬と併用しても、副作用はないといわれている。ただ服用すると、大量の尿が、頻繁に出るので、つねに水分を摂取し、排泄しつづけることが肝心で、これによって高地馴化が飛躍的に進むという。

今回、正木先生と貫田さん以外はチベット初体験者であり、根っから素直な私のように、言いつけ通りに薬の服用をした人は概ね高度障害が少なかった。それに反して、言いつけを無視して薬の服用を怠った人ほど、高山病に苦しむことになった。またこのことが後日の大事件に繋がる要因にもなった。

チベット紀行 2

○2006.6.16

06:00、起床。06:50にシャトルバスで成田へ向かう。成田手前でいきなり警備員がバスに乗り込んできて、身分証明書の提示を命じられる。成田からのフライトは初めてなのでその重々しい警戒ぶりに驚くが、しかしこれも身の安全を考えると致し方のないことなのであろう。物騒な世の中になったものである。

07:30、参加者全員が揃う。総奉行の貫田宗男さんが点呼をとり、大先達の正木晃先生がご挨拶。団員は私を含め金峯山寺関係のAO、IS(二人は私のお弟子)、同室となるAS、それから紅一点のHNさん(看護士さんなのでなにかと心強い)の5人と、正木先生の講座の生徒である生活奉行の伊藤さん、HSさん、MAさん(MAさんは真言宗智山派の和尚)、MTさん、ORさん、TMくん(現役慶応ボーイ)、SKくん(某都内有名寺院のお世継ぎ)の7名という多士済々。年齢は68歳から21歳までの老若男女である。08:10、搭乗手続き終了。搭乗案内までのひととき、自由行動となるが、金峯山寺関係参加者5名だけでささやかなうどん朝食会。みんな私の呼びかけに応じて参加してくれた人たちである。

09:50、離陸。まずは北京を目指す。13:30,北京空港着。ここで日本時間との時差1時間の時計調節。以降は1時間遅れとなり、現地時間の12:30に針を戻す。北京空港へは中国への入国審査のためのみの立ち寄りで、入国審査を終えると元の搭乗便に戻る。13:30、再び出発、一路四川省の成都へ。

16:30、成都着。チベット・ラサへはこの成都からの飛行機による入国ルートが便数も多く、もっとも便利で一般的であるという。チベットの行き帰りにこの成都に一泊ずつすることになる。チャーターバスにて市内のホテルへ。錦江賓館という、市内で最も高級なホテルとか。成都は四川省最大の都市で、人口1200万人という。三国志で有名な劉備玄徳や諸葛孔明が活躍した蜀の国の首都がこの成都。現地ガイドの謝さんから、「今日は珍しく晴れています。成都には『蜀犬、陽に吠える』という有名な諺があり、陽が差すのは年間100日くらいで、普段は雨の多いむしむしした土地なのです」と聞く。確かに日本の真夏を思わせる高温多湿の蒸し暑い気候である。

17:30、ホテルで荷物を確認した後、四川料理の店へ。本場の四川料理に舌鼓を打ちつつ、旅行の道中安全を願って全員で乾杯。それぞれ簡単に自己紹介をした。

18:30、食事終了後、ホテルへ。19:00、最初の事件発生。なんと同室のASがこともあろうに私のスーツケースの鍵を壊したのである。解除した状態のロックの部分に激突し、左側の留め金を半分潰してしまったのだ。なんとか鍵は出来るがロックはかけられないので、このあとの日程は常にガムテープで鍵の部分を覆わないとといけなくなる。初日到着早々の事件であったが、旅行中の前途多難を予見させる事件であった。

19:30、反省の色をみせないASを部屋に置き、気分直しに、街へ出る。生活奉行の伊藤さんたちを伴って、1時間半ほどぶらぶらするが、ともかく蒸し暑い街である。道ばたの居酒屋に入り、一杯3元(約45円)の生ビールを呑む。安いだけあって、正直美味しいとは言えなかったが、ともかく安い。ホテルへ戻り、冷房のきいたラウンジで呑んだビールは30元(450円)。やはりどことも観光客対象のホテルの値段は高いなあ。でもしっかり冷えてうまかった。はじめて中国に来たのはもう20数年前になるが、あのときは冷えたビールなどどこにも置いてなかった。ま、ビールだけでなく、このあともいろんな意味で大変革が進む中国という国には驚かされることになるが、値段の格差といい、近代化中国を身近に実感したビールであった。部屋に戻ってテレビをつけるとワールドカップサッカーを生中継していた。中国に来てワールドカップ中継が見れるとは思ってなかったので、驚いたが、サッカーファンの私としてはかなり嬉しい。全編中国語の解説はさっぱりわからず、見ていても盛り上がらないが贅沢は言えない。

23:10、就寝。いよいよ明日はチベットである。

「旅行中の食事について」

私は数年前まで中華料理が大の苦手であった。というか、高級は中華料理はどうも口に合わず、中華といえば眠眠の餃子か王将の中華料理(あれを中華といっていいのかどうかはわからないが…)くらいしか食べれなかった。それがあるとき、高級中華の本当の美味しさを知ってしまい、今では王将にもいくが、高級中華も大好物である。

それだけではない。高級中華を好きになって劇的な変化が起きたのである。実は高級中華がきらいなときは中国旅行に行くのは苦痛であり、3日もするとあの中華独特の匂いが鼻について食欲がおきなかったのである。いや、中華だけではなく、インドにいっても、韓国にいっても現地の料理が食べれなくて、日本食ばかりを部屋で食べていた。ところが高級中華に目覚めるのと同時に、どの国へ行っても、あまり拒絶反応が起きなくなり、その土地の料理をだいたい美味しく食べられるようになったのだ。なぜかは未だにわからないが、加齢的なものなのかもしれない。加齢なら本当は反対なのかもしれないが…。

ともかく美味しくいただけるのは海外旅行でとても大切なことである。今回、正木先生から食べものは期待しないで下さいと言われていたので覚悟してきたが、実際には旅行中、ほとんど不自由することはなく、逆にチベットダイエットをしようと思っていたのに、いささか体重が増えてしまうことになった。この日の四川料理も本当に美味しかった。Photo_1 Photo_2

チベット紀行 1

Photo_2 ○2006.6.15

18:00、前泊地の千葉・成田ビューホテル着。明日の集合時間が朝の7:30であるため遠くからの参加者は前泊しないと、間に合わない。参加14名のうち、私や正木先生も含め、半数以上が前泊組である。19:00、その前泊組だけで夜の食事会兼結団式をホテル内のレストランでささやかに行う。期待に胸がわくわくというところである。

「チベット旅行準備品について」

用意したものは以下である。スーツケース・ナップサック・海外用万能コンセント・懐中電灯・デジカメ・御守り・マスク・のどスプレー・のど飴・日焼け止め・スキンクリーム・リップ・サングラス・ポカリ粉末・ウィダーイン・ふりかけ・梅干し・白粥パック・カップ麺・インスタントみそ汁・カロリーメイト・漬け物・着替え夏用下着5日分・冬用下着3日分・腹巻き・タオル・パジャマ・Tシャツ・部屋スリッパ・サンダル・かみそり・携帯電話・財布・つばのある日よけ帽子・ウォーキングシューズ・替えズボン・ ベスト・セーター・冬ジャケット・輪袈裟・夏作務衣・夏衣直綴・数珠・錫杖・濡れティッシュ・ポケットティッシュ・ガイドブック『地球の歩き方』・常用薬・洗面道具…。

この中で、チベットの達人正木先生からのアドバイスは、チベットは日中とても日差しが強くまたすごく乾燥しているので、マスクや日焼け止め、帽子などの日焼け防止・乾燥防止グッズは必需品であると教えられた。仰せの通りこれらの携帯品は大変役に立った。高度障害対策にポカリスエットなどの水分の摂取が欠かせないというアドバイスも適切で、これらのものも重宝した。

ところがあまり役に立たなかったものも実はある。まず、冬用の服装。先生曰く、日が差しているところは暑くて仕方がないが、一旦陰るとすごく寒いですよ…と。私は大変寒がりな人なので、そうだよね、高度4000㍍を越えるようなところというと富士山山頂より高いんだからそりゃ寒いだろうなあ…って考えたわけで、下着を含め、冬装束をたくさんたくさん持参したのであるが、実際はほとんど使わなかったのである。幸い好天が続いたのと、この時期のチベットは夏期なのだから、そんなには寒くないわけで、この辺は心配しすぎて失敗だった。それから、チベットの食べ物は口に合わないでしょうから、日本食は持参した方がいいですよ…ってアドバイスをもらったが、これも心配するほどのことはなく、白粥などぜんぜん手つかずだったものも多かった。ここ数年で随分と食事事情も改善されたと、現地で先生に言われたのだが…。ともかく結果的にいらない荷物がスーツケースの中で半分くらいはあった。でもそれは決して正木先生のせいではありません、です。

チベット紀行 序

6月16日から25日まで、『正木晃先生と行くチベット寺院を巡る旅』(主催・株式ウェック・トレック)に同行者の一人として、参加してきました。お恐れながら、私たちの大峯奥駈修行の配役になぞらえていうなら、大先達が宗教学者の正木晃先生で、総奉行が添乗してもらったウェット・レック社長の貫田宗男氏、そしてさしずめ生活奉行が正木氏高弟で針灸師の伊藤裕徳氏という陣容。団員には正木先生の慶応大学公開講座の聴講生など6名のほか、私を含めた金峯山寺関係の5名が参加するという総勢13名の団体旅行でした。

16日朝に成田を旅立ち、北京経由で四川省の成都へ入り。翌日成都から西蔵(チベット)自治区のラサへ入って、ラサ3日泊ーギャンツェ1日泊ーシガツェ1泊ーラサ2泊と、まさに「セブンディーズINチベット」の7日間を過ごしてきました。

旅行中、高山病に倒れ肺水腫一歩手前にまで陥った我が弟子や、私の同室者が帰国直前の成都で腸閉塞のため緊急入院するなどが不測の事件が続出し、まさに前途多難・波瀾万丈の10日間でしたが、幸いにして私はさしたる高度障害もなく、終始快適な道中を過ごすことが出来ました。

以下、稚拙ながら私のチベット滞在記を書き綴ることにしますので、ご笑覧ください。

ただし早く書かないといけないと思いつつ、帰国後、山修行などの日程が混んでいて、ちっとも筆を執らなかったので、あっという間に2ヶ月を過ぎてしまいました。そんなわけで、かなりの記憶が薄れていて、筆も全然進まず、ものすごく心許ない状況です。ですので、決して期待はしないでください。ホントです。そこのところよろしく。

 

今日は京都で家田さんと対談です

今日は、「極道の妻たち」の原作者として高名な作家家田荘子さんと京都で対談です。家田さんとは2年くらい前に知り合い、時々メールも交換してちょっとだけ仲良くして頂いています。

この春に一度対談して、その対談本を制作中なのですが、イマイチその時の内容がうまくいってなかったので、本の為の追加対談をすることになりました。

本が出るのは来年3月頃の予定なのですが、出来たら多くの人に山修行の魅力を知って頂けるような本になればと思っています。是非読んで貰いたいですねえ。

ともかく今日は極妻に負けないように、頑張ってきます。

高校野球で盛り上がってます

ふだんはそんなに高校野球を見ないのですが、今年は隣町の高校が出場して活躍していますので、結構見てます。

今日も熊本工業に6-3の逆転で勝った福知山成美高校です。

いよいよ準々決勝進出です。

駒谷くんというエースが投打に活躍して順調に勝ち進んでいますが、京都府下の高校が甲子園に出るのさえ希有のこと。京都は市内の高校が昔からずっーーーと強くて、郡部から出場するのは成美で2校という快挙。

エース駒谷くんの控え投手の吉田くん(背番号10)が私や子供達が出た同じ中学出で、娘の同級生の弟くんにして長男の一年先輩っていうことで、家族で盛り上がっています。娘は甲子園にまで行って応援しています。

でも駒谷くんの大活躍でお目当ての吉田くんの出番は、まだ甲子園ではありません。

ともかくガンバレ成美で…、盛り上がる田中家です。

ホント、今日の逆転勝利はよかったなあ。

お盆ですね

暑い日が続いています。

私は僧侶とはいえ葬儀葬祭を主にしている檀家僧侶ではないので、お盆といっても格別檀家参りが忙しいという人ではありません。自分の家の墓参りは致しますけど。

ただごく近しい信者さんに依頼を受けて何軒かはお参りに参ります。自坊の近くの8軒ほどですが、それでもこの暑い時期、とても苦痛に感じます。 そう思うと、檀家何百軒というお坊様はほんと大変でしょうね。

昨日は朝一番で田中家の墓参りをして、その後、信者さんのお家を廻りました。暑い一日なのでホント辛かったですね。。

そして今日は朝9時半から恒例の施餓鬼法要でした。

お手伝いの弟子さんも来て貰い、お年も無事施餓鬼会が出来ました。暑い夏、そしてお盆のひとときです・・・・。

今日は…

今日は10日続いて、今年2人目の百日回峰行者の満行式です。

今年は二人の行者が修行に入っていましたが、五月三日出峰のJ行者は10日、そして2日後の5月5日出峰のT行者は今日、満行です。

ご苦労様でした。

吉野山金峯山寺蔵王堂(山下蔵王堂)と山上ヶ岳大峯山寺(山上蔵王堂)を往復48キロを行ずる金峯山回峰百日行は大変過酷な修行ですが、二人とも元気に行じきりました。

…満行式が終われば私もお盆行事で自坊へ帰郷します。

しばらく吉野は留守になりますね。

期待大です。オシムジャパン・・・。

Photo_1 たまにはサッカーネタも・・・。

いやー、はじめっからオシムにしておけばドイツでも惨敗はしなかったろうに・・・。

期待出来る先日の采配でした。っていうか采配というより日本サッカーの方向性がとてもマッチしていた。。

まあジーコはジーコで頑張っていて、日本を愛していてくれたし、彼の名声で、多くの親善試合が出来て経験が積めたわけだからそれはよかったけど、采配を含め日本人にあったサッカーとは言えなかったからねぇ。

心配はオシムの歳だなぁ。やっぱもう2年早くやらすべきだったようにおもうけど。

Jリーグの選手が全日本で頑張るのはJリーグにとってもよいことだし。。Jリーグ有っての日本代表っていう構図にならないと本当の強い国にはならないでしょう。

ともかくオシムに任せて周りは静観して応援してほしいです。

昨日は比叡山で平和の祈り

昨日は比叡山に登り宗教サミット世界平和の祈り19周年記念大会に参加してきました。

毎年暑いですが、今年は例年以上に暑かったです。 次男を連れて行きましたが、彼もぐったりでした。

でも毎年これを続けているスタッフの努力には頭が下がります。いろいろな問題はあるのでしょうが、継続は力なりですね。

ただ惜しむらくは発会当時のポテンシャルを継続するには少し陣容が頼りないかなぁって思うのと、どうしても内側を見てしまう伝統教団の体質的な弱さを、毎年感じています。 それを差し引いても関係者の努力には敬服しています。

偉そうなことを言っても、私が発願して行った去年の平和の祈りの大護摩供は単発でしかやれていないのですから。自らの力不足を実感していますので。 改めて、自分で一体なにがやれるのか、考えさせられて帰ってきました。

平和の国・日本に生まれたからこそ、やれることはあるのではと思ってい804 ます。

追伸 祈りの会場でも、レセプションでもりっぱな席にご指定いただいていますが、高僧や高名な方と一緒なので、いつも恐縮して座っています。あれが一番辛いですねぇ。

暑い毎日・・・

P1010248_1 昨日は毎月の例祭日で、自坊の護摩供でした。

さすがに35度を超える猛暑の中の護摩は暑かったです。

心臓の具合があまりよくないので、その心臓もばくばく…。 それでも修法のあとはどこか爽やかな気持ちになりました。心頭滅却すれば云々っていうような高尚な心境ではないですけど。

なんやかんやいいながら、単なる祈祷師ですからね…。 そういう当たり前の自分を自覚した、昨日の灼熱護摩でした。

で、今日は比叡山の宗教サミット平和の祈りに参加です。

毎年だいたい宗の代表者として行っていますが、子どもが行けるときは同伴させて、おとうさんの偉いところ?を教えています。今年は次男を連れて行きます。ま、そう偉くもないのですけどねえ。。

毎年毎年この日は叡山も暑くてたまりませんが、今年も暑いだろうなぁ

母校に錦を飾る??

昨日恩師の先生を通して母校での講演を依頼されました。 ちょっと嬉しい依頼です。

実はここ2年、昭和女子大の特殊講座をはじめ奈良教育大、早稲田大、立命館大、高野山大など、大学を会場にしてのいろいろな機会での講演機会を与えられてきましたが、母校龍谷大学からの依頼はありませんでした。 やっぱり母校で話をさせて頂くというのは光栄ですよね。

10月11日に宗教部(顕真館)公開講演会に呼ばれています。公開講演なので誰でも来て頂けるのでしょうね。

薄情なものだなぁ・・・

昨日は県立医大で狭心症の検査でしたが、医大の対応にうんざりして、次回の検査を断ってきました。

午前8時半に行って、まちにまって、心電図とかレントゲンをとって、その結果を持って、10時から12時過ぎまで診察室の前でひたすら名前を呼ばれるのを待ちつづけ、ようやく、先生と話をしたのが約10分。会計終わったら午後一時を廻ってました。私にはたえられない半日でした。

次回の検査を断って帰ってきたら、さっそく紹介状を書いてくれたかかりつけの病院から電話があってなぜ次回を受けなかったんだと叱られましたが…。やっぱりあの医大病院は我が儘な私には向いていません。

ところでショックでしたね。病院を終えて、むかえに家内と娘がきたのですが、私の体を心配してくれたのかと思うと、さにあらずコンビニでのお買い物が大事な感じ。しかも、出会って、どうだったともなんとも、ひとことも聞かれませんでした。このところ不調で狭心症の心配をしてるのは知ってるのに。

家族をほったらかしにして仕事を一生懸命やってきた報いなのでしょうかね。私としてはそんなに家族を顧みていないとは思っていないのですが。

ま、仕事優先であるのは間違いないし単身赴任14年目ではあるのですが。

ともかく散々な目にあって、家族の冷たさに立ちつくした昨日の一日でした。。とほほ。

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