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チベット紀行 4

Photo_4 Photo_3 Photo_4 Photo_5 □2006.6.18

07:00、モーニングコール。よく寝たなあ。人によってはダイヤモックスのせいで、夜中に何度も尿意をもよおし、熟睡出来ないらしい。そういや、AS氏も何度も起きていた。幸い私は出発直前までのハードなスケジュールのせいもあって、肩こりに苦しめられるものの、割合よく寝ている。08:00、食事へ。みんな、なんとなく、空気の希薄さのせいか、元気がないように見えるが、でも食事は進んでいる。HNさんなど、女性というのに、とにかくたくさん食べている。見ていて気持ちが良い健啖家である。そんな中、正木先生だけが摂生しておられるようだ。9:05、バスにてポタラ宮殿へ。ホテルからは10分足らずの距離であるが、宮殿の門前で、約50分間の足止めを食う。バスで宮殿内に乗り入れるための交渉に時間がかかったのである。10:10、ようやく交渉が成立し、入場する。5分ほどでバスの車寄せに到着。歩いた方が早かったよ。

ポタラ宮は歴代ダライ・ラマ法王の元居城。ラサの町の西の端に位置するマルポ・リ(紅い丘)にある宮殿式建築群である。チベット族の古建築の精華といわれている。「ポタラ」とは、「観音菩薩が住まう地」の意味だそうで、観音菩薩とは、その化身とされるダライ・ラマのこと。チベット仏教独特の転生活仏の信仰である。13階建ての巨大な宮殿は、主楼の高さが117メートルもあり、総面積は13万平方メートルに及ぶという。建物は白宮と紅宮に分かれている。ダライ・ラマは宗教と政治双方の最高権力者であったわけだが、政治部門は白宮で、宗教部門は紅宮で執り行っていた。白宮は建物の下層と両側に広がり、紅宮は、白宮に支えられるように、中央部分の八階以上の高層を占めている。1959年に現ダライ・ラマ14世が亡命して以来、主なき城となり、今は中国政府が博物館にしてしまった。一日の参観定員があるようで、事前に予約を入れておかないと入るのは難しいと聞く。しかも結構な参観料とか。

参観はまずダライ・ラマが政務を執った白宮に入り、次に紅宮へと案内される。歴代ダライラマの霊廟やチベット密教の「カーラチャクラ(時輪)立体曼荼羅」、法王たちの所蔵した素晴らしい工芸品や宝物の数々を参観。なかでも目をひいたのは五世の霊廟。霊塔の高さは14メートル。3700キログラムの黄金と15000個の宝石が使われたその絢爛豪華ぶりは圧倒的である。ハリウッド映画「セブンイヤーズインチベット」で有名なダライ・ラマ法王との謁見の間なども巡る。このポタラ宮から睥睨したラサの街の大展望は素晴らしかった。

しかしこのポタラ宮参観は少しがっかりもした。なにせ物凄い数の観光客である。欧米人の姿も見えるが、多くは漢人たちだ。巡礼者も見かけたものの、ダライ・ラマのいない此処は今はもう観光名所でしかない。中国政府のチベットへの力の入れようを見る限り、ダライ・ラマはここに戻って来られることは決してないだろう。それとポタラ宮の周辺がすごい。グラビア世界遺産で見たポタラ宮は秘境の宮殿に相応しく寂寥たる高地に厳然としてそびえる巨大な建物であったが、今は宮殿の表裏ともに開発が進み、私のイメージにあったポタラ宮とはまったく違った風景の中にあった。中国化が進むチベットを象徴するかのような、佇まいだったのである。それでもポタラ宮殿自体は素晴らしい。世界遺産に相応しい荘厳な楼閣と、長い年月に渡りチベット仏教の聖地として、チベット人たちが崇め続けたその偉容に接する機会を得たことは感激であった。

11:20、参観を終え、バスに戻る。宮殿前の正面広場で写真撮影をして、食事へ向かう。昼食はネパール料理であった。高山では飲酒は厳禁と教えられていたが、結構体調もよいし、参加者で酒好きの人も多くて(一番の酒好きは自分であるのに人のせいにしてはいけないが…)、かねて憧れのラサビールを注文し、豆カレーなど、ネパール料理を堪能した。

14:45、ラサ郊外のデプン寺(哲蚌寺)へ向かう。約25分で到着。デプン寺はラサ市の市街から西北に5キロほど離れた、山の斜面に立つゲルク派の寺院で、明日参観予定のセラ寺、ガンデン寺とならびゲルク派三大寺院の一つ。創建は明の永楽14年(1416)、ゲルク派の創始者ツォンカパの高弟ジャヤン・チェジュによって建てられたという。17世紀、ダライ・ラマの宗教・政治両面における絶対的権威が確立しダライ・ラマ五世がポタラ宮に居を移すまでは、ここが居城であった。しかしながら中国侵攻後、文化大革命の災禍によって、このデブン寺は他のチベット寺院同様に打ち壊しなどの大変な被害を蒙り、その爪痕は今も生々しい。往時は7000名を超える僧侶が修行をしていたというゲルク派最大の寺院だった面影は失われて久しく、境内の荒廃ぶりは痛々しいが、それでも参観中には観光客や巡礼者の姿に接し、徐々に復興しつつある状況も伺えた。

17:00、デブン寺足下に位置するネチュン寺参観。ゲルク派にとって重要なことを占うネチュン神が祀られる大切な寺院。しかしここも徹底的な文化大革命の破壊によって、多くの建物や什物が失われ、復興が始まったばかりの状況だった。

ところで、各所で、一生懸命説明をしてくれるガイドのテンジンさんはとても良い人なのだが、正直にいうと日本語はかなり聞きづらい。故に行く先々でのガイドブックは手放せない。ただ今回のツアーはなんといっても正木先生の引率であり、疑問があれば的確に答えてもらえるのは有り難かった。

18:40、一旦ホテルに帰り軽くシャワーを浴びた後、夕食のレストランへ行く。今夜はしゃぶしゃぶのお店。数年前に中国・五台山巡礼の旅をしたとき、大同という街で、羊肉のしゃぶしゃぶを食したことがあったが、中国のしゃぶしゃぶ料理はなかなかいける。しかしまさかラサまで来てしゃぶしゃぶを頂けるとは思っても見なかった。そして大同同様にここもとても美味しかった。私は日本からポン酢を持参してきていたのであるが、これが大成功。まるで日本食のしゃぶしゃぶ料理となったのである。あ、食事の話ばっかり書いている。間違いなく、毎日食べ過ぎである。

20:20、ホテル帰着。21:00,ホテル内のラウンジにある大型テレビの前でワールドカップの日本VSクロアチア戦を観戦。慶応ボーイのT君と御曹司のS君たちと一緒に観る。残念ながら0-0のドローでしたが、日本人同士で応援していると、なんだか秘境の国へ来ているような気がしませんね。

「主なきポタラ宮」

巡礼者を押しのけて、物見遊山の観光客に踏みにじられる観音菩薩の聖地・ポタラ宮。主であるべきダライ・ラマ14世は、中国の、チベット併合ともいえる侵攻政策による弾圧を避けてインドに亡命する。1959年、ラサで起きた大規模な中国に対する反乱を契機に、人民解放軍がチベット人の殺害やチベット寺院の破壊を行うが、この難を避けてダライ・ラマは亡命の道を選んだのであった。現在インド北部のダラムサラに亡命政府を樹立して、国際社会に対してチベットの独立運動を展開しているが、2度のこの地に法王がお戻りになることはないのかもしれない。

巡礼者の一人として、主なきポタラ宮を参観する中、いろんな思いが去来する。チベットは中華人民共和国の成立と共に、チベットの歴史と文化の二つながら、大中国に飲み込まれ、文化大革命によって、大きな大きな打撃を受ける。チベット人民の独立すら奪われて、その精神的支柱のチベット仏教は疲弊したのである。その象徴が主なきポタラ宮殿であり、博物館と化した聖庁なのだ。

翻って我が修験道を考えると、明治の欧米化政策は神仏分離を施策し、権現信仰の禁止と共に修験道の廃止を断行する。権現信仰の法城である金峯山寺蔵王堂もまた、明治7年には廃寺となり、13年間神社とされたが、のちに仏寺に復帰し、日本全土の修験寺院が廃絶される中、奇跡的にその法脈を保ったのである。それは偏に当時の人々の信仰心に支えられた抵抗運動の賜物であろう。

ポタラ宮殿の存続は博物館としての継承では意味がない。歴代ダライ・ラマ法王の嘆きやいかばかりであろうか…と私は思った。だからこそ、チベット人民の信仰心の継続に、いずれ迎える新たなよき時代を拓く鍵がある、そんな思いを一人巡らした主なきポタラ宮殿の参観であった。宮殿内の豪華な陳列物に饗応する中国人観光客に罪はないが、その信仰なき、無節操な態度に忍びがたい不快さを覚えたのは私だけではないだろう。

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