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チベット紀行 5

Photo_5 619 Photo_6 □2006.6.19

06:00、モーニングコールで起きる。07:00、朝食へ。チベットに着いて3日目である。どうやら私は高山順応(高山馴化ともいう)がうまくいったようだ。もうほとんど空気の薄さや高地による体調の不加減は感じない。日本出発前、少し体調を崩していたので、実はかなり心配していたのだが、お陰様である。毎朝、貫田氏が全員の健康チェックをしてくれる。血液中の酸素濃度をはかる小さなインジケーターで、朝食の間、全員を周り、高度障害をおこしていないか調べてくれるのである。血中酸素濃度の数値で一目瞭然なのだという。私は連日、問題はありません、のお墨付きをいただいていた。この貫田氏、後でいろいろ話を聞く中で知るのだが、登山界では知る人ぞ知る有名人で、あのチョモランマの登頂も2度果たすなど、山登りの世界では知らない人はいないという。昨年、高野山大学を会場に、日本山岳会100周年記念の基調講演をお受けしたことがあるが、その時の依頼主で1992年に行われた日本・中国合同登山隊第二次遠征隊チョモランマ登頂隊の隊長を勤めた登山家・重廣恒夫さんとも親しく、貫田氏自身もその登頂隊に参加してるという。そんな達人がツアーコンダクターとして今回の巡礼行の総奉行を担っていてくれるのだから、心強い限りだ。同行者の中で7000㍍級の登山経験のあるというKRさんは昔から貫田さんの大ファンで憧れの人だったという。それくらい、その道では高名な人なのだ。そんな話を弟子のIZにすると、いや~、総長(私のこと)も修験道界では有名ですから…とお世辞を言われた。主宰者でチベットの達人兼宗教学者として新進気鋭の正木先生といい、「今回のツアーはものすごいメンバーばかりで、私幸せ!」って紅一点のHNさんが何度も言っていたが、彼女たちを誘って手前責任のある私にとっても嬉しいことである。

8:00、バス便乗。今日は昨日参観したデブン寺と並ぶゲルク派の三大寺院のひとつ、ガンデン寺へ向かう。ガンデン寺はラサから東に約40キロを行ったタクツェ近くの高山山頂に立つ大伽藍だ。ここはゲルク派三大寺院のなかでも、唯一ツォンカパ自身によって建てられた寺で、ゲルク派最初の寺でもある。

ガイドブックをたよりに少しゲルク派やツォンカパについて紹介しよう。ツォンカパ(1357-1419)はチベット仏教ゲルク派の創始者。中国青海省ツォンカの出身といい、チベット仏教の宗教改革者と位置づけられる高僧中の高僧。当時の堕落していた紅帽派(チベット仏教ニンマ派…紅教・古宗派)を批判し、それと区別をするために黄色い帽子をかぶった。そのためゲルク派を黄教、あるいは黄帽派という。11世紀のインドの学僧アティシャが唱えた、覚りに至る道筋を帰依、発菩提心、菩薩戒、般若行、密教の順にとらえ、すべての修行法やすべての哲学を一つの修行階梯のうちに統合する思想を元に、様々に分裂をしていた当時の宗派の教えを統合する哲学大系を打ち立てたチベット仏教史上、最高の理論家であり、チベット仏教が形成される過程で最も深い思想的影響を残したチベット人でもある。そのツォンカパが明の永楽7年(1409)に創建したのがここガンデン寺。ガンデンとは弥勒菩薩が住まいする地である兜率天の意。ガンデン寺が完成しツォンカパがここに移ってから、ツォンカパの率いる僧団は「ガンデン山の流儀」あるいは「徳行山の流儀」と称され、その略称として「ゲルク派」の名が広まったという。1419年、ガンデン寺が完成して2年後、ツォンカパはこの地で没する。彼の遺骨を納めた銀の霊塔が建てられ、今も彼はこの地に眠っている。ダライ・ラマが亡命するきっかけとなった1959年の中国解放軍侵攻によってガンデン寺は壊滅的な破壊を受けたが、近年ようやく修復がされつつある。

9:20,ガンデン寺へと続くつづら折りの山坂道をバスは砂埃を立てながら登り続けているが、ようやく見えてきたガンデン寺の遠望を前に小休止する。野原には野生?のヤクがいた。9:50,ガンデン寺に到着。海抜4300㍍というこんな高山に営まれたというのが不思議なくらい、壮大な大伽藍群である。もちろん文革によって徹底的に破壊された寺院であるため、その破壊の爪痕をそこかしこに感じるが、それでもゲルク派を代表する寺院としての偉容は取り戻しつつあるようだ。ツォンカパの霊廟に参る。ここでの勤行では天台声明も唱えさせて頂き、同行者全員で般若心経をお唱えしたが、とてもよい気持ちにさせていただいた(写真1)。勤行を終えると、ガンデン寺の住持僧で、38歳にしてゲルク派の最高学位をおさめたというニェンタク・ゲシェー(博士)師との面会が叶う。ニェンタク師は以前から正木先生が懇意にしておられる高僧で、先生曰く、今のチベットではとびっきりの傑物であり、傑物であるがゆえに中国政府からの干渉も厳しく、先生も今回の旅行で、逢えるかどうか心配されていたという。実際にお出会いしてみて、噂に違わぬ、とても聡明で、かつ大変大らかな勝れた人物だということが直感された。正直にいうと、初日のドルジェデン寺や昨日のデプン寺などの参観を通じて幾人かのチベット僧にお出会いしたが、今ひとつ、生気のない印象だった。ガンデン寺復興を推進するに相応しい特別な高僧と私たちはお出会いさせていただいたのである。全員、正木先生のお計らいで、ニェンタク師の個室に招かれ、お茶を頂きながら、しばしの歓談をさせていただく。私は日本から持参した朱扇に、厚かましくも自筆で揮毫し、最多角(イラタカ…修験独特の数珠)念珠などささやかなプレゼントをさせていただいたが、あとで思うとなんだか大それたことをしてきたようで、気恥ずかしい。

12:10、ガンデン寺を出発。一旦ホテルに戻り、昼食後、セラ寺へ向かう。当初の計画では、昨日セラ寺への参観予定だったのだが、セラ寺で有名な「論議」が日曜日には行われていないということで、今日の参観となった。14:50.セラ寺着。論議は15時からだという。すでに論議場となるセラ寺境内の中央広場の周辺は欧米人など多くの観光客が陣取って、論議開始を待っていた。

さてセラ寺である。今回のラサでの参観で、私にとってはポタラ宮殿と並ぶ大きな目的がこのセラ寺訪問であった。セラ寺(色拉寺)はラサの市街を北に5キロ行った山麓に位置する。すでに参観を終えたデプン寺、ガンデン寺と並ぶゲルク派の三大寺院。三つの中では最もラサ市内に近い。創建は1419年。ツォンカパの高弟であるシャキャイェーシェー(1352~1435)による。デブン寺同様にゲルク派の学問寺であり、多くの高僧を輩出してきた。特に、日本人であることを隠し鎖国時代のチベットに仏法を求めて潜入した河口慧海や多田等観がこの寺に滞在をしてチベット仏教を学んだことで知られ、私たち日本人にとっても深い縁を感じる憧れの地である。さて、そのセラ寺筆頭の長老チャンバイ・ワンジェイ氏に拝謁できるという。正木先生とは長年に亘る交遊があり、特別な計らいを受けたのである。論議の開始を待つ同行者には中庭で待っていただいて、正木先生に同伴して私と伊藤さん、貫田さん、テンジンさん、そして私の侍者のようにしてなぜか着いてきたAZ氏の5人だけで長老の個室を訪れた。御年80歳を超えておられるワンジェイ長老だが、御年以上に壮健で、とても親しく私たちを迎えていただいた(写真2)。正木先生も4年ぶりの再会だということでお互いとても懐かしく歓談されていた。正木先生によれば文化大革命に際し、長老も長く中国政府に監禁され、拷問で片目片足を失ったという激烈な経歴の持ち主で、チベット僧の中でも高僧中の高僧だと紹介された。穏やかで慈愛に満ちた今の容貌からは想像出来ない苦難の時代を生き抜かれた方なのである。セラ寺参観後に、再度全員を伴って訪れるお許しを得て、一旦、みなの待つ中庭に戻る。すでに論議は佳境に入っていた。といってもチベット語であるから、話の内容はわからない。ただ中庭全体に80名余りの若い僧たちが、2人一組になって大声をあげ行っていた論議の様子は壮大なものだった(写真3)。ただ見ようによっては、周りを多くの観光客が取り囲み、ちょっと見せ物っぽくなっていたのが残念でもある。本堂で勤行。艱難辛苦を乗り越えてこの地に留学した河口和尚を思うと、般若心経の途中で感極まるものがあった。まさにチベットの直中に今私はいるのである。

再びワンジェイ長老の元へ。今度は同行者全員が招じ入れられた。ガンデン寺のニェンタク師の個室でも感じたことであるが、これだけの大寺院の住持僧であるのに、個室と言っても調度品もほとんどなく、本当に質素な生活をされている。日本の僧侶とは随分違う境遇である。無所得を徹底されている生きざまには私たちも大いに学ぶべきものを感じる。ワンジェイ長老と親しくお話しをさせていただいた後、ひとりひとり直接今回の訪問の祝福を受け、同行者全員大感激の拝謁となった。

ところで高僧達との出会いは本当に有り難いご縁であったが、セラ寺ではいやなものも見てしまった。なんとこともあろうに本堂内の僧堂で、若い僧侶達がトランプに興じていたのである。破戒僧を自認し、生臭坊主を自覚している私がとやかくいえる立場ではないが、少なくとも、例えば蔵王堂内で、参観者を前に、そういったことはありえない。チベット仏教は戒律が厳しいと聞いていただけに、文革以後、復興しつつあるというチベット仏教に内在する問題の一部分を垣間見たような気がした。勝れた高僧たちとの出会いを経験した直後の出来事だっただけに、より大きな衝撃を受けたのである。

16:30,セラ寺の参観を終え、ジョカンに到着。ジョカン(大昭寺)はラサの中心街に位置し、チベット仏教で最も聖なる寺院とされる。チベット全土はいうにおよばずチベット以外の地、四川や青海、内蒙古からラサを目指す何千何万の巡礼者の多くは、ここジョカンに向かって集まってくるのである。学問寺のデプン寺やセラ寺にはない、庶民信仰の聖地を感じさせるお寺であり、門前では、多くの巡礼が五体投地を繰り返していた。また寺域周辺にはヤクの乳で作るバター灯明が燃える動物質の匂いが充満し、いかにもチベットらしい雰囲気が漂う場所でもあった。ジョカンの創建は7世紀中葉、ソンツェン・ガンポ王治世に遡る。王は権勢を振るい、ネパールよりティツゥン妃を、唐より文成公主を妻に迎えたが、それぞれの妃がインド仏教と中国仏教をチベットにもたらした。ジョカンはそのティツゥン妃によって建立された寺である。本尊はなぜか文成公主が嫁入りの道具として持参したといわれる釈迦牟尼像が祀られている。ここも巡礼者に交じって、漢人の観光客でごった返していた。本堂御宝前では、行き交う参拝客の合間を縫って、同行者全員で勤行する。勤行後、堂内の役僧さんのご案内で、特別に内陣に参拝。いぶかしげに見守る他の参詣者を尻目に、直接ご本尊像に額づかせていただいた。

17:40、ジョカン門前に広がるパルコル(八角街)へ。ジョカンの本殿はひとつの巡礼路になっていて、巡礼たちは、本殿のなかを右回りに右回りに巡礼するが、これに対してパルコンは、ジョカンを外周する巡礼路である(更に市街全体を一周するリンゴルという巡礼の路もある)。巡礼の人々は手にマニ車をまわしながら、口に「オムマニベメフム、 オムマニベメフム」と唱え、パルコルを巡礼していた。話に聞いていたほど、五体投地で廻る人の姿はあまり見かけなかった。昨日、正木先生と訪れたタンカ画専門店もこのパルコンの一角にある。体調の勝れないMT氏などホテル帰着組と別れ、私たちは再びタンカ画専門店を訪れ、パルコル周辺に軒を並べる露天のお店でお土産を買う。勢いで、つい、マニ車や金剛鈴を買ってしまった。使わないだろうなぁ。

18:00,ホテル帰着。ラサは到着してから連日の好天で、暑い日々が続いている。持参した冬服を奥にしまいこみ、数少ない夏服をとっかえひっかえ着ているが、それにしても暑い。湿気がない分、あまり汗をかかないし、汚れないのが救いである。19:00、ホテル内のレストランでチベットの民俗演劇を鑑賞しながら食事をする。意趣を凝らした演出は大変興味深いものであった。食事後、伊藤さんと同行して、「良子足道」というマッサージ店に行く。伊藤さんは昨日も来たらしい。約2時間半、全身と足底のマッサージをしてもらい支払いはなんと120元。日本円で1800円くらいである。破格に安い。日本なら15分くらいしか揉んでもらえない値段である。

23:30、思い切ってたまっていた衣服を洗濯し、干し終えるともう時計の針は1時近くになっていた。就寝。

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