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チベット紀行 6

遅々として進まなかった旅行記ですが、ようやく、書き終えつつあります。今日からは毎日続けて最後までとぎれずに、アップ出来ると思います。…たぶん。。

どうぞよろしく。。

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「チベット仏教の印象」

インドで生まれた仏教は8世紀後半、母国では廃れる。そのインド仏教が行き着いた後期密教はそのままの形でチベットに伝わり、今日まで生きている。

実はインド仏教は開祖の釈尊以来、大きく発展と変容を生むのであるが、中国や日本に伝わったものは中期密教までで、最後の精華というべき後期密教はほとんど伝播していない。そういう意味でもチベット仏教の存在意義は大きい。それとともに、もう一つ、仏教による政教一致がチベットほど徹底されていた国は希有であり、そこにも620 Photo_7 Photo_8 大きな意味を見出す。

もちろん中国のチベット侵攻によってダライ・ラマ14世がインドに亡命し、以来、チベット仏教は苦難の道を歩き続けるが、八角街の巡礼者や多くの寺院で出会ったチベット人たちを見るにつけ、民のすみずみにまで行き渡った仏教信仰の生活は未だ厳然として生きているんだと実感させられたのであった。

ただもう少し言えば、近年世界的に注目を浴びるチベット仏教は『死者の書』やタントラリズムで代表されるような、異次元的で、また甘美な性的行為の肯定を連想させる超現実的な印象を与えている。ところが実際にチベットで接したチベット僧、それから民衆の信仰はというと、そういったタントラリズムを感じさせるものは希薄で、昨年訪れたスリランカ仏教とも共通する真摯な仏教信仰の姿であった。

唯一、この後、ギャンツェの街で訪れるパルコン・チューデ(白居寺)のクンムブ(百万塔)に残された夥しい金剛界や無上瑜伽タントラ系のマンダラ群に、チベット密教の最奥を見たように思う。

それにしてもなんと夥しいマンダラや仏たちだろう。パルコン・チューデに限らず、訪れた全ての寺院で、夥しいとしかいいようのない膨大なマンダラと仏たちに遭遇した。そこにはチベット民衆の生きることの証と、来世への大いなる願いが込められているのであろう。

同じ仏教国とはいえ、風景と気候、歴史の違いが生み出した日本との相違を強く感じたのだった。

□2006.6.20

06:00,モーニングコール。07:00,食事。8:05、バスにて出発。今日は一旦ラサを離れ、更にチベットの内陸部になるシガツェ、ギャンツェを目指す。当初の予定では、まずシガツェで1泊して参観し、ギャンツェで2泊。そしてシガツェに戻り、ラサへの帰路はカンパラ峠経由で、途中、トルコ石の湖として有名なヤムドク湖などの観光を企画していた。ところが肝心のカンパラ峠が道路工事のため大型車両の通行止めが続いていて使用出来ないとのこと。そこで行き帰りに同じ道を走るのも面白みがないので、シガツェーラサ間を5000㍍級の峠越えで行こうということになり、急遽、今日の内に、シガツェを経由して、ギャンツェまで行ってしまおうということになった。なにしろ、中国政府の資金投入によって爆裂的に道路などのインフラ整備が進んでいるとはいえ、秘境チベットのことである。この程度の予定変更は常識とのこと。ともかく、バスは一路、ギャンツェを目指して走り続けている。10:15、トゥ村という土地の通りかかったとき、道路の脇でお香の塊を作っているという場所に立ちより、見学。小型の簡易な水車を使って、無人で香木を削り、香を煉瓦にする作業をしていた。

道中、バスはチベット高原の深い渓谷を縫って走り続ける。秘境のことゆえ、そうとうの悪路を予想していたが、あにはからんや、今まで私の訪れたインドやシルクロート諸国、スリランカ各地と比べて格段に道路整備が進んでいて、舗装道路が延々と続いている。近年完成した道だという。異様とも思える中国のチベット進出の力の入れようをあらためて感じる。道路は素晴らしいが、しかし周りの風景は秘境チベットというべき荒涼とした山々が広がっている。11:40、バスを降りて2度目の小休止。切り立った深い谷の中央部を大きな川が流れているがその対岸にチベット古来の民俗宗教・ボン教の本山らしき伽藍群を望む。再びバスは走り続けている。

長い車中、テンジンさんが得意のハーモニカで、日本の歌を演奏してくれる。なかなかの芸達者である。13:10、シガツェ市内に到着。ラサからはるか330キロを来たことになる。こぢんまりとした町中の食堂で昼食。ラサほどではないが、チベット第二の都市というだけあって、かなりの都市である。今日はこの町は素通りで、引き続きバスに乗車してシガツェを目指す。

14:25 シガツェーギャンツェ間に位置するシャル寺を訪問。今日初めてにして唯一の参観地である。当寺は規模は小さいながら、サキャ派の名刹という。僧ジェツウンディンジャオジュンネによって1087年に創建された。…どうも私はチベット仏教に出てくる僧侶たちの名前が覚えにくい。何度聞いてもすぐ忘れてしまう。カタカナが苦手である。…14世紀にチベットに招請されたブトン・リンチェンドゥブは顕教と密教の両立を求め、生涯を厳しい戒律を守る出家者として送り、この寺を中心にチベット仏教の新しい展開をはかった。そのため彼の考え方を継承する人々をシャル派と呼ぶことがあるという。「シャル版」と呼ばれるチベット大蔵経を編集し、後世に大きな影響を与えているとガイドブックにあるが、実際にこの寺の境内に立つと、その名刹としての面影はほとんど感じられない。文革による荒廃ぶりが凄まじいのだ。シャル寺は美しい仏画群を蔵することでも知られるそうだが、正木先生が絶賛する壁画群も哀しいほど粗末な扱いを受けていて、痛ましい限りであった。国宝級と思われる画像たちはほとんど保護らしい保護もされずに打ち置かれているという感じ。管理する僧たちの資質も思わず首をかしげてしまう状況なのであった。「あのお坊さん達、この壁画の価値をわかっているんでしょうかね」と正木先生に尋ねたが、先生も黙って微笑されるだけだった。それもこれも文革が残した傷跡と言って間違いないだろう。

16:45、シャル寺出発。18:00,ようやくギャンツェに到着。ギャンツェホテルに入る。まる一日のバス移動であったが、やはりかなり疲れた。特にこのギャンツェは海抜4040㍍。高山順応はうまく行っているとはいえ、さすがに空気の薄さを体感する。ちょっとした階段の上り下りに、息が上がるのである。ゴンカル空港に着いた時と同じようになるべく動作を緩慢にして、心臓に負担をかけないようにする。20:00,少し遅めの食事となる。ギャンツェの料理は期待しないで下さいと聞いていたが、聞いていたとおり、今まででは一番口に合いにくかったかもしれない。

21:00,食事終了。伊藤さんの部屋で、正木先生を交え、明日以降の日程を検討する。ラサ到着以来、4日目を迎え、そろそろ体調を崩す人が出てきている。特にOR氏や最高齢者のMT氏など数人の様子が心配であり、あまり無理な行程は控えないといけない状況のようである。特に5000㍍級の峠越えは体調不良の人には大変負担が大きくなるから、無理しない方がよいのではないかということになった。ともかく明日の様子で判断しましょうということで話がまとまる。21:50、バーへ。結局毎日呑んでいる。ま、体調がよい証拠でもある。でも海抜4040㍍のブランデーはさすがに効いた。23:50、就寝。


「中国の文化大革命とチベット国」

1951年、中国はチベットに侵攻し、7世紀の吐蕃王国建国以来、規模の大小はあるにせよ堅持しつづけたチベット国の自治権は認められず、併合される。そしてその後、漢人たちのチベット移入はあたかも大波が小舟を飲み込むが如く、怒濤のように押し寄せていったのである。

その道程の初期に、凄まじい文化大革命の破壊活動がチベット全土を襲った。中国本土においてさえ、あらゆる歴史・文化と文物を否定しつづけた文革の嵐である。まして異国の文化や歴史など、一顧だにされることなく、容赦のない打ち壊しが行われたのである。とりわけチベット人民の精神的支柱であった多くの仏教寺院は大法難ともいえる破壊の的とされたのであった。

ここ10数年、ようやく文革の災禍を顧みて、仏教寺院の復興に手がつけられつつあるとはいえ、デブン寺やガンデン寺を筆頭に、シガツェのシャル寺など、訪れた寺院のほとんどが未だにその凄まじい破壊の爪痕を残していた。しかしそれは単に建物や境内地の破壊だけの問題ではない。ダライ・ラマ14世をはじめ、パンチェン・ラマ11世など文革の難を避けて、高僧たちの多くが故国を捨て、亡命せざるを得ない状況を生んで、チベット仏教の法灯は風前の灯火と化したのである。

今回の訪問では幸いセラ寺のチャンバイワンジェー長老やガンデン寺のニェンタク博士など今もチベット本土で中国政府の理不尽な弾圧にも負けることなく、仏道修行を続ける高僧たちとの邂逅を得たが、しかし多くの寺院で出会った若い僧侶たちの面容には、文革の大いなる爪痕を感じさせる悲哀があった。なにしろ厳格な戒律主義のセラ寺の本堂で、公衆の面前を前にトランプに興ずるような青年僧侶さえ、目撃したのである。修行者としての、威厳や尊厳を感じない僧達が、どの寺にもたくさん巣くっていたのであった。せめてもの救いがあるとするなら、八角街やこのあと訪問する白居寺など、多くの寺院で出会ったチベット人の巡礼者たちの真摯な信仰心だろう。

中国はいよいよチベット侵攻を進めている。漢人の溢れかえったラサの街…。街頭には漢人好みのけばいネオンが氾濫し、その片隅で肩身を狭くして暮らすチベット人達。

この国とこの国の人民を憂いてやまない。

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