« お正月の修正会 | トップページ | 今日の初護摩は雪だ! »

二の矢は受けない

今年の目標はいちりんさんのミクシイでの書き込みで知ったお釈迦様の聖句「二の矢は受けない」をモットーにしたいと思っています。

正月の随筆から…

**************************

この世は楽しいことと苦しいことの両方があるが、どちらが多いのだろう。「修行をなさっているお坊さんはさぞやお悩みごとなどないのでしょうね」などと人から言われると、逆に、心など一向に出来ていない我が身を見透かされて揶揄されているような気がして、いつもおどおどしてしまう。

お釈迦さまのお言葉に二の矢は受けないという聖句がある。少々長くなるが以下引用する。「矢を打たれたとき、人は二種に分かれる。一人は、慌てふためき、第二の矢を受ける。もう一人は、矢を受けても、痛みに耐え、動じることなく、第二の矢をかわす。仏の教えを知らない凡夫は、最初の人である。苦しさに嘆き、混迷の心は深まるばかり。仏の教えを知る人は、第二の人である。苦しみを受けても、苦しみにとらわれることが無く、生死の束縛を脱する。」と。

お釈迦様だって、一の矢は受けるのである。悲しい、苦しい、つらい、さみしい、暑い、寒いなど…と様々な思いをお持ちになったであろうし、気持ちを動かされる出来事は生きている限り起こったであろう。しかしそれでおしまい、っていうのが二の矢は受けないということだ。なんで自分だけ苦しむのだろうだとか、ああすればよかった、こうしたらよかったなど、くよくよと懊悩しない、気持ちを引きずらないっていうことである。そう思うと、修行して身につけなければならないことというのは、こういった心の執着から離れる訓練なのかもしれない。

修行をしたって、執着なんかとれやしないし、二の矢、三の矢受けまくりである。楽しいことと苦しいことのどちらが多いかと聞かれると、苦しい方が多いのに決まっている。しかしそれは一の矢をよけることが出来ないから生まれる不幸なのではなくて、二の矢、三の矢につなげてしまうからこそ、苦しむことになるのである。修行によって悟りを得るとするならば、じつはその二の矢、三の矢にどう立ち向かうかを知ることなのではあるまいか。それが出来るならこの世は楽しいことの方が多いと心の底から思えるようになるのかもしれない。

ひとつ、今年一年は二の矢、三の矢から身をそらす修行を心がけたいと思っている。

**************************: H1810_019

ほとんどいちりんさんの書き込みからのパクリのような文章であるが、結構書き終えて、自分の中でしっくり来ている。

今年はなんだか例年以上に世間から矢が飛んできそうな予感がしている。かるがゆえに、「二の矢は受けない」…そうありたいと思っている。

« お正月の修正会 | トップページ | 今日の初護摩は雪だ! »

「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« お正月の修正会 | トップページ | 今日の初護摩は雪だ! »

本・著作

最近のトラックバック

Twitter

  • Follow me
  • Twitter
    TwitterPowered by 119
2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
無料ブログはココログ