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人前で話すこと

明日は友人に依頼されて奈良のとある居酒屋さんの10周年イベントとして、トークショーに引っ張り出された。「男と男の与太話」というテーマで、某博物館の室長さまと2人でお話しする。さてさてどうなる事やら…。

明後日は明後日で三重県に頼まれて、大阪肥後橋の朝日カルチャーセンターで「人はなぜ聖地をめざすのか」というシンポに出演する。宗教人類学者の植島啓司先生を相手に、はてさてどんなお話しが展開されるやら。

多くの人は誤解をしているようだが、正直にいうと私はそんなに人前でお話をするのが得意ではない。下手でもしこしこと文章を書いていた方がよいのであるが、ここ4年ばかりやけに人前で話をさせられる機会が増えた。

今年の奥駈修行が教えてくれたこと」

奥駈から帰ってきて早速仕事に復帰です。でも疲れが抜けずに眠くて眠くて、くたくたです。ただ今年も大きな感動を覚えたことがありました。忘れないうちに書き留めておかなくっちゃ・・・・。

***********

「今年の奥駈修行が教えてくれたこと」

今年も大峯奥駈修行に参加した。そしていつも以上に大きな感動を覚えた山修行の日々となった。

あれは奥駈二日目…、七曜ヶ嶽遙拝所での勤行の時だったろうか?霧もやに煙る山深い山容を前に、みんなで一心不乱に般若心経を唱えていたら、ちょうど「羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提娑婆訶(ぎゃていぎゃてい・はーらーぎゃてい・はらそうぎゃてい・ぼうじそわか)」と読み終えたそのとき、突然に「自分の目の前に広がる、草も木も、土も山も、空も空気も、全部が全部自分とつながっている。地球とつながっている。地球の命とつながっている。宇宙の命とつながっている…すべての命に幸いあれ!」って叫んでいるように私には聞こえた。

「羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提娑婆訶」を、あの薬師寺の高田好胤さんは「往こう、往こう、彼岸に往こう、彼岸へ皆往こう、さとりに幸あれ」と訳したことは有名だが、山伏修行での般若心経は、自分の命と大自然・大宇宙との命のつながりを、五体を通じて教えてくれたのだった。

人間も自然の一部でしかない。人のささやかな営みも自然の一部なのだ。もっと言うなら、神も仏も自然の一部だし、宇宙の一部だと私は思っている。神仏が自然そのもので、宇宙そのものと思ってもよい。そんな中で私たちは生かされて生きている。当たり前のようなことだが、今年の奥駈はその当たり前のことを目の当たりに教えてくれたのだった。

毎年同じ道を歩いている。でも毎年毎年歩く自分が違っているし、そこで見つめる自分自自身も違っている。奥駈修行はほんとに深い。年々、行くたびにからだはきつくなるけど、回を重ねるほどに、道を踏みしめるほどに、心のひだに沁みいるような大きな大きな感動を、実感している。

週刊古寺を巡る・金峯山寺編

小学館より週刊古寺を巡るの第21集・金峯山寺編が今日発売になりました。

詳しくはここ ↓

http://www.shogakukan.co.jp/kojimegu/?OVRAW=%E5%8F%A4%E5%AF%BA%E3%82%92%E5%B7%A1%E3%82%8B&OVKEY=%E5%8F%A4%E5%AF%BA%20%E5%B7%A1%E3%82%8B&OVMTC=standard&OVADID=1865869541&OVKWID=25478411041

こんなに苦労をさせられた雑誌はめずらしいです。
取材の段階から資料や写真の掲載協力、そして内容校正と、自分の本を出したとき以上の手間暇を編集部から要望されました。監修者として名前を出してほしいくらいでしたね。^^;

まあそのKoji_sotei21 苦労の甲斐があって、そこそこの仕上がりです。

よろしければご一読を。全国の書店で今なら並んでいますから。秘仏蔵王権現さまのご尊顔が目印です。

奥駈無事満行(^o^)

去る6月20日から入りました大峯奥駈修行ですが、さきほど全員無事に吉野山に帰山し、見事に満行しました。。

ご声援???有り難うございました。

とりあえず報告です。

はじめての大先達ということで、正直、ちょいと疲れましたね。070625_14400001

まあ、60点の自己採点ですが、奥駈修行自体は例年にもまして、すばらしかったですよ。

今日から大峯奥駈です

今日の午後集合で、4時から駈入の護摩。
7時前に結団式。総勢28名の今年の奥駈修行です。

明日は2時半起床、3時半出発。

梅雨のことなので天気が心配ですね。

世の中は喰うて稼いで

連日続く殺伐とした事件報道にうんざりする毎日である。親殺し、子殺し、猟奇殺人、通り魔殺人などなど、悲惨で残忍な事件はあとを立たない。カンベンして!って正直思いますねえ。一体誰がこんな国にしたのだろうか。いやいやみんなでこんな国にしてきたのですよね。

でも、ちょっと立ち止まって考えることも必要である。どうも報道に踊らされすぎているのではないのだろうか。たとえば青少年の犯罪がものすごく多いように言われているが、実数はそうではない。少年の摘発は、平成十六年度調べで、前年比では8.3%減の12万3715人だったという。世間一般のイメージとは違って、少年犯罪は激増どころか、むしろ減少している。そういうイメージ操作が意図的におこなわれているとは思わないが、過激な犯罪には反応が大きいだけに、現実以上に、全体のイメージを損なってしまうのだろう。

さて、日本はそんなに悪い国なのだろうか。いや決してそんなことははい、はずである。世界の中でも屈指の美しく住みやすい国なのである。なのに自国をさげすみ、おとしめるような報道があまりに多すぎるようにも思える。のーてんきな楽観主義もいけないが、悲観主義では何も生まないし、見失ってしまうものも多いことを知らねばならないだろう。

…と、意気がってみたところで所詮はわからぬ事が多いばかりの世の中である。日本のことどころか、我が身の明日をも知らぬこと。「世の中は喰うて稼いで寝て起きて、さてその後は死ぬるばかりぞ」と嘯いたのは一休禅師であるが、彼ほどとはいかないにしろ、自分自身の人生はきちんと見極めていたいと思っている。少なくとも、変な報道や流言によって、つまらぬことに惑わされたり、流され続けることのないよう、心しておきたいとものである。

19日は護摩

19日は自坊の脳天堂で朝から水行をして月例の護摩一座。

その後、孫の進学と、息子の転宅の相談を受け、午後は家祈祷。終わった後、信者宅でいろいろ改築や娘の相談を受けて、夕刻帰山。

今晩のウチに吉野に帰山します。

明日は奥駈の集合日。いよいよですが、体重減量作戦は79.8キロ止まり。あと1,8キロがなかなか減らない。

ただ急激な減量は体力を損なうので奥駈前には自重しないと。奥駈が過激ですからね。怒濤の日々でかなりお疲れ気味ですがそこは根性根性・・。

今年の山上参り

Sn370084

自坊の山上参りに昨日行ってきた。

「戸開けから始まった今年のお山で、一番の天気です」って西の覗きの行方さんに褒められたほどの大晴天。梅雨だというのに奇跡のような天候で、気持ちのよい山修行となりました。

15名の修行でしたが、無事満行出来ました。写真は山上の本堂蔵王堂前の記念写真。

しかしかなりくたびれましたね。怒濤の日々で少し体力不足が足腰に来ているようです。

20日集合で21日からは奥駈ですが、それまで体力回復なるか??

奥駈の前行的意味合いで、山修行未経験者の天狗さんも参加してもらいましたが、私は前行で体力を使いはたしてしまったかも…とほほ。

今日はこのあと、東南院の夏大祭に出仕して、今夕には自坊の団参者とともに自坊へ帰山します。

体重が・・・。

16日は山上参り。20日から奥駈。。目の前に山修行が迫っているのに体重が思うように減らない。

昨日はごぜんさまでホテルに帰りながら朝6時から池袋周辺を約1時間散歩した。昨夜、自坊に帰宅したが、今朝も5時起きでお百度裸足参りをした。怒濤のような日々の中で鍛錬するのはなかなか難しいなあ。

せめて78キロくらいにしないといけないが、まだ2キロ以上はオーバーしている。ま、一時は84.5キロまであった体重だから少しは減っているんだが。[m:54]

怒濤の日々だぁ

今日は前に関西大学教授を勤められていてたくさんの著書で有名な宗教人類学者植島啓司先生とお出会いする。三重県主催の朝日カルチャーセンターでのシンポでご一緒することになり、打ち合わせを兼ねて吉野においでいただいたのである。大阪と東京でゲストを変えて行うが、コーディネータは植島先生。私がダブるキャストだそうだ。植島先生、好人物で楽しい話が出来そう。

で、またまた明日から怒濤の日々が始まる。ミクシイどころではない…のだが、でもついついみてしまうんだろうな。

明日は伊丹から飛行機で東京へ。大正大学の仏教学科での一般教養講座の講義が4時限目。で、5時限目はゼミの授業で、ダブルヘッダーである。3時間はしんどいですねえ。

翌日は「文化遺産を未来につなぐ森づくりの為の有識者会議」で今一番憧れている哲学者内山節先生と昼食会で、いろいろお話しすることになっている。その夜は羽田ー伊丹経由で綾部の自坊へ帰る。

14日は朝から奈良県庁の文化財保存課へいき、その後、新しく知事に就任された荒井正吾奈良県知事に会う。終わって、奈良国立博物館の西山館長さんと29日のトークショーの打ち合わせ。夜はほろにが会というアサヒビール主催の奈良県各界の人々が揃うパーティへ。

15日は昼と夜、蓮華会の打ち合わせ会議。そして16日朝6時立ちで大峯山上ヶ岳へ。自坊の信者さんを連れてのお参り修行。
17日は弟の自坊東南院の大祭。終わって自坊へ。

18日は自坊で信者参りをして、19日朝から護摩。家祈祷に一件呼ばれているので終えて夜吉野へ。

20日からは大峯奥駈修行。今年は大先達を務める。うまくいけば(行かないと困るんだけど…)25日帰山になる。

ホント怒濤のような日々です。がんばるそー。

□今後の講演・シンポ予定です。

6月12日 大正大学ゲスト講師とゼミ講義    
6月13日 文化遺産を未来につなぐ森づくりの為の有識者会議
6月29日 奈良・トークショー出演
6月30日 朝日カルチャー大阪センターシンポ
7月5日  東京代官山・奈良Iスタジオ講話
7月15日 奈良市立写真美術館講演
7月17日 西八田地区老人会「神さんと仏さん」講話
7月21日 朝日カルチャー東京・新宿教室
8月10日 奈良市立写真美術館講演
8月26日 吉野ボランティア協会講演

11月10日 佐久市仏教界記念講演
11月16日 昭和女子大集中講義
11月17日 愛知産業大学講義 ①
      「修験道から見る現代社会 -吉野大峯と修験道の魅力-」
11月30日 昭和女子大集中講義 ②
12月1日  師友塾講演

・・・なんかまだあったような気がするけど忘れてるかも。

山伏秘薬① 蛍

蛍の季節である。私はこの季節だ大好きだ。

綾部の片田舎にある自坊の周辺は、一面に田んぼが広がる丹波地方の、絵に描いたような山間の田園地帯であり、この時期、蛍が水田の上を、ふわりふわりと浮遊する。小さい頃は、菜種を絞ったあとの籾殻でこさえた蛍取りの殻箒を使って
「ほ~ほ~ほ~たる 来い、あっちのみ~ずは に~がいぞ、こっちのみ~ずは あ~まいぞ」
っといいながら、近所の子供達が連れ立って、蛍狩りをしたものである。

私の子どもの頃…そう40年以上も前のことだが、あの当時ほどではないにしろ、ここ10年くらい、一時は農薬散布の弊害でいなくなった蛍たちも水田に戻ってきて、年々、夏の風物詩が甦りつつある。

で、今日はその幽玄な蛍の、ロマンチックな話ではぜんぜんなくて、山伏妙薬のお話…第一弾。

先日、自坊境内にお百度裸足参り施設の記事を書いたが、お百度復活に際して、以前に使っていたお百度度数を数える竹串を使おうと探したら、脳天堂の奥深くにしまい込んでしまっていた。やっと見つけてそれを引っ張り出したのであるが、長い間使用していなかったので、ものすごいカビのにおいである。

これでは使えないと、300本あまりの竹串を洗剤で洗ったのであるが、素手でごしごしとしごいたため、竹のささくれのソゲが、何本も手に刺さってしまった。大きなソゲはなんとかソゲ抜きで抜いたが、見えないくらいの竹の細い繊維は親指の中に入り込んで、なかなか取れない。それが2,3日すると、だんだん痛くなってきたのである・・。

医者にいく間もないのでどうしょうかと思ったときに、大山伏だった亡父が教えてくれた蛍の妙薬を思いついたのである。ソゲや異物が混入して壊疽するまでになりかけて、手術しなくてはいけないような状態の信者を、亡父がこの妙薬で何人も直したことを思い出した。

早速それを試した。摩訶不思議とはこのこと、あれだけうずいたソゲの痛みがあっという間に消滅したのである。ソゲは見つからなかったが、たちどころに、治癒したのであった。

医薬的な裏付けはしらないが、民間療法として、紹介する。ご参考あれ。

○山伏秘薬「蛍の妙薬」

蛍の死骸と冷や飯を用意。まず蛍の死骸を砕いて、冷や飯に混ぜ、少し同化させるようにねりこむ(生きている蛍でもよいが、ちょっと残酷で可哀想ではある…)。このとき蛍独特のにおいがする。このねった米粒を患部にしっかりと貼り付け、上から絆創膏などで、きついめにしっかりと巻き付ける。ねり飯と肌との間に空気が入らないように注意する。うまくいけば1日で痛みがなくなるが、2.3日はこの妙薬を貼り付けておいたほうがよい。薬の水分が抜けてぱりぱりになった場合は、新しい妙薬と塗り替えた方が効果は高い。患部が大きい場合は蛍も冷や飯も量を増やして塗りやすいようにすることが肝要。

ま、この妙薬、蛍の死骸などはいつでもどこでもあるわけではないので、常々備えておく必要がある…。この時期、蛍狩りして、取り置くことである。私も今年から数匹取り置いている。

娘とデート

Sn370080  おととい、娘と大阪でデートした。実の娘ですよ。

去年から神戸で一人暮らしさせている娘が就活で梅田に出てきていたので誘って、まずは難波の行きつけのお寿司屋へ。どうせふだんろくなものを食べていないだろうからご馳走をしてやった。それからちょいと仕事を手伝わせて、夕方にはスパワールドで休息。岩盤風呂に感激していた。で、そのあと、小腹が空いたので、新世界をぶらり。

通天閣に昇ろうって娘を誘って、側まで行ったら、なんと6時で終了。行ったのが6時10分。もう少し早く行けば間に合ったのに・・・残念でした。

で、以て、串カツ屋へ。

通天閣からじゃんじゃん横町までぶらぶら歩いていると、とある串カツ屋の前で、呼び込みしているイケメンのにいちゃんに「寄っていって頂戴!」と、娘が声をかけられて、つい娘の誘いに乗ってふらふらと入店。実は新世界は行きつけの店以外へ入って美味しかったためしがないので、不安だったが、案の定、×。店内は広くて今風で、若い女性の団体さんでもOKって感じだが、やはり味はいまいちでした。でも一番搾り生ビール中が280円は魅力でしたねえ。

数本食べて、はしごしようか、って娘に言ったら、娘も行くというので、次はじゃんじゃん横町へまっしぐら。だるまも15人ほど並んでいたし、八重勝も20人ほど並んでいたので、並んでまで入るほど味は変わらない、っていうので天狗へ。やはりさっきの店より、かなり美味しい。

ただ天狗はメニューが少ないのが難点。

かえりに行きつけの佐兵衛寿司に寄ろうと思ったが、娘がそんなにたべられへんっていうので(まあそりゃそうだ…)、断念。佐兵衛寿司本店のにいちゃんはかなりのイケメンなんですがね。

最後に小遣いを渡して。ばいばい。

・・・という、新世界巡りでした。

娘の前でかなり見栄を張ったので、帰りの電車で見たら財布の中身がかなり厳しい状態になってしまいました。親ばかですねえ。

でも父の日のプレゼントはちゃんともらいましたから。

高祖会大法要

6月7日は修験道の開祖役行者の昇天された御縁日。

Dscf0027_1 で、今日明日はその開祖忌を祝して、高祖会大法要が営まれる 。

今日が前夜祭の大護摩供で、明日が本番。

写真は私が導師をさせていただいたときの、前夜祭採灯大護摩供です。

今日も、午後3時から修法されますが、今年の導師は副住職さんです。私も随喜します。

お百度裸足参り、完成!

Sn370060 Sn370057

奥駈前修行として4月から裸足で歩いているが、前々から自坊の境内にも裸足で歩ける場所を作りたいと思っていた。

そこで造園屋を営む信者さんに相談して、先月19日に山砂を運び込んでもらい、脳天堂境内の大護摩道場を周回するお百度参りの参道を造った。

で、このところ、自坊にいるときは毎日行じている。

お百度は100回廻るのではない。数珠の正念誦と同じで、108回廻ってお百度になる。狭い境内なので、2周で1分くらいだが、なかなか裸足参りはよい。時間があるときは108廻るが、ないときはお百度半参りで、54回廻る。

名付けて「お百度裸足参り」。

実は先代の父の弟子の造園屋さんが昭和57年にお百度石を寄付してくれて、脳天堂と鳥居の間でお百度参りが始められた。生前父も、パーキンソン病で不具合な身体を叱咤して、よくお参りしていた。

父の死後、あまりお百度をする方もなくなり、私もやらないので廃れつつあったが、万を持して、今月より、復興するところとなったのである。

裸足で、っていうのがみそである。

役行者のご遺訓に「身の苦によって心乱れざれば証果自ずから至る」という有名な聖句があるが、身の苦をもって祈願するところに、神仏のお働きも大いに発現するに違いない。

いいでしょう…

伝教大師連盟

Sn370061 Sn370063 伝教大師連盟の今日は総会。

10:30・・・
延暦寺の大書院集合。私は10;10分到着したが、聖護院の加来門主猊下以下、皆さんほぼおいでになっていました。案内があって大講堂へ。堂内ではすでに半田座主猊下お導師のもとに、伝教大師御影供が始まっていました(写真1は盗み撮り)。

焼香後、伝教大師のご廟浄土院へ(写真2)。清原執行に詳しくご案内をしていただきました。

思えば随分浄土院へはお参りに来ていません。不敬をお詫びしました。

12:00・・・
再び大書院へ。お座主猊下をお迎えして、各宗門の近況報告をしたあと、昼食を取りながらの懇親会。お座主猊下とは今まであまりご縁がなかっただけに、本席で改めて名刺をお渡しし(…たぶん3回目ですけど)、親しくお話しをして頂きました。

高校から叡山に上がりましたので、親しい人も多く、こういう席へ出ても、そのご縁を有り難いと実感します。

叡山学院時代の同窓生が現在の延暦寺総務部長ですが、そのほか、みなさん親しくしていただきました。

でもなんか疲れるなあ。…そうは世間はみていないようですが。

昨日は一番下の子どもが仮面ライダー電脳のショーがみたいというので朝から、ひらぱーに行った。めちゃ暑かった。子どものためとはいえ、辛いショー観劇だった。ま、子ども向けだからねえ。俳優達は暑い中頑張っていたし…。

ああいうキャラをするとつぶしがきかなくなるんじゃないかとつまらぬ心配をしたりしてた。どーでもよいことなのにね。

午後からは長男にせがまれていた「パイレーツ・オブカリビアン 3」に行った。一作目、二作目をDVDでお勉強をしてから行くという手の込みようであった。

まあ、娯楽映画としては、合格点かもしれない。先々月に見た蒼き狼よりはましだったかも。

しかし長い。約3時間の超大作である。内容はともかくあまり厭きずに、途中で寝なかったという意味で、及第点の出来であるが、列をなしてまで見るような映画かなあ・・・。

主役の海賊さん(じょにー・デップ)はなかなかおちゃめではまり役であるし、ヒロインのエリザベスは私の好みだ。美人はやっぱり世の東西を問わずよい。

ストーリーは全くインチキ臭い。ホントに。ワールドエンドと銘打ちながら、あの調子では第4作も作るつもりかも知れない。

頭の薄い西洋人には受ける作品ではあるが、最近の日本人もまったく欧米化しているようで、脳が薄いのかもしれない。…見に行った私が言うのもなんだが…冷や汗

7回忌

私は父親っ子で育った。最初の妻に子どもがなく、40歳で再婚して授かった長男が私だったので、 父もたいそう可愛がってくれた。ただ大正5年生まれの父は大変厳しく、蔵に閉じこめられたり、庭の木にくくりつけられたり、雪の中にぶんなげられたり、そこだけ書くとまるで幼児虐待のような厳しさで育てられたのだった。

父に道をつけられて、僧侶になったので、成人してからは、かなり反目するところと、尊敬するところがいりまじって、よく喧嘩したが、今、私があるのは7~8割方、父のお陰だと思っている。もう少し感謝の気持ちを生きている間にしてあげたかったと、今更ながらちょいと後悔もするが、しみじみと親のありがたさを感じるこの頃である。

6年前父がなくなったとき万感の思いで書いた随筆を添付する。よかったら読んで下さい。
 *********

父が亡くなった。夏の暑い夜のことだった。家族に看取られながら、息子二人の手を握りしめ、静かに息を引き取ったのである。ここ数年病の床にあったが、死の当日まで自坊で過ごし、わずか半日の緊急入院で、最後は穏やかに死期を迎えた。行年八十六歳の生涯だったが大往生と言わせてもらってもよいだろう。

父の急逝に悄然としながら、それでもばたばたと葬儀を終え、今は、心の中にどうしようもない大きな空洞があるのを感じている。半年前からは寝たきりになっていたし、ある程度の覚悟は出来ていたつもりだが、宗務総長に任じられたこの春からの多忙の中で、ついつい父のことが疎かになっていたことも確かで、言いしれぬ悔いが残った。物言わぬ存在でもいいから、そのぬくもりだけでも永遠に感じていたいというのが正直な心根である。

親不孝な息子だったのかもしれない。あんなにたくさんのことをして貰いながら、何にも恩返しすることもなく、見送ってしまったようで、やるせなくて仕方がない。「親を亡くせば、誰でもが感じることだよ」と言われても、何の慰めにもならず、ただ自分の身勝手さ、愚昧さ、至らなさに身が切り刻まれる思いなのである。

「父母は七世、師僧は累効なり。義深く、恩重し」(唐の道宣)というが、私の場合、亡父は大好きな父でもあり、師でもある。若くして在家から験門に入り、法師として活動するそんな大きな背中を見ながら、育ってきたのであり、現在私が修験僧侶となり、また宗門の実務に携わっているのも全て父によって導かれた道なのである。その恩たるや如何なるものなるか、到底、計り知れない重さである。

生前父とはよく意見を違えた。教えを受くべきことも沢山あったが、素直に聞けなかったし、そのことは後で絶対に後悔しないと心に決めていた。ただ亡くしてみて思うことは「若し能く自らの行が具足せば、即ち他を化すること自然なり」という聖徳太子の言葉である。父は父なりのやり方で愚息達を教化導いて来てくれたのだと実感する。だからこそ今の自分がある、のであるから…。生涯を一行者として見事に生き抜いた父であったが、その法嗣として、万分の一でも報いることが、唯一小生に出来うる恩返しなのであろう。そのことを実践していく中でしか、この心の空洞を埋めるすべはない…。

今はただ、その恩徳に、感謝して合掌するのみである。 

 *********

まあ、あいかわらずの稚拙な文章だが、その当時の私も思いが正直に出ているような気がする一文である。

今年の7月に7回忌を迎える。

自坊生活

今日は自坊で珍しく法務に専念。

珍しく??ではいけないのですけどねえ。ふらふら

朝から本堂と境内の護摩堂で朔日の勤行。法華懺法を久しぶりに自坊できちんとあげました。16歳から法華懺法を習ったので、やはり滅多にあげなくても、上手に唱えられるなあと、自画自賛しながら涙感謝もしていました。

なんでそんな気になったかというと、今日のお勤めはなぜか亡父が使っていた経本を読んでいたので、父が学んだメモ書きが行間にいくつか見え、さめざめと感慨にふけったからです。

私は中学を卒業して天台宗の宗門校である比叡山高校に進み、宗内生専門道場兼学寮でもある山家寮に寄宿して、そこで高校に通いながら、1年生のときから天台の法式の基本を学びました。

父はもともと国鉄職員をしながらの二足の草鞋で山伏になり、趣味が高じて、のちに祈祷師専職として新寺を持つようになったわけですが、たぶんそんな中で、40を過ぎてから法華懺法などの天台法式を、本山で手ほどき受けたのだと思います。父の懐かしいメモがきを見ながら、感慨を持っての朔日勤行でした。

その後、離婚復縁と自宅改修の相談者や離婚、結婚の相談、マンション購入の相談、不登校の娘の相談などなど、5件ほどの信者さんとお相手をしました。

みなさん、さまざまな問題を抱えながら、でも懸命に生きておられます。ただどことも子どもに甘いなあってことをまざまざと見せつけられました。あまり甘やかすとあとが大変なのにねえ。

加えて、どうも中年から初老にかけての世代はちょっと問題が多いと改めて思ったりしました。

自坊での一日でした。

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