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世界遺産劇場に感謝。。

Img_3411 Img_3461 Img_3515 世界遺産劇場を終えて、1週間になるが、その後いろんな方の感想を知るにつけ、こちらの思いがうまく伝わったよい催しになったと感謝している。

正直に言うと、当初、開催に向けての準備段階ではそうすんなりとは運ばなかった。開催前日も少々もめることもあった。

しかしながら、両夜の奏者・押尾コータローさんも角松敏生さんともに、蔵王堂での演奏がいわゆるふつうのホールでのライブとは意趣がちがうということをよく理解していただいていたし、観客のみなさんへもそういう演者の思いがダイレクトに伝わった質の高いコンサートだったと思えたのである。それまでいろんな出来事が起こって摩擦の多いイベントだったが、一変に氷解したすばらしい二夜となったのである。

ま、いろんな思いを込めて、コンサート前に法螺の吹奏を演出し、以下のようなお話をさせていただいたが、いわずもがな、心配したことは杞憂に終わったようで、今から思うと蛇足のような挨拶になったのかもしれない。

以下、当日の挨拶である。

「ようこそ世界遺産の吉野山へ、そして金峯山寺蔵王堂での世界遺産劇場へご来山いただきました。コンサートの始まりが待ち遠しい中、一言ご挨拶申し上げます。
今、行いました法螺吹奏を以て、今宵のコンサートをはじめることをご本尊にお知らせをいたしました。
(さきほどご挨拶にお見えになったおりに角松さんともお話ししましたが…)、こういったお寺や神社の神域でライブ・音楽会・芸能事を行うのはいわゆる日本の歌舞音曲の原点であります。
現代社会は神仏なき時代ですが、古来より世の東西を問わず人間の生きる営みは常に神仏とともにあり、仕事にしろ遊びにしろ、人は常に神仏とともに生きてきました。
特に音楽・芸能という歌舞音曲は単なる遊びではなく、神仏に対して奉納したものが原点であり、芸能を通して神仏が現れ、その存在をビジュアルにアーチストも観客も体感したものが始まりであります。そして人が歌舞音曲を楽しむのは、いわば神の余録、おこぼれに預かるようなことであったのです。
さてこの蔵王堂には蔵王権現という吉野大峯を象徴するご本尊がお祭りされており、世界遺産吉野大峯は1300年にわたりこの蔵王権現さまへ捧げられた信仰心によって、聖地となってまいりました。世界遺産の意義もそこにあります。
ですから、お金を頂戴したみなさまには大変申し訳ないのですが、実は今日のコンサートの中心は今申し上げましたように、皆様ではなく、この蔵王堂に奥深く鎮座ましますご本尊蔵王権現であります。また右には日本最初の天神様をお祭りした威徳天満宮があり、左には観音様と愛染明王さまがおいでになりますが、権現さまやそれらの神様仏様とともに、今夜のコンサートを楽しんでいただくことになります。
いや、もしかすると(角松さんの)ライブを通して権現様や観音さまがステージの上に出現され、大きな力をお示しになるかもしれません。
世界遺産の聖地吉野大峯が持つ地場のエネルギーと、神仏の威力が(角松さんの)すばらしい演奏によって、増幅され、きっと今まで経験したことのない大きな感動がステージ上で繰り広げられるものと確信をしております。
お待ちかねのみなさんの前でのおしゃべりはこの辺にして、すばらしい聖地と聖なる時間のひとときをお楽しみ下さい。
聖なる力、神仏の力に満たされた素敵な一夜なることを念じます。」・・・

角松さんのときと比べて、押尾さんのご挨拶は開演前の雨ふりのせいで10分ほど時間が押していたので、少し割愛してしゃべったが、短いのがよかったという感想も誰かが言っていた。至極至言である。

私の下手なしゃべりを持ち出すまでもなく、聖地の一夜に酔いしれた、質の高いコンサートライブになったことを感謝したい。

吉野山や蔵王堂の佇まいを是非また味わっていただきたいと念ずるものである。

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