講演会奮闘記
「私の講演会奮闘記」
今秋は昭和女子大・愛知産業大学での講義や、独立行政法人JAXA(宇宙航空研究開発機構)や佐久市仏教会での講演、また不登校の生徒を預かる師友塾という私塾での講演と対談会など沢山の方々に修験道のお話を聞いていただく機会があった。自分ではそれほど話術が巧みなわけではないと思っているし、人前でお話をするのも得意とするものではないが、それでも乞われると躊躇なくどこへでも出かけるようにしている。そんな機会を通じて、たとえ一人でも多くの人々に修験道が持つ素晴らしい世界をお伝えできたらという思いのみである。
昨年十二月の師友塾での講演では四百名の聴衆の中で何人かが泣いておられた。別段泣くようなお話をした覚えはないのだが、どこかで心の琴線に触れたのかもしれない。
理不尽なことを理不尽なまま受け入れることも大切である、というような話もした。山修行をしていると、どうにもならないような苦しみや辛さに直面することがある。理不尽だと思えるようなことを強要されることだってある。そういうことにきちんと向き合い、受け入れていくことが心の襞を成長させるとても大切なことだと、私自身が修行の中で学んだからであるが、実体験を通じてお話をすると、伝わるモノがあるのだと思う。
人間は人間を越えた聖なるモノに手を合わせたとき初めて人間らしくなれるものである。犬や猫が神仏を拝むのを見たことがない。人間のみが祈りを持ち、自分を越えた存在を意識出来るのである、といった話もする。これも山修行を通じて、大自然の中で学んだ私の智慧である。神仏を分け隔てせず、自分を越えた大きな力と出会わせていただくのが山修行の醍醐味の一つであろう。霊性を磨くというか、自分の霊性に向き合うというか、都会生活では忘れてしまったようなそういう体験を山修行は随所に用意していてくれる。また神仏に守られているひとときでもある。私は自信を持って先達たちから伝え受けた山伏修行のすばらしさと、そこで感じた自分の体験を話させていただいているのだ。そういう思いはきっと多くの人に届くと信じている。
講演後、その師友塾の生徒さん六十名ほどからの感想文が届けられた。熱心に聞いていてくれたことが行間の端々から感じられる見事な文章ばかりであった。背負ってしまった不登校というハンデを乗り越えようという若い人たちに話が伝わった実感をつくづく感じ、逆に私自身も大きな力をいただいたような気がしている。
有り難いことに来年も早々と朝日カルチャーセンターの連続講座や帝塚山大学のオープンカレッジ講座などなど沢山の講演依頼を受けている。これからも未熟な話しか出来ないが、それでもおそれず、出かけていこうと思う日々である。
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本当にありがたいと思っています。
実は自分のところで都会での講演会や学習会を催そうとなると、会場費、交通費、広告宣伝費など莫大な費用が発生します。50人程度の人を集めて講座を開いても、場所によっては50万円~60万円はあっという間になくなってしまうわけですから、乞われてお話をさせていただくということは大変有り難いことです。
また同じような話しか出来ないとは言え、一回一回が私自身の学びにもなっています。
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