8日、家内の父が亡くなりました。
朝起きてきて、しばらくして茶の間で突然倒れ、救急車をよんだが、もう事切れていたそうです。
その日は大阪行きの予定であった私でしたが、電車に乗ったとたんに訃報を聞いて、引き返えすこととなりました。
義父は朝6時にふつーに起きてきて、いつもどおりお茶を飲んで、そして急にばたっと倒れたようです。
私が病院に着いたときにはまだあたたかいくらいの義父だった。それから大あわてで警察や役場などを走り回って葬儀の準備に奔走していたが、ふっと思うと、なんと人の命とははかないものなのだと、思いますねえ。 大往生といえば大往生だが、享年73歳の人生は少し早すぎます。
そんな義父の訃報については沢山の方々に弔意を頂戴しました。 ありがとうございました。
実は私は通夜だけ済ませて、会津若松の講演会に出かけたため葬儀は欠席するという不義理なことになってしまいましたが、講演会も迷惑はかけられないので、義父にはお許しをいただく以外はありませんでした。
罪滅ぼしもかねて、通夜では旦那寺の読経の後、通夜読経のし直しをさせていただきました。
その通夜の席で思ったのですが、浄土真宗はもう終わってるのではないかと危惧をしました。
義父の通夜は簡単なお経のあと、簡単な通夜法話。しかもよくみるとコピー用紙にプリントした法話原稿2枚半をそのままよんだだけ・・・。 ご家族の介護の功もむなしく・・・って読んでましたが、義父は朝6時過ぎにふつーに起きてきて、突然倒れて死にました。介護の余地もなにもないのですが、ひな形どおり読んでおられました。 そんな言葉の後に、阿弥陀様のご本願に導かれて…云々を言われてもむなしく響くだけ。
決して悪い人ではない僧侶でしたが、お経にも力が感じられず、なんか宗教家としての迫力とか説得力が欠落しておらたように感じたのは私だけではなかったようです。
葬式仏教と揶揄されますが、もっと根性をいれた葬式仏教をやってもらいたいものです。葬式をなりわいとしていない私の方がよっぽどちゃんとしてあげられると思いました。・・・そこまでいうのはちょっと気の毒かなあ。
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