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恩師・・・

081031_13020001 自坊35周年の大祭を目前に、さまざまな準備をしなければいけない状況を放棄して、今日は母校叡山学院に出向いた。

実は叡山学院同窓会の記念事業として、恩師淺田正博博士の講演会が行われたからである。恩師の母校講演である。なにをおいても、いかないわけにはいかない。

私は淺田先生の、自称一番弟子。龍谷大学で先生が一番最初に講義をされたその講義に出たのが縁で、その後、龍谷大学専門課程のゼミと叡山学院で指導頂き、2度の卒論も先生の指導で書かせて頂いた。その先生は現在龍谷大学教授にして、文学博士であり、また浄土真宗西本願寺派勧学位にあり、更に龍谷大学仏教学会会長という重責を勤める浄土真宗の碩学にして、日本仏教界を代表する高徳となられている。そんなえらい先生に、竜大時代から、もう30数年に亘って公私共にお世話になっている…そう生涯の恩師なのだ。

さて今日の演題は「往生要集の世界」。久しぶりに先生の講義を拝聴をして、とても心地よく、改めて多くを学ぶことが出来た。準備の進まぬ自坊大祭の状態を放置して出かけたため家内には大いに顰蹙を買ったが、でも、行ってホントによかった。

往生要集の講義は意義深かった。そして講義のあと、先生と二人で京都へ・・・。この夏に大阪で痛飲したが、今日も二人で痛飲する。私はホントに幸せ者だと思う。生涯の師匠に出会うことが出来て、しかも先生に愛されているからである。

明日からは本格的な35週年祭の準備に入る。お弟子さんなど多くのお手伝いをお願いしている。

・・・・んなわけで、普段自坊にいない私としてはしばらく35周年大祭が無事終わるまで、日記はお休みになるかもしれませんので、あしからず。

林南院35周年大祭!

P1010382_2 表題の林南院とは自坊のことである。

その自坊が今年で開山35周年を迎える。

昭和49年、亡父は25年の長きにわたり師僧の後を嗣いで主管を勤めてきた金峯山寺末の某教会を辞して、自宅を解体し、父は信者様と共に新寺を建立する。それから35年・・・。その間、多くの人に支えられてきた。ありがたいばかりである。

平成13年7月に父は85歳で亡くなった。同年4月から金峯山修験本宗の宗務総長に就いていた私だったが、父のあとを嗣いで、第2世の住職となる。

実に父の代は年間1000人を越える人々にお出アイし、また月参りや加持祈祷の出張も100軒を数えるなど、寺門は大いに興隆していたが、私の代になってからは、単身赴任で宗務総長の仕事を勤めるという激務?の傍らということもあり、すっかり自坊の法務はさぼってしまっている。信者様と会うのは年間100人足らず、出張も20軒にも満たないようなことになったのである。まあ往時の10分の1といったところ・・・。

必然的に毎月3日に行っている月例護摩祭も激減。また秋と節分の大祭もちょー激減した。それでも、毎年11月3日に行う大護摩供大祭には80人くらいはなんとか今も来て頂いている。父の往時は150~200人はいたから、半分であるが、でも、日常の法務が10分の1なのだから、よくお参りしていただいているものだと、心底感謝している。 ・・・ちょっとさぼりすぎですが。

そういう感謝を込めての、今年35周年。

もしよろしければお参りしてやって下さい。恒例の大護摩供と修験道の秘法火渡り・火生三昧も行います。

詳しくは林南院HPまで↓

http://homepage3.nifty.com/enno-f/rinnan-in/event35.htm

金融恐慌

80 今月のちょー早出しです。毎月、寺の機関誌で書いている随筆を、掲載前にアップさせてもらっていますが、今回は昨夜書いたばかりの新作。来月10日過ぎにならないと配信されないのですけど、日記で先出しさせていただいた。ご笑覧を乞う。。

***************


「金融恐慌」

アメリカ発の金融不安に日本が、そして世界が危機に瀕している。経済の仕組みは私たち素人にはよくわかりがたいところがあるが、わからないまま、実生活がその災禍の影響をもろに受けて、生活不安が世界中に広がっている。

先週末、ある筋の知人から近々、世界金融恐慌勃発を予見させる情報が入り、「いよいよ君ら宗教家の時代が来たぞ」と電話があった。金融恐慌は世界の経済を破綻させ、人心は乱れに乱れる時代が来るから、今こそ、人心の不安を救う精神的指針が求められるというのだ。確かにそうかもしれない。私自身がその任にあるかどうかは別として、本当の意味で「心の時代」に突入しつつあるようだ。というか、経済破綻による生活不安を救うのは「心」しかない。

私は紀伊山地の霊場と参詣道の世界遺産登録を前後して、ここ五年間で、二百回近くの講演会やシンポジュウムに呼ばれてきた。今もそれは続いていて、来月も静岡県での国際シンポジュウムや奈良県立大学での特別講演などの依頼を受けている。そういう機会を通じ、実に多くの学びと気づきを得たが、回数をこなす内、ただ単に修験道という希有な日本文化を紹介するだけではなく、修験道を通した視点を持つことで、近代日本の弱点に思いを致すようになった。もっといえばそれは近代という化け物の正体に気づくことでもあった。

その正体とは、神殺し仏殺しの、経済優先という価値観である。資本主義は原理的には経済行為が全てに優先する価値観を生み、そこに生きている人間性を蹂躙してもなお、経済を優先させるという非人間的なシステムである。近代とはそういったシステムを基盤に過剰に物質文明社会を発展させ、現代に導いてきたのである。確かにモノは豊かになったし、生活水準は驚異的な伸びを見せたが、それによって損なわれたものもまた極めて多いと言わざるを得ない。その最たるものが精神文化の破壊である。私は明治の近代化によって解体の憂き目にあった修験道の人間だからこそ、痛みを以て断言できるのである。

こうやってみるとアメリカ発サブプライムローンの金融破綻は拝金主義の終焉を示唆しているであろう。経済優先とはそれまで人類の精神基盤を支えてきた神や仏を放棄して、ただひたすらお金を拝むという価値観である。近代によって人類全体が幸福を得るというまばゆいばかりの幻想は、行き着くところ、実体経済が伴わないマネーゲームという魑魅魍魎の世界を現出させ、地球という自然界の中で、自然の恩恵や神仏の存在に生かされることに感謝と畏敬の念を持ち続けることで暴走を抑えてきた人間の欲望のみを肥大させたのであったが、いよいよその大しっぺ返しに遭っているのかもしれない。

世界経済の不安は底を知らない状態が続いている。しかしまあ、あまり悲観的にならず、混乱の時代こそ、神仏を取り戻す好機であると自覚したいものである。

*************:

最後の段は少々詰めが甘いが、字数の制限があり、ここで終えることにした。
いかが・・・。

今日から北海道~!!

昨日の熊野行きは成果大でした。神仏のご加護です。。
さて明日は蔵王堂でさくらエイドコンサートが行われる。。

チケットはまだ残っているようなので、当日おいでいただいても入れると思います。
興味のある方は是非  。。詳しくは ↓

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=36273641&comment_count=0&comm_id=989468

・・・で、私はかねて依頼をされていた北海道サッポロの末寺・竹韻精舎という奥駈仲間N氏の道場へ出向くので、吉野は今日から留守・・・。エイドコンサート本番も留守となる。

竹韻精舎は今年で開山10周年。札幌市内にある在家教師の道場。
今夜は愛弟子の一人と会い、明日の夜も法要のあと、やはり奥駈仲間のK氏と痛飲する予定である。

ま、すすきのがメインでいくのではなく、あくまで法要がメインで行くのであるから、ほどほどにしなくてはならないのだが、久しぶりの北海道。やはりちょいとわくわくです。手(チョキ)

熊野本宮と新宮へ。

明日は日帰りであるが、熊野本宮大社と新宮大社に行ってくる。

「紀伊山地の霊場と参詣道」として平成16年にユネスコ世界遺産登録された吉野大峯・熊野・高野山の三霊場が、来年、登録五周年を迎えるのを機に、宗教者の立場から、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の保全発展のための協議会を発足させようと企画している。互いに協力しながら、紀伊山地の自然と文化を守る「第一の門番」としての役目を果たすことができればという発願であるが、その下打ち合わせにいく。

すでに高野山金剛峯寺にも相談をしており、熊野三山や青岸渡寺など中心的な寺社にも声掛けをしているが、明日は具体的な話しを進めたいと思っている。

また併せて、その事前事業となる熊野本宮大社旧社地・大齋原(おおゆのはら)おける、五周年記念・金峯山寺大護摩供厳修の下見である。

来年の五周年に向けて、そろそろ動き出そうと思っている。

おかだぁ~。。

阪神、撃沈。。

悔いが残る采配でしょうねえ。

引き分けだとシーズン2位チームの阪神の第一ステージは勝ち。

あの硬直した試合は9回に藤川を投入する必要はないし、8回に好投していた岩田を替えちゃ・・・・うーーーん。歯車が狂いだした岡田采配はちょっとちょっとのまま、終わっちゃった。でも敵ながら今年の阪神の戦いは強かったし、なんか岡田監督が可哀想ですね。

お疲れ様でした。。

ただ今奮闘中。

自坊の境内の三界万霊供養塔が10年以上前に朽ちたまま、放置していたが、秋の大祭に併せて、再建立することになり、書いている。

実は朽ちたときに信者さんに新しい角塔婆を奉納いただいていたので、書けばいつでも再建できたのであるが、なにせ筆無精の住職(…私ですが…^^;)のせいで、のびのびとなっていた。

今年は年貢を納めて、書くことになったのだが、こんな大層なものは初めてだし、第一字た下手なものですから、とほほ・・・なのですよ。

やけくそで書いたはずかしいものですが、2面書けたので、載せてみました。お笑い下さい。。

ほんとへたくそだなあ。かなしくなる。081018_17170002

経済同友会西日本大会

今日は経済同友会西日本大会が奈良の100年会館で開催されるにあたり、オープニングに金峯山流法螺の吹奏と講話を承り、出向する(実は私自身は出演しないのだが・・・)。

テーマ「日本復活の指針」にふさわしい山伏世界の紹介である。

基調講演では、最近たまたま読み終えた「日本人としてこれだけは知っておきたいこと」(PHP文庫)の著者中西輝政先生がお出ましになる。これも楽しみのひとつである。。

いってきまーす。

佐伯祐三と新世界

天からガツンと鉄槌をくらったようなここ数日。心身共にさすがにまいっていたが、仕事はとぎれない。

一昨日は来月の世界遺産に関する国際シンポの打ち合わせなどいろいろあって夕方京都でへ。昨日は大阪で役行者霊場会の役員会。本来自分のするべきこととは直接関わらない用務ばかりが続いている。

そんな心身膠着状態の中、昨日は会議が早めに終わったので、大阪市立美術館の佐伯祐三展に出かけた。閉館前の慌ただしい一時間ではあったが、ずっと行きたいと思っていたので、行けてよかった。

私は別段絵画に造形が深いわけでも、趣味なわけでもなく、絵の価値などは全くわからないが、学生の頃、たま081015_17030001 081015_17040002 081015_17140001 たま佐伯祐三を知り、彼の絵だけはなぜか、とても好きになって、ときどき展覧会があると、覗きに行く。

なんていうか、夭折の天才画家が渾身の魂を込めたパリの風景は、私の心に命の力を訴えてくるのである。佐伯が愛したパリの町も歩いてみたことさえある。佐伯はほんといいねえ。

会場の大阪市立美術館さんとは「役行者展」や「祈りの道展」で一緒に仕事をしたので、懇意にしている学芸委員さんも多く、今回は特に閉館間際の忙しい時間帯ではあったが、守屋学芸担当部長さまのお手を煩わし、展示の絵画を詳しく解説いただいた。今まで以上によくわかって、とても有り難かった。

身心膠着状態の私だったが、少し佐伯の絵の力で心が解きほぐされたように思えた鑑賞となった。

そのあと、美術館に隣接する新世界に足ののばし、大阪の友人を誘って、立ち飲みをはしごする。あいにく行きつけのお寿司屋さんと居酒屋さんは定休日だったが、最終電車まで痛飲して、泣いたり笑ったりしながら、心を癒す一日を過ごさせていただいた。

佐伯祐三と新世界。ミスマッチな中で、生きていることの喜びと悲哀を感じていた。

葬儀研修の講義。

今日から葬儀に関わる特別研修会を開催している。
一泊二日の研修に今年は36名が集った。

午後から約1時間半、私も講義をしている。

私の「葬儀概論」から~

・・・仏教というのは仏になる教えであります。これは、私自身がなるのであります。死んだ人がなるわけではありません。私が仏に成ること、成仏することを説いた教えが、仏教の原理そのものなのです。

しかしながら、その仏教が日本に入って来ますと、仏教の教理とは別に、日本の中にすでにあった祖霊信仰なり、霊魂と肉体とが別のものだという考えの中で、仏教が受容されてきました。日本人は肉体と魂は別のものだと考えます。霊肉分離説というのですけれども、霊魂と肉体は別のものだという、習俗、感性が前提にあります。

ですから、人は死ぬことによって、まさに霊魂になって、葬送と祭祀の対象となるのです。葬儀をする対象、それから祭祀をする対象ーそれが霊魂です。葬送と祭祀を通して、日本人は、死んだ人の霊魂が仏になる、祖霊になる、家を守る先祖霊になる、と考えてきました。ですから、先祖供養が生まれるのです。亡くなった霊は葬送をして、祭祀をして、祖先の霊となっていく、そのように考えて葬儀が行われてまりました。

葬儀には実は二つの側面があります。
一つは、遺体の処理であります。人間死んだら、そこには遺体が残ります。これは、なかなかやっかいです。昔は結構、日本人はその辺に放置していました。みんながみんな、墓を立てたりというようなことはしませんでした。なぜかというと、霊肉分離説ですから、遺体には魂はないのですから、死んだあとの肉体は言ってみれば着ていた服を脱いだようなものです。そんなわけで疎略に扱いましたが、だんだん時代と共に、その考えも変わってきまして、遺体を大切に処理するようになります。

あるいは、骨に対しては、霊魂との関係で日本人は余所の国の人たちには考えられないぐらい強い執着を持っています。それも、遺体は霊魂の抜けガラですが、骨には霊魂が、依り代としてあるように感じています。

少なくとも死んだ場合、遺体の処理をしなければなりません。現在はほとんど火葬ですが、土葬も残っています。これは遺体の処理の仕方です。昔は、風葬や鳥葬とかが平気で行われていました。今でも、アフガニスタンなどに行きますと、風葬があると聞きますが、ま、現代の日本では、基本的に火葬に致します。

今、西洋はまだ土葬です。日本で火葬が取り入れられたのは、どうし
てかといいますと、もちろん仏教の伝来によるところが大きいのですが、もうひとつ見逃せないのがもともとの考えの中に、霊魂分離説があるからなのです。霊魂は遺体に宿っていないから、焼いて、骨にすることが出来るのです。そういう考えが根底にあるのです。とにかく、遺体の処理をしなければいけない。これが、お葬式の一つの役目であります。

もう一つが鎮魂です。いわゆる霊魂のお弔いの問題です。先ほど申しましたように霊魂と肉体は分離しているわけですから、遺体の処理と、霊魂のお弔いがあります。この霊魂のお弔いに、実は我々は僧侶として関わるわけであります。私たちは、霊魂の処理をするために、仏教の法にかなった作法をする。皆さん方が今から勉強していただくのは、霊魂のお弔いを、宗教人としてどう関わっていくか、そういう勉強をしていただくのです。

この霊魂のお弔いにも二つの側面があります。一つは、亡くなった霊魂自体の処理。それともう一つは霊魂に関わる、いわゆる遺族の心の処理です。人間は一人では生きていません。一人の人間には、その関わりのある人たち、みんながその人格を作っているわけですから、その個人の死は、個人の死であると共に、その人に関わるみんなの中での共有された死でもあるわけです。ですから、霊魂のお弔いというのは、亡くなった魂自体の処理もあるけれども、その人に関わる、遺族、関係者の心の処理でもあるのです。この二つの面があるという事も、是非とも思っていただきたいです。

そういう葬儀の二つの側面を考えたときに、霊魂のお弔い、鎮魂と言うことが我々にとって大変重要なことになるわけです。ですから、それをどう行なうのか。葬儀に対する私たちの意義を見い出さなければならないということになります。

・・・・・・・・・・かくのごとくの講義を縷々述べるわけですが、修験僧の私は祈願はまあ専門分野ですが、いささか葬儀は専門外なので、なかなか難しいです。

毎回講義をさせていただきながら、私自身が勉強になります。

明日の夕方まで、頑張ります!

巨人優勝ぉおおおおおおおおおおおおおおお!

Photo 一時は絶好調の阪神タイガースに13ゲームも離され、エースの上原は二軍落ち、看板打者の高橋由も怪我、スンヨプは大スランプと、ふつーだったらBクラスを低迷してもおかしくない状況だったので、ほんと奇跡の大逆転でした。

正義は勝つ!です。(←あ、また虎キチファンを敵に回しそう・・・)

気を緩めずに、クライマックスシリーズ、そして今年こそ日本シリーズ制覇を成し遂げてほしいものですねえ。

昨日は早めに吉野に帰ってBS8で、優勝の瞬間まで見逃さず見ていました。

ともかく巨人ばんざーい。でした。

ノーベル化学賞、実は…

化学賞は全く意外-下村脩さん・ノーベル賞

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081008-00000202-jij-soci

***********

下村さんは実は実家の隣町出身らしい、とのこと。

テレビでは京都府出身としか報道されていないようですが、京都府の福知山で生まれたらしいのです。同じ丹波地方綾部出身の私としては郷土のほこりで、嬉しいニュースです。

ま、福知山から少し行くと丹後の美しい海があり、そこにはクラゲがいっぱいいますから・・・そういうことって関係あったのかなあ。

地球と人類が平穏でありますように

今朝は蔵王権現供養法一座修法の日でした。

早朝5時半に部屋を出ると、朝焼けがとてもキレイでした(写真参照)。

お堂に籠もり、1時間半、じっくりと権現さまと対峙して、聖なるひとときをすごさせていただきました。

金融危機なんたらかんたらと騒がしい毎日ですが、地球と人類が平穏でありますように。

近代とは神殺しの時代だと、最近あらためて悟りました。 081007_05490001 宗教者自身が神ほとけを取り戻さなくてはならないのだと強く思っています。

あおによし・・・

昨日の奈良県宗教者フォーラムはまあ、成功でした。薬師寺さんの配慮も行き届いていて、天気も良く、あおにおし奈良の都のよき一日になったように思いました。

我田引水ながら、指名された081004_15130002 司会の大役は大過なく出来たように思います。

塩爺の話しはしょぼかったですが、秩父神社の薗田先生のお話はいろいろ学ぶところも多く、今までのフォーラムの中ではかなり盛り上がったようにも感じました。

南都の大寺を中心に、春日大社、三輪神社、橿原神宮、天理教、立正佼成会、金峯山寺などが実行委員会をつとめる奈良ならではの宗教協力は、それはそれで大変意味のあることだと思います。

惜しむらくはこれだけ世の中が変になっているのに、そのことに対して、宗教者なりのつよいメッセージを訴えるところまで来ていない点かもしれません。今後の課題だし、発足以来5回を数えて、そろそろそういうスタンスを持たないと会自体の存在意義が問われるのかもしれません。・・・・そういう感想でした。

明日は奈良県宗教者フォーラム第5回大会でーす

奈良県宗教者フォーラム第5回大会が明日薬師寺で開催される。

このフォーラムは、日本宗教の先駆となった奈良から、宗教の果たせる役割とは何かを探るとともに、連帯と親睦をはかるために、5年前に始まる宗教者同士の勉強会で、東大寺、薬師寺、春日大社、立正校正会、天理教などの奈良県下の仏教、神道、新宗教の超宗派超宗教で開催される。

私も第2回大会から参加しているが、今年からは実行委員となってしまって、明日の大会当日は司会役をつとめる。

塩川正十郎さんの基調講演や、山田法胤薬師寺副住職たちの鼎談などが行われるが、一般参加は基本的にあまり受け入れていない宗教者同士のまさに研修会という集まりである。

先日の実行委員会でチベット問題やせんとくんのことなど、ちょっと過激な意見を事前に訴えたが、どうもこのフォーラムの中で、そういう刺激的なことを言うのは憚る雰囲気であったので、明日は渡された原稿をおりこうにきちんと読むだけにしようと思っている。

新参者が暴れて折角積み上げつつある宗教協力を壊すようなことになってはいけませんからねえ。でも予定調和の会議は意義が低いのですけど、その辺ちょっと残念です。

10月2日は・・・

10月2日はとーふの日だそうです。

今夜は湯豆腐でもしようかなあ。Photo

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