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葬儀研修の講義。

今日から葬儀に関わる特別研修会を開催している。
一泊二日の研修に今年は36名が集った。

午後から約1時間半、私も講義をしている。

私の「葬儀概論」から~

・・・仏教というのは仏になる教えであります。これは、私自身がなるのであります。死んだ人がなるわけではありません。私が仏に成ること、成仏することを説いた教えが、仏教の原理そのものなのです。

しかしながら、その仏教が日本に入って来ますと、仏教の教理とは別に、日本の中にすでにあった祖霊信仰なり、霊魂と肉体とが別のものだという考えの中で、仏教が受容されてきました。日本人は肉体と魂は別のものだと考えます。霊肉分離説というのですけれども、霊魂と肉体は別のものだという、習俗、感性が前提にあります。

ですから、人は死ぬことによって、まさに霊魂になって、葬送と祭祀の対象となるのです。葬儀をする対象、それから祭祀をする対象ーそれが霊魂です。葬送と祭祀を通して、日本人は、死んだ人の霊魂が仏になる、祖霊になる、家を守る先祖霊になる、と考えてきました。ですから、先祖供養が生まれるのです。亡くなった霊は葬送をして、祭祀をして、祖先の霊となっていく、そのように考えて葬儀が行われてまりました。

葬儀には実は二つの側面があります。
一つは、遺体の処理であります。人間死んだら、そこには遺体が残ります。これは、なかなかやっかいです。昔は結構、日本人はその辺に放置していました。みんながみんな、墓を立てたりというようなことはしませんでした。なぜかというと、霊肉分離説ですから、遺体には魂はないのですから、死んだあとの肉体は言ってみれば着ていた服を脱いだようなものです。そんなわけで疎略に扱いましたが、だんだん時代と共に、その考えも変わってきまして、遺体を大切に処理するようになります。

あるいは、骨に対しては、霊魂との関係で日本人は余所の国の人たちには考えられないぐらい強い執着を持っています。それも、遺体は霊魂の抜けガラですが、骨には霊魂が、依り代としてあるように感じています。

少なくとも死んだ場合、遺体の処理をしなければなりません。現在はほとんど火葬ですが、土葬も残っています。これは遺体の処理の仕方です。昔は、風葬や鳥葬とかが平気で行われていました。今でも、アフガニスタンなどに行きますと、風葬があると聞きますが、ま、現代の日本では、基本的に火葬に致します。

今、西洋はまだ土葬です。日本で火葬が取り入れられたのは、どうし
てかといいますと、もちろん仏教の伝来によるところが大きいのですが、もうひとつ見逃せないのがもともとの考えの中に、霊魂分離説があるからなのです。霊魂は遺体に宿っていないから、焼いて、骨にすることが出来るのです。そういう考えが根底にあるのです。とにかく、遺体の処理をしなければいけない。これが、お葬式の一つの役目であります。

もう一つが鎮魂です。いわゆる霊魂のお弔いの問題です。先ほど申しましたように霊魂と肉体は分離しているわけですから、遺体の処理と、霊魂のお弔いがあります。この霊魂のお弔いに、実は我々は僧侶として関わるわけであります。私たちは、霊魂の処理をするために、仏教の法にかなった作法をする。皆さん方が今から勉強していただくのは、霊魂のお弔いを、宗教人としてどう関わっていくか、そういう勉強をしていただくのです。

この霊魂のお弔いにも二つの側面があります。一つは、亡くなった霊魂自体の処理。それともう一つは霊魂に関わる、いわゆる遺族の心の処理です。人間は一人では生きていません。一人の人間には、その関わりのある人たち、みんながその人格を作っているわけですから、その個人の死は、個人の死であると共に、その人に関わるみんなの中での共有された死でもあるわけです。ですから、霊魂のお弔いというのは、亡くなった魂自体の処理もあるけれども、その人に関わる、遺族、関係者の心の処理でもあるのです。この二つの面があるという事も、是非とも思っていただきたいです。

そういう葬儀の二つの側面を考えたときに、霊魂のお弔い、鎮魂と言うことが我々にとって大変重要なことになるわけです。ですから、それをどう行なうのか。葬儀に対する私たちの意義を見い出さなければならないということになります。

・・・・・・・・・・かくのごとくの講義を縷々述べるわけですが、修験僧の私は祈願はまあ専門分野ですが、いささか葬儀は専門外なので、なかなか難しいです。

毎回講義をさせていただきながら、私自身が勉強になります。

明日の夕方まで、頑張ります!

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コメント

山人様は神仏霊場の案内人以前に宗教者でしたね(笑)。

何故、遺体には執着せずに遺骨には執着するのですかね?

魂抜けても、それに代わる何かシンボルが必要なのですかね?

もくじさん。ども。。

>何故、遺体には執着せずに遺骨には執着するのですかね?
>魂抜けても、それに代わる何かシンボルが必要なのですかね?

もくじさんのレスをみて、盟友のM先生からご教示の電話がありました。

葬祭儀礼の根幹の部分では、仏教的なものより、日本の習俗や外来の他の思想の影響が多く取り入れられていて、仏教のみでの理解はなかなか難しいところがあります。

特に位牌などというものは儒教的な考えが入っていて、インドから伝わった仏教が中国の中で儒教化し、その儒教かした仏教が日本に入ってきているということも見逃せません。

儒教では魂魄として霊を考えます。魂魄の魂は天に昇っていく霊で、魄は骨に宿る霊であります。天に昇る霊は位牌としてお祀りし、骨に宿る霊はお墓に祀る・・・というような考えが根底にあって、位牌とお墓に祀られるということだそうです。これは仏教の考えではありません。

儒教の影響が、いわば骨に執着する感性を作っていて、天に昇った魂のよりましとしての位牌を祀らせているようです。

・・・電話でのご教示でしたので、少し理解がちがっているかもしれませんが、おおむねそういうご教示でした。

以前、神仏霊場についてコメントした者ですが、
この度、東京から行って参りました。
一日目、京都で東寺参拝
朱印帳を入手
(なんとなく、東寺に神仏霊場の朱印帳がありそうだとの予感かあった。
あとは京都駅に近く、それなりの規模であること。)
東寺では朱印は貰わず、朱印帳だけ買った。
その後、付箋を買い、ガイトブックを見ながら主なページに番号と寺社名を書いた付箋を張る
二日目、奈良の長谷寺、安倍文殊院、壺阪寺を参拝
三日目、吉野の金峯山寺、橿原神宮を参拝
以上の寺では長谷寺を除き、神仏霊場の朱印帳は置いてありました。
分かりやすいように置いてあったと思います。
長谷寺は他のお寺のように朱印帳が並べて置いてないので聞かないとあるかどうか分かりません。


神仏霊場の更なる発展を願っております。

山人様、ちょっとした疑問に何倍ものお答え有難うございます。

ちゃんとプリントアウトして改めて拝見致します。

武乃助さん、お疲れ様です。

2日目はまさに11月に訪ねるコースです。

何故、東寺で御朱印を戴かないのか、何か意味があるのでしょうか?

山人様、大変です。

神仏霊場会より少し後に発足した数珠巡礼会がホームページを立ち上げていました。

http://jyuzujyunrei.com/

神仏霊場会も負けてはいられません。

数なら4倍以上(その数のお陰で難しいのですよね)、負けてはいられません。

是非、HPを立ち上げましょう。

もくじさん。ども。

本当ですねえ。大変だ!

今日、その件で打合会があります。延暦寺も来ますので、尻をたたきますね。

武之助さん。ども。

金峯山寺にもお参りいただいたのですね。
ありがとうございました。

山人様ぁ。
あんまり延暦寺さんいじめないで下さいね~?(笑)
すねて「比叡の光」で神仏霊場会のことを
紹介してくれなくなったら困ります~(笑)。
でも、超ローカルだし、いっか~(ぉぃぉぃ笑)。
ビシバシ喝入れて下さいね~!!
って、もう終了しました?(^o^;)

あれ~?
ここOKでした(笑)。
《神仏霊場》関係だったらコメント却下されてるんですよぉ!
もしかして私、神仏霊場に嫌われてるんですか?(;_;)

またおじゃまします!
山人様の講義とは全く関係無いコメントですみません!
もぐじさんは西国三十三所片っ端からお参りされるんですか?
例の粉河寺さん、
特別拝観期間今月いっぱいまでみたいです!
この機会を逸したら、次は217年後らしいですよ~!!
まぁ皆さんご存知かもしれませんが(笑)
一応お知らせさせていただきました。(*^_^*)

故人・祖先の鎮魂と「葬式仏教」の関係って、21世紀の日本人の霊性を考える上で避けて通れないテーマだと思います。私の従兄も檀家寺の住職だし。
さて、実は今ある勉強会をやっているのですが、「神仏習合がうまく理解できない。僧侶や神官や修験の人の話を直接聞いてみたい」とのリクエストを受けております。
もし次に東京に来られる機会にお時間頂けるなら、是非ご講話を賜りたいのですが、いかがでしょうか?

良かった(笑)
元のタイトルに沿った話題になりましたね!
山人様!この機会に東京で神仏霊場の宣伝も兼ねて(笑)頑張って講義して下さい!o(^-^)o

takki@Tokyo ども。はじめまして・・・。

>「神仏習合がうまく理解できない。僧侶や神官や修験の人の話を直接聞いてみたい」とのリクエストを受けております。
もし次に東京に来られる機会にお時間頂けるなら、是非ご講話を賜りたいのですが、いかがでしょうか?

さてさて、私のような半端な者でお役に立てるのでしょうか?

上京の予定は10月はなくて、11月の世界仏教徒連盟の世界大会に浅草へ行く予定はあります。13日~15日です。

ただ滞在中の予定は詰まっているのですが・・・。そのときにtakki@Tokyo さんとお出会いするくらいなら、時間はあると思いますが。

何か東京で講演とか決まりましたら教えて下さい。

都合のつく限りお伺い致します!

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