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愛染堂大祭です

今日は11月27日は愛染堂の大祭日。

午後1時から法華懺法が唱えられる中を私が護摩供一座修法致します。

あいにく天気が下り坂で、参拝者もぱらぱらという寂しい状況ですが、頑張ります

吉野の歌人・前登志夫先生歌碑建立

081126_08180002 081126_08170002 081126_08230001 昨日は午後から吉野の歌人・故前登志夫先生の歌碑建立除幕式及び遺稿歌集の刊行配布を行った。

吉野のサクラをこよなく愛し、また自分自身が吉野の山林に定住して、山川草木の深い慟哭を聴き続けて来たことでしられる歌人前登志夫先生は、当山との関わりも深く、私自身も交流があった。

とりわけ昭和45年から当山の機関誌に歌を寄せていただき、私が金峯山寺に入寺した昭和56年からは毎年新年号に新春短歌を寄稿いただいていた。入寺以来、機関誌編集に携わった私は毎年年末になると山深い下市町広橋の自宅に伺い、原稿を頂戴したものであった。

その先生の最後の寄稿となった今年新年号の最後の歌が「一基だに われの歌碑なき吉野山 雪ふみくだる いさぎよかりき」であった。この歌をいただいたとき、えーー、先生の歌碑はたくさん建っているのに吉野山にはなかったのだとはじめて気づき、ま、督促していただいたようなものだと悟って、早速建立話を寺内ですすめるところとなった。

先生の意向もお聞きして「さくら咲く ゆふべの空のみづいろの くらくなるまで人をおもへり」という自筆の歌を刻むことを指示いただいたが、生前中の建立はかなわず、昨日ようやく建立をみて、4月に亡くなった先生の遺影にささげたのであった。

実は歌碑建立をきめてから、2月に先生とたまたま近鉄電車の中で遭遇した。先生の最後の講義となった朝日カルチャーセンターへ出講されるときであったが、歌碑の話しを申し上げると、大変喜んでいただいたことが思い出される。

亡くなった当日も奥さまから私宛に伝言があり「くれぐれも歌碑の件、田中様によろしくお伝えしてくださいと主人が申しておりました」とのことで、まさに遺言のようなことである。

歌碑は金峯山寺境内の南朝皇居跡公園の一角に建った。錦秋のあざやかな紅葉の中、先生念願の歌碑が除幕できたのである。

またこれは私の一存だったのだが、昭和45年以来、当山の機関誌に寄稿いただいた全99首の歌を一冊に編集して、歌碑建立記念に出版させていただいた。機関誌の中だけでは埋没してしまうだけだが、歌集を編むことで先生の足跡が後世に残るのならと思っている。

酒席での武勇伝が多くのこる先生であったが、お元気なうちに一度くらいはご一緒に痛飲できればとちょっと残念さが残る。日本芸術院賞受賞の祝賀会でご一緒したのが最後の酒席であった。世界遺産登録に奔走したことをいたくほめていただいたことが有り難かった。

国籍法・・・

081124_10500001 081124_14460001 昨日、三井寺の智証大師入唐求法帰朝1150年記念慶讃・国宝金堂修復竣工記念法要に参加した。(写真参照)

そのながーい法要と大津プリンスホテルでのながーい祝賀会のあと、隣のテーブルにお座りになっていた元大蔵大臣で三井寺の信徒でもある武村正義氏にお声を掛けた。

名刺を差し出すと、「あ、以前にも頂戴しています」って返事が返ってきた。・・・まことにめんぼくないことです。有名人の方に覚えていて貰って肝心の渡した本人が忘れている。こういうことをしょっちゅう繰り返していて、おはずかしい限りである。以前も明石康氏に同じようなことを言われていて、やっぱり東大を一等賞ででたような人はみんな記憶力がすごいというか、頭の構造が凡人とはだいぶ違うのでしょうね。

・・・とまあ、それはさておき、その武村先生に「今、国籍法が国会を通ろうとしています。この国の形が壊れるような話が進んでいるのですが、マスコミはほとんど報道しません。ネットでは大いに盛り上がっているのですが。。ついては先生は我々の危惧が杞憂に終わるとおもっておられるのか、それともなにか別の力が働いて、この国を危うくしているのか…どうお考えですか?」と端的な質問をぶつけてみた。

会のお開き後のことで時間もなかったので、そのせいもあったのだろうが、武村先生のお答えは「その案件はほとんど私は認知していません。いまここですぐにお答えが出来ないので、早速調べて、電話でご返答いたします・・・」とのお返事だった。

驚いた・・。国籍法の案件って、ことほどさように知らせれていないのだろうか・・・。それとも民主よりのスタンスをお持ちなので、煙に巻かれたのだろうか。

3日後には参議院も通過するかという、緊迫した事態である。さてさて先生のお返事はあるのかなああせあせ

東へ西へ・・・。

一昨日は南都和唱会という集まりで奈良の護国神社に。

昨日は立正佼成会奈良教会発足35周年大会へ橿原市へ。記念公演のミュージカル「火の鳥」を見せていただいた。3回寝ました。ミュージカルはどうも私にはあいませんね。来賓席最上級あつかいの特等席だったのに、ごめんなさい。

今日は大津の三井寺へ。本堂修復の落慶法要に出向です。

今日で一応、東へ西への出張生活が少しお休みになります。

ベストショット!!

先日の東大寺千僧法要を紹介した奈良新聞のHPには私の写真がばっちり!

なかなかよいアングルです。。


http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/nara/news/20081117-OYT8T00755.htm

比叡山の朝・・

昨日は叡山で遅くまで論議が花盛り・・・。

今朝は6時に起きて、根本中堂の朝座勤行に参拝。天気も良くすがすがしい叡山の霊気でした。写真は朝の比叡山山頂。081121_06550001 081121_06550002 081121_07030001

その後、聖護院と京都国立博物館へ出向。博物館では金峯山寺所蔵の金銅経箱を来年の世界遺産登録5周年事業で返却して貰う話しに行き、久しぶりに国宝の経箱3点を拝顔。。その後、時間があったので、展示中の親鸞聖人真筆本「教行信証」などを閲覧させていただく。

夕方、友人のお宅にまわり、先日なくなった父上のお勤めをして、9日ぶりに吉野に帰山。

うーーーーーーーーーん、さすがにこのところの激務にげんなりしています。。

初雪

今朝自坊綾部は初雪でした。さっぶーい朝を迎えています。

今日は午後から比叡山に登ります。武新延暦寺執行の就任祝賀会。スタッドレスタイヤに履き替えなきゃいけないですね。。

叡山も寒いでしょうねえ~。。

東大寺法要大成功!!

Photo なんかちょっと気が抜けたようになっています。

昨日の東大寺法要は素晴らしかったですね。

金峯山寺の青年会が東大寺で大護摩・・・そりゃあ、感慨深いですよ。しかも1300人の僧侶を従えて、ですからねえ。

修験といえば、軽く扱われるのが仏教界の相場でしたが、随分替わってきた…ううん、変えてきた自負もありますね。もちろんまだまでですけど。

東大寺まで、15年かかりました。

実は金峯山寺には青年会はなかったのです。で、平成6年に私が声を挙げて、30人ほどの仲間ではじめたの最初。翌年には全日本仏教青年会に仮加盟・・・そしてその翌年には正式加盟をして、私も副理事長を6年勤めました。

この全日本仏教青年会は本当にまともな会で、40名ほどしか正会員のいないわが会も、何千人もいる真言宗や曹洞宗の会も、対等につき合ってくれ、私もやりがいを感じ、在任中にはたくさんの仕事をさせていただきました。

残念ながら、途中で宗派の宗務総長になってしまい、まだ仕事半ばで引退しましたが、後を弟が継承して関わってくれたので、とうとう理事長を受けるところにまで進み、今回の記念大会という節目の年に大役を担うことになったのです。

東大寺法要はもともとは私の発案でしたので、東大寺の知人にも力添えいただきましたが、それ以上に若い人たちが理事長を支えて、本当によくやってくれていました。

私が描いた法要をはるかに越えて素晴らしい内容だったと思います。

現役でないので、実際はなんにも出来なかったのですが、なんかすごくほっとしたような脱力感を感じています。

でも、まあ、なんちゅうか、私は運がいいですねえ。

とても良い人に巡り会って、そういう良い人との縁がいろんなものを紡いでくれています。

みんな大好き!

そしてみんなありがと♪

東大寺で千名のお坊さんが子供達と一緒に世界の平和を祈ります 

996013013_207 あいかわらず怒濤の日々です。13日から東京行きでした。

14日ー16日とWFB(世界仏教徒連盟)の世界大会が浅草・浅草寺で開催され、それに参加。その間、合間を縫って、NHK出版の編集長や、原書房、五月書房と3件の出版打ち合わせがあり、15日の夕方はチベットの会にも顔を出すなと、結構忙しい日程でした。。16日は大会を失礼して、名古屋の末寺で秋季大祭法要と護摩。昨日夜に奈良に入っています。

そして今日は『奈良東大寺・千僧法要と大護摩供厳修』です。。

浅草寺で行われていたWFBの大会と同時にWFBY(世界仏教徒青年連盟)の世界大会も開催されていたのですが、そのクロージングと全日本仏教青年会の創立30周年を記念して、奈良東大寺を会場に超宗派の千人の僧侶の記念法要と採灯大護摩供が厳修されます。。

私はOBとして来賓参加。

弟が現在全日本仏教青年会(WFBYの日本センターです)の理事長ですので、彼の元、大護摩供が金峯山寺流儀で行われます。7年ほど副理事長として、全日本仏教青年会に関わってきた私としても大変意義深い今日の法要です・・。

法要は奈良新公会堂を12時に出発・・・東大寺大仏殿での法要後、午後1時半くらいには中門前の鏡池横の護摩道場で大護摩供がおこなわれます。よろしければご参拝下さい。またこの御練りには近郊の幼稚園児も参加します。。

詳しくは以下

http://www.jyba.jp/1000-sou.htm

世界平和祈願の護摩木も当日受け付けていますよ。。

特別講義に奈良県立大学へ。。

今日は奈良県立大学で遷都1300年事業特別講義のため、出講する。

遷都事業のキャラ、せんとくんは大嫌いだが、まあそれとこれとは違うので、講義にいくことにした。

奈良県はなにかというと奈良市内ばかりに脚光を浴びさせ、南の方には意識が向かない行政体質がある。奈良市内ばかりを売るから奈良県内に旅行者が宿泊しないのである。奈良だけ見るなら設備のすぐれた京都や大阪に泊まった方がよいってことになるわけである。

だから奈良の夜はしょぼい。客がいないからしょぼいし、しょぼいから客は泊まらない・・・の悪循環である。

ま、ともかく私の講義も少しは奈良県南部を考えていますよっていうエキスキューズなのだろうが、行ってきます。

ちなみにお題は「修験道と金峯山寺」です。

平和の祈りと野中広務

Mrnonaka 今日は久しぶりに吉野でパソコンの前にします。。

11月11日は「平和の祈りの日」っということで、11時から蔵王堂で祈りの護摩を修法します・・・。ただし私は午後から第43回大阪府仏教徒大会に出るため、修法は副住職に任せて、その時間の祈りだけ参加します。

午後の大会のメインは「野中広務vs亀井静香」の講演会です。かなり厳しいスケジュールですが、無理してでも参加したい内容です。野中さんは同郷・・・。綾部の隣町の園部出身ですし、興味津々で出かけます。。

詳しくは以下

http://www.osaka-bukkyo.org/kakukai/hubussei/forum08.htm

富士山世界文化遺産国際シンポジウム

081109_14440001 昨日、富士市での富士山世界文化遺産国際シンポジウム(http://www.city.yamanashi.yamanashi.jp/050/1225242765237.html)を無事終えました。。

これは富士山世界文化遺産登録推進両県合同会議(会長 静岡県知事 石川嘉延)主催による、富士山の世界文化遺産登録への理解の醸成と気運の盛り上げを図るために行われたもので、私は「世界遺産と富士山の象徴性」をテーマにパネルディスカッションに出演しました。

パネリストはクリスティーナ・カメロン氏(モントリオール大学教授、第32回世界遺産委員会議長)とノーラ・ミッチェル氏(バーモント大学准教授)と私。コーディネーターは今回のシンポ出演を指名していただいた旧知の稲葉信子さん(筑波大学大学院教授、静岡県学術委員会委員・イコモス委員)。。女性ばかりの中、出演者唯一の男性が私でした。写真はノーラ女史の講演の模様。。

2時間に及ぶパネルディスカッションでしたが、思いの外、私の発言は受けたようで、呼んで頂いた稲葉先生の期待になんとか応えることができ、ほっとしています。外国のお二人にも絶賛をしていただきました。英語が話せないのが残念でしたけど・・・。

残念といえば、一昨日は富士市随一の富士景観をほこる旅館たちばなに泊めて頂いたのに、昨日は一日曇り空で肝心の富士山はまったく視界の外。。うぅ本当に残念でした。シンポが好評だったので、是非次回呼んで頂けるなら天気のよいときに・・・。

で、夕方にシンポを終えて、大阪へ。巨人のふがいない戦いにがっかりしましたが、昨夜は友人とお初天神で深夜までカラオケ三昧。少し心の凝りがとけました。

今日は大阪で機関誌の編集です。。

ちょー怒濤3日目・・・

今日は午前中に吉野で役員会と本尊供法要を済ませ、午後から松阪市へ。

さきほど末寺の晋山式の用意を終えて、食事をいただき、ホテルに入りました。。

いまのところ、まあ、なんとか乗り切れています手(チョキ)

ちょー怒濤のはじまり!!

ようやく大祭も終わりほっとしたいところですが、実は今日から怒濤の日々が始まります。

今日は午後から八幡市の石清水八幡宮で神仏霊場会の拡大事務局会議。夜に吉野に入ります。6日はたぶん山積しているデスクの仕事が待っていて、午後から来客2件。。7日は役員会と本尊供。終わって午後から松阪に入り、8日の末寺晋山式の準備。8日は本番で、終わって静岡へ移動。9日に富士山麓で行われる、富士山を世界遺産にしようという国際シンポの打ち合わせ。9日本番。その日は京都まで帰って、10日は大阪で機関誌校正。11日は大阪府仏教会主催のシンポに出向。野中広務と亀井静香の講演を聴きに行きます。

12日は奈良県立大学で、遷都1300年事業の特別講座に出向。13日は午前中蔵王堂で講話、午後東京へ移動。夜はNHK出版の編集者や盟友の正木晃先生たちと懇親。14日午前中浅草で、去年と今年行った朝日カルチャーセンターでの鼎談を出版するための打ち合わせ。午後から15日までは浅草寺での世界仏教徒連盟世界大会出向。15日夕方に友人のO氏らと会合。その夜は愛知県の瀬戸市へ。16日はその瀬戸の末寺道場での護摩。終わって奈良へ。

17日は世界仏教徒青年連盟の世界大会クロージングを兼ねた全日本仏教青年会創立30周年記念・東大寺千僧法要出仕。翌日自坊に帰って夜は信者さんの月参り。19日は自坊の護摩。20日は比叡山でH氏の執行職就任祝賀会で比叡山泊まり。翌日21日は京都聖護院で来年の熊野大護摩供の件で訪問。22日は南都和唱会という県内の有志懇親会出席のため奈良護国神社へ。23日は立正コウ成会奈良教会35周年記念イベントに出向。24日は大津三井寺での落慶法要出向・・・まだまだ続きます。

25日は吉野で前登志夫先生の歌碑建立式典。唯一26日はなにもなく3日ほど吉野にいますが、この怒濤の日々の間を縫って、毎月の機関誌の原稿書きと宗報の編集があります。あ、喪中葉書の準備もしなくっちゃ。前先生の記念歌集も出さないと行けないし・・・。

27日は愛染堂の大祭で、28日が部長会。29日30日は教師補任護身法加行会ですが、29日はお休みして、日帰りで伊勢神宮で伊勢国際宗教者フォーラム出向。30日は護身法加行会。1日2日はクラブツーリズムの講話。終わって自坊へ帰り、3日は護摩。4日は熊野入り。5日は朝から熊野新宮大社で、世界遺産5周年を記念して発足を目指している「紀伊山地の霊場と参詣道・三霊場協力会」の第一回準備打合会。終わって再び京都に戻り、長男の大学推薦入学の入試テストため京都前泊(…この約束をすっかり忘れていたので熊野に行き帰りするという過酷なスケジュールを入れてしまって大失敗)。6日は入試につき合った後、午後から吉野で、弟子の結婚式の戒師をする。7日得度式と役員会。3人ほど新たにお弟子が誕生します。8,9日は沖縄行き。非法人寺院の許可伝達式に出向・・・ってなんかもう物凄いことになっています。たぶんここに書いていないことでもいくつかの約束があったような・・。

うっかり風邪も引いてられない一ヶ月ですが、そんな、ちょー怒濤の日々が今日から幕開けです。

自坊の35周年無事終了・・・今日は伊勢エビ!

35周年大祭、無事終わりました。

幸い天気も良く、また思う以上にたくさんの方々にお参りをいただき、なんとか35周年の面目は保てました。

おもえば平成9年頃から、徐々に父の代から私の代に代替わりが行われてきて、ほぼ父の財産を食いつぶす時期にまで来ていました。参拝も毎年1~2割減少するという大変心細い中でしたが、今年はホントにたくさんの方々に参拝頂き、120名を越える人々で、賑わい、盛会に行えました。

準備の段階から、たくさんのお弟子さんに集合頂き、またネットの友人さんなどにも遠路ご参拝をいただきました。

今日はその後かたづけでした。祝賀会の席の支払いや、お札送りに一日忙殺されました。

夜は和歌山からいただいたい「伊勢エビ」の踊り食いで改めてお祝いをさせて頂きました。肝心の大祭の写真はアップできませんでしたが、伊勢エビをアップしておきます。

なには081104_19100002 ともあれ、大変大変、疲れましたが、よい大祭を済ませることが出来ました。

多くの人々に感謝です。

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