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タケノコ三本

090430_09210001 090430_10130001 今日も朝から大変いい天気。タケノコ堀日和である???

この間一本もなかったので、リベンジを果たすべく、再度竹藪へ行く。

しかし今年は不作のようで、ほとんど大きくなったタケノコが見あたらない。目を皿のようにして、竹藪を這いずり回ってなんとか3本だけゲット。まあ収穫があっただけ幸いとしたい。

あまり小さいものなので、お昼にはスーパーに買い足しに行って、今日はささやかなタケノコ三昧である。

4月29日

4月29日はみどりの日でも、昭和の日でも、まして昭和天皇のお誕生日でもなく、田中家にとっては奥様ご生誕の日。

この日は彼女のお祝いに相応しい一日を心掛けるのが夫婦円満の秘訣。

あいにく末寺の大祭法要がこの日になり、かなり機嫌が悪かったけれど、法要後大阪で食事でもしようかと誘って、機嫌を取りなす。。

プレジデント千房という、高級志向のお好み焼きに行きたいというので、宗右衛門町にあるプレジデント千房南店に行く。

千房お好み焼きと海鮮焼きそばと阿波尾鳥の鉄板焼きと海老マヨ焼きをご馳走させて頂いた。千房というのはたくさんチェーン店展開を全国にしている大阪のお好み焼き屋だが、プレジデント店は5軒しかなく、ちょっとした鉄板焼き風の店構えで、なかなか高級店の雰囲気である。だいたい世間の鉄板焼きって、昼間のサービスメニューはさることながら、夜のメニューとなるととても庶民には入りにくい金額の店が多いが、鉄板焼きといっても所詮ここはお好み焼きなので、まあまあ店構えにしてはリーズナブルであった。

今日は彼女のお誕生日で来ましたっと目の前で鉄板焼きをしてくれていう日高さんというコックさんに話をすると、食べ終わった最後に、注文もしていないのにデザートを彼女にプレゼントしてくれた(写真)。

こういうちょっとしたサービスはとても嬉しいものである。

家内はこれでちょー上機嫌な一日となり、例年にない、とても穏やかなお誕生日を過ごすことが出来たミナミの一夜だった。

是非一度プレジデント千房南店に行って下さい。日高さんの前で、お誕生日っていうと、デザートがサービスされるかもしれませんよ。090429_195801

いままでこのお店には2回行ったことがあったが、昨日ですっかり私のお気にの店になった。

明日のことを思い煩うなかれ!

まだ来ぬ明日のことを思い煩うなかれ!

過ぎ去りし昨日のことを悔やむなかれ!

覿面の今を生きましょう!・・・みんな大好き!!

鎖国しよう!!

■新型インフル発生を宣言=舛添厚労相「冷静な対応を」 世界保健機関(WHO)が豚インフルエンザの警戒レベルをフェーズ4に引き上げたことを受け、厚生労働省は28日、新型インフルエンザが発生したと宣言した。舛添要一厚労相は「正確な情報に基づき、冷静な対応を」とするコメントを発表した。(時事通信)

http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/swine_flu_in_japan/?1240871632

今朝、朝ズバで見てました。

マスゴミはどうも鈍い・・・まあむやみに煽ってパニクッてもいけないので、表面はあれくらいの鈍さでもよいのかもしれないけど。

でも政府の対応を支援して、爆発感染が治まるまで、少々経済が崩壊しても、鎖国くらいする覚悟を国民に促してもよいのでは。

パンデミックを起こしたら、その被害たるやもう目を覆うようなことなんだからさぁ。

怖いなあ。。

ちなみにすでに人から人へ感染してるから、もう豚インフルエンザではなく新型インフルエンザなんだってねえ。

泣いた。

昨日不覚にも泣いてしまった。

前に書いた「師」のことを思い、泣いてしまった。泣きながらでないと話せなかった。その場にいた何人かもつられて泣いていた。

誰にもわからない苦悩が泣かせたのかも知れない。

格好悪かったけど、どうしても泣かずには話が出来ないときだってある。

誰にもまねが出来ない生き様がある。

寒い

桜満開の時期は毎日25度前後もあって暑いくらいの吉野山だったのに、23日から急に寒くなってきて、朝夕冷え込んでいる。13~15度くらいなのだろうが、夏日のような日が続いて、すっかり身体が馴れていたので、ここ数日は寒くて寒くて。

へんな気候である。

今日は27日で愛染明王様の御縁日。

早朝から一座愛染供養法を修したが、ちょっと身体が冷えた。

その分引き締まって今月の修法が出来たのでした。

オンマカラギャバシロシャニシャバサラサタバジャウンバンコ…な~む~。

上堂終了!!

ブログに書きましたとおり、24日から私どもの201支局・上堂奉仕行が始まり、今日で2泊3日が終わりました。
一門の弟子を中心にBBさんなどご縁のあった方も参加していただき、有意義な時間を過ごしていただきました。一門にとって大きな一歩だったのです。

実は今回の上堂修行は私自身の大きな思いがありましたので、たとえ半日でも、わざわざ忙しい仕事や都合をつけて、万難を排してきていただくことに大きな意義を思っています。ご縁です。縁なき衆生は救いがたしと、仏教ではいいます。その試金石でもありました。

このご縁から始めていきたいと思っています。
お疲れさまでした。。

再放送「救おう千年の桜」

Kn20090316112940373l2 今日の夜0時15分から1時07分まで、NHK教育放送で、先日3月28日にBS2で放送されたBSフォーラム「救おう千年の桜・吉野フォーラムin奈良」が再放送されます。

見逃した方は是非ご覧下さい。

私もパネルディスカッション第三部にちょこっと出ております。
エアチェックしてください。

救おう千年の桜・吉野フォーラムin奈良」記事
   ↓
http://osaka.yomiuri.co.jp/sakura/yoshino/20090325kn06.htm

なお今年の吉野山の桜を取材した6チャンネル(関西はね…)「素敵な宇宙船地球号」も今日の午後11時の放送です。 2人の桜守の爺さんがメインで、私は映りませんが…。

併せてどうぞ。。

今日は神仏霊場会

今日は午後から京都の聖護院で神仏霊場会の教学委員会が開催されます。

一応今日で公式HPのガイドラインができあがるものと思います。詳細は明日にでも発表できるかと思います。乞うご期待!

ともかく行ってきます。

今日から上堂奉仕行

今日から私どもの201支局・上堂奉仕行が始まっています。

当初14人の参加予定でしたが、ドタキャンもあり、12名でお勤めいただいています。

このブログの常連である優婆塞BBさんはじめ博治さんや弟子の利楓さんも遠路来てくれています。

さてさて・・・・。

紀伊山地三霊場会議が発足!!

おとといのブログでも書きましたように、昨日、紀伊山地三霊場会議が発足しました。

高野山の松長猊下以下、14登録寺社から12寺社20名が出席され、また会議に先立っては、以前から親しくさせていただいている稲葉信子日本イコモス委員・筑波大教授に、発足に向けての提言スピーチをいただき、有意義なうちに発足の会を終えることが出来ました。

世界遺産が持っている世界に向けての情報発信力ということを改めて自覚出来ました。

まだ具体的な事業などはこれからの積み上げではありますけれど、今年秋の吉野山での事業を皮切りに、三霊場のネットワーク提携が新しく展開できるところとなりました。

某新聞社に答えた私のコメント:世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の三霊場は遺産というより、まさに日本人の信仰心の生きた霊場であり、活産である。今回その三霊場の指定保持者であるお寺と神社がともに、霊場の保持と発展のために手を携え合う意義はとても大きいと自負している。

なお読売新聞の今朝の朝刊関西面にも発足式が紹介されています。

http://osaka.yomiuri.co.jp/news/20090424-OYO1T00486.htm?from=main2

今日明日は大阪

今日明日は大阪です。

今日は東大阪で末寺のお祝い法要、明日は私が昨年から仕込んできた「紀伊山地三霊場会議」の第一回全体会議・発足会議を天王寺都ホテルで開催します。高野山の松長管長猊下をはじめ本宮・新宮の宮司など、三霊場の重鎮に集まっていただけることになりました。

また詳しくは報告します。

最近ですねえ・・・

なんか、このブログのアクセス数が増えています。うん、ちょっと嬉しいかも…。

結構まじめに更新をしているせいもあるのかもしれませんが、新規のお客??さまも増えているようで・・・♪

神仏霊場会の発足時に、ふだん50~60人の訪問者で大体100~120のアクセス数だったのがいきなり2000近いアクセス数になって驚きましたが、その後、またふだんどおりになっていたのに、今月に入り、倍以上に増えています。昨日は150人位の方が訪れていただいて、アクセス数が300近くありました。

なんかねえ、やる気が出てきますよね。

ミクシイでの訪問者分を含めると、結構な数の人々に来て頂いているわけで励みになります。大したことも書いてないのに、ホント、ご愛読、ありがとうございます。m(_ _)m。。

4月26日 素敵な宇宙船地球号 「日本こころの百景」

日本一と詠われる桜の名所・吉野山には、1300年もの長い間、日本古来のヤマザクラが御神木として植えられ続けてきた。3万本もの桜が咲き誇るその姿は、荘厳さと優美さを感じる・・・3月の終わりから、桜の一番いい時期まで今年の吉野山で取材した「素敵な宇宙船地球号」が4月26日午後11時から6チャンネル(関西はね…)放送されます。 2人の桜守の爺さんがテーマですので、私は映りませんが…。

ただ、最近の私の講演でよく使っていてどこでも好評を得ている160年前に刊行された「大日本永代節用無尽蔵」という江戸期の百科事典の、口絵を飾る吉野山の眺望図が紹介されるようです。これは私が4,5年前に新幹線の「ひととき」という雑誌で読んだ随筆で知って入手した愛蔵の古書なのですが、当時は日本を代表する景観として富士山と吉野山の桜の図が必ず巻頭の口絵を飾っていたということです。

わざわざこの節用集だけを撮影に、事務所にテレビ局が来ました。私の替わりに出演しています。ぜひご覧下さい。

http://www.tv-asahi.co.jp/earth

名医 2

・・・そんなわけで今日は尾口皮膚科に子供を連れて行ったのだが、折角行くから「あんたも水虫を見て貰え!」と家内に命令をされた。

水虫なんかでいちいち医者になんかかかっちゃいられないのだが、まあ、付き添いで診察室に入るのだから、ついでにと、以前もみてもらったこともあり、今回も受けた。この時期、そろそろ水虫が活躍をはじめだしたいたし…。

「あ、ほらここにいますよ、自分の目で見て下さい。」と名医がいう。私の水虫の部分を削いだ皮膚を顕微鏡でみせてくれたのである。たしかに芋虫のような、アメーバーのようなものがいくつも散見した。

それで息子のお薬と一緒に、水虫薬も頂戴した。ルリコンという軟膏である。薬代は4本で1000円だったが、家に帰って調べると市販価格は1本1800円。まあほんとに水虫で医者にかかるやつはそういないだろうが、水虫薬って買うと高いんですよね。

保険料削減のためにあまり水虫などで医者にかかるのは国賊かもしれませんが、今日はなんかちょっと儲かったような気がしました。

名医

今年5歳になった一番下の子は生まれてからすごいアトピーに苦しんだ。特に1歳を過ぎてからはもう顔中がずるずるに皮膚が破れ、身体も背中といわず、腹といわず、そこら中全身に湿疹が出て、本当に可哀想だった。

一ヶ月に何度も、アトピーに効くという温泉巡りをしたり、いろいろ試みたがあまり効果はなく、日ごとに悪くなっていった。

2歳になる年のお正月に、結婚記念日を兼ねて、家内と息子の三人で有馬温泉に080901_18490001 アトピー旅行をした。そのとき、ホテルの仲居さんがあまりにひどい息子の症状を見て、自分もかかっていたという宝塚の皮膚科の名医を紹介してくれた。

早速チェックアウト後に宝塚に向かい、その名医を訪ねたのである。聞きしにまさる混みようで、診察券を出して、実際に見て貰うまで、5、6時間は待たなければならない混雑ぶり。信じられないほどの混みようで、普通はそんなところはお断りが信条の私であるが、でも我が子のためだと、根気よく待って診察を受けたのだった。

今でも覚えているが、息子はふだん身体を触らせないのに、初対面にもかかわらず、先生にはむずがることなく診察をさせ、先生の指示で看護士さんが薬を塗ってくれると、なんとすやすやと眠ってしまった。

「田中さん。家が燃えているときどうしますか?消防車を呼んで、消しますよね。この子のアトピー性皮膚炎もいわば火事なんですよ。炎症って皮膚が火事だってことでしょ。だったらまず消してやらないと」といって少しきつめのステロイドを処方していただいた。ステロイドってどうなの?って思っていたが、「少しきつめでもまず先に消してあげた方がかえってステロイドを使う量が少なくて済むし、ともかく消さないと治療もできないのですよ。消したらあとは子供の成長に合わせてじっくりと治してあげればよいのですから・・・」と先生に叱られたことが今も脳裏を離れない。どんなに混んでいてもきちんとお話しをしてくれ、丁寧に薬の使い方を説明をしてくれたのだった。まちがいなく、名医であった。

それから毎月、あの大混雑の治療院に1年半ほどは足繁く通って、おかげですっかりアトピーが治っている。今では2,3ヶ月に一度行くか行かないかくらいでほとんどアトピーの心配がなくなった。

もう情けないくらいアトピーに苦しむ息子に立ちつくしていたあの頃が懐かしく思えるが、これも、かの名医の御陰である。

今日、2ヶ月ぶりに名医を訪ねる。

毎日毎日、朝の8時頃から途中ほとんど休憩をとることなく、昼の食事すら3時を廻ってしか取らず、夜は11時12090421_14070001 時までがむしゃらに患者をこなしている尾口先生。私はいつも頭が下がる思いでこの先生のことを尊敬し、感謝している。

「桂三枝一座がやってきた」…リサーチ編

Ind_photo 10日ほど前にNHKエンタープライズのディレクターMさんから電話がかかってきて、取材したいという。吉野にいるといろいろその手のお申し出があるので、えらそうにいうわけではないが、まあ私にとってはあまり珍しくもない電話なのだが、この電話、かなり珍しいものだった。

というのは金峯山寺の私ではなく、林南院の私あてに電話があったからだ。

いわくNHKBS2のレギュラー番組「桂三枝一座がやってきた」が6月に綾部市に来るらしく、番組的に、綾部の修験について、リサーチ取材をしたいという、申し出であった。

拙著「はじめての修験道」も読んでくれた上で、綾部の私に会いたいという申し出であったから、やはり、珍しい。番組では桂三枝さんが各地に出向いて、その地方の題材を元に創作落語を番組中に披露するのだが、その題材の一つとして、綾部市内の修験信仰にスポットを当てたいという、M氏の意向だった。

で、今日の午後に約束をして、Mさんは東京からやってきた。妙齢のキャリアウーマンって感じの美人ディレクターさんだった。

だからってわけではないが、1時間40分くらいは話したろうか…。

結局、彼女が期待するような地元の山伏講に紹介出来るような適当なのが思い浮かばず、かといって、私ではいかにも吉野の顔のイメージが強く、綾部という地元向きじゃないっていうこともあって、彼女の思いには添えない結果となった。桂三枝さんも私のプロフィールを見て、吉野の人ですよねえ、って感じであまり乗り気ではなかったようなことだったから、まあ致し方がない。

でも取材的な話だけではなく、彼女自身の思いも含めて、いろいろ話が弾んだ。本を見て、修験そのものにかなり興味があったみたいで、会って直接、話を聞きたかったようなことだった。 まあ光栄な話ではある。

番組収録は6月18日なので、その日はたまさか綾部にいて空いているから、私的には出てもよいかなあとも思ったりしたのだが・・・・。

出たがりの性分はなかなか治らないなあ。

収録の公演には見に行こうかなあと思っている。司会の相田翔子にも会いたいし…。

番組公式サイト http://www.nhk.or.jp/sanshi/

高城山登拝…奥駈前行4

090420_09220002 090420_09220003 090420_09450001 今日も朝からいい天気だったので、綾部市位田町の高城山に登った。もちろん、奥駈の前行としてである。

標高212米の高城山は以前から位田町の道路脇に「高城山登山口」という看板がひときわ目立って立っていて、その看板に気を引かれ、一度登ろうと思っていた。

この山は、戦国期に「位田の乱」があって地侍の荻野氏・大槻氏が守護代・上原元秀等に抗して攻められ1年近く持ち堪えたが落城した歴史が有る位田城の古戦場でもある。

午前9時。車を道沿いの空き地において、いざ出発。民家を数軒こえてほそい路地を道しるべに導かれるまま登る。竹藪と墓地をすぎれば登山道となる。ただこの道、かなりきつい勾配である。そうそう…大峯で言うならば、南奥駈道の笠捨山を順峯で登るような急坂である。ふーふーいいながら一気に登った。15分足らずの距離であるが、きつかったこときつかったこと。

山頂にはなにもなく、ひっそりとしていたが、綾部盆地が一望に見え、眺望は抜群であった。

下りは転げるようにして降りたけれど、かなりあぶない登山道だ。

山頂で古戦場供養にと般若心経一巻を読誦して、少々休憩もいれたので、往復40分ほど要したが、びっしょり全身汗だくとなった。

陽水な夜2…師を思う

昨日のブログにも少し書いたとおり、一昨夜、井上揚水氏の透き通るような異次元的な歌声を聞きながら、私は全く別な世界で、深く自分の人生を考えていた。

・・・私には人生の師が3人いる。

一人は8年前に亡くなった実父。父であり、この修験の道に導いた師僧である。父の元に生まれてきてよかったと思っている。
もう一人は龍谷大学以来、ずっと師事しているA博士。大学での出会いがご縁で、師に一生、師事出来る幸せはとてつもなく大きいことで、私にとって、今でも会うたびに示唆に富んだアドバイスと慈愛をいただける関係には私自身の運の良さを自覚させてくれる。ホントに、私の人生にかけがえのない恩師である。
そして最後の一人は、高校1年生のときからそばで随身をさせていただいていた、今の師である。まるで父に対するような心持ちで38年、仕えさせていただいている。まあ仕えるといっても、それほど従順じゃないし、言うことをきかない、師には到底弟子とは思えないような、きっと不出来な人間に違いないが…。

その師が今、重い病床にある。その病床で、私はこのところ行くたびにすごく感動するのだ。師はその病床において「吉野修験の究極は蔵王一仏信仰である」と宣言された。私にとってこれは本当に感動する一言だったのである。

かねてより、私が密かに理想とする生き方は、『往生要集』を著した恵心僧都源信和尚である。

源信和尚の何を理想とするのか…というと、和尚最晩年の著作に『一乗要訣』という本がある。この『一乗要訣』の中で和尚は「一乗仏教を極めて、最後は阿弥陀を祈る」という一言を残されている。この文章に接したとき、「私もいづれはかくありたい」と願い続けるところとなった。

私はいつまでもへなちょこの山伏のままで、まともな修行もなかなか出来ないでいる、ほんとに不具合な、出来損ないの修験な僧侶である。それは一番私が知っている。でも、とめどなく生まれ続ける煩悩と、哀しいくらいに猥雑な日々に追われながらも、僧侶として縁をいただいた以上は「見性」(悟り)を得たいし、どこかで、いつか、きっと、信仰的安心を獲得したいと願っている。

もちろん源信和尚のように優秀でないが、でも、修験信仰のご縁の中で、さまざまな関わり合いを経た結果、源信僧都とまではいかないまでも、いつかは、なにか源信和尚のような「最後は阿弥陀を祈る」と言い切れる、信仰的境地を得たいと思っているのである。

だから、先日来、病床の師のもとにいき「蔵王一仏」信仰を聴くたびに、まさに師は修験信仰を極めて、ついに、源信和尚の境地に到達されているんだと身震いするような思いで、この言葉を聴かせて頂いているのだ。

この私の思いは、まだ師には伝えていない。でも、コンサート会場に舞い降りた陽水氏の透き通るような歌声を聞きながら、妙に頭が冴えて、「この思い」を師に伝えなくてはと、そのことばかりが何度も心の中に繰り返されたのであった。

師とはここ数年、少し距離があった。その全ては私自身のせいだとわかっていたが、病床にある師の言葉を聞いて、その距離は私の中で一瞬に埋まっている。それほどの感動だったのであるが、それをちゃんと師に言わなくてはいけない!ということを、この夜の陽水氏の歌は私の心に教えてくれたのだった。

もちろん、陽水氏はそんなこと知るよしもないし、知ったこっちゃないだろう。でも私にとっては、そんな感動の、陽水な夜であった。

井上陽水な夜

昨夜、奈良の100年会館で行われた井上陽水のコンサートに久しぶりにコンサートへ行った。

前にいったのはもう5,6年も前になるかもしれない。

4月18日の奈良公演は以前からコミュ情報で知っていたが、迷っている内にチケット販売も終わっていて、行けないなあと思っていたところ、一人で行くつもりでお母さんがチケットを買ったけれど行けなくなったので、欲しい人を捜しているRさんという人をネット情報で知り、譲り受けたのだった。

一人でコンサートへ行くっていうほど陽水オタクでもないので(結構男女ともそういう淋しげな一人の客がいましたが…)、ちょっと気恥ずかしいところもあり、会場ではもぞもぞしていたら、奈良県庁で一番親しい(元自称ロッカーの)T氏が来ていて、私の姿をめざとく見つけ、声を掛けてくれた。奥さんと妹夫妻を連れ立ってきていた。奥さんとも親しいので、席は少し離れたところだったが、始まるまではいろいろしゃべって、なんとなくほっとした。

私の席はRさんからいい席だと聞いていたとおり、前から10列目の、陽水が間近によく見える今まで行った中でも一番いい席で、じっくり陽水を堪能出来た。隣の席が二つ最後まで空いていて、ほんとにゆったりじっくり出来た。100年会館はステージに出たことはあるが、大ホールで客となったのは初めてで、音響はイマイチだが、なかなかゆったりとしたよい客席であった。

この2,3月にはいろんなことがあり、4月に入っても、頭がパンクしそうな毎日を過ごしていたので、久しぶりに脳内のエントロピーが整理されたような気がした。

陽水さんは今年デビュー40周年。私は高校1年の頃から聞いているので、38年間くらいは陽水の音楽と共にあった。彼の曲の95パーセントは知っている。もちろんアルバムは全部持っているし、ベスト版も何枚かある。この夜のナンバーもほとんど馴染み親しい曲ばかりで、あっという間の2時間半だった。

ただちょっと大人の観客のせいか(みんな陽水とともに歳をとったってことだろうが…)乗りの悪いコンサートだったかもしれない。まあじっくり聴いているってことでもあるのだが・・・。

陽水も曲間のトークで、「みんな、いかがお過ごしですか?」と陽水独特のシャイな言い方で、乗りの悪さを2回も繰り返していたが、その辺もどうも反応が鈍かった。「割れんばかりの拍手をありがとう…」とも言っていたが、あれもなんか乗りの悪さを揶揄してるように私には聞こえた。

アンコールに入ってようやく手拍子が会場にわき起こり、2曲ほどは総立ちになった。まあ、じっくり聴けたとはいえ、少々陽水さんに悪いなあという感じの乗りだったかな。

そんなわけで、確かにじっくり聴けた。・・・我が身をふり返り、陽水の歌声に合わせて、いろいろ考えた、陽水な一日だった。

「40年なんて、長いと言えば長いですが、でも、あっという間ですね」と陽水はなんども語っていたが、私にとってのこの40年も長いと言えば長く、そしてあっという間で、その40年が今の私を私たらしめていると思うと、深い40年である。

いづれにしてもチケットを譲ってくれたRさんに感謝した陽水な一日だった。

一人のコンサートはやはりちょっと淋しさは否めない。でも、いろいろ考えることが出来たのは陽水の声と090418_17300002 曲の深さかもしれない。

一人での陽水な一夜は結構嵌るかも・・・。

今日は観音様

月の18日は観音様のご縁日。

私が総長職になって、金峯山寺の観音堂の大祭を始めた。今年で8年目。

4月18日が観音堂の大祭日である。

大般若経の転読法会を行っている。午後1時から。

名残の桜と深緑の吉野山においでいただいた方は、是非、お参り下さい。

観音さまの御利益は抜苦与樂。苦しみを抜き去って、楽しみを与えるという有り難い慈悲の菩薩様です。施無畏者とも呼ばれます。恐怖や畏れを取り除いていただける御利益もおもちです。アンアロリキャソワカ!南無観!

ヨガ・アロマの夜

毎月一回だけ、夜にヨガ教室を開いていただいている。

本宗教師のU女史が大阪から来て、寺内の学僧や職員の、いわば予防医療として、身体ほぐしをやっていただく。

3年ほど前にしばらくヨガ教室としてやって貰っていたが、学僧が少なくなったので、一時、中断していて、昨年末くらいから復活した。

このU女史はなかなかの先生で、若い頃、身体が弱かったのを克服しようとヨガに通い出し、その道を会得した。その後もいろいろ勉強をし続けいて、ヨガだけではなく、禅密功や野口式整体・活元など、そのフィールドはとても広い。

おとといの夜も彼女を招いて、身体ほぐしをしてもらった。復活して、しばらくはヨガだけではなく、禅密功や活元なども取り入れて教室が行われていたが、この春からはアロマテラピーのリラクゼーションをやっていただいている。

今は毎日奉仕行にたくさんの方が宿泊されているので、おとといはそういう上堂者も一緒に受けて貰ったので、たくさんの受講者で賑わった。

やっぱたまにはこういう風に自分の身体を癒してやることは大事である。身体かちかちの私であるが、アロマの効果も含めて、すっかり090415_18400001 嵌っている。

吉野山桜情報…最終回

090416_08100001 090416_13380001 14日の大雨で奥千本以外の桜は、下も中も上千本もすっかり吉野山も葉桜。

でも本坊の庭のうこん桜は雨にもめげず、今が満開。咲き出した頃白い花だった花弁がピンクに淡く色づいてきて、可憐な佇まいを醸し出しています。

ご照覧あれ。。

雨のラブワゴン

昨日は町中でよく、あやバスを見かけた。まさにあの色使いはラブワゴンですよね。

雨の中でもひときわ目立つ。可笑しいくらいです。

昨日の雨はほんとよく降ってうっとおしかったですが、ラブワゴンぽいあやバスに出会うたびになんかほっとしました。

綾部市内を巡回している090414_12090001 090414_12080001 あやバスは何種類かあるようで、大型バスのあやバスもあの色使いです。

5歳のこどもが、あれに乗りたい!って言ってますが、わかる気がします。

奥駈前行3…タケノコ堀!

今日は雨。雨。雨。。

午前中、母の病院行きにつき合い、ずっと市民病院の中で、時間待ちをしていた。病院ってなんであんなに患者に優しくないんだろう。

で、午後は雨の中、奥駈の前行がわりに、山の中にある田中家の竹藪にタケノコ堀に歩いて出かける。田中家の竹藪というと、どんなすごいところだろうと思われるが、孟宗竹が生え混む物凄い山間のどうしようもない土地である。祖父の代の登記のままになっていて、所属も今や怪しい竹藪。父が年寄ってからは10年以上誰も行かなかったので、ものすごい荒れた竹藪になり、今はタケノコ堀に2,3度行くが、もう手の施し用がないほど荒れている。でもここのタケノコは抜群に美味しいのだ。

さて、ふだんだと近くまで来るまで行くのだが、前行替わりだからひたすら歩き。

で、結果は前行だけ、したことになった。タケノコはまだ一本も生えていなかったでーーす。たぶん長く続いた好天のせいだろう。

今日の雨で「雨後のタケノコ」っていうくらいだから明日以降にょきにょき生えるに違いない。でも明日からは留守になる。私以外は誰も行けないような荒れた山なので、取りに行ってもらえそうにないから、たぶん猪さんの朝ご飯にされてしまうのだろうなあ・・・。

という、奥駈前行~その3でした。

*ちなみに写真は一昨年取070502_123901 ったときのもの

はじめての御弁当

4月12日は一番下の子の5歳の誕生日。
そして、一夜あけて、昨日は初めての幼稚園御弁当の日でした。全部食べられました。食の細い子なので心配していたのですが、よく頑張りました。

単身赴任17年目。親はなくとも子は育つ、090413_064201 090413_08150001 そのものですねえ。

写真ははじめての御弁当と桜の下での記念写真。入園式に撮らなかったので昨日撮りましたが、残念ながら、満開だった桜もすっかり散ってました。

弥仙山登拝②

090413_09210001 090413_10090001 090413_09550002 お滝場から登山道にもどり、古い石段が続く中をいくと、10分足らずで於成神社へ到着する。

ここでも般若心経一巻。ふかぶかと御霊に参拝する。

この地も大本開祖の修行事績の碑がある。
明治36年(1903年)に山頂で開祖出口なおや王仁三郎ほか役員らにより岩戸開きの神事が行われたが、その60周年を記念して昭和38年建立の石碑が於成神社の脇に立っていた。

於成神社を越え、更に山道を進む。かなり峻険な登り坂である。ふだんの運動不足がたたって、足は進まないし、息は上がる。とてもこの調子では奥駈はおぼつかないなあ…いささか不安な気持ちがわき上がってきたが、弱気を押さえ込んで、山頂を目指す。

ものの25分も歩いただろうか。ようやく山頂が見えてきた。

急な坂を上りきるといきなり金峯神社の社殿が目の前に現れる。たすかった…と思わず本音が。於成神社から坂道はホント辛かったです。

般若心経一巻と蔵王権現の御真言を唱える。きっと明治の廃仏毀釈神仏分離までは蔵王権現様の鎮座する礼堂だったはずで、そういう意味ではきっと私の登拝を喜んで頂いていることだろう。

これをきっかけに…なにかお役に立たなければと思いながら、勤行を終えた。

登山口から約1時間20分。勤行などを各所でするから、正味の山行は1時間くらいだろう。丁度いい行程かも知れない。

すっかり廃れてしまった修験信仰であるが、吉野の本家本元で執行長を勤める私だからこそ、出来るなにかがあるのかもしれないと思ったりした。

まあまずは今年の奥駈を無事に済ませることだけれど。

山頂は実に気持ちがよかった。丹波の山々を360度見回せる絶景。霊山に相応しい霊地然とした雰囲気である。

祠の横に由緒書きが用意されている。ご自由にどうぞ…ということなので一枚頂戴した。HPに書かれていた由緒はこの由緒書きを写したものであった。ただ蔵王権信仰や吉野修験のことがあまり理解されていないようなのでものたりない内容だった。

しばらくその清々しい霊域に佇んで、過去の行者さんたちのことなどさまざまに思いを巡らした。

そして、もときた道を下山。下りは35分ほどで下りきった。

途中、改心の道というコース表示があり、その道を40分ほど探索に行ったので(どうもかなりの大回りで3倍ほど時間がかかりそうだったから途中で引き返した)、実際には約3時間ちかく歩くことになったが、奥駈前行には相応しい一日であった。

弥仙山登拝…奥駈前行2

来月に迫った奥駈に向けて、このところ、前行を怠惰な身体に課している。今日は前回の井根山よりかなり本格的な前行の登拝修行をすることにした。

目指すは弥仙山。この山は綾部市と舞鶴市の境にある標高664メートルの霊山で、古くより「丹波富士」とも呼ばれ、丹波の国の名山としても有名である。しかも修験の霊山である。

弥仙山:推古天皇の白鳳年間・天武天皇大宝年間、役の行者小角が入山修行の道場古跡、僧の行基は入山の事跡あり。又、上杉施福寺、西照寺、口上林十根、東照寺等の開基は、弥仙山を奥の院として建立したるものにして、金峰山には釈迦・文殊・普賢の三尊を奉安し、金峰山大権現と尊称し女人禁制であった。この時代、登山者は数回の川水禊をなし、白衣を着し、峰伝いに登山する者絶えること無しという。~於与岐町ホームページより

この山は私の地元の山である。私の生家は綾部の中でも西八田地区にある。弥仙山は隣の東八田地区なので、地元といっても、ふだん滅多にのぼることがないが、中学校は両地区が合同になって、東八田地区の八田中学に進むため、中学時代の遠足ではかならず弥仙山に一度はのぼらされる。もうはるか30年になろうかという昔の話だから、弥仙山登山の細かな思い出はなにもないが、のぼったという記憶だけはしっかりと残っている。

しかもこの弥仙山は吉野との関係が深い。役行者の開山伝説を持ち、蔵王権現(金峯山権現)が祀られていた修験道の山なのである。明治の廃仏毀釈と権現信仰の禁止で他の全国の修験霊山同様に大きな変容を遂げているが、今でも山麓には水分神社、山頂には金峯神社が祀られ、吉野修験の影響を垣間見る。もちろん中学生時代の私は知るよしもないが、大人になって金峯山寺に入寺してから、あらためて弥仙山のことを知り、いつか登ろうと思っていた。

ただもともと山修行がそんなに好きなわけじゃないし、大峯奥駈の大先達を担っているとはいえ、山登りなどは修行の時以外は絶対にいかない人なので、長年の宿願をはたさぬまま、50の齢を越えたのであった。

故郷綾部の蔵王権現信仰の山である。今にして登拝することに大きな意味があるのだとある種の思い入れを以て、いよいよ入山する。家を8時10分に車で出て、弥仙山の登山口・於与岐町に向かう。ものすごい山間の田舎である。 8時30分着。車を置いて、いざ入山開始。

少し行くと水分神社が登山道の左脇に見る。般若心経一巻を唱え、更に山へ。車が通れる車幅の道を少し行くと、弥仙山登山道と書いた表示にそって、右脇の谷川を丸木橋で渡り、山道へ入る。修行道らしくなってきた。折からの天候の良さと、気候の気持ちよさが新入山の私を心地よく迎えてくれて、山行は順調である。ウグイスや野鳥のさえずりも気持ちいい。

水分神社から約20分ほど登ると、道の脇に高札が見えた。

「大本開祖 修業の滝」と書かれている。

ここ弥仙山は綾部が生んだ偉人出口なおの出身地で、なおは大本教開教以前にここ弥仙山中腹のお滝馬で修行をしたという。その行所の滝がここであった。
090413_08360001 090413_08390002 090413_09030001 090413_09060003

吉野山桜情報…9 うこん桜が咲きました

今年の桜は見事でした。

でもどこか異常気象…3月中旬から気温が高く、3月25日くらいに開花して、そのあと、急に寒くなり、2日ほどは雪も降ったようなことで花は凍結。そして4月上旬からは好天がつづき、下千本、中・上千本が一度に咲いて、長く見頃が続いています。

今日も上天気の様子。明日以降、雨が予想されているので、さすがの花も今日が最後になるかも知れませんね。

花供会式の大名行列も、花吹雪が舞い、素晴らしい行事になりましたが、今日の吉野山は全山の谷々を花吹雪が舞い上がり舞い落ちる美しい一日になるでしょう。

で、本坊のうこん桜*が咲きました。

実はこのうこん桜は吉野山全山の桜が散ってから咲き始めるので、名残の桜を楽しみに来た観光客さんにも喜ばれるので090412_15030002 すが、今年はまだ山全体の桜が残っているのに、咲きました。

この辺にも今年の気候のおかしさを感じます。

*うこん桜です。うんこ桜ではありませぬのでご注意を。

今日は5歳の誕生日

今日は一番下の3男の、5歳の誕生日。

なにしろ、5年前の花供会式最終日に、「生まれそう…」と電話があって、会式打ち上げの宴席から飛んで帰ったのが昨日のことのようです。

まあ、大変な日に生まれてくれました。

で、毎年花供会式は4月11,12日に決まってるので、なかなかこの日は帰れません。でも今年は思い切って、終わって後かたづけもそこそこに、自宅へ帰ってきました。

自宅に着いたのは9時を廻りましたが、ケーキでお祝いをしました。090412_21290001

吉野山桜情報…8

本日花供会式最終日です。

私にとっても思いの籠もった今年の花供会式。魔事なく無事に終えたいものです。

吉野山の桜は蔵王権現のご神木。ご神木と権現様に喜んでもらえるふさわしい行事にしたいと思っております。

過去に例のない程、素晴らしい花供会式となっています。

人、花、天候・・・全てがこれほど揃った会式も近年にないものです。
有り難いことです。

吉野山桜情報…7 山伏の托鉢修行

Taku 今日、明日と行われている金峯山寺花供会式、初日は無事終わりました。全山満開、でもって、雲一つ無い快晴の好天気、素晴らしい条件下で行事が行われました。

さてこの観桜期に山伏の托鉢修行を行っております。

私が38歳のときに発願して結成した当山の青年僧侶の会があるのですが、この青年僧の会主催で、毎年4月に義援金托鉢修行を行っております。

ちょうど阪神淡路大震災の年から始めた修行で宇、諸災害救援を目的に観光客のみなさまに托鉢をお願いしています。義援金はびた一文他の目的に使わず、過去には大震災への支援や、スマトラ沖津波災害、中越地震、NHK歳末助け合い運動などなどに協力させていただいています。

今日も午後から5,6名の青年僧(当会は賛助会員も参加できるので青年僧というよりは老年僧の方も参加されていますが…)が観桜客で賑わう吉野の辻辻で托鉢をしております。

吉野山においでになってお見かけになったら、ご協力をお願いいたします。修験の里にふさわしい山伏の托鉢です。

*山の麓の黒門の外に、僧侶の托鉢が行われていますが、金峯山寺の災害義援金とは違う営利目的のもののようです。いくつかの団体が来ているようですが、中には「全日本托鉢協会」という得体の知れない托鉢僧もいるので、お気をつけ下さい・・・。私の発願ではじめた吉野山托鉢ですが、遍に評判が立って、最近では偽物まで横行するようになりました。

吉野山桜情報…6

満開の吉野山です。

今日、明日は花絵巻・千古の伝統を誇る花供懺法会(通称花供会式)。午前10時から上千本竹林院より奴行列を先頭に10万石の格式といわれる大名行列が吉野山を練り歩きます。

私は先頭を預かる会行事。

きっとものすごい人出が予想されるので、無事の行事が終わることを祈るばかりです。

ライブカメラでは11時半から12時前後に行列がカメラの前を横切ると思います。

吉野山桜情報…5

Photo 花、綺麗ですよ。天気が連日いいので、下千本の満開と、中千本満開が同時に来ています。

今日から人出も最高潮になるのでしょうね。

今日は午後1時から蔵王堂前で花供千本つきというお餅つきがあります。参詣者には餅がふるまわれます。千年の昔から言い伝えられた無病息災のお餅です。

午後2時からは蔵王堂境内で、女性行者による慶讃採灯大護摩供。本宗独特の女性行者のみが諸役をを行う行事です。

ライブカメラでもその時間に見られるようにしておきますので・・・。

金峯山寺HP http://www.kinpusen.or.jp/ まで。

神仏霊場会公式HP

既報のとおり、神仏霊場会の公式HPは6月上旬公開を目指して現在作成が進められていますが、準備サイトが先月末から公開されています。

よろしければどうぞ↓

http://shinbutsureijou.net/

吉野山桜情報…4

090409_10460002 090409_08050001 桜、完全に咲きました。

今日も快晴。気候もよく、青い空に桜花のピンクが映えて、とても美しい吉野山です。

写真は今朝の金峯山寺仁王門前です。

メリーブッダ!!

今日はお花祭り…釈尊の降誕会です。ま、いわばメリークリスマスならぬ、メリーブッダってわけ・・・。 (BBさんのパクリですが。090408_15420001_3

金峯山寺ではインドからお迎えしたお釈迦様の仏舎利をお祀りしている仏舎利宝殿前に花御堂を設え、甘茶で潅仏しながら、メリーブッダをお祝いしています。

先ほど私も仏舎利宝殿を訪れ、お勤めをして、甘茶で潅仏をさせていただいてきました。

吉野山は花も満開・・・青空快晴の下、花祭りにふさわしい一日でした。

吉野山桜情報…3

今朝、4時起きで、吉野に帰山。

で、帰ってみてびっくりです。ここ2,3日でぐっと開花が進み、下千本は満開(写真)。中千本も見頃となっています。ここ数日が満開の吉野山。

幸い天気も上々で、いいっすよ~!!090408_12320003

ただ花に嵐があるように、さよならだけが人生…満開になると必ず花散らしの嵐が来ます。

お早めに…。090408_06410001

綾部・井根山登拝…奥駈前行1

遅ればせながら、3月中旬から、5月に行う奥駈修行の準備トレーニングを少しずつはじめている。

ともかくふだんは全くというほどに、運動らしい運動もしないし、歩かない、身体動かさない、スポーツしない、っていうずぼら生活ですから、山修行は実はたいへんなのです。そう、いわゆる、へなちょこ行者。。かかりつけの整体師の先生が、よくこんな身体で、こんな足で、歩きますねえ…っと妙な関心をしていただく怠惰な人なのです。

ですから奥駈直近の2ヶ月前くらいから必死のぱっちで身体作りをしています。なにせ奥駈は根性だけではどうにもならない部分がありますから、それなりの体力は不可欠…もう何度も行ってるのですから、ふだんから鍛えておけよ!っていう話なのですがねえ。そこがなまけもののサガ…なかなかそうもいかないわけです。。

とりわけ今年は去年の奥駈終了時、78キロだった体重が、約6キロも増えていて、どーーにも心配。

で、今年は単にからだつくりたけではなく、少し自坊近辺の山も奥駈の前行に歩いておこうと発心をして、まず今日は夕方から綾部の野田町にある井根山へいくことに。まあ200㍍たらずの低い山ですので、登りが片道15分くらい。2往復くらいしないと前行にはなりません。

山頂には秋葉神社が祀られています。

秋葉神社解説: 宝歴六年(一七五六)四月、綾部藩内での大火(ニ一九戸焼失)に際し藩内有志が、遠州秋葉三尺坊大権現の火防のご神徳を慕い、翌年、白髪城山の頂に分祠を建立し祀ったのが初と伝えられている。その後、社殿の修復は再三行われたが、険しい山頂のため困難を極めた模様である。明治二三年(一八九〇)綾部町内の区長相寄り、社殿移転を決議し寄付を募り、同年八月、現在地に社殿完成、今日に至っている。

あまり自坊にはいないので(明日も早朝4時半起きで吉野に行きます…)、そんなに前修行の登拝は出来ないでしょうが、頑張って試みたいものです。。
Akiba02

幼稚園の入園式

St340002 今日は三男の入園式です。

私には子供が4人いて、一番の末っ子。3人目と4人目が12年空いていて(奥様は一緒ですから…)、一番上と末っ子とは17年も年の差があります。昔ならこんなの当たり前だったのでしょうが、現代社会では表彰ものかもしれませんね。

ただこの末っ子。生まれてすぐ水痘症の疑いが出て(うちの子供はみんな私に似て頭が大きいので、私はあまり心配していなかったのですが、医者がやかましく言うのでねえ…)、ずっと医者にかかっていて、しかも極度のアトピーで、卵やコメなど食べてはいけないものがたくさんあり、1歳の頃は全身アトピー性皮膚炎でずるずるの状態。

先の3人がそういったあまり大きな心配もなくふつーにすくすくと育ったので、この下の子には不憫に感じて、過保護になりました。世の中にはもっとすごい病気や障害を持った人がたくさんいるのはわかっていても、我が子となると、やはり過剰に思ってしまいます。

そんなせいで、兄弟からもまるで王子様のように可愛がられて過保護に育てられたので、少し言葉の発達も遅れ気味でした。2歳を過ぎてもパパといえなくて、ずっとパァっていわれてたくらい。誰がパァやねんって突っ込んでいました。

その後、成長と共に、有り難いことに、水痘症の疑いも晴れ、アトピーもよくなって、一安心です。

その末っ子の今日は2年幼稚園の入園式。家内は来年まで手元に置いておきたかったようですが、家の中にいつまでもいると、パソコンやDVDばかりを見て、成長が進まないので、思い切って、幼稚園に入れることになりました。

頑張って通って欲しいものです。

あいのり…ラブワゴンみっけ!!

この間、自宅のPhoto 綾部に帰ったら、ラブワゴンが走っていた?

あれ、あいのりって終わったんじゃなかったんだっけ、もしかしたら、外国編が終わって、国内田舎巡りにかわったのかあ…とおもって、よーーーくみたら、地元を走っている路線バスだった。

市営の「あやバス」。。(写真参照)

これって遠くから見たらラブワゴンだよね。

家人に聞いたら、この塗装色に変えてから、結構人気が出たとのこと。あいのり、っていう田舎バスのコンセプトにもあってるしね。

吉野山情報…美味しい昼食!

今日は朝から本当にぽかぽか陽気で、空は抜けるような青空。桜花は一気に咲き出しました。今日一日で2,3分咲きも6,7分に進むくらいの勢いです。

で、お昼前にJAXA(宇宙航空研究開発機構)の方がお見えになったので、花見がてら吉野山を散策案内してきました。

ちょうどお昼時だったので、どこかでお昼ご飯をご招待しようと歩いていると、私の弟の自坊=中千本・東南院という宿坊がお昼の定食を始めていました。これがなかなか美味(写真参照)。

宿坊の大広間から満開の桜を見ながら、ビールを飲んで、つかのまの花見気分。料理は五目ご飯に胡麻豆腐、通しあげの揚げたて天ぷら(エビや山菜など6品)、菊菜の和え物、そうめんの吸い物、おつけものと6品ついて、1000円。

吉野山は相対的に価格が高いわりに手間をかけない手抜き090406_12480001 食堂が多い中、手前味噌ながら、これは格安にして、大変美味のお昼ご飯でした。くず餅セットもやってます。

是非この時期、吉野においでの節は、東南院で御昼食を。絶対のお勧めです。…ただ桜の時期しかやっていなのであしからず。
追伸 但しほとんど趣味でやっているお昼なので、空いていないときが多いかも。もし食べられたらラッキーだと思ってください。

吉野山桜情報…2 咲き始めました!

昨日から少し気温も上がってきて、吉野山の桜も一気に咲き始めています。

写真は今日の仁王門、南朝皇居跡、蔵王堂の様子です。 090406_08080001 090406_08110002 090406_08130001

今日は朝から天気もよく、花見晴れですよ。
今週は週末まで気候もよいようなので、いよいよ花見の本番を迎えます。

吉野山桜情報

今年は暖冬のせいで、桜の開花は異常に早かった。

たぶん全国的なことだったようだが、このところ、毎日寒い。で・・・ちょっと事情が変わってきているようだ。

昨日も大阪市内の桜開花宣言から満開まで、12日かかったというニュースがあった。ここ20年間で一番遅いものらしい。

吉野山の桜も同様に下千本が今年は三月下旬に咲き出して、もうどうなることかと思ったら、その後毎日寒い。山の上は雪が降った日も2日ほどあったくらいだ。

そんな天候不順のせいで、桜の開花はだんだん遅れて、最初は10日ほど早いだろうと思っていたが、どうやら平年並みに4月10日前後が見頃満開となるようだ。

吉野山の桜は早く咲いても人はこない。だから3月に咲くと観桜客がこないのでまずい。4月になると咲いて無くても人は来る。ただ早く咲いて早く散ると、今は情報がよく知れ渡るから、散ったら最後、誰も来なくなる。旅館などは4月初めから20日頃まではどこも予約で満室だが、散ったとなるとキャンセルあいつぐことになる。

なので遅く咲いていつまでも咲いているのが有り難いのである。

今年は早く咲いて早く散るのかと、吉野人はみんな心配顔だったが、どうやら平年並みに収まりそうで、有り難いことである。

吉野の桜は蔵王権現のご神木。これを忘れたら、罰が当たるに違いない。吉野桜が危ないと最近言われていて、桜を守る会などが活動をはじめているが、罰当たりなことにならないようにしたいものである。

有り難いことに今年もなんとか桜は咲いてくれそうである。

今は下千本が8分くらいかなあ。中千本はまだ少し早いようである。・・・って言っているが実はここ一週間は吉野を離れているのであまり詳細はわからないですが。

みなさん、是非おいで下さい。金峯山経塚特別展示もやってますPhoto ・・・写真は今の状況ではありませんので。

奈良事情

今日は夕方から南都和唱会(なんとかしょうかい)という、ちゃらけた表題の会がある。

表題はちゃらけているがなかなか内容のある会で、表題のとおり元々は南都のお坊さんと、奈良県下のお役人さんや企業人などの懇親が目的で開催されている親睦会で始まったものらしい。今ではそうたくさんの南都のお坊様が参加されるわけでもないが、でもいつも何人かはおいでになっていて、今の荒井知事ともこの会で知り合ったし、県下ではなかなか有名な会である。主催幹事である某交通機関関連のK社長さまとのご縁もあって私も数年前から呼ばれて参加させて頂いているが、今回は天理教さまでの開催となっていて、岩田総務部長さまのご案内で懇親会のまえに天理教総本部をご案内いただく日程が入っている。

実は次回開催を吉野山で企画するようにK社長さまに依頼されており、今回はその告知もあって、スタッフ同伴で参加する。

さて奈良市内を中心にこういった会はほかにも「豊祝会」や「ほろにが会」「夢の会」などいくつかの有志親睦会があって、いつからか私も参加させていただいている。人脈つくりにかなりの効果もあるし、まあ楽しい。ただ、入ってみて気づいたのだけれど、来ている人たちのほとんどが奈良市内周辺の人々で、吉野からの参加者はまれであった。昨年から実行委員を務めている「奈良県宗教者フォーラム」という、奈良県下の伝統寺院、神社、新宗教その他の、超宗派組織もあるが、そういった場に行っても、吉野郡からの参加者がほとんど私一人である。

以前は遷都1300年ワーキング会議とか広域ネットワーク準備会議や長期ビジョン戦略会議など奈良県庁からの諮問会議にも呼ばれたが、そういった場に行っても吉野郡からの参加者は極めて少ない。

奈良県は6割が吉野郡なのだが(…人口は少ないけど)、いろんな会での参加者をみているだけで、奈良県がどこを中心に動いているのかが伺える。やはり奈良県はなんにしても奈良市中心なのだ。

だからといって私一人が気を吐いているとは決して言わないが、もうちょっとこういった和の中に、吉野の人たちが入っていかないと、県下での勢力図は変わらないのかも知れない。

もちろん旅館組合だとか、商工会議所だとか、同じ業種での会合など奈良県全県でのあつまりでは吉野も奈良も混じり合って活動がされているとは思うけれど、仲間内だけでは広がりも限界があるようにも思う。

・・・・まあ、奈良県特定の事情なのかもしれない。

“イチローVS一郎”が大流行らしいですが・・・

“イチローVS一郎”が大流行らしい。

結構笑える。でも笑えないものもある。

日本の政治家やマスコミは親米か、親韓・親中しかいないのかなあ。
国益を守るのは、どちらかに着かないと守れない国ってことなのでしょうか。コイズミさんやオザワさんに直接聞いてみたいキもしますが、最近、なんかよくわかりません。

そんなことを思うと、笑ってばかりはいられませんけど、でも、まあ、かなりの秀作もあるので、どうぞ。

http://gijutsu.exblog.jp/8115475

○一抹の不安を払拭できたのがイチロー ●西松の不安を払拭できないのが一郎
○強肩なのがイチロー ●強権なのが一郎
○信頼を取り戻したのがイチロー ●信頼を失ったのが一郎

・・・などはオモロイ。

親ばかチャンリン パート2

先日の龍谷大学での入学式。

大学に着いてすぐ会場前で親子三人うろうろしていると、大きなカメラを持った学生が近づいてくる。

「あの~ホームページ用の写真なんですが、撮らしてもらってもよいですか…?」と、のたまう。

親子三人顔を見つめて「んぅん・・・え、まあいいですけど」っと突然のことでどぎまぎしながら、(まあ採用されることもないだろう…)と心の中で判断して、カメラに収まったわけ。

で、今日、竜大のHPをのぞいてみたらなんと掲載されていました。はずかしい次第ですね。

ま、縁起物というか、記念ですから、恥をかくついでに親ばかチャンリン、ご披露します。

よろしければどうぞ 
 ↓
http://www.ryukoku.ac.jp/web/event/livephoto/ent/01_1/index.html

ちなみに26枚目の三人写真ですので。

言うてもた!!

今日、近鉄電車の中、途中から乗ってきたオーストラリア人らしき外国人が、私の斜め後ろの座席に座るやいなや、大きな声で会話する・・・なんだろう?と思ってふり返ると、携帯電話でしゃべっている。

しばらく我慢したら電話が切れて、数分はしずかにしていたが、またまた大声で電話をし出した。「車内での携帯電話はご遠慮下さい・・・」という車内アナウンスもなんのその。永遠と大声で会話するのだ。うぅ、がまんでけへん!としんぼうが切れた私は、ふり返りざま「やかまし!」っと一喝。 ソォリー…と小さくつぶやいてかの外国人は沈黙をした。「ビー クワイエット!」かなあともおもったが、やかましい!の方が感情が伝わったのかも知れない。

で、その後、京都で息子と落ち合って兼ねて約束の「おくりびと」を見に行く。いづれ彼に私も送ってもらわないといけないわけで、二人で見ておくのもわるかないだろう・・・。

と、ここでも「いうてもた」事件が・・・。

本編の上映がはじまる直前に空いていた私の横の席にカップルが来た。

その二人、すわるやいなや、フライドポテトをぼりぼり。周りに気を遣ってか、こそこそとぼりぼり、こそこそぼりぼり。その、こそこそ、ぼりぼり…が15分くらい続く。だんだん映画も話が重厚になっていくのに、あいかわらず、こそこそぼりぼり。うぅ、気になって映画に集中できん!でも我慢我慢。

もう30分くらい我慢したろうか!思わず「ちゃっちゃと食べんかい!!」と隣の男に一言!さすがに、こそこそぼりぼりはその一言で止みました。

実は気の小さい私は2回とも、怒鳴ったあとで結構へこんでまして、電車のときは外国人の座っている反対側から電車を降りて、眼は合わさなかったし。映画館でも反対側の座席を通って、外へ出たわけです。

そんな気にするのならいわなきゃよいのに、つい「いうてもた・・・」のでした。

みなさん、どう思います?私って傲慢??

親ばかチャンリン

090401_10210001 いやーー驚きました。

昨日、家内のせがまれて息子の大学入学式に行きました。親ばかチャンリンだなあと龍谷大学の恩師には言われましたが…。

で、何が驚いたって、親ばかチャンリンというか、なにせ入学者の数より保護者の数の方が多いくらいで親ばかばかり・・・。もちろん母親が圧倒的に多かったですが、それでも男親やじいちゃんばあちゃん、兄弟などなど沢山の数で、親ばかチャンリンで出かけた私も肩身が狭い思いもなく、安心しました。ま、母親が多いのはトイレで長蛇の列が出来ていたので、実感しましたけど。

だけど35年前の私はひとりで入学式に行ったし、下宿先も自分で手配したなあ。世の中変わりましたね。

もうひとつ驚いたのは、恩師の先生のクラスに、息子が入ったことです。文学部仏教学専攻は4クラスあったようですが、タ行の息子は偶然タ行周辺担当の恩師が担任に・・・。アトランダムな担任割り振りの中で、なんか運命的でした。

担任となっていただいた恩師A先生から入学のいろんな説明を受けた後、先生と私と息子で学食へ行き、食事をしました。今の竜大の仏教学担当の先生は、恩師のほか、親しい先生や、同期の知人、後輩ばかりで大変心強い思いを致しましたが、親子2代でお世話になるとは有り難いことです。 なにしろ私は先生の一番弟子ですからね。自称ですが・・・。

もともと、息子には東京の大学へ行くことを勧めていたのですが、いろいろあって、母校に進むことになり、本人も納得しているので、頑張ってくれることでしょう。

どちらにしろ、親ばかです。

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