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4月29日はみどりの日でも、昭和の日でも、まして昭和天皇のお誕生日でもなく、田中家にとっては奥様ご生誕の日。
この日は彼女のお祝いに相応しい一日を心掛けるのが夫婦円満の秘訣。
あいにく末寺の大祭法要がこの日になり、かなり機嫌が悪かったけれど、法要後大阪で食事でもしようかと誘って、機嫌を取りなす。。
プレジデント千房という、高級志向のお好み焼きに行きたいというので、宗右衛門町にあるプレジデント千房南店に行く。
千房お好み焼きと海鮮焼きそばと阿波尾鳥の鉄板焼きと海老マヨ焼きをご馳走させて頂いた。千房というのはたくさんチェーン店展開を全国にしている大阪のお好み焼き屋だが、プレジデント店は5軒しかなく、ちょっとした鉄板焼き風の店構えで、なかなか高級店の雰囲気である。だいたい世間の鉄板焼きって、昼間のサービスメニューはさることながら、夜のメニューとなるととても庶民には入りにくい金額の店が多いが、鉄板焼きといっても所詮ここはお好み焼きなので、まあまあ店構えにしてはリーズナブルであった。
今日は彼女のお誕生日で来ましたっと目の前で鉄板焼きをしてくれていう日高さんというコックさんに話をすると、食べ終わった最後に、注文もしていないのにデザートを彼女にプレゼントしてくれた(写真)。
こういうちょっとしたサービスはとても嬉しいものである。
家内はこれでちょー上機嫌な一日となり、例年にない、とても穏やかなお誕生日を過ごすことが出来たミナミの一夜だった。
是非一度プレジデント千房南店に行って下さい。日高さんの前で、お誕生日っていうと、デザートがサービスされるかもしれませんよ。
いままでこのお店には2回行ったことがあったが、昨日ですっかり私のお気にの店になった。
まだ来ぬ明日のことを思い煩うなかれ!
過ぎ去りし昨日のことを悔やむなかれ!
覿面の今を生きましょう!・・・みんな大好き!!
■新型インフル発生を宣言=舛添厚労相「冷静な対応を」 世界保健機関(WHO)が豚インフルエンザの警戒レベルをフェーズ4に引き上げたことを受け、厚生労働省は28日、新型インフルエンザが発生したと宣言した。舛添要一厚労相は「正確な情報に基づき、冷静な対応を」とするコメントを発表した。(時事通信)
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/swine_flu_in_japan/?1240871632
今朝、朝ズバで見てました。
マスゴミはどうも鈍い・・・まあむやみに煽ってパニクッてもいけないので、表面はあれくらいの鈍さでもよいのかもしれないけど。
でも政府の対応を支援して、爆発感染が治まるまで、少々経済が崩壊しても、鎖国くらいする覚悟を国民に促してもよいのでは。
パンデミックを起こしたら、その被害たるやもう目を覆うようなことなんだからさぁ。
怖いなあ。。
ちなみにすでに人から人へ感染してるから、もう豚インフルエンザではなく新型インフルエンザなんだってねえ。
昨日不覚にも泣いてしまった。
前に書いた「師」のことを思い、泣いてしまった。泣きながらでないと話せなかった。その場にいた何人かもつられて泣いていた。
誰にもわからない苦悩が泣かせたのかも知れない。
格好悪かったけど、どうしても泣かずには話が出来ないときだってある。
誰にもまねが出来ない生き様がある。
桜満開の時期は毎日25度前後もあって暑いくらいの吉野山だったのに、23日から急に寒くなってきて、朝夕冷え込んでいる。13~15度くらいなのだろうが、夏日のような日が続いて、すっかり身体が馴れていたので、ここ数日は寒くて寒くて。
へんな気候である。
今日は27日で愛染明王様の御縁日。
早朝から一座愛染供養法を修したが、ちょっと身体が冷えた。
その分引き締まって今月の修法が出来たのでした。
オンマカラギャバシロシャニシャバサラサタバジャウンバンコ…な~む~。
今日の夜0時15分から1時07分まで、NHK教育放送で、先日3月28日にBS2で放送されたBSフォーラム「救おう千年の桜・吉野フォーラムin奈良」が再放送されます。
見逃した方は是非ご覧下さい。
私もパネルディスカッション第三部にちょこっと出ております。
エアチェックしてください。
救おう千年の桜・吉野フォーラムin奈良」記事
↓
http://osaka.yomiuri.co.jp/sakura/yoshino/20090325kn06.htm
なお今年の吉野山の桜を取材した6チャンネル(関西はね…)「素敵な宇宙船地球号」も今日の午後11時の放送です。 2人の桜守の爺さんがメインで、私は映りませんが…。
併せてどうぞ。。
今日は午後から京都の聖護院で神仏霊場会の教学委員会が開催されます。
一応今日で公式HPのガイドラインができあがるものと思います。詳細は明日にでも発表できるかと思います。乞うご期待!
ともかく行ってきます。
今日から私どもの201支局・上堂奉仕行が始まっています。
当初14人の参加予定でしたが、ドタキャンもあり、12名でお勤めいただいています。
このブログの常連である優婆塞BBさんはじめ博治さんや弟子の利楓さんも遠路来てくれています。
さてさて・・・・。
おとといのブログでも書きましたように、昨日、紀伊山地三霊場会議が発足しました。
高野山の松長猊下以下、14登録寺社から12寺社20名が出席され、また会議に先立っては、以前から親しくさせていただいている稲葉信子日本イコモス委員・筑波大教授に、発足に向けての提言スピーチをいただき、有意義なうちに発足の会を終えることが出来ました。
世界遺産が持っている世界に向けての情報発信力ということを改めて自覚出来ました。
まだ具体的な事業などはこれからの積み上げではありますけれど、今年秋の吉野山での事業を皮切りに、三霊場のネットワーク提携が新しく展開できるところとなりました。
某新聞社に答えた私のコメント:世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の三霊場は遺産というより、まさに日本人の信仰心の生きた霊場であり、活産である。今回その三霊場の指定保持者であるお寺と神社がともに、霊場の保持と発展のために手を携え合う意義はとても大きいと自負している。
なお読売新聞の今朝の朝刊関西面にも発足式が紹介されています。
http://osaka.yomiuri.co.jp/news/20090424-OYO1T00486.htm?from=main2
今日明日は大阪です。
今日は東大阪で末寺のお祝い法要、明日は私が昨年から仕込んできた「紀伊山地三霊場会議」の第一回全体会議・発足会議を天王寺都ホテルで開催します。高野山の松長管長猊下をはじめ本宮・新宮の宮司など、三霊場の重鎮に集まっていただけることになりました。
また詳しくは報告します。
なんか、このブログのアクセス数が増えています。うん、ちょっと嬉しいかも…。
結構まじめに更新をしているせいもあるのかもしれませんが、新規のお客??さまも増えているようで・・・♪
神仏霊場会の発足時に、ふだん50~60人の訪問者で大体100~120のアクセス数だったのがいきなり2000近いアクセス数になって驚きましたが、その後、またふだんどおりになっていたのに、今月に入り、倍以上に増えています。昨日は150人位の方が訪れていただいて、アクセス数が300近くありました。
なんかねえ、やる気が出てきますよね。
ミクシイでの訪問者分を含めると、結構な数の人々に来て頂いているわけで励みになります。大したことも書いてないのに、ホント、ご愛読、ありがとうございます。m(_ _)m。。
日本一と詠われる桜の名所・吉野山には、1300年もの長い間、日本古来のヤマザクラが御神木として植えられ続けてきた。3万本もの桜が咲き誇るその姿は、荘厳さと優美さを感じる・・・3月の終わりから、桜の一番いい時期まで今年の吉野山で取材した「素敵な宇宙船地球号」が4月26日午後11時から6チャンネル(関西はね…)放送されます。 2人の桜守の爺さんがテーマですので、私は映りませんが…。
ただ、最近の私の講演でよく使っていてどこでも好評を得ている160年前に刊行された「大日本永代節用無尽蔵」という江戸期の百科事典の、口絵を飾る吉野山の眺望図が紹介されるようです。これは私が4,5年前に新幹線の「ひととき」という雑誌で読んだ随筆で知って入手した愛蔵の古書なのですが、当時は日本を代表する景観として富士山と吉野山の桜の図が必ず巻頭の口絵を飾っていたということです。
わざわざこの節用集だけを撮影に、事務所にテレビ局が来ました。私の替わりに出演しています。ぜひご覧下さい。
http://
・・・そんなわけで今日は尾口皮膚科に子供を連れて行ったのだが、折角行くから「あんたも水虫を見て貰え!」と家内に命令をされた。
水虫なんかでいちいち医者になんかかかっちゃいられないのだが、まあ、付き添いで診察室に入るのだから、ついでにと、以前もみてもらったこともあり、今回も受けた。この時期、そろそろ水虫が活躍をはじめだしたいたし…。
「あ、ほらここにいますよ、自分の目で見て下さい。」と名医がいう。私の水虫の部分を削いだ皮膚を顕微鏡でみせてくれたのである。たしかに芋虫のような、アメーバーのようなものがいくつも散見した。
それで息子のお薬と一緒に、水虫薬も頂戴した。ルリコンという軟膏である。薬代は4本で1000円だったが、家に帰って調べると市販価格は1本1800円。まあほんとに水虫で医者にかかるやつはそういないだろうが、水虫薬って買うと高いんですよね。
保険料削減のためにあまり水虫などで医者にかかるのは国賊かもしれませんが、今日はなんかちょっと儲かったような気がしました。
10日ほど前にNHKエンタープライズのディレクターMさんから電話がかかってきて、取材したいという。吉野にいるといろいろその手のお申し出があるので、えらそうにいうわけではないが、まあ私にとってはあまり珍しくもない電話なのだが、この電話、かなり珍しいものだった。
というのは金峯山寺の私ではなく、林南院の私あてに電話があったからだ。
いわくNHKBS2のレギュラー番組「桂三枝一座がやってきた」が6月に綾部市に来るらしく、番組的に、綾部の修験について、リサーチ取材をしたいという、申し出であった。
拙著「はじめての修験道」も読んでくれた上で、綾部の私に会いたいという申し出であったから、やはり、珍しい。番組では桂三枝さんが各地に出向いて、その地方の題材を元に創作落語を番組中に披露するのだが、その題材の一つとして、綾部市内の修験信仰にスポットを当てたいという、M氏の意向だった。
で、今日の午後に約束をして、Mさんは東京からやってきた。妙齢のキャリアウーマンって感じの美人ディレクターさんだった。
だからってわけではないが、1時間40分くらいは話したろうか…。
結局、彼女が期待するような地元の山伏講に紹介出来るような適当なのが思い浮かばず、かといって、私ではいかにも吉野の顔のイメージが強く、綾部という地元向きじゃないっていうこともあって、彼女の思いには添えない結果となった。桂三枝さんも私のプロフィールを見て、吉野の人ですよねえ、って感じであまり乗り気ではなかったようなことだったから、まあ致し方がない。
でも取材的な話だけではなく、彼女自身の思いも含めて、いろいろ話が弾んだ。本を見て、修験そのものにかなり興味があったみたいで、会って直接、話を聞きたかったようなことだった。 まあ光栄な話ではある。
番組収録は6月18日なので、その日はたまさか綾部にいて空いているから、私的には出てもよいかなあとも思ったりしたのだが・・・・。
出たがりの性分はなかなか治らないなあ。
収録の公演には見に行こうかなあと思っている。司会の相田翔子にも会いたいし…。
番組公式サイト http://
今日も朝からいい天気だったので、綾部市位田町の高城山に登った。もちろん、奥駈の前行としてである。
標高212米の高城山は以前から位田町の道路脇に「高城山登山口」という看板がひときわ目立って立っていて、その看板に気を引かれ、一度登ろうと思っていた。
この山は、戦国期に「位田の乱」があって地侍の荻野氏・大槻氏が守護代・上原元秀等に抗して攻められ1年近く持ち堪えたが落城した歴史が有る位田城の古戦場でもある。
午前9時。車を道沿いの空き地において、いざ出発。民家を数軒こえてほそい路地を道しるべに導かれるまま登る。竹藪と墓地をすぎれば登山道となる。ただこの道、かなりきつい勾配である。そうそう…大峯で言うならば、南奥駈道の笠捨山を順峯で登るような急坂である。ふーふーいいながら一気に登った。15分足らずの距離であるが、きつかったこときつかったこと。
山頂にはなにもなく、ひっそりとしていたが、綾部盆地が一望に見え、眺望は抜群であった。
下りは転げるようにして降りたけれど、かなりあぶない登山道だ。
山頂で古戦場供養にと般若心経一巻を読誦して、少々休憩もいれたので、往復40分ほど要したが、びっしょり全身汗だくとなった。
昨日のブログにも少し書いたとおり、一昨夜、井上揚水氏の透き通るような異次元的な歌声を聞きながら、私は全く別な世界で、深く自分の人生を考えていた。
・・・私には人生の師が3人いる。
一人は8年前に亡くなった実父。父であり、この修験の道に導いた師僧である。父の元に生まれてきてよかったと思っている。
もう一人は龍谷大学以来、ずっと師事しているA博士。大学での出会いがご縁で、師に一生、師事出来る幸せはとてつもなく大きいことで、私にとって、今でも会うたびに示唆に富んだアドバイスと慈愛をいただける関係には私自身の運の良さを自覚させてくれる。ホントに、私の人生にかけがえのない恩師である。
そして最後の一人は、高校1年生のときからそばで随身をさせていただいていた、今の師である。まるで父に対するような心持ちで38年、仕えさせていただいている。まあ仕えるといっても、それほど従順じゃないし、言うことをきかない、師には到底弟子とは思えないような、きっと不出来な人間に違いないが…。
その師が今、重い病床にある。その病床で、私はこのところ行くたびにすごく感動するのだ。師はその病床において「吉野修験の究極は蔵王一仏信仰である」と宣言された。私にとってこれは本当に感動する一言だったのである。
かねてより、私が密かに理想とする生き方は、『往生要集』を著した恵心僧都源信和尚である。
源信和尚の何を理想とするのか…というと、和尚最晩年の著作に『一乗要訣』という本がある。この『一乗要訣』の中で和尚は「一乗仏教を極めて、最後は阿弥陀を祈る」という一言を残されている。この文章に接したとき、「私もいづれはかくありたい」と願い続けるところとなった。
私はいつまでもへなちょこの山伏のままで、まともな修行もなかなか出来ないでいる、ほんとに不具合な、出来損ないの修験な僧侶である。それは一番私が知っている。でも、とめどなく生まれ続ける煩悩と、哀しいくらいに猥雑な日々に追われながらも、僧侶として縁をいただいた以上は「見性」(悟り)を得たいし、どこかで、いつか、きっと、信仰的安心を獲得したいと願っている。
もちろん源信和尚のように優秀でないが、でも、修験信仰のご縁の中で、さまざまな関わり合いを経た結果、源信僧都とまではいかないまでも、いつかは、なにか源信和尚のような「最後は阿弥陀を祈る」と言い切れる、信仰的境地を得たいと思っているのである。
だから、先日来、病床の師のもとにいき「蔵王一仏」信仰を聴くたびに、まさに師は修験信仰を極めて、ついに、源信和尚の境地に到達されているんだと身震いするような思いで、この言葉を聴かせて頂いているのだ。
この私の思いは、まだ師には伝えていない。でも、コンサート会場に舞い降りた陽水氏の透き通るような歌声を聞きながら、妙に頭が冴えて、「この思い」を師に伝えなくてはと、そのことばかりが何度も心の中に繰り返されたのであった。
師とはここ数年、少し距離があった。その全ては私自身のせいだとわかっていたが、病床にある師の言葉を聞いて、その距離は私の中で一瞬に埋まっている。それほどの感動だったのであるが、それをちゃんと師に言わなくてはいけない!ということを、この夜の陽水氏の歌は私の心に教えてくれたのだった。
もちろん、陽水氏はそんなこと知るよしもないし、知ったこっちゃないだろう。でも私にとっては、そんな感動の、陽水な夜であった。
月の18日は観音様のご縁日。
私が総長職になって、金峯山寺の観音堂の大祭を始めた。今年で8年目。
4月18日が観音堂の大祭日である。
大般若経の転読法会を行っている。午後1時から。
名残の桜と深緑の吉野山においでいただいた方は、是非、お参り下さい。
観音さまの御利益は抜苦与樂。苦しみを抜き去って、楽しみを与えるという有り難い慈悲の菩薩様です。施無畏者とも呼ばれます。恐怖や畏れを取り除いていただける御利益もおもちです。アンアロリキャソワカ!南無観!
毎月一回だけ、夜にヨガ教室を開いていただいている。
本宗教師のU女史が大阪から来て、寺内の学僧や職員の、いわば予防医療として、身体ほぐしをやっていただく。
3年ほど前にしばらくヨガ教室としてやって貰っていたが、学僧が少なくなったので、一時、中断していて、昨年末くらいから復活した。
このU女史はなかなかの先生で、若い頃、身体が弱かったのを克服しようとヨガに通い出し、その道を会得した。その後もいろいろ勉強をし続けいて、ヨガだけではなく、禅密功や野口式整体・活元など、そのフィールドはとても広い。
おとといの夜も彼女を招いて、身体ほぐしをしてもらった。復活して、しばらくはヨガだけではなく、禅密功や活元なども取り入れて教室が行われていたが、この春からはアロマテラピーのリラクゼーションをやっていただいている。
今は毎日奉仕行にたくさんの方が宿泊されているので、おとといはそういう上堂者も一緒に受けて貰ったので、たくさんの受講者で賑わった。
やっぱたまにはこういう風に自分の身体を癒してやることは大事である。身体かちかちの私であるが、アロマの効果も含めて、すっかり 嵌っている。
今日は雨。雨。雨。。
午前中、母の病院行きにつき合い、ずっと市民病院の中で、時間待ちをしていた。病院ってなんであんなに患者に優しくないんだろう。
で、午後は雨の中、奥駈の前行がわりに、山の中にある田中家の竹藪にタケノコ堀に歩いて出かける。田中家の竹藪というと、どんなすごいところだろうと思われるが、孟宗竹が生え混む物凄い山間のどうしようもない土地である。祖父の代の登記のままになっていて、所属も今や怪しい竹藪。父が年寄ってからは10年以上誰も行かなかったので、ものすごい荒れた竹藪になり、今はタケノコ堀に2,3度行くが、もう手の施し用がないほど荒れている。でもここのタケノコは抜群に美味しいのだ。
さて、ふだんだと近くまで来るまで行くのだが、前行替わりだからひたすら歩き。
で、結果は前行だけ、したことになった。タケノコはまだ一本も生えていなかったでーーす。たぶん長く続いた好天のせいだろう。
今日の雨で「雨後のタケノコ」っていうくらいだから明日以降にょきにょき生えるに違いない。でも明日からは留守になる。私以外は誰も行けないような荒れた山なので、取りに行ってもらえそうにないから、たぶん猪さんの朝ご飯にされてしまうのだろうなあ・・・。
という、奥駈前行~その3でした。
お滝場から登山道にもどり、古い石段が続く中をいくと、10分足らずで於成神社へ到着する。
ここでも般若心経一巻。ふかぶかと御霊に参拝する。
この地も大本開祖の修行事績の碑がある。
明治36年(1903年)に山頂で開祖出口なおや王仁三郎ほか役員らにより岩戸開きの神事が行われたが、その60周年を記念して昭和38年建立の石碑が於成神社の脇に立っていた。
於成神社を越え、更に山道を進む。かなり峻険な登り坂である。ふだんの運動不足がたたって、足は進まないし、息は上がる。とてもこの調子では奥駈はおぼつかないなあ…いささか不安な気持ちがわき上がってきたが、弱気を押さえ込んで、山頂を目指す。
ものの25分も歩いただろうか。ようやく山頂が見えてきた。
急な坂を上りきるといきなり金峯神社の社殿が目の前に現れる。たすかった…と思わず本音が。於成神社から坂道はホント辛かったです。
般若心経一巻と蔵王権現の御真言を唱える。きっと明治の廃仏毀釈神仏分離までは蔵王権現様の鎮座する礼堂だったはずで、そういう意味ではきっと私の登拝を喜んで頂いていることだろう。
これをきっかけに…なにかお役に立たなければと思いながら、勤行を終えた。
登山口から約1時間20分。勤行などを各所でするから、正味の山行は1時間くらいだろう。丁度いい行程かも知れない。
すっかり廃れてしまった修験信仰であるが、吉野の本家本元で執行長を勤める私だからこそ、出来るなにかがあるのかもしれないと思ったりした。
まあまずは今年の奥駈を無事に済ませることだけれど。
山頂は実に気持ちがよかった。丹波の山々を360度見回せる絶景。霊山に相応しい霊地然とした雰囲気である。
祠の横に由緒書きが用意されている。ご自由にどうぞ…ということなので一枚頂戴した。HPに書かれていた由緒はこの由緒書きを写したものであった。ただ蔵王権信仰や吉野修験のことがあまり理解されていないようなのでものたりない内容だった。
しばらくその清々しい霊域に佇んで、過去の行者さんたちのことなどさまざまに思いを巡らした。
そして、もときた道を下山。下りは35分ほどで下りきった。
途中、改心の道というコース表示があり、その道を40分ほど探索に行ったので(どうもかなりの大回りで3倍ほど時間がかかりそうだったから途中で引き返した)、実際には約3時間ちかく歩くことになったが、奥駈前行には相応しい一日であった。
来月に迫った奥駈に向けて、このところ、前行を怠惰な身体に課している。今日は前回の井根山よりかなり本格的な前行の登拝修行をすることにした。
目指すは弥仙山。この山は綾部市と舞鶴市の境にある標高664メートルの霊山で、古くより「丹波富士」とも呼ばれ、丹波の国の名山としても有名である。しかも修験の霊山である。
弥仙山:推古天皇の白鳳年間・天武天皇大宝年間、役の行者小角が入山修行の道場古跡、僧の行基は入山の事跡あり。又、上杉施福寺、西照寺、口上林十根、東照寺等の開基は、弥仙山を奥の院として建立したるものにして、金峰山には釈迦・文殊・普賢の三尊を奉安し、金峰山大権現と尊称し女人禁制であった。この時代、登山者は数回の川水禊をなし、白衣を着し、峰伝いに登山する者絶えること無しという。~於与岐町ホームページより
この山は私の地元の山である。私の生家は綾部の中でも西八田地区にある。弥仙山は隣の東八田地区なので、地元といっても、ふだん滅多にのぼることがないが、中学校は両地区が合同になって、東八田地区の八田中学に進むため、中学時代の遠足ではかならず弥仙山に一度はのぼらされる。もうはるか30年になろうかという昔の話だから、弥仙山登山の細かな思い出はなにもないが、のぼったという記憶だけはしっかりと残っている。
しかもこの弥仙山は吉野との関係が深い。役行者の開山伝説を持ち、蔵王権現(金峯山権現)が祀られていた修験道の山なのである。明治の廃仏毀釈と権現信仰の禁止で他の全国の修験霊山同様に大きな変容を遂げているが、今でも山麓には水分神社、山頂には金峯神社が祀られ、吉野修験の影響を垣間見る。もちろん中学生時代の私は知るよしもないが、大人になって金峯山寺に入寺してから、あらためて弥仙山のことを知り、いつか登ろうと思っていた。
ただもともと山修行がそんなに好きなわけじゃないし、大峯奥駈の大先達を担っているとはいえ、山登りなどは修行の時以外は絶対にいかない人なので、長年の宿願をはたさぬまま、50の齢を越えたのであった。
故郷綾部の蔵王権現信仰の山である。今にして登拝することに大きな意味があるのだとある種の思い入れを以て、いよいよ入山する。家を8時10分に車で出て、弥仙山の登山口・於与岐町に向かう。ものすごい山間の田舎である。 8時30分着。車を置いて、いざ入山開始。
少し行くと水分神社が登山道の左脇に見る。般若心経一巻を唱え、更に山へ。車が通れる車幅の道を少し行くと、弥仙山登山道と書いた表示にそって、右脇の谷川を丸木橋で渡り、山道へ入る。修行道らしくなってきた。折からの天候の良さと、気候の気持ちよさが新入山の私を心地よく迎えてくれて、山行は順調である。ウグイスや野鳥のさえずりも気持ちいい。
水分神社から約20分ほど登ると、道の脇に高札が見えた。
「大本開祖 修業の滝」と書かれている。
ここ弥仙山は綾部が生んだ偉人出口なおの出身地で、なおは大本教開教以前にここ弥仙山中腹のお滝馬で修行をしたという。その行所の滝がここであった。
今年の桜は見事でした。
でもどこか異常気象…3月中旬から気温が高く、3月25日くらいに開花して、そのあと、急に寒くなり、2日ほどは雪も降ったようなことで花は凍結。そして4月上旬からは好天がつづき、下千本、中・上千本が一度に咲いて、長く見頃が続いています。
今日も上天気の様子。明日以降、雨が予想されているので、さすがの花も今日が最後になるかも知れませんね。
花供会式の大名行列も、花吹雪が舞い、素晴らしい行事になりましたが、今日の吉野山は全山の谷々を花吹雪が舞い上がり舞い落ちる美しい一日になるでしょう。
で、本坊のうこん桜*が咲きました。
実はこのうこん桜は吉野山全山の桜が散ってから咲き始めるので、名残の桜を楽しみに来た観光客さんにも喜ばれるので すが、今年はまだ山全体の桜が残っているのに、咲きました。
この辺にも今年の気候のおかしさを感じます。
*うこん桜です。うんこ桜ではありませぬのでご注意を。
今日、明日と行われている金峯山寺花供会式、初日は無事終わりました。全山満開、でもって、雲一つ無い快晴の好天気、素晴らしい条件下で行事が行われました。
さてこの観桜期に山伏の托鉢修行を行っております。
私が38歳のときに発願して結成した当山の青年僧侶の会があるのですが、この青年僧の会主催で、毎年4月に義援金托鉢修行を行っております。
ちょうど阪神淡路大震災の年から始めた修行で宇、諸災害救援を目的に観光客のみなさまに托鉢をお願いしています。義援金はびた一文他の目的に使わず、過去には大震災への支援や、スマトラ沖津波災害、中越地震、NHK歳末助け合い運動などなどに協力させていただいています。
今日も午後から5,6名の青年僧(当会は賛助会員も参加できるので青年僧というよりは老年僧の方も参加されていますが…)が観桜客で賑わう吉野の辻辻で托鉢をしております。
吉野山においでになってお見かけになったら、ご協力をお願いいたします。修験の里にふさわしい山伏の托鉢です。
*山の麓の黒門の外に、僧侶の托鉢が行われていますが、金峯山寺の災害義援金とは違う営利目的のもののようです。いくつかの団体が来ているようですが、中には「全日本托鉢協会」という得体の知れない托鉢僧もいるので、お気をつけ下さい・・・。私の発願ではじめた吉野山托鉢ですが、遍に評判が立って、最近では偽物まで横行するようになりました。
満開の吉野山です。
今日、明日は花絵巻・千古の伝統を誇る花供懺法会(通称花供会式)。午前10時から上千本竹林院より奴行列を先頭に10万石の格式といわれる大名行列が吉野山を練り歩きます。
私は先頭を預かる会行事。
きっとものすごい人出が予想されるので、無事の行事が終わることを祈るばかりです。
ライブカメラでは11時半から12時前後に行列がカメラの前を横切ると思います。
花、綺麗ですよ。天気が連日いいので、下千本の満開と、中千本満開が同時に来ています。
今日から人出も最高潮になるのでしょうね。
今日は午後1時から蔵王堂前で花供千本つきというお餅つきがあります。参詣者には餅がふるまわれます。千年の昔から言い伝えられた無病息災のお餅です。
午後2時からは蔵王堂境内で、女性行者による慶讃採灯大護摩供。本宗独特の女性行者のみが諸役をを行う行事です。
ライブカメラでもその時間に見られるようにしておきますので・・・。
金峯山寺HP http://www.kinpusen.or.jp/ まで。
既報のとおり、神仏霊場会の公式HPは6月上旬公開を目指して現在作成が進められていますが、準備サイトが先月末から公開されています。
よろしければどうぞ↓
遅ればせながら、3月中旬から、5月に行う奥駈修行の準備トレーニングを少しずつはじめている。
ともかくふだんは全くというほどに、運動らしい運動もしないし、歩かない、身体動かさない、スポーツしない、っていうずぼら生活ですから、山修行は実はたいへんなのです。そう、いわゆる、へなちょこ行者。。かかりつけの整体師の先生が、よくこんな身体で、こんな足で、歩きますねえ…っと妙な関心をしていただく怠惰な人なのです。
ですから奥駈直近の2ヶ月前くらいから必死のぱっちで身体作りをしています。なにせ奥駈は根性だけではどうにもならない部分がありますから、それなりの体力は不可欠…もう何度も行ってるのですから、ふだんから鍛えておけよ!っていう話なのですがねえ。そこがなまけもののサガ…なかなかそうもいかないわけです。。
とりわけ今年は去年の奥駈終了時、78キロだった体重が、約6キロも増えていて、どーーにも心配。
で、今年は単にからだつくりたけではなく、少し自坊近辺の山も奥駈の前行に歩いておこうと発心をして、まず今日は夕方から綾部の野田町にある井根山へいくことに。まあ200㍍たらずの低い山ですので、登りが片道15分くらい。2往復くらいしないと前行にはなりません。
山頂には秋葉神社が祀られています。
秋葉神社解説: 宝歴六年(一七五六)四月、綾部藩内での大火(ニ一九戸焼失)に際し藩内有志が、遠州秋葉三尺坊大権現の火防のご神徳を慕い、翌年、白髪城山の頂に分祠を建立し祀ったのが初と伝えられている。その後、社殿の修復は再三行われたが、険しい山頂のため困難を極めた模様である。明治二三年(一八九〇)綾部町内の区長相寄り、社殿移転を決議し寄付を募り、同年八月、現在地に社殿完成、今日に至っている。
あまり自坊にはいないので(明日も早朝4時半起きで吉野に行きます…)、そんなに前修行の登拝は出来ないでしょうが、頑張って試みたいものです。。
今年は暖冬のせいで、桜の開花は異常に早かった。
たぶん全国的なことだったようだが、このところ、毎日寒い。で・・・ちょっと事情が変わってきているようだ。
昨日も大阪市内の桜開花宣言から満開まで、12日かかったというニュースがあった。ここ20年間で一番遅いものらしい。
吉野山の桜も同様に下千本が今年は三月下旬に咲き出して、もうどうなることかと思ったら、その後毎日寒い。山の上は雪が降った日も2日ほどあったくらいだ。
そんな天候不順のせいで、桜の開花はだんだん遅れて、最初は10日ほど早いだろうと思っていたが、どうやら平年並みに4月10日前後が見頃満開となるようだ。
吉野山の桜は早く咲いても人はこない。だから3月に咲くと観桜客がこないのでまずい。4月になると咲いて無くても人は来る。ただ早く咲いて早く散ると、今は情報がよく知れ渡るから、散ったら最後、誰も来なくなる。旅館などは4月初めから20日頃まではどこも予約で満室だが、散ったとなるとキャンセルあいつぐことになる。
なので遅く咲いていつまでも咲いているのが有り難いのである。
今年は早く咲いて早く散るのかと、吉野人はみんな心配顔だったが、どうやら平年並みに収まりそうで、有り難いことである。
吉野の桜は蔵王権現のご神木。これを忘れたら、罰が当たるに違いない。吉野桜が危ないと最近言われていて、桜を守る会などが活動をはじめているが、罰当たりなことにならないようにしたいものである。
有り難いことに今年もなんとか桜は咲いてくれそうである。
今は下千本が8分くらいかなあ。中千本はまだ少し早いようである。・・・って言っているが実はここ一週間は吉野を離れているのであまり詳細はわからないですが。
みなさん、是非おいで下さい。金峯山経塚特別展示もやってます ・・・写真は今の状況ではありませんので。
“イチローVS一郎”が大流行らしい。
結構笑える。でも笑えないものもある。
日本の政治家やマスコミは親米か、親韓・親中しかいないのかなあ。
国益を守るのは、どちらかに着かないと守れない国ってことなのでしょうか。コイズミさんやオザワさんに直接聞いてみたいキもしますが、最近、なんかよくわかりません。
そんなことを思うと、笑ってばかりはいられませんけど、でも、まあ、かなりの秀作もあるので、どうぞ。
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○一抹の不安を払拭できたのがイチロー ●西松の不安を払拭できないのが一郎
○強肩なのがイチロー ●強権なのが一郎
○信頼を取り戻したのがイチロー ●信頼を失ったのが一郎
・・・などはオモロイ。
先日の龍谷大学での入学式。
大学に着いてすぐ会場前で親子三人うろうろしていると、大きなカメラを持った学生が近づいてくる。
「あの~ホームページ用の写真なんですが、撮らしてもらってもよいですか…?」と、のたまう。
親子三人顔を見つめて「んぅん・・・え、まあいいですけど」っと突然のことでどぎまぎしながら、(まあ採用されることもないだろう…)と心の中で判断して、カメラに収まったわけ。
で、今日、竜大のHPをのぞいてみたらなんと掲載されていました。はずかしい次第ですね。
ま、縁起物というか、記念ですから、恥をかくついでに親ばかチャンリン、ご披露します。
よろしければどうぞ
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ちなみに26枚目の三人写真ですので。
今日、近鉄電車の中、途中から乗ってきたオーストラリア人らしき外国人が、私の斜め後ろの座席に座るやいなや、大きな声で会話する・・・なんだろう?と思ってふり返ると、携帯電話でしゃべっている。
しばらく我慢したら電話が切れて、数分はしずかにしていたが、またまた大声で電話をし出した。「車内での携帯電話はご遠慮下さい・・・」という車内アナウンスもなんのその。永遠と大声で会話するのだ。うぅ、がまんでけへん!としんぼうが切れた私は、ふり返りざま「やかまし!」っと一喝。 ソォリー…と小さくつぶやいてかの外国人は沈黙をした。「ビー クワイエット!」かなあともおもったが、やかましい!の方が感情が伝わったのかも知れない。
で、その後、京都で息子と落ち合って兼ねて約束の「おくりびと」を見に行く。いづれ彼に私も送ってもらわないといけないわけで、二人で見ておくのもわるかないだろう・・・。
と、ここでも「いうてもた」事件が・・・。
本編の上映がはじまる直前に空いていた私の横の席にカップルが来た。
その二人、すわるやいなや、フライドポテトをぼりぼり。周りに気を遣ってか、こそこそとぼりぼり、こそこそぼりぼり。その、こそこそ、ぼりぼり…が15分くらい続く。だんだん映画も話が重厚になっていくのに、あいかわらず、こそこそぼりぼり。うぅ、気になって映画に集中できん!でも我慢我慢。
もう30分くらい我慢したろうか!思わず「ちゃっちゃと食べんかい!!」と隣の男に一言!さすがに、こそこそぼりぼりはその一言で止みました。
実は気の小さい私は2回とも、怒鳴ったあとで結構へこんでまして、電車のときは外国人の座っている反対側から電車を降りて、眼は合わさなかったし。映画館でも反対側の座席を通って、外へ出たわけです。
そんな気にするのならいわなきゃよいのに、つい「いうてもた・・・」のでした。
みなさん、どう思います?私って傲慢??
昨日、家内のせがまれて息子の大学入学式に行きました。親ばかチャンリンだなあと龍谷大学の恩師には言われましたが…。
で、何が驚いたって、親ばかチャンリンというか、なにせ入学者の数より保護者の数の方が多いくらいで親ばかばかり・・・。もちろん母親が圧倒的に多かったですが、それでも男親やじいちゃんばあちゃん、兄弟などなど沢山の数で、親ばかチャンリンで出かけた私も肩身が狭い思いもなく、安心しました。ま、母親が多いのはトイレで長蛇の列が出来ていたので、実感しましたけど。
だけど35年前の私はひとりで入学式に行ったし、下宿先も自分で手配したなあ。世の中変わりましたね。
もうひとつ驚いたのは、恩師の先生のクラスに、息子が入ったことです。文学部仏教学専攻は4クラスあったようですが、タ行の息子は偶然タ行周辺担当の恩師が担任に・・・。アトランダムな担任割り振りの中で、なんか運命的でした。
担任となっていただいた恩師A先生から入学のいろんな説明を受けた後、先生と私と息子で学食へ行き、食事をしました。今の竜大の仏教学担当の先生は、恩師のほか、親しい先生や、同期の知人、後輩ばかりで大変心強い思いを致しましたが、親子2代でお世話になるとは有り難いことです。 なにしろ私は先生の一番弟子ですからね。自称ですが・・・。
もともと、息子には東京の大学へ行くことを勧めていたのですが、いろいろあって、母校に進むことになり、本人も納得しているので、頑張ってくれることでしょう。
どちらにしろ、親ばかです。
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