弥仙山登拝②
お滝場から登山道にもどり、古い石段が続く中をいくと、10分足らずで於成神社へ到着する。
ここでも般若心経一巻。ふかぶかと御霊に参拝する。
この地も大本開祖の修行事績の碑がある。
明治36年(1903年)に山頂で開祖出口なおや王仁三郎ほか役員らにより岩戸開きの神事が行われたが、その60周年を記念して昭和38年建立の石碑が於成神社の脇に立っていた。
於成神社を越え、更に山道を進む。かなり峻険な登り坂である。ふだんの運動不足がたたって、足は進まないし、息は上がる。とてもこの調子では奥駈はおぼつかないなあ…いささか不安な気持ちがわき上がってきたが、弱気を押さえ込んで、山頂を目指す。
ものの25分も歩いただろうか。ようやく山頂が見えてきた。
急な坂を上りきるといきなり金峯神社の社殿が目の前に現れる。たすかった…と思わず本音が。於成神社から坂道はホント辛かったです。
般若心経一巻と蔵王権現の御真言を唱える。きっと明治の廃仏毀釈神仏分離までは蔵王権現様の鎮座する礼堂だったはずで、そういう意味ではきっと私の登拝を喜んで頂いていることだろう。
これをきっかけに…なにかお役に立たなければと思いながら、勤行を終えた。
登山口から約1時間20分。勤行などを各所でするから、正味の山行は1時間くらいだろう。丁度いい行程かも知れない。
すっかり廃れてしまった修験信仰であるが、吉野の本家本元で執行長を勤める私だからこそ、出来るなにかがあるのかもしれないと思ったりした。
まあまずは今年の奥駈を無事に済ませることだけれど。
山頂は実に気持ちがよかった。丹波の山々を360度見回せる絶景。霊山に相応しい霊地然とした雰囲気である。
祠の横に由緒書きが用意されている。ご自由にどうぞ…ということなので一枚頂戴した。HPに書かれていた由緒はこの由緒書きを写したものであった。ただ蔵王権信仰や吉野修験のことがあまり理解されていないようなのでものたりない内容だった。
しばらくその清々しい霊域に佇んで、過去の行者さんたちのことなどさまざまに思いを巡らした。
そして、もときた道を下山。下りは35分ほどで下りきった。
途中、改心の道というコース表示があり、その道を40分ほど探索に行ったので(どうもかなりの大回りで3倍ほど時間がかかりそうだったから途中で引き返した)、実際には約3時間ちかく歩くことになったが、奥駈前行には相応しい一日であった。
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コメント
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山人様私も奥駈けの準備は、毎日怠らず、つズけています。
おっさんでも、気持と体力では負けてません!四国遍路も歩き2回目途中ですが、頑張ってます。
奥駈けも、10回は行こうと思っています
もちろん、勝手ですが、奉行も2,3度務めるつもりです。
すみません、勝手なことを言ってますが?
でも、私は本気です。
あとは、3人の息子に親父の生きざまを、伝えるだけです。
そう思う、このごろです。
投稿: 博治 | 2009年4月13日 (月) 23時53分
博治さん、ども。。
>3人の息子に親父の生きざまを、伝えるだけです。
→格好いいですね。私もかくありたいものです。まだまだ自分のことで精一杯ですが。
投稿: 吉野山人 | 2009年4月14日 (火) 05時49分