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新・仮面ライダーは“2人で1人”の「仮面ライダーW」
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/entertainment/broad_casting/?1246277594
5歳の子供がウルトラマンから仮面ライダーに興味が移って、毎日毎日仮面ライダーばかりを見ている。
でも最近の仮面ライダーは、おっさん世代にはストーリーが難しすぎる。ディケイドはもう最悪なのに、今度はW???
ウチにはもう仮面ライダーのベルトが5つくらいあるが、また買わされるのかなあ・・・
夜中にまずいお好み焼きの話を書いて、ついでに思い出したので、この間行った、そこそこのお蕎麦屋さんも紹介しておこう…夜中に何やってんだか???
長男が亀岡に2ヶ月ほど方違いで住むことになり、レオパレスを契約したが、そのとき、拓朗亭という蕎麦屋に行った。
亀岡っていうより、京都でもそこそこ有名な店なので一度行きたいと思っていた。
私は鍬山というそば5食の定食(写真)を頼んだが、なかなかボリュームもあり、美味しかったです。
家内はカレーセットを注文したが、これもなかなかの美味。そばやさんのくせにカレーが美味しいというのは???だが、お昼のセットとしてはお勧めの料理かも。
そば通をうならせる、っていうまでの店ではないかもしれないけど、値段がちょっと高めなことを割り引けば、バラエティに富んだメニューで味もそこそこ…私的にはかなりお勧めです。
昨日、留守番をしていた次男を誘って、夕食は彼のリクエストでお好み焼きを食べに行った。
おか○ちゃんという店である。
私は庶民的な名前なので一度行ってみたいと思っていたが、行ってびっくり。いわゆるチェーン店で、てっきり田舎のおか○ちゃんが一人でシコシコ焼いてくれてる店だとおもっていたら大違いだった。
何より驚いたのは、今まで食べた私の長い人生の中で一番不味かったお好み焼きだったこと。
はじめに食べたお酒のアテの、塩タンやサイコロステーキやもやし炒めはそうでもなかったが、メインのおか○ちゃん焼きと塩そばの不味かったことは生涯忘れられない夜となった。
だいたいお好み焼き店に行って、ワインがない…というのが気に入らなかったが、あそこまでまずいと犯罪である。
鶏肉、豚肉が古いのも不味かった原因だが、味付けがもう最低。
サーバーでながらく寝ている赤ワインを空けて、家で食べた方がよかったなあ。・・・・ 遊園地で疲れ、夜ご飯で裏切られた久しぶりの休日だったがさんざんの一日であった。
冷やし中華はじめました、は誰の陰謀か
http://www.excite.co.jp/News/bit/
確かに夏にラーメン屋さんにはいって、冷やし中華はじめました…の張り紙をみると、つい頼みたくなりますねえ。
でもそうそうその店のラーメンをしのぐ美味しい冷やし中華って、当たった試しがないです。なぜでしょう・・・。
あれだったら自分で作った方が美味しいっていつもおもいますね。焼き豚や卵焼きをふんだんにいれた、そういう冷やし中華が好きなせいでしょうか。
ラーメンはなかなか家では出せない味ですが、冷やし中華は具材がしょぼいのが気に入りませんね。
みなさん、いかが・・・。
私は吉野と綾部を月に2,3往復、車で行き来する。
吉野からは161号線を通って、橿原へ。そこから大和高田バイパスを使って南阪和道路ー阪和道ー阪神高速ー中国道と高速を乗り継いで、綾部インターまで走る。
定額だと
南阪和道 450円
阪和道 700円
阪神高速 700円
中国道(池田ー綾部)2700円
合計4550円である。
今はETC深夜割引や、朝晩の通勤割引がある。
阪神高速が70円引き。
中国道が950円引きとなる。
ところで昨夜は仕事を終えて、帰山した。
土日割引は高速道路が1000円である。
しかし吉野ー綾部間が1000円になるわけではない。
南阪和道 200円引き ・・・なぜかよくわからないけど
阪神高速 200円引き ・・・これも何割引きなんだろう
中国道 1150円引き ・・・この中国道は池田ー西宮は定額の450円を加算され、西宮ー綾部間が定額1000円になっているようだ。昨日は綾部をこえて舞鶴西まで乗ったが、綾部で降りるいつもの土日同様、1450円のままだったから、間違いない。総計3000円なり。
ということで通常の深夜や通勤割引時間と土日とではわずか670円ほどやすいだけなのだ。
まあ、やすいのは有り難いのだが、どこまでのっても1000円というわけではないということは主張しておきたい。
だからどうだというのではないが・・・。もちろん高速道路無料化を唱える民主党の欺瞞を指示するわけではない。
土日は最近大変混むので、それを考えると割安感は半減するしねえ。
今さっき、蚊に刺された。うぅ かゆい(>_<)
もうしっかり夏ですね。
マイケルジャクソンさんが、亡くなったらしいですね。
随分昔に来日したとき、旧大阪難波球場へコンサートに行きました。
最上段からの鑑賞でしたので、豆粒のようにしかみえませんでしたが、世紀のスーパースターの動きにちょっとだけ感動しました。まあ、豆粒でしたからねえ。
ご冥福をお祈りします。
関東地区と関西地区の限定情報なのですが、7月に東京の朝日カルチャーセンターで、9月に大阪の朝日カルチャーセンターでシンポと講演に出演します。よろしければご参加下さい。
☆ 7月25日6時半~ 第三回世界遺産鼎談講座
今日は吉野の桜を守る会の今年度総会。
事務局を務める読売新聞大阪本社で会合がある。
大阪は暑いだろうなあ・・・・。
息子の大学進学はいろいろ考えもあって、東京へ行くことを進めたが、どうしても東京はいやだというので、京都に落ち着いた。
ただウチから京都は今年方角が悪いのだ。
で、さんざん考えて、4月からは滋賀県安曇川の信者さんの離れに下宿させ、通学させている。で、7月からは亀岡に引っ越しをさせる。9月からはようやく京都に移る。三角転居という、方違いを使うことになったのである。
今日、亀岡に行って来たわけは、そういうことである。
幸いネットでレオパレスの空き部屋を確認していたので、スムーズに物件の下見が出来た。しかも今はレオパレスのキャンペーン中ということで、部屋代が半額だった。超ラッキーである。
まあ、それにしても物いりな話であるが・・・。親は辛いなあ。
今日は今から息子の方違い引っ越し探しに亀岡に。
大雨が降っていていやだなあ~。
今日も忙しい一日でした。
昨日の宴会は11時終了。今日は朝6時起きで、蔵王堂朝座勤行。終わって団体参拝のみなさんと記念写真。
朝から事務所でいくつかの事務処理を終えて、東南院へ。11時からの多宝塔法華三昧法要に出て、法要後11時45分に金峯山寺の事務所に戻り、雑誌ブルータスの取材を13時までばっちりうけました。
奈良の南部が持つ魅惑を吉野を出発点に取材する特集記事の応対でした。山修行のことや吉野の説明などたくさんある話ですが、2時間分の話を約一時間に切りつめてしゃんしゃんと済まして、速攻で東南院にもどり、宴会参加。乾杯にはタッチの差で間に合わず・・・。
で、15時に団体参拝のバスに乗って自坊に帰山。
ハードな一日は無事終わりました。。
ちなみにブルータスの取材ですが、8月号での掲載と聞いています。まあ、一時間以上話しましたが、載るのは2,3行かも。。そんなものですから・・・・。載ったらまた報告しますね。
昨日とてつもない葬儀をすませ、約200人のお手伝いの人に礼を言い、最後まで残ってくれた宗内の助法者と精進落としの接待をして、今朝5時起きで車をかっ飛ばして、自坊に帰山。
11時から時間を遅くして月並の護摩供(普段は8時半)を行い、午後から信者様のお宅に家祈祷に主張し、明日は3時起きで、自坊の講中をつれて大峯山山上ヶ岳に登拝修行です。。
もうハードなことハードなこと。
おかげでご多忙ダイエットが出来そうです。
去る5月16日に82歳で死去した五條順教・金峯山寺第28世管領および金峯山修験本宗第2代管長の本山葬が18日、吉野町吉野山の東南院鳳凰殿で営まれ、約500人の宗教関係者や住民らが参列。宗教界に大きな功績を残した前管領に別れを告げた。~奈良新聞
http://
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各新聞社に載りましたが、その中で奈良新聞が写真入りでした。ただかなり内容はまちがっていましたが・・・。
ともかくとてつもない葬儀でした。
半田孝淳天台座主猊下以下、延暦寺滋賀院門跡井深猊下や延暦寺長臈小林猊下など11名の式衆にご葬儀をつとめていただき、われわれ山内のものは焼香会葬者への応対で大わらわ。不肖私が葬儀委員長を仰せつかり、死にそうな一日でした。ここ二日でしっかり2キロ痩せました。
さて特別来賓の顔ぶれがすごかったです。ご本人が直直においでいただいた管長さまは金剛峰寺松長座主猊下をはじめ、四天王寺和宗管長奥田猊下、聖護院門跡・本山修験宗管長宮城猊下、西教寺天台真盛宗管長西村猊下、真言律宗大矢猊下、大念仏寺・融通念仏宗倍厳猊下、犬鳴山修験七宝瀧寺東條猊下。そのほか、曼珠院門跡藤猊下や大乗教や大和教団の各猊下、念法真教桶屋教務総長、天台寺門宗宗務総長、全日本仏教会深沢事務総長、修験学会宮家会長、種智院大学学長頼富先生などなど、100名を越える特別来賓のみなさまで、もう枚挙に暇のない偉い高僧先生がたがたくさん随喜参列いただきました。
本当に気の張る2時間20分でした。
準備から昨日までの約1ヶ月が夢のような過ぎて、順教猊下の最後のお別れをつとめさせていただきました。
葬儀直前にハプニングもあり、心労の極みを経験しましたが、御本尊のご加護か、無事執り行えて、本当にほっとしております。
追伸:奈良新聞には薬師寺安田猊下も参列とありましたが、急用で当日はご代理出席でしたし、会葬者は約1500人でした。訂正をしておきますね。
明日の本葬に向け、奔走中(^^;)
今日と明日は総勢150人体制でのお手伝いとなります。
天台宗座主、初の高野山参拝…空海と最澄の“対立”超え
天台宗総本山・比叡山延暦寺(大津市)の半田孝淳(こうじゅん)座主が15日、和歌山県高野町の高野山真言宗総本山・金剛峯寺を訪れ、宗祖空海の誕生を祝う同寺最大の法要「弘法大師降誕会(ごうたんえ)」に同寺の松長有慶座主と並んで参列した。天台座主が高野山を公式に参拝するのは、両宗の約1200年の歴史で初めてという。~ 「読売新聞」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090615-00000278-yom-soci.view-000
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ブログにも書いていますように、こ6月18日には当山の管長本葬儀が吉野山であり、半田天台座主猊下のお導師、そして松長高野山座主猊下随喜という、吉野はじまって以来の厳儀を執り行うことになっています。
歴史的な出合いをされたうご両者が3日後に、吉野でおそろいになる…しかもお二人がお出ましになるお葬式自体が珍しいし、加えて四天王寺奥田猊下、聖護院門跡宮城泰年猊下、真言律宗大矢実圓猊下など仏教界より10数名の管長猊下、門跡猊下のご来駕賜るという大変なご葬儀となります。
この葬儀委員長を勤める私としては、そそうのないように、身震いするような思いでいますが、なにか今日のニュースはそれをいよいよ盛り上げてくれています。
昨日の那智勝浦町のフォーラムを無事終え、町のみなさんに高級温泉旅館で懇親会のご接待を受けて、今朝、帰山。
途中、花の窟神社にお参り。確か以前にも行った覚えがあるので、二回目の参拝。
○花の窟と日本書紀
天地開闢において神世七代の最後に伊弉諾尊・伊弉冊尊ともに生まれた。国産み・神産みにおいて伊弉諾尊との間に日本国土を形づくる多数の子を設ける。その中には淡路島隠岐島からはじめやがて日本列島を生み、更に山・海など森羅万象の神々を生んだ。伊弉冊尊の神逝り後、妻に逢いたくて黄泉国まで行った伊弉諾尊に死後の姿を見られたことを恥じて、逃げる伊弉冊尊を追いかけるが、黄泉比良坂(現;島根県東出雲町)で伊弉冊尊が道を塞ぎ、伊弉諾尊と離縁する。その後、伊弉冊尊は黄泉国の主宰神となった。日本書紀の一書では三重県熊野市有馬の花窟神社に葬られたと記されている。 引用:花の窟神社HPより
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いい天気でしたので、いいお参りができました。すがすがしい気持ちになって帰ってきました。
ところが撮った写真がみんながみんなピンぼけになって います。いざなみの神さまがいたずらされたのかなあ。
今日6月13日は那智勝浦へGOー!
那智勝浦町主催の「祈りの道講座・世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」を語る 」に出演してきます。
時間は15:00~17:00、場所は那智勝浦町体育文化会館2階大集会室 です。
出演は・・・・
熊野那智大社 宮司 朝日芳英様
那智山青岸渡寺 副住職 高木亮英様
高野山真言宗金剛峯寺 教学部長 村上保壽様
吉野山金峯山寺 執行長 田中利典様
中日新聞 相談役 横内 恭様(司会)
という豪華??メンバー。
12時から打ち合わせなので、そろそろ出かける支度をしないと間に合いません。遠いからねえ~。。
終わってなにやら豪華温泉旅館で懇親会。このところ、詰まっていて倒れる寸前なので、少し骨休めになるかなあ~。
ではでは・・・・。
鳩山総務相:辞表を提出 官邸で「潔く去る」と語る
http://mainichi.jp/select/today/news/20090612k0000e010071000c.html
麻生首相に辞表を提出後、記者に囲まれる鳩山総務相=首相官邸で2009年6月12日午後2時4分、小出洋平撮影 麻生太郎首相が12日、日本郵政の西川善文社長の続投を認める意向を固めたのを受け、続投に反対する鳩山邦夫総務相は同日午後、麻生首相に辞表を提出、受理された。鳩山氏が首相の意向に従わなかったことに伴う事実上の更迭で、鳩山氏は辞表提出後、首相官邸で記者団に「正しいことが通用しないなら潔く去る」と語った。首相は鳩山氏の後任として佐藤勉国家公安委員長に総務相を兼務させることを決めた。
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それでなくても劣勢を強いられている衆議院選挙戦。鳩山さんがやめたら、一層国民不審は広がるように思いますが。。
いろいろ問題発言はありますが、言ってることは結構的を得ている、国民も支持してるのにねえ。
心配だなあ・・・。
今日は高野山。。
昨年9月に伊勢神宮での発足して、今年は第一回の総会と巡回法要を高野山金剛峯寺で行います。名付けて、「神仏合同 国家安泰世界平和祈願会」。。法要は午前11時から金剛峯寺金堂での開催となっています。
ほとんど媒体を通じての告知がないので誰も知らないでしょうが…公式HPでさえも諸事情から告知されてませんのでね(^_^;)
導師は金剛峯寺松長有慶座主猊下・斎主は生田神社加藤隆久宮司の神仏合同。
一般参拝可とはなっているはず??です。ま、誰も知らないので来ようがないでしょうが。 天気も回復基調のようで有り難いです。
よろしければ高野山にこうやさん??
昨日おとといと世間をほっつきまわっていて、吉野を留守にしており、パソコンの前に座れませんでした。
・・・といいながら今日も午後から奈良県庁へ。
夕方からは[アサヒビール「ほろにがフェスティバル」] に参加。毎年恒例のイベントで、アサヒビールを美味しく頂戴しています。今年も飲み過ぎないようにしないとね。。
明日は奈良から直接高野山へ。
神仏霊場会の総会です。
昨年9月に伊勢神宮での発足報告法要以来、順調に展開されていますが、発足一年目の法要を高野山金剛峯寺で行うことになりました。
「神仏合同 国家安泰世界平和祈願会」法要は午前11時から金剛峯寺金堂で開催。
導師は金剛峯寺松長有慶座主猊下
斎主は生田神社加藤隆久宮司
一般参拝可です。よろしければどうぞお出まし下さい。
・・・というわけで、今日明日もまた吉野山に不在の吉野山人です。
今日は1時50分~3時まで、川上村総合センター・やまぶきホールで開催される第14回川上村労働災害防止大会の基調講演会に出かけます。演題は「山伏から伝えたいこと」。
労働災害と山伏のどう関わるか…行ってみないとわからないたよりない話ですが、まあ法螺でも吹いて誤魔化してきます。
根がバカですから、頼まれるとどこにでも出かけます。
11時から千衣法要です。
毎年6月7日は開祖役行者の御縁日で高祖会大法要を営んでいる。
今日はその前夜祭。雨もあがって無事に執行出来そうである。
時間になったら(午後三時ころ)映像がここに出ます
↓ ご笑覧あれ!!
http://
私も随喜出仕してまーーーす。導師ではありませんので。
せんとくん 酷評一転して人気
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090605-00000003-maip-soci
世間でいくら人気を博そうと、あかんものはあかんし、気持ち悪いものは気持ち悪い。・・・・と私は思っています。
県庁内でも最初酷評されていたのに、世間が妙に注目するに従って、変節する人ばかり。
まあ、だからってマントくんもナームくんもイマイチではあるけど、あのせんとくんのきもさは格別。
あれが人気になることは予想してたけど、やっぱり現代社会は下手物を好むんだよねえ。どこか品性をうしなっている証のような感じがしました。
それからあのキャラが決まる過程の不透明さも闇の中…。まあもとは取ったのでしょうが。
ちなみにせんとくんはせんとくんとしてたかがキャラのことなので、遷都祭には私も奈良県南部の拠点として参加協力することになっていますが、境内にせんとくんはいれません。・・・それが条件で協力することを受けました。
このところ。ずーーとアクセス数が気になって仕方がありません。
せこいですねえ。
そのわりには更新をさぼっているのですが。
もうちょっとすることも多いのですけれど、なんていうか、どこか寂しいのかなあ。
大変お待たせしましたが、神仏霊場会の正式ホームページの運用が始まっています。
よろしければご参照下さい。
これで私のブログのヒット率もさがるのかなあ・・・。
「順教猊下の想い出…」
五條順教管長猊下の想い出は尽きない。
ご遷化の訃報を受けてすぐ、ある新聞社から取材依頼があった。私に猊下の想い出を話してほしい、ということだった。記者にはまず、管長様はどんな方でした?と尋ねられた。
猊下はとても美しい綺麗な管長様でした。立ち居振る舞いがいつも清らかで、まさに管長様らしい管長様。管長様という地位というかお立場が天職のように感ずるほど、管長様らしい管長様でした。管長様ご自身も管長とはかくあるべきだという、なにか信念のようなものをお持ちで、その自分の信念に徹しきっておられた…そういう私の印象でした。それは晩年重い病床にあられても最後の最後まで変わることなく、最後まで美しい管長様のままでした。その信念の堅固さに、改めて凄味と畏怖を覚えるほどの方でした。
貴方にとっては一番印象に残る言葉はなにでしたか?とも聞かれた。
金峯山寺に職員として入ったとき、「志の大きな僧侶になりなさい」と最初の教えを受けました。これが私が金峯山寺で活動する上で常に大きな糧となりました。修験三本山合同や世界遺産登録、修験道大結集、そして今年は紀伊山地三霊場会議の発足などなど、自分の身の丈を超えるようないろんな事業に関わることが出来たのも、全て管長様のお導きのお陰でした。いつもいつまでもこの管長様の御言葉を大切に大切に胸に刻んでおきたいと思います…とも答えた。
記者の取材に答えながら、管長様と過ぎ越してきた三十八年が走馬燈のように私の脳裏を去来する。管長様は私の父とはとても親しい関係で、そういうことからお出会した当初から私は大事にしていただいてきた。自坊にも何度かおいでいただいた。記念大祭や晋山式などの公式行事のほかにも、プライベートでもなんどもお越しいただいたものだった。父が亡くなってから一度も公務以外でおいでいただけなかったことが今となっては心残りである。猊下お気に入りのお蕎麦屋さんにもう一度お供をしたかったです。
猊下訃報のあと、猊下が晩年親しくされていた作家の方からメールを頂戴した。猊下はとてもあなたを頼りにされていたのですよ…と教えていただいた。猊下の想い出はつきないが、猊下のご期待に添えるように、これからも志を大きく、前に進んでいきたいと願うものである。ありがとうございました。 合掌。
だんだん、世の中に出て行くのが面倒になる自分を自覚しますねえ。
実は今日は午後から橿原市で、奈宗連の総会と上田紀行さんの講演会があるのですが、朝から勤行やら昨日の護摩の片づけやらなどをぐずぐずとしている内にどんどん時間が遅くなり、とうとう行く気が失せてきて、参加を断念しました。
今朝4時起きで8日の講演会の準備をしていたせいもあるのですが…
夜は吉野で橿原考古学研究所の菅谷文則さんの所長就任会があるので、なんとか帰りますが・・・・。
ぐずぐずとしてしまう自坊生活です。
順教猊下の追悼文を2つ書いた。
最初のものは以前ブログで書いた内容になるが、密葬の忙しい中の執筆だったので少し手直しをして号外の機関誌の載せた。
まずその文を転載する。
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「猊下の教えを胸に」
私には人生の師が三人いる。一人は八年前に亡くなった父である。実父であるとともに、この修験の道に私を導いた師僧である。父の背中をみて大きくなったから、修験の道に繋がったのである。心底、父の元に生まれてきてよかったと思っている。
もう一人は龍谷大学以来、ずっと師事しているA博士。大学での出会いがご縁で、A博士に一生師事出来るという幸せはとてつもなく大きく、今でも会うたびに示唆に富んだアドバイスと慈愛をいただくのは本当に有り難いと言うほかない。
そしてもうお一人は、十五歳のときからずっとそばで随身をさせていただいてきた五條順教管長猊下である。まるで父のような心持ちで三十八年、仕えさせていただいた。まあ仕えるといっても、従順ではなかったかもしれないし、猊下にとっては到底弟子とは思えないような、きっと不出来な人間であったに違いないが…。ともかく私にとっては無二の人であった。
その猊下が去る五月十六日未明、不帰の人となられた。その朝、吉野山は深い深い悲しみに包まれ、私もまた言いようのない寂しさと悲しみに、立ちつくす思いでいた。病院にお迎えにいかせていただいて、ご遺体を前に最後のお別れを申し上げ、これまでのご恩にひたすら感謝していた。
猊下には多くの想い出がある。東南院小僧時代のこと、シルクロードやスペインをお供したことなどなど…。それら中で一番強烈な想い出となったのは、つい二ヶ月ほど前、重い病床で闘病生活を送られる中、私は遺言のようにして、ある教えを受けたことである。師はその病床において「吉野修験の究極は蔵王一仏信仰である」と宣言された。私にとってこれは本当に感動する一言だった。それから亡くなる直前まで、お見舞いにいくたびにこのことを繰り返しお話になられた。
かねてより、私が理想の僧侶とする生き方は、『往生要集』を著した恵心僧都源信和尚であるが、和尚の何を理想とするのか…というと、和尚最晩年の著作に『一乗要訣』という本がある。本書の中で和尚は「一乗仏教を極めて、最後は阿弥陀を祈る」という一言を残されている。この文章に接したとき、私もいづれはかくありたい、と願うところとなったのである。
私はいつまでもまともな修行もなかなか出来ない、ほんとに不具合な修験の僧侶である。それは一番私が知っている。でも、とめどなく生まれ続ける煩悩と、哀しいくらいに猥雑な日々に追われながらも、僧侶として縁をいただいた以上は見性(悟り)を得たいし、いつか、どこかで、なにかしら信仰的安心を獲得したいと願っている。もちろん源信和尚のように優秀ではないから簡単なことではない。でも、修験信仰のご縁の中で、さまざまな関わり合いや求道遍歴をして、ついにはなにか和尚のような「最後は阿弥陀を祈る」と言い切れる、信仰的境地を得たいと思っているのである。
私が管長猊下のお言葉を聞いて感動したのは、この源信和尚のことを思い浮かべたからである。病床の猊下のもとにいき「蔵王一仏」信仰を聴くたびに、猊下は修験信仰を極めて、ついに、源信和尚の境地に到達されているんだと身震いするような思いでいたのである。
とうてい猊下のような生き様は出来ないまでも、これまでいただいた大きなご恩に報いるためにも、その最期にお示しいただいたかけがえのない信仰上の金言をしっかりと胸に受け止めて、お教えを守っていきたいとお誓いする次第である。
***************
もう一つの追悼は後日。
1日は朝から比叡山に本葬の件で天台座主半田猊下をお訪ねして、夜に自坊に帰ってきた。
このところ、管長様の遷化で全く自坊に帰られなかったので久しぶりである。
2日は信者さまの会社にお払いに出向いた。
今日は月例の護摩供。1時から修法する。
ともかく疲れ気味なので、御本尊の前で鋭気を養わなくっちゃ・・・。
明日からはまた吉野である
今日は朝からいい天気!気持ちいいねえ~
今日も一日、みんな大好き (^_^)v
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