順教猊下追悼~その2
「順教猊下の想い出…」
五條順教管長猊下の想い出は尽きない。
ご遷化の訃報を受けてすぐ、ある新聞社から取材依頼があった。私に猊下の想い出を話してほしい、ということだった。記者にはまず、管長様はどんな方でした?と尋ねられた。
猊下はとても美しい綺麗な管長様でした。立ち居振る舞いがいつも清らかで、まさに管長様らしい管長様。管長様という地位というかお立場が天職のように感ずるほど、管長様らしい管長様でした。管長様ご自身も管長とはかくあるべきだという、なにか信念のようなものをお持ちで、その自分の信念に徹しきっておられた…そういう私の印象でした。それは晩年重い病床にあられても最後の最後まで変わることなく、最後まで美しい管長様のままでした。その信念の堅固さに、改めて凄味と畏怖を覚えるほどの方でした。
貴方にとっては一番印象に残る言葉はなにでしたか?とも聞かれた。
金峯山寺に職員として入ったとき、「志の大きな僧侶になりなさい」と最初の教えを受けました。これが私が金峯山寺で活動する上で常に大きな糧となりました。修験三本山合同や世界遺産登録、修験道大結集、そして今年は紀伊山地三霊場会議の発足などなど、自分の身の丈を超えるようないろんな事業に関わることが出来たのも、全て管長様のお導きのお陰でした。いつもいつまでもこの管長様の御言葉を大切に大切に胸に刻んでおきたいと思います…とも答えた。
記者の取材に答えながら、管長様と過ぎ越してきた三十八年が走馬燈のように私の脳裏を去来する。管長様は私の父とはとても親しい関係で、そういうことからお出会した当初から私は大事にしていただいてきた。自坊にも何度かおいでいただいた。記念大祭や晋山式などの公式行事のほかにも、プライベートでもなんどもお越しいただいたものだった。父が亡くなってから一度も公務以外でおいでいただけなかったことが今となっては心残りである。猊下お気に入りのお蕎麦屋さんにもう一度お供をしたかったです。
猊下訃報のあと、猊下が晩年親しくされていた作家の方からメールを頂戴した。猊下はとてもあなたを頼りにされていたのですよ…と教えていただいた。猊下の想い出はつきないが、猊下のご期待に添えるように、これからも志を大きく、前に進んでいきたいと願うものである。ありがとうございました。 合掌。
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コメント
この記事へのコメントは終了しました。
修験道は素晴らしい!!!

修験の教え、心を更に世に広められる事を願っております!!
投稿: h.t | 2009年6月 9日 (火) 10時40分
h.tさん。どもです。
ありがとうございます。ぐぁんばります。。
投稿: 吉野山人 | 2009年6月10日 (水) 08時52分