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順教猊下追悼~その1

順教猊下の追悼文を2つ書いた。

最初のものは以前ブログで書いた内容になるが、密葬の忙しい中の執筆だったので少し手直しをして号外の機関誌の載せた。

まずその文を転載する。

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「猊下の教えを胸に」

私には人生の師が三人いる。一人は八年前に亡くなった父である。実父であるとともに、この修験の道に私を導いた師僧である。父の背中をみて大きくなったから、修験の道に繋がったのである。心底、父の元に生まれてきてよかったと思っている。

もう一人は龍谷大学以来、ずっと師事しているA博士。大学での出会いがご縁で、A博士に一生師事出来るという幸せはとてつもなく大きく、今でも会うたびに示唆に富んだアドバイスと慈愛をいただくのは本当に有り難いと言うほかない。

そしてもうお一人は、十五歳のときからずっとそばで随身をさせていただいてきた五條順教管長猊下である。まるで父のような心持ちで三十八年、仕えさせていただいた。まあ仕えるといっても、従順ではなかったかもしれないし、猊下にとっては到底弟子とは思えないような、きっと不出来な人間であったに違いないが…。ともかく私にとっては無二の人であった。

その猊下が去る五月十六日未明、不帰の人となられた。その朝、吉野山は深い深い悲しみに包まれ、私もまた言いようのない寂しさと悲しみに、立ちつくす思いでいた。病院にお迎えにいかせていただいて、ご遺体を前に最後のお別れを申し上げ、これまでのご恩にひたすら感謝していた。

猊下には多くの想い出がある。東南院小僧時代のこと、シルクロードやスペインをお供したことなどなど…。それら中で一番強烈な想い出となったのは、つい二ヶ月ほど前、重い病床で闘病生活を送られる中、私は遺言のようにして、ある教えを受けたことである。師はその病床において「吉野修験の究極は蔵王一仏信仰である」と宣言された。私にとってこれは本当に感動する一言だった。それから亡くなる直前まで、お見舞いにいくたびにこのことを繰り返しお話になられた。

かねてより、私が理想の僧侶とする生き方は、『往生要集』を著した恵心僧都源信和尚であるが、和尚の何を理想とするのか…というと、和尚最晩年の著作に『一乗要訣』という本がある。本書の中で和尚は「一乗仏教を極めて、最後は阿弥陀を祈る」という一言を残されている。この文章に接したとき、私もいづれはかくありたい、と願うところとなったのである。

私はいつまでもまともな修行もなかなか出来ない、ほんとに不具合な修験の僧侶である。それは一番私が知っている。でも、とめどなく生まれ続ける煩悩と、哀しいくらいに猥雑な日々に追われながらも、僧侶として縁をいただいた以上は見性(悟り)を得たいし、いつか、どこかで、なにかしら信仰的安心を獲得したいと願っている。もちろん源信和尚のように優秀ではないから簡単なことではない。でも、修験信仰のご縁の中で、さまざまな関わり合いや求道遍歴をして、ついにはなにか和尚のような「最後は阿弥陀を祈る」と言い切れる、信仰的境地を得たいと思っているのである。

私が管長猊下のお言葉を聞いて感動したのは、この源信和尚のことを思い浮かべたからである。病床の猊下のもとにいき「蔵王一仏」信仰を聴くたびに、猊下は修験信仰を極めて、ついに、源信和尚の境地に到達されているんだと身震いするような思いでいたのである。

とうてい猊下のような生き様は出来ないまでも、これまでいただいた大きなご恩に報いるためにも、その最期にお示しいただいたかけがえのない信仰上の金言をしっかりと胸に受け止めて、お教えを守っていきたいとお誓いする次第である。

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もう一つの追悼は後日。

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