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岩根山行者堂…奥駈前行シリーズ

いよいよ奥駈本番まであと10日余り…。このところつい奥駈前の体力作りに齟齬をきたしていて、心配はつのるばかりだが、久しぶりに前修行に山に登った。

朝から自坊の施餓鬼法会を終え、助法に来てくれたお弟子さん2人を連れ立って、山家の岩根山行者堂へ。役行者さまをお祀りする古い御姥であるが、私も初めての登拝である。

○岩根山行者堂 綾部市上原町惣谷
 本尊 行者菩薩、役の小角尊像(二尺八寸) 厨手前五尺社付、上家弐間半に三間
 谷家代々行者の尊心あつかったが、第七代谷衛秀公帰依深く、安永六年(1777)十月六日大和国吉野の角の坊住職権大憎都盛永法印にたのんで此の山を開き、貝留地蔵と共に建立した。神変行者菩薩像は、古野の本覚本尊と同本を彫刻したもので、行基菩薩の作と伝えられていて是を安置している。安永八年(1779)五月建替三間半に四間の御堂にしたが、天明元年(1781)三月十八日火災により堂宇焼失した。幸にも本尊・鐘・宝物は持出し焼失を免れた。同月二十八日時の領主第八代鶴太郎衛量公が援助して再建した。明治三十九年二月十三日改築の許可を受け、虔寺院の広瀬町御山寺が維新で廃寺となったので、ここも廃堂同然となっていたのを、谷量恒が発願者となって瓦葺きのお堂に改築した。昭和三十三年六月三日屋根・本尊厨子を改修した。春五月一日戸開け、秋九月一日戸閉めの式を祭行している。
 領主御念持仏の不動尊が岩根山山麓の免地の行屋に安置されていたが、損傷も甚しく修理して、行者尊の脇立に安置した。安政四年(1857)二月のことである。(山家史誌より収録)

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自坊から車で約15分。JR山陰本線山家駅を経て、登山口へ。

午前11時25分に登拝開始。岩根山行者堂まで1100㍍、約40分の看板が登山道口に掛かっている。法螺を立ててもらって、いざ、山中へ。道はかなり整備されていて、大峯道よりもしっかりした登山道である。岩根山というだけあって、岩肌を一気に登る。幸い天気もよいので、心地よく足が進んだが、地面はぬめっとしていて、苔があり、滑りやすい。雨でも降れば大変難儀する道になるだろう(実際下りではすべってすべって難儀した)。

約30分で、行者堂へ到着。適度な汗をかく・

ついてみて驚いたのはりっぱなお堂ぶり090815_115701 090815_12190001 090815_12190002 090815_122101 である。脇には小さな祠があり、石像の役行者も祀られている。

勤行をする。由緒にあるとおり、ここは吉野の角の坊の住職が開いた行者堂。・・・とすれば、本格的な大峯行者?がお経を唱えるのは何年ぶりだろうか…などと想像を膨らませながら、一心に唱えていると、しばらく法雨が降り注いだ。

御陰で、よい修行の一日となった。

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コメント

岩根山行者堂のお写真、なかなかいい雰囲気ですね~♪
左下のお写真は皇大神宮さんの正宮みたいで風格があって
お参りされているお写真は全く別のお堂みたいな幻想的な雰囲気で
靄がかかって特に山人様の頭上に丸い靄…
って、もしかしたら
レンズに付いた ただの水滴(笑)ですかぁ!?(^^ゞ
お写真撮ってくださったお弟子さんが霊能者で
心霊写真撮ってしまった!(*^o^*)
というわけではないですよね~?

私、霊能者でも何でもないフツーの人ですけど
好きな雰囲気のお山ですし、
熱烈歓迎田中利典師ご一行様♪(^-^)ノ~~
と雨を降らせてくださったのかもしれませんよ?

それはさておき(笑)、
綾部市にはいろんな修験道関係のお山があるんですか!?
山人様ってよっぽど恵まれた環境に御生誕あそばした(笑)んですねぇ!?
(*^_^*)

BBさん、そうなんですよね。

今まで綾部のことにあまり目を向けてこなかったし、15のときに実家を出て以来、生活の中心は大津・京都・大津・吉野…とずっと出たままということもあって、知らないことばかりでしたから。

学び直してみようと思っています。

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