今日は桑名へ・・
今日は桑名にある私の弟子さんの、寺の祝いの法要出仕です。
ようやく腰も痛みが和らいでいます。
今夜は綾部、明日からは東京です。。
ほんと、どうしようもないほど、忙しいです・・・。
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今日は桑名にある私の弟子さんの、寺の祝いの法要出仕です。
ようやく腰も痛みが和らいでいます。
今夜は綾部、明日からは東京です。。
ほんと、どうしようもないほど、忙しいです・・・。
今日は橿原市の立正佼成会奈良教会で行われる第6回奈良県宗教者フォーラムに出向です。
本会は古都から宗教が果たす役割について発信するのが目的で東大寺・薬師寺・春日大社・天理教・立正佼成会など奈良にある超宗派超宗教の団体で、6年前に設立され、奈良の伝統行事などを通じて伝わってきた神仏習合の思想が、平和にもつながることを訴ている。まさに県内の宗教者が垣根を越えて集まり、世界平和などへの願して連続講座を毎年行っている奈良ならではの大会。
私も第2回開催時から参加。。昨年から実行委員を勤めている。
今回までは宗教者同士の勉強会を兼ねたフォーラムだったが、来年は遷都事業と提携して、一般公開しておこなわることになっている。
写真は三日前の東福寺である。
臨済宗の名刹寺院東福寺。この近く…歩いてホンの5分のところに息子がワンルームマンション暮らしをしていて、東京からの帰り、ここに泊まった。朝、少し時間があったので、散歩がてらに東福寺に。
拝観は8時半からにもかかわらず、たくさんの人が歩いていく。拝観入り口にチケット売り場があった。到着したのは5分前・・・にもかかわらず、なんと長蛇の列(写真1)。200人以上は並んでいただろうか…。24日の朝だから連休明けの火曜日ですよ、火曜日。
まあ驚いたのなんのって・・・。
確かに最近の京都観光の白熱ぶりはすさまじいが、ここまで人が来ているとはねえ。東福寺は今や紅葉シーズンのメッカとなっているんですね。
私が大学に通っていた35年ほど前は、東福寺の紅葉なんて、誰もいかなかったように思うのですが。
吉野もぽつぽつ紅葉シーズンは賑わうけれど、まあ、全く話にならない人の数である。
紅葉は、まあ綺麗と言えば綺麗ですが、吉野だって、見ようによってはもっと綺麗なんですがね。
今日27日は午後1時から、蔵王堂境内愛染堂の大祭法要です。内容は祈願護摩供と法華懺法会。護摩の導師はもち、私。愛染さまのご供養の一日となります。参拝フリー・・・是非、ご参加下さい。
*一口メモ
愛染明王とは・・・愛欲煩悩が即菩提であることを開示した明王であり、愛を成就させてくれるという信仰のほか、染物屋の守護神としても名高く、大阪の四天王寺支院勝蔓院の愛染まつりはつとに有名である。
ちっとも休めないけど、鍼灸師の先生に治療して貰ったり、足裏マッサージを施術したりして、ようやく今日辺りは7割方、楽になったように感じます。コルセットはしていますが・・・。
そんな私を心配して、有り難いことに、普段身体ほぐしをしてもらっているヨガの先生からメールが来ました。。
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整体の世界では「破壊の後、再生」で痛みが出るのは良い事とされています。痛いほど再生機能が働くそうです。腰痛は長年の心身のストレスの積み重ねの爆発と思われます。今から再生の時期。破壊されないと再生されないので、破壊された事は祝福です。くれぐれも、再生期間は無理をされないように。
そして、破壊を否定されないようになさってください。必ず、再生します。
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そうなんです。今は破壊から再生の時なのです!って思ったら、少し楽になりました。
じっくりと養生は出来ませんが、出来る範囲内で、養生と節制を心がけたいと思います。
たくさんの方から母の入院にメールやお見舞いのお言葉をいただきました。私も仕事を山積する中で、東京・大阪・奈良・綾部と、うろうろするばかり…、お礼をいうのもなかなか出来ないような状況です。本当にお心遣い、ありがとうございます。
昨日夕方綾部に帰り、見舞って、今朝も吉野に来る前に顔を見てきましたが、ベットから起きて、少し元気になっていました。まあ、御歳83歳ですから、一旦体調を崩すと、がくんと悪くなるので、心配は心配ですがねえ・・・。
婦人公論2月号の奈良特集で取材があった。
どうせいくらかしか載らないのにサービス精神旺盛な私はびっちり一時間、話した。話した内容は1時間半の講演分話したので早口となったが、テープにとっておられたので膨大な量だと思う。
でも載るのはわずかになるにちがいないが・・・。
写真もいっぱい撮られた。5シーンほどあっちむいたり、歩いてみたり、アップだったり、笑ったり、澄ましたり…でも載るのは小さく1枚なのにねえ。
疲れました。。
おうちに帰ります。
今日は少し腰痛も回復していて、元気なのです。
28日まで吉野にいられるので移動もないし…と思っていたら、母が心臓をまた悪くして、救急車で入院。。入院先でもう落ち着いてはいるようですが、とりあえず午後から見舞いに帰ります。明日には戻りますが。。
で、残念ながら、またまた長距離移動ですねえ。腰がぁ・・・・。
昨日は東京の平井にある割烹「久野」にて、盟友の正木晃先生や弟子のIさんらとちょっと早めの忘年会的懇親会をした。わざわざ正木先生はこの会のためだけに小田原からおでかけいただいた。
さてこの昨日集った割烹「久野」は、なかなかの名店である。
→http://gourmet.yahoo.co.jp/0007673348/C0QGMRX5BJ0/
上のHP情報では和食ふぐ料理となっているが、和食全体が美味しい。Iさんの行きつけの店で、私も正木さんもお気に入りになって、東京に来たときはときどき出かける。主人の腕が素晴らしいのだ。
8人も入れば満員になるこじんまりとした店だが、是非お勧めの名店だと思う。高くて美味しい店など、東京ではごまんとあるが、安くてうまい店は京都でも少ない。関西人の私がうなるお店である。
昨夜は私たち4人で貸し切って、おまかせ料理をいただいた。全部美味しかったです。
腰の具合がイマイチなので、お酒は控えめにしたが、銘酒も揃っ ていて痛飲したくなる料理でした。
吉野の田中さんに勧められたといえば、きっと大事
にしてもらえると思いますよ。来年の御本尊ご開帳のチラシも店内に貼ってますので、行った人は見て下さいね。
今日から東京です。
明日は日本橋の奈良まほろぼ館での産官学講座。
うぅ、腰がぁ・・・。
昨日の大結集平和の祈りの大護摩供のはじめに、不肖私の朗読で、4年前に採択し、世界に向けて修験者からの平和の祈りを発信した、平和の祈りのメッセージを再び読み上げました。
以下、添付します。。
○修験道大結集「平和の祈りのメッセージ」
”人が信じる、すべての仏に、神々に、合掌”
私たち人間は、地球の住人です。
その地球、そして大宇宙の森羅万象の中で、私たち人間は特別に優れているとか、
劣っているとか、そういうことはありません。
あらゆる命、あらゆる存在が、全て等しくこの世にあります。
しかし、人間はその真理を忘れ、今に至りました。
欲望を満たすことだけが生きる意味ととりちがえ、森羅万象をないがしろにする。
人間同士、些細な理由で互いをわけへだて、差別する。
宗教、人種、歴史、文化…。互いの価値観のちがいを、ことさらにあげつらい、
蔑み、妬み、争い、ときには殺し合う。なんとあさはかなことでしょう。
歯止めのきかない自然環境破壊、頻発するテロや戦争、すべてが、その結果です。
今、人間はみずから播いた災いの種に苦しめられています。
そして、この苦しみは、私たちの子や孫の世代まで、
そのもっと、ずっと先の世代まで続くのです。
「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、
人の心の中に平和の砦を築かなければならない」とユネスコ憲章の中にあります。
禍の根源にあるのは、私たち一人ひとりの心です。
見えざる大きな力が働いているわけではありません。
この心を正すことなくして、地球に平穏は訪れません。
世界自然憲章の前文は「人間は自然の一部である」と語ります。
「自然は人間を癒す」とも語ります。
人間は、自然との深い関わりなしに、その歪んだ心を正すことはできないのです。
山に伏し、野に伏し、自然を、そこに坐す神仏を祈る修験道は、
そうした人間の心に巣食う罪、過ちを戒め、五体を通した修行の中で、
清め、再生することを実践してきました。
大自然の霊気に接することで、
山を、木々を、一切の存在、命を敬い、感謝する心を育んできました。
また釈尊は「すべての生きとし生きるものよ幸いあれ」と述べました。
人と人は、過去にとらわれず、互いを思いやる。すべてを咎めず、許す。
その精神は「恕」の一文字に集約されます。
私たちは、ユネスコ憲章の精神に賛同して行った
「修験道大結集・平和の祈りの大護摩供」結願の証として、
この「恕」の心を、世界に、未来に発信します。
そして、地球上の山川草木、さらには大宇宙のありとしある全存在とともに、
宗教、人種、歴史、文化の違いを超え、すべての人間に、森羅万象の一切に、
「地球平穏・世界平和」への祈りを捧げ続けることを宣言します。
~修験道大結集実行委員会 敬白
明日は修験道大結集五周年記念の平和の祈りの大護摩供本番です。
内容は11月13日の日記を見てください。
で、今日から築壇や諸準備に多くの人が来山してくれていて、用意が進んでいます。まあ、あいかわらず、腰の加減はよくないですが、そんなこと、言ってられませんのでねえ。
指示すればみんながやってくれていますから、ともかく、いるだけでいいのが有り難い。
明日は晴れてほしいです・・。
完全休養中、いつもの倍くらい寝たけど、久しぶりに本も読んだ・・・。
"売国者たちの末路 (祥伝社)副島 隆彦, 植草 一秀 (共著)"
・・・・これはよかったなあ。みなさんもお勧めである。あの植草さんが大いに語っているよ。コイズミー竹中の罪を暴露している。これを読む限り自民党崩壊もやむなし…なんだけど、民主党もねえ。。アメリカに売るか、中国に売るか、売国奴ばかりの国なのかも???
"天皇はなぜ生き残ったか (新潮新書)本郷 和人著"
・・・・・・・本郷さんは私の『熊野 神と仏』の書評を読売新聞に書いた人。どんなひとなのか知るために読んでみた。結構面白かった。ただああいうコメントを書くこの人の立つ位置がよく理解出来た。
・・・・・・・療養中、拓郎ばかりを聞いていた。それで昔の著述だが、彼のエッセイを読みたくなった読んだ。もう完全復活ってわけには行かないだろうが、身体を労って、少しでも長く生きて、音楽活動も続けてもらいたい。彼は日本の宝である。
まあ、読書三昧っていうほどの量ではないので、読書二昧ってことで(^_^;)
昨日は夜に、おととい治療を受けた搗頭(つきかしら)針灸師さんの治療をふたたび受けて、かなり回復。。
そうとう夏からの無理と、身体の冷えが奥底までたまっていて、押圧と灸と針の治療で、奥底の悪いところまで呼び覚ましていただいて、途中で全然動けなくなりましたが、約2時間20分の(…ほんとうに丁寧な先生なのです)治療の結果、今回はかなり回復したように思います。
またふだんの姿勢の悪さを徹底的に指摘され、日常の生活改善もきつくいいわたされました。
さてさてほぼ3日間、完全休養をしてきましたが、今日からは復帰。これから水を浴びて、19日の月例脳天護摩を一座修法です。
それから信者さまの相談を数件受けて、吉野に帰山。
修験道大結集は目の前ですからね。早く腰を治さないと。
頑張ります(^_^)v
みなさんにご心配をいただいた御陰で、腰痛も徐々に回復して…と言いたいところなのですが、今朝から、逆に痛みが増してきて、なんとも情けないことです。
完全休養日も今日もまで・・・。今日の夕方には月参りの家祈祷出張・・・明日は19日に月例護摩のあと、5件ほど信者さんの相談にのり、夕方には吉野へ。。21日には修験道大結集があり、20日は一日準備に奔走することになる・・・にもかかわらず、腰痛は一向に治らないのである。
どうもおきているときより寝ると悪化する。寝ている姿勢が腰の負担を大きくしているようである。
完全休養にしない方がよかったかなあ。
昨日今日と、いつも倍くらい寝たので、なんだかそこら中が痛み出してきて、だめだなあ。
内臓疾患ではないようなので、一週間くらい湯治にでもいけばいいのだろうが。。
ともかくお見舞いありがとうございます。
休養日初日…昨日はなにもしなかった。
夜近くの鍼灸院へ治療に行った。
搗頭(つくかしら)さんという変わった名字の先生で、なかなかの名医だった。地元の人らしいが、この名字は全国にも僅かしかないっていうお話しだった。同い年だったが、学区が違うのではじめて出会った。治療院は自宅から車で3分ほどのところに、十数年前に開業をされていたが、ちょっとはいりにくい雰囲気で、今回万を持して??はじめて訪ねたのだった。
押圧と、針と、灸をしてもらった。一時間半の施療で、随分回復し痛みが半減以下に楽になったが、帰ってきて、夜寝たら、また少し元に戻って痛みがでて、4時前に目が醒めた。
今回のような腰痛ははじめての経験だが、なんだか長引きそうだ。
明日まで完全休養日にする…といっても、めったにいない父がいるので、一番下の5歳の子供が幼稚園に行くのも休んで、そばから離れない(まあ月に6,7日しかいないのだから仕方がないが…)。
でも、腰がぁ…って言ってるのに、腰に負担がかかることばかりを要求してkるので、ほんと、泣きそうな休養の一日である。
今日は幼稚園に行ってくれ!
おととい、愛知の瀬戸市に行き、昨日は朝から末寺の秋季大祭地蔵堂の回向法要と、祈願護摩供を一座修法し、夜には自宅。。
ところが夜中にまた腰痛が病みだし、今日は吉野に帰山の予定としていたのですが、急遽取りやめて、自宅静養に変更。。
まあ、今日吉野に帰っても、明日また夜には自宅に帰山しなければならず、少し腰への負担を軽くしたいので、ハードスケジュールを取りやめた次第。
15日 吉野→瀬戸 午前中:回向法要一座
16日 瀬戸→綾部 午前中:回向法要一座 護摩一座
17日 綾部→吉野
18日 吉野→綾部 夕方:家祈祷一座
19日 綾部→吉野 朝:護摩一座
・・・・とまあこういう日程だったのですから、なんちゅうか、あいかわらず、ウロウロするだけの人生なわけで。。
ともかく、今日は壊れる前に、ブレーキを踏みました。
昨日掲載の読売新聞の書評・よみうり堂で私の共著『熊野 神と仏』が取り上げられました。
以下に添付します・・・。
http://
神や仏の「いま」伝える
紀伊半島の熊野三山、吉野・大峯、それに高野山は、神道、修験道、仏教(真言密教)という異なる宗教の聖地である。網の目のような参詣道で結ばれていて、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」を形成する。本書は宗教人類学者が問題を提起し、全国に約4000社ある熊野神社の中心である熊野本宮大社の神職と、いまだに厳しい修験の現場で活躍する金峯山(きんぷせん)の僧侶が存分に語る。
西欧の科学につよく影響される私たちは、宗教を哲学としてとらえ、傑出した宗教者の教えを抜き出しては、科学的な分析を試みてきた。だが、本来の宗教は難解なものではなく、人々に癒やしや心のよりどころを与えてくれる。神と仏とが手を携えて参拝者を迎えていた明治維新までの紀伊半島は、まさに人々の心を救う聖地であった。ところが明治維新政府は西欧への対抗を意識し、神仏をむりやり分離して、一神教に似た国家神道を作りだした。太平洋戦争の敗戦によってそれもまた否定され、その結果、日本人の宗教観はずたずたに切りきざまれてしまった。私たちは明治より以前に回帰し、おおらかな神仏の救いを取り戻さねばならない、との提言がなされる。
歴史認識は妥当か、とか、近代化を受容する中で信仰だけがあと戻りできるのか、とか尋ねたいことはいくつかあるが、一つだけ。神と仏は等しくあがめられ、信ずべき存在として1450年が経過した。だから「神か、仏か」という問いは愚かしい、という。果たしてそうなのだろうか。スピリチュアルのすがたを借りたトンデモや、カネもうけのために神や仏の名をかたるデタラメがあらわれた現代、神とは何か、仏とは何かを見つめなければ、「ニセモノ」を見きわめる目も養うことはできまい。自らが選び取る、というふるまいを経なければ、本当の宗教心は生まれないように思うのだが。
神や仏の「いま」を宗教者自身がどう認識しているか良く伝わるという意味で、ぜひにも読みたい一冊。
◇うえしま・けいじ=宗教人類学者◇くき・いえたか=熊野本宮大社宮司◇たなか・りてん=金峯山寺執行長。
原書房 2000円
評・本郷和人(日本中世史家)
*********************
なかなかキツい辛口の評論でしたねえ。ちと反論したいです…。今のマスコミや文化人にありがちな批評っぽいので黙ってられません。
とりわけ評論で、提言として扱われている内容のほとんどは、私がここ5年くらい、主張し続けたことです。また神と仏についてのお話はある種の、あの本の核心の部分です。
それだけに、言いっぱなしにされないように、きちんと話をしたいと思っています。
来年この本の二回めのトークショーを大阪でするので、そこでやろうと思います。トークショーが楽しみになってきました。まあ、でもねえ、大阪でのトークショーは実は、それほど大きな意味が見いだせなかったし、すでに一度出版記念のトークショーを東京のジュンク堂でやっているので、植島先生と九鬼宮司との同窓会的な感じで考えていたのです。それが、私たちなりに反論というか、追加説明というか、そういう機会になりそうで、面白いことになるかもと思っています。
文化人を気取る人たちの多くや、自分たちのいうことだけが常識、自分たちこそが正しい社会通念だと勘違いしている…というようなマスコミらしい評論ですから、料理のし甲斐があります。。
以前、山折哲雄さんと司馬遼太郎さんがどこかのテレビで対談していた映像をみて、「え、司馬さんって、宗教が全くわかってない…」って感じたことがあります。あのオウム事件騒動のことも、事件前にいろんな方が麻原と関わっておられたときに、文化人やマスコミ人が本当に宗教をわかっているのかと思ったことがたびたびありました。
まあ、私もそんなに人に偉そうに言える立場ではないですが、でもそこそこまじめに宗教をやってきているので、私程度のことさえ、体験出来ていない、理解出来ていない文化人やマスコミ人に宗教を軽々に語って欲しくないし、恥ずかしくないのかと思ったりしたのですが、今回の評論の底に、そういう認識度の低さを感じたのですがねえ・・・・。
でもともかく、大阪でのトークショーが楽しみになってきました。
ちなみに来年1月23日夕方、朝カル中之島教室で開演です。
追伸 でもまあ、最後に是非読みたいお勧めの本であるって書いて頂いているから、なにわともあれ、書評として、これは有り難いですねえ。
今日は元、私の上司の13回忌を午前中に済ませ、午後は愛知の瀬戸市へ、、、。明日末寺の教会で、回向法要と護摩供を依頼されています。
腰がまだ完治していないので、ちょいと心配。
遅ればせながらのお知らせです。
来る11月21日(土)に金峯山寺蔵王堂において修験道大結集五周年記念の平和の祈りの大護摩供を執行します。。
金峯山寺では、平成16年7月に「紀伊山地の霊場と参詣道」として吉野・大峯並びに大峯奥駈道がユネスコの世界遺産に登録されたのを記念し、平成16年7月から翌年6月に掛けて、「地球平穏・世界平和」を祈念する「修験道大結集・平和の祈り大護摩供」を発願致しました。そのときには、全国の修験各ご本山・寺院・教団からご賛同を賜り、18寺22会の大護摩供が蔵王堂境内において修法され、修験史上初ともいえる規模で平和への祈りを捧げて頂くことが出来ました。また結願日には多くの参加寺院の随喜をいただき、平和の祈りのメッセージを世界に向けて発信し、無事成満させていただきました。
早いもので、あの素晴らしい勝縁から5年の歳月を迎えます。
つきましてはこの意義ある法会を風化させぬよう、下記日程により、金峯山寺修験主催による「世界遺産登録並びに修験道大結集5周年記念・平和の祈り大護摩供」を再び開催させていただくこととなりました。是非多くの方々にこの法会の勝縁にご参加いただきたく、ご案内を致します。
・・・ってわけで、本格的な準備が始まっていまして、なかなか寝込めないのですよねえ。
詳しくは以下
記
日 時 本年11月21日(土)午前11時~
場 所 金峯山寺蔵王堂及び東南院
当日の予定 午前10時50分 東南院前整行列
( 稚児山伏・各山代表・修験大衆)
午前11時 蔵王堂勤行
午前11時半 平和の祈り大護摩供厳修
平和の祈りのメッセージ発信
午後12時半 大護摩供終了
午後1時半 懇親会 於東南院/妙法殿
******どうぞご参拝、ご参加下さい。
8日の夕方から痛み出した腰痛は10日の夜中に最高潮に達し、ほとんど寝返りも打たなくなりました。
這うようにして11日は奥駈取材の打ち上げ会に大阪まで出て、少しお酒も飲んだので、症状悪化が心配されましたが、みなさまの声援をいただいたお陰で、どうやら少しずつ快方に向かっています。
昨日の夜もかなり腰の痛みで寝苦しい夜でしたが、まあまあ、ふつーの痛みになっていて、歩けないほどではないのでご安心下さい。
当初内臓疾患か…と心配をしました。しかしじっくり考えるとこの夏からの不摂生と奥駈以後の運動不足が遠因のようで、とりわけ7日の薬師寺晋山式が直接の原因だと思い当たりました。
あの素晴らしい晋山式を思い出すと、確かに3000人以上の人々のほとんどが、パイプ椅子にお座りだったのに、真っ正面に設えられた私の周りの来賓席のみ、床机タイプの背もたれなし席でした。その背もたれなしの席で、約2時間半の長丁場を緊張して(なにしろかぶりつきの正面来賓席ですからねえ…そう不細工な格好ではいけないわけで…)座っていたので、腰にきたのだと、気づきました。BBさん、薬師寺のたたりとはそういう意味で、深い意味ではありません。たたり…などという表現は不適切でしたが。m(_ _)m。。
まあ、ともかく夏の不養生がいちばんの原因でしょうが。。腎臓や肝臓などの内臓疾患でなくて、ほっとしています。
ご心配をかけましたm(_ _)m
しばらくは無理せず、ぼちぼち行きます。
どうやら腰痛です。。内臓疾患じゃなければよいけど、といってぎっくり腰を起こすような心当たりもないし、原因はわかりません・・・。
まだちょっと休養日程がとれない状況なので困るなあ。
この間の尾鷲国際フォーラムの、面白い関連記事を見つけた。
********************
●3霊場15社寺 連携めざす●
熊野古道国際交流シンポジウムで、行者の吹く力強いほら貝の音色に続き、金峯山寺(きんぷせんじ)(奈良県吉野町)の田中利典執行長(54)は、山伏の装束で演壇に立った。
「山伏こそがこの参詣道の本質ではないかと思い、あえてこういう格好で、山伏の象徴とも言われるほらを聞いていただいたんです」
「吉野・大峯のすばらしさを見直し、地元の認識を深めたい」という思いから、99年ごろ世界遺産登録を奈良県に提案。その後、別々に活動していた三重、和歌山両県にも声をかけて「紀伊山地の霊場と参詣道」の活動に広がり、登録にこぎつけた。
「違う聖地が道でつながっているのは、多様な信仰心を持つ、日本人の精神文化のよりどころ」が持論。この世界遺産は「平和のありようの大きなひな型になりうる」と夢は大きい。
シンポジウム1週間前の10月24日には、東京・新宿の書店で、宗教人類学者の植島啓司さんらと朝日カルチャーセンターでの鼎談(てい・だん)を元にした「熊野 神と仏」(原書房)の出版記念トークショーの場にいた。「宗教者が外に向けて自分たちのやっていることをコミットしていかなければという思いがあるんです」
外への発信だけでなく、そのエネルギーは内にも向いていく。10月、吉野大峯、熊野、高野山(和歌山県)の3霊場の15社寺を集めて「紀伊山地三霊場会議」を立ち上げた。保存や活性化で連携することをめざすが、世界遺産登録前には、異なる宗派や宗教の社寺が手を携えることは考えられなかったという。
1874(明治7)年、明治政府の神仏分離政策で金峯山寺は一時廃止された経緯がある。「近代は文明を受け入れることによって、自分たちの文化を壊してきた。私たちが培ってきた風土、文化を取り戻すことが本当に世界遺産を守ることにつながる。かっこつけて言えば、『近代との闘い』なんです」(月舘彩子、藤崎麻里)
↓
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記事を書いてくれた月舘さんとはフォーラムの始まる前に、話をしたので、かなりきちんと書いてくれました。
ここ6年ほど、いろいろ取材を受けましたが(今日も3つありました)、ともかく私のような者の言動に世間が大変おもしろがってくれているので、お調子ものの私はつい饒舌になってしまいます。
銭金には関係ない仕事ばかりですが、有り難いことですねえ。
11月8日9時38分配信 デイリースポーツ
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悲願の日本一を果たし、宙を舞う原監督 |
もうかれこれ7~8年くらい前から、ウィキペディアに私の名前が、龍谷大学人物一覧と、僧侶一覧で掲載されていた。誰がアップしたのかわからないのですが・・・。
大変光栄に思っていましたが、その後、当時龍谷大学出身者一覧に載っていた方のほとんどが赤字から青字にかわったのに、私だけがずーーーと赤字のままでした。ご存じかと思いますが、赤字はクリックしても情報のないひとで、情報の書き込みがあると、青字に替わるのです。
初めは載っただけで光栄に思っていましたが、時々見に行くたびに周りの赤字の人が青字にかわっていき、だんだんと肩身の狭い思いをしていたのです・・・そしてついに私一人が赤字に・・・。
まあ、私が載っているくらいなので、最近のウィキペディアの信頼性にはかなり疑問がもたれているようですが、それでも、こうなるとなんだか載っていること自体が気恥ずかしいわけでして・・・。
で、あるとき東京のマイミクさんと講演会の後の懇親会で、彼女が作家活動もしていて、ウィキペディアにもときどき書き込んでいるという話を聞いたのを思い出し、そのうち青字転換になるようお願いしました。
快く引き受けていただいていたのですが、つい最近にようやく見事に青字になりました。嬉しいですねえ。
よろしければ御笑覧あれ・・・・。
ちょっと大げさかなあと思うほどの細かな略歴も整えてもらいました(^_^;)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E5%88%A9%E5%85%B8
昨日自坊の秋季大祭を無事終え、今日は一日がかりで後かたづけをしました。準備には弟子をはじめ、たくさんの方がきてくれますが、かたづけはみんな帰ってしまって、私一人ですので、まあ、なにかと大変です。準備も大変ですが、かたづけはもっと大変なわけで、くたくたになりました。少し落ち着いてようやくPCの前で報告が出来ます。
低気圧のせいで、前日は嵐のような雨が降っていて、大祭当日の天気を心配していたのですがなんとか回復して、まあまあでした。それでも午前中は少し小雨を感じましたが、午後からはなんとか晴れ間も出て、予定通り、外での大護摩供及び火渡り式火生三昧も修法出来ました。
父が頑張っていた頃の大祭は200名近い人で境内も賑わったのですが、私があとを取ってからは、本山宗務の傍らで自坊をやっているせいで、からきし人が参拝においでにならなくなり、淋しい限りです。でもまあ信者さまは激減しましたが、ネットで知り合った人や大学時代のアルバイト先でお世話になったYさんのようにブログを見て来て頂いた方など、自坊林南院に直接は関わらないけれど、田中利典個人の関わりで、遠くから人もおいでいただき、それなりに形が取れて、無事秋の大祭を終了いたしました。
ほんとに参拝者は少なかったけれど、行者さんの数は20名を越え、法要はすばらしいものだったと自負しております。大護摩供も龍炎かと思うような法火と法煙でしたし、火渡りもなかなかよかったですよねえ。
お手伝いのみなさま、また当日寒い中をご参拝いただいたみなさま、ありがとうございました。
秋の大祭は自坊の御本尊へのご供養の祭りでもあります。御本尊によろこんでいただけた大祭になったと思っております。関わって頂いた多くのみなさんに深謝礼拝申し上げます。
ちなみに写真は午前中の内法要法華三昧と法話する山人。それから午後の大護摩供の様子です。
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