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真剣な生活

こんなのを見つけました。朝から目から鱗の文章でした。転記します。

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http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou

「真剣な生活は凄い気付きに」

ある廃村になりつつある集落に、一人で住む老人の話を知りました。90歳に近い老人は、数年前まで都会に暮らす息子の家に、数年間だけ住んでいました。
本当は、息子の家が在る都会で自分の死を迎えるのが、家族にも迷惑が掛からずに自分にも最良だと思っていました。

しかし都会では、外をトボトボと歩けば自動車が危ないし、大好きな畑仕事も出来ませんでした。家にこもってテレビを見ても、もう視力と聴力が衰えていて意味が分からず、まったく面白くなかったのです。
一日中、部屋にいるだけで、考え出すことは早く死ぬことばかりと成ってしまいました。
もう、これでは嫌だとなり、死を覚悟して家族の反対を押し切って、一人で寒村へと戻られたそうです。

それから、老人の真剣な生活が始まりました。
とにかく誰もいないのですから、コケるだけで、そのまま死んでしまうかも知れません。注意しながら、今日が最後に成るかも知れない一日一生な生活が始まりました。

毎朝、日の出と共に起床し、今日は何を食べるかを考えることから始まります。朝食を食べ終わると部屋掃除をし、今度は昼飯の準備です。
昼飯が終わると、今度は大切な食料を作る畑仕事です。そして、夕方に成ると木を燃やして風呂を準備し、夕食を食べると、もう疲れはててバタンキューです。
テレビを見ても聞こえないし、誰とも会えないのですから、自分の生活だけを真剣に見つめておられます。
老人は、この生活が「最高に楽しくて仕方が無い」と明るく言います。

毎日、自分の死を覚悟して見つめて生きていますと、朝に目が覚めると
「ああ今日も生きているのか。有り難いことだ」と心から思うそうです。
そして、外の畑や山々の景色が、本当に光り輝いているのが薄い視力で分かるそうです。
老人の生活自体が「禅」であり、働きながら本当の瞑想をしている状態と成るのです。
金を徴収して、「わざわざ座る形」の瞑想は、ただのヒマ人の道楽に過ぎません。座ろうと「する」時点で、本当の瞑想から外れています。魔境にしか行けません。

「生きているだけでも有り難い」と、真から思えるように成りますと、人間は精霊の気配を感じ始めます。そして、他人からの弱い思いの電波にも、思いやりからの理解をする事が出来るのです。
これがカンナガラ(神と共に生きること)な生活をさせ、無難に生きて行くことを可能とさせます。
つまり、「生きられるのがアタリマエだ」なんて慢心した心では、正しく色々な気配にも気付くことが出来ないのです。そして、不満な状態へと自ら選択して進む事と成ります。

雑多な都会の中でも、「生かして頂いて ありがとう御座います」の視点で、生きることが出来れば最高です。
綺麗な自然のおぜん立てが無くても、汚れた雑多な中でも「意識」出来ることが尊く、深い気付きへと導かせます。

生かして頂いて ありがとう御座位ます。

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ホントにそう思いますね。

ありがとうございます。

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コメント

伊勢ー白山道のこの記事は今まで忘れていた何かを思い出させてくれます。
生かせて頂いてありがとうございます。

信榮さん、生きているだけで極楽なんだと、気づかせていただきました。。

すぐ忘れるかもしれませんが・・・。

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