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後醍醐天皇のご聖忌法要

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今日10月15日は後醍醐天皇のご聖忌法要でした。毎年この日に営んでいます。

午前9時からは後醍醐帝の御陵…塔の尾御陵…に参拝し、10時前から南朝妙法殿で、法要を営みました。

蔵王堂下の西の台地が、吉野の朝廷(南朝)が営まれた皇居の跡となっています。

延元元(1336)年十二月二十一日、足利幕府によって京都の花山院に幽閉されていた後醍醐天皇は、女房姿に身をやつして、ひそかに脱出されました。いったんは賀名生(西吉野村)に落ちつかれましたが、そこはあまりにも山深く、人里遠い所だったので、吉野山に使いを送り、吉水院の宗信法印に相談すると、宗信法印は金峰山寺の大衆を蔵王堂の大庭に集めて、窮地に立った後醍醐天皇を吉野山に迎えようと説得し、年も暮れようとする十二月二十八日、天皇は吉水院に入り、しばらくの皇居とされました。

しかし、吉水院は皇居としては手狭だというので、この地にあった実城寺を皇居に南朝を立て、寺号を改めて金綸王子とし、ここに五十六年におよぶ南北朝対立の時代が始まりました。

後醍醐天皇は、吉野山の皇居にあって日夜京都奪回の策をめぐらしますが、形勢はしだいに不利となる中、三度の春を吉野山に送って、延元四(1339)年八月九日、ふとした風邪が、心身ともに疲れ果てた天皇をおかし、八月十六日の深夜丑の刻、ついに 崩御されました。

金峯山寺ではこの皇居跡の一角に、南朝四帝と南北朝時代以後の戦乱によって死亡した多くの霊を祭るために、全国の信徒や有縁の人びとに呼びかけ、昭和三十八年秋に今 見られる南朝妙法殿、八角三重塔を建立しました。

そして、もと実城寺の本尊であった、木造釈迦如来座像(重要文化財)と普建、文殊の両菩薩を主尊としています。この釈迦如来像こそ、数多い金峯山寺の仏たちの中でももっとも古い仏像のひとつで、檜の一木から彫り出されています。

実は御陵参拝はずっと続けていたのですが、妙法殿での法要はここ10年近く断絶していました。今年から改めて復活いたしました。

~写真・文「新吉野紀行」参照   http://www.yosino-pc.jp/sinyosinokikou/yama/ 

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