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中外日報さーん! 大誤植です (>_<)

中外日報の依頼で書いた文章が12月23日号に掲載をされた。

・・・と、ところがぁ、大誤植で載せられている。

文中の小見出しが、一カ所だけ本文として載せられている。他の小見出しはちゃんと整理されているのに、誠に残念である。なので、文章の意も通っているようで通っていないし、同じ文章があとから出てくるから、なおおかしなことになっている。

まあ、ねえ・・・。残念としかいいようがないけど、しかたないですね。結構渾身の一作だったんですが。

マイミクさんに、ちょこっと文章の直しのお手伝いをしてもらったバチがあたったのかなあ・・・。

追伸 希望の方は送り先をメールしていただければpdfで送りますよ。

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コメント

玉稿拝読いたしたく送付願います。
最近の編集はコピペが多く、原稿の背景を読む力が編集者に失せているのでしょう。
平城京レポートはそんな時代の申し子。

naraneko21さん、送りましたので。よろぴく。。

よくは判りませんが、残念というか、お気の毒というか。。。ま まっ お気を確かに(笑)

お原稿、お送りください。
誤植には萎えますよね。
わたしの場合、単行本の
「献辞」に誤植という悲惨なことが。
直しを要求したら、
「もう刷ってしまったから」と。涙。

玉稿拝読。
「祈りのない、拝む心のない仏像ブームは仏教の自滅である」
まさしくその通りだと思います。
東大寺お水取りも祈りの心と無関係の
「写真を撮りたい」だけ人が
前の席に陣取っている。
観光客が観光行事としてお松明だけ見て帰る。
なんだか違うなあと思うのです。
葬式仏教も、普段お寺と無関係な人が、
お経と戒名に高いお金を払いたい、
と思わないのは当然。
普段からの心の交流と祈りがなければ、
お寺は衰退していくか、
単なる観光資源になるか。
後者は残念ですよね。

お寺は、広い本堂もあるし、これからは、
「心のコミュニティー」の中心として、
復活していけるはずだと思います。
世間はみんな、拝金奔走曲に踊らされ、
結局心の空洞を抱えている。
人と人の繋がりも希薄に。
温かな繋がりと祈りの心を
お寺が中心になって
取り戻してくださったらいいな!
と思うのです。

美千子さん、読んでいただいて、コメント、ありがとうございます。

>お寺は、広い本堂もあるし、これからは、
「心のコミュニティー」の中心として、
復活していけるはずだと思います。

これは私の数年前からの持論で、戦後、村落共同体や家族制度、氏子制度などなどいろんな意味でそれまで日本を支えてきたコミュニティが解体されていますが、唯一残っているのがお寺を衷心にした檀家制度だと思っています。

仰せの通り、唯一残ったこの檀家というコミュニティを、本来の「こころのコミュニティ」として活用しないてはないなあと思っていて、そういうことを何度か申し上げてきました。

私自身が檀家のない僧侶なので、友人知人に勧めているのですが、なかなか、簡単な話ではないようですが、そこしかないと思っているのですが・・・。

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