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あるがままに。

友人の母上の通夜読経に同席した。

母上の遺影を見上げながら、元気だった母上のことなどを思っていた。

ずいぶん前のことになるが、「りてんさんはウチでご飯を食べたりするのにウチの品物をかってくれへんなあ」と母上に言われたことがある。たまに買うとものすごくまけてもらうので、それが悪くて、団参で自坊の人たちを吉野に連れてきたときはよそのお店で買っていて、みんなに買うのを勧めなかったのだが、そういわれれば仰せの通りである。ごめんなさい、と詫びて、以来、ずっと自坊の御用達になった。

なんどか雑誌の取材で、「お勧めの店は?」と聞かれると、いつも友人のお店を紹介するのは、あのときの母上の言葉が心に残っていることもある。

そんなことなどを思い出しながら、通夜の席を過ごした。

お通夜の席は、もっと辛くなるかと思ったが、友人の母上の遺影に向かって、死もまた、営みだなあと、つくづく話しかけるような気持ちでいた。

・・・正直、ここしばらく泣いてばかりいました。でも泣きくたびれたというか、母が少し元気になったこともあり、いろんな学びが生まれたことも含めて、あるがままに生きるしかない、と少し諦観をもてたような気がします。

人間はあるがままに、生きるしか、ありません。

でもあるがままに生きることを受け入れることはなかなか難しい。まして、生き死には、あるがままっていうわけには簡単にはいかないものである。

吉野山人のあるがままに‥というブログなのに、不細工な話ですが、あるがままに受け入れることが出来ない毎日を過ごしていました。ま、不細工なことも、それもまた、あるがままなんです‥。

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