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青から赤へ・・・

2010

一昨日、蔵王堂で、地震封じ、原発事故早期解決、大震災被害者鎮魂のための特別護摩を一山みんなで修法した。

そのとき参加した霊脳ある友人が、「普段は青黒色の蔵王権現さまが、顔を真っ赤にして、大地の揺るぎを押さえておられる姿をはっきりと見た」と言っていた。それを聞いて心を強くしたのである。

蔵王権現の左端は大地の盤石を踏みしめ、地下の悪魔を封じ、天地の揺るぎを押さえるお役目。権現様にともかく頑張っていただきたい。

・・・この護摩のあと、ある参拝者から声をかけられた。

実は東京での私の朝カル講座になんども来ていただいているという方(申し訳ないことに私は覚えていません・・・)で、私の顔をみて、お話をされたのである。

「私の身内の多くが東北にいるのですが、このたびの大震災で家をなくすような被害はありましたが、誰一人命をなくすものはなく、本当にありがたかったです。このありがたさをどの神仏にお礼しようかと考えたとき、気づくと新幹線に乗って吉野に来ていました。そして今日の護摩にたまたま参拝できることになりました。ここ吉野で、震災のことをみなさんが一心に念じていただいていることを目の当たりにして、泪が止まりませんでした。東北に帰ったら、みんなに是非このことを伝えたいと思います」って言っていただいたのである。

祈りはきっと通じるはずです。

今日も蔵王堂では朝・昼・夜の三度と震災の起きた時刻の2時46分に震災封じと鎮魂と被災者救済の祈願をさせていただいています。

「なくした分だけ希望を手にする」を心に、蔵王権現様への祈りを続けたいと思います。

そして一日も早く権現様の真っ赤なお顔がもとの青黒色に戻っていただけるようになればと念じてやみません。

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コメント

色に対しては色だけに
いろいろとららえ方がありますが
怒りは青、赤は慈悲。
これが密教における色かと思います。

愛染明王はまさに慈悲の塊。
だからこそ愛染、真っ赤っか。

今回、蔵王権現様が赤くなられたのは
人々の煩悩を蹴散らす怒りの青から
人々を苦難から脱却させるために
思い切り慈悲を示されているのでは
ないでしょうか?

吉野山人さんのこのブログを読み
少し蔵王権現さんの瞑想をしていましたら
そのように感じました。

いつもよりも温かく優しい。

これは私の個人的な感覚です。
基本的にはいろいろな捉え方が
あって良いかと思います。

そうなんですね。思いが至りました。。

平穏なところにいて、祈り祈りというだけでよいのですか。蔵王権現の色が赤くなったなど、巷の拝み屋のような次元の低いことを言っていないで、せめて被災現地の弔いの場へ出向いて、無念の死者にお経のひとつも捧げることこそ、今、ボーサンにできることなのではありませんか。修験者にして平和ボケしているとしか思えない。それができないのであれば、宗教法人として享受している非課税という恩恵をこの際、
返上するという協力の仕方もあるはず。

武庫立松さま、仰せの通りですね。

ただ私は今日もまた9時前に大きな余震があったように、大震災以来、ちっとも収まらない大地の揺れに本当に危惧を抱いていて、鎮魂や追悼よりも、この大地の揺らぎをなんとかしなければという思いが先にあります。

友人がかなり被災地に入っています。お誘いもありましたし、入った中の状況も聞いています。

それでもあえて、私がやるべきことは大地の揺らぎをなんとか押さえる祈りだと今は思っています。

私は普段からお葬式をしない僧侶です。家内安全、病気平癒などの日々の願いに応えて祈願をさせていただいております。

普段お葬式に関わっている友人たちの、ここでのがんばりには頭が下がります。

ですが、普段祈願をして、なにがしかのお布施をいただいている私が、今この大地の揺らぎに祈らないで、なにが家内安元だ、病気平癒だって思いが私にはあります。

阪神大震災では13年間、慰霊行脚に行かせていただきました。私にとって慰霊とは今できることと、これから出来ることの身の程があります。

だからなんといわれようと今の私に出来ることをするのみです。

すいませんが気に入らないなら、別段このブログに書いていることなど無視をして、
おたずねいただかない方がよいと思います。そんななまくらな山伏ですので。ごめんなさい。

人には色々な考えがあって良いかと思いますが、誹謗はいただけません。
世の中を成り立たせているのは見えるものばかりではありません。その見えないものを実覚しているからこそ宗教がありえます。
宗教家はそこに繋がり、そのエネルギーを現実世界に展開していくのが役目。
被災があったから現場に赴くというのならば、今は世界中を駆け巡らなければならないと思います。
吉野山人さんが、吉野で祈りを捧げられる。これはほんとうに貴重なことで、その周りにおられる方々も、その祈りで大きく変化されていっているはずです。目先の問題にとらわれて大きなものを見過ごすことは宗教家の本分ではありません。
鎮魂をする僧侶、慰霊をする僧侶、祈祷をする僧侶、気づいたことを説法する僧侶、現場で片付けをする僧侶、色いろあるかと思います。自分でできることをしっかりと行い、未来に対して責任をもっていくることこそ重要ではないでしょうか?そういう意味で、私は吉野山人さんの、いまのあり方に大いに賛同しています。
つまらぬ批判をするくらいならば自身が現場で働くべきであるでしょうし、今は共に何をせねばならないか、この日本全体のための自分の本分は何かを見つめ、実行するときかと思います。
吉野山人さんがおっしゃるように、どこの神社をめぐっても、今までのエネルギーとあきらかに異なっいます。地震活動期と重なり今は日本全体が大きく変化しているときのようです。
共に自分のできることを、しっかりと行えれば最高ですね。

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