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母の病いに想う

「母の病いに想う」と題して、先日、地元の市民新聞に寄稿した。若干、本文を削られたが、投稿後、4,5日した掲載された(5月11日発行:あやべ市民新聞/風声欄)。
 以下、削られる前の原文をアップする。ご感想をどうぞ。

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「母の病いに想う」

ここ数日、毎日母を病院に見舞った。といっても単身赴任の私は自宅に帰ってきていたゴールデンウィーク期間のことで、それも多くて日に2時間くらいしかいられない。とても介護というようなものではなく、申し訳なく思うばかりである。

母の側に居る時は手をさすったり、足を優しくもんだりしている。そんな母に触れるほどに、ずいぶん弱ったものだと思う。日に日に衰弱していく姿に、大したこともしてやれないもどかしさを感じ、胸が潰れそうになる。

母は心臓と肝臓と腎臓の機能が著しく低下しているが、それでも意識はしっかりしていて話は出来る。

江戸時代の正受老人(禅師)が「病中は只是れ六道修行、ひたすら病犬猫の態にて六道に流転せよ流転窮まりて断滅せん」と名言を遺しておられる。わけは「病気ほどよき修行はないと心得よ。病気になった犬や猫のように羞恥心を捨てよ。医師や看護師の言うがまま、されるがままに打ちまかせ、心中で六道流転せよ。流転に流転を重ねて窮まった時、執着や迷いは断滅す」というほどの意味である。

自分ではなにも出来なくなりつつある母は、そんな自分を覚悟しているようで、身体の痛みを除いては、ほとんど文句を言わない。自宅看護が難しいので、もう自宅へは戻れないことも、家族がそばに付き添えないことも、すっかり受け入れている。まさに正受老人の境地にいるかのような穏やかさである。

そんな母は涙なしでは接しられないような容態であっても、どこか凛として私には映る。自分が病気を得てもこうはいかないだろうと正直思うほどである。

母は1月からS病院に緊急入院し、3月から主治医が居るK病院に転院した。ここ2年は入退院を繰り返したが、今回の入院ではなにかすっかり覚悟があるのか、執着心や迷いというのがそげ落ちているように思えるのである。

両病院とも先生も看護師もたいへんよくして頂いている。S病院の担当医師の愛想の悪さには文句を言いたかったし、K病院にも改善のお願いしたいことはたくさんあるのだが、側に居られない分、母の介護は看護師さんに頼る他はなく、ただありがたいと、心から感謝合掌している。

母に遺された時間はいくばくかは知れないが、出来るだけ、今の気持ちのまま、心穏やかに毎日を過ごしてもらいたいと願うのみである。

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まあ文章にするとよく書くわけで、実際は文章から受ける印象よりは母は元気だしわがままなのだが、でもある面はまさしく今の母の姿でもある。

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