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伝法潅頂終了!!

伝法潅頂終了でーす!
明日休んであさってから四日連続の結縁千人潅頂に続きますが、前半戦の終了です。お手伝いを頂いた皆様、受法のみなさま、ホントにお疲れ様でした。やれやれです・・・・。
で、今日は夜9時半をご期待下さい。
NHKBS3で、 ~311 映画監督62人が見つめた大震災 世界を代表する映画監督、日本の若手監督たちが、東日本大震災を想い制作した3分11秒の短編映画。作品、監督インタビューで映画に託した監督たちのメッセージを伝える。~ 
私も出ているようです。 → 

金峯山寺の千人潅頂!

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20日から始まった金峯山寺の伝法潅頂。今日が三日目です。で、前回(平成18年)の潅頂会から一般の方々にも広く秘仏金剛蔵王権現さまとの結縁をいただいてもらうべく、結縁潅頂会を「千人潅頂」と名前をあらためで修行していますが、その「千人潅頂」が明日明後日と開催されます。ただしもうこの二日の申し込みはソールドアウト。
27,28,29,30日の受法分はまだ受け付けています。
よろしければ駆けつけてください。時間によってはソールドアウトの会もありますが、朝や夕方分はまだまだ余裕があります。

結縁潅頂とは蔵王堂秘仏金剛蔵王権現さまの前で、密教最大の秘儀式潅頂会にお入りいただき、蔵王権現様に直々に縁を結んでいただく修行会です。蔵王堂を締め切って、中を潅頂道場に荘厳し、入行した方のみが、声明梵唄の鳴り響く中、大曼荼羅世界の中で、潅頂水を注がれて、秘仏蔵王権現様を親しく拝んでいただくことになります。

日時 10月23/24/27/28/29/30日の5日間。
   23・24日はソールドアウト。
   27日は9時、12時、15時からの3会。
   28/29/30日は3日とも、6時、9時、12時、15時の4会。
   ただし6時の会は吉野山宿泊者限定(今回初の試み)。
      27-30日の12時と29日6時、9時はソールドアウトです。

冥加料 20000円

授与物 「得仏の証」「金峯山牛玉宝印」「結縁五色紐」

是非日本最大の潅頂道場で、蔵王権現様とのご縁をおむすびください。

なお今回からはいろんな理由で潅頂期間中においでいただけない方に、「身代わり結縁」という特別な作法を行い、「得仏の証」や「結縁五色紐」をお授けして、蔵王権現様との縁を結んでいただく募集も承ります。冥加料は5000円。

詳しくは金峯山寺(0746-32-8371)にお問い合わせ下さい。

http://www.kinpusen.or.jp/event/1000kanjyou/1000kanjyou2011.htm

番組のお知らせ…「311 映画監督62人が見つめた大震災」

NHKBS3・番組のお知らせ…「311 映画監督62人が見つめた大震災」

10月25日午後9時30分から午後11時まで(90分放映)、NHKBS3「311 映画監督62人が見つめた大震災」が放送されます。

9月11日に金峯山寺で行われた「ア・センスオブホームフィルムズ」上映会の模様や、小生のインタビューも放送されます。たぶん・・・。

よろしければご覧下さい。

http://pid.nhk.or.jp/pid04/ProgramIntro/Show.do?pkey=001-20111025-10-10382

母との別れ・・・

13日の朝、母が亡くなりました。いまわのきわには立ち会えませんでしたが、前日の夕方、病室で会って話も出来ました。今振り返ると、あのとき、母との今生の別れが出来ていたように思えます。
母はここ数年、何度も入院をしました。入院退院を繰り返すたびに弱っていきました。そして今年1月に緊急入院したときは肝硬変と心臓・腎臓の機能低下で危篤状態になり、医者から、余命1週間と宣告をされました。あの時、私は泣いてばかりいました。その後、奇跡的に持ち直して、病院で車いすにのって、食堂まで食事に行けるくらいには回復させていただきました。でも、結局、自分で立って歩けるほどの元気を取り戻すことなく、9ヶ月にわたる闘病生活が続きました。
歩くことも出来ないのに、二度目の病院で更に転院を促され、このままどうなるのか…と、その行く末を心配をするようにさえなりました。そんな母も今月に入ってから、食欲がなくなってきて、ちょうど、片岡仁左衛門さんの歌舞伎奉納舞台の前後から、母の体調が急速に悪くなっていました。
12日の夕方、急遽、見舞いに帰りました。ベットの上で、丸くなって、片目しか開けられない母の姿は痛々しかったです。「もういいよね…」って思わず、呟きました。はっきりとは会話が出来なくなっていましたが、あうあうと返事をし、片目を開いたその眼は「もういい…」って答えているようでした。
「家のことも、寺のこともなーんにも心配いらんよ。死んだ先のことも心配いらんよ。ご本尊に任せていれば、なんにも心配いらんから…」って、口に言葉が出ていました。夏以降、どんどん弱っていく母を見舞いつつ、どこかで、後生の安楽を言ってやれればと思っていましたが、あの夜、自然にそのことが口をついて出たのでした。母にはしっかりと通じていたと思います。「また15日に来るから、元気でいてね」と言って別れました。
13日早朝に吉野に戻った私は吉野に着いた直後に、「急変したから帰ってきて…」と家人から電話を受け、その30分後には母の死を知らされました。
吉野からとんぼ返りで綾部に着いた時には、母はすでに病院から自宅に戻っていました。布団に寝かされた母に出会ったとき、母がキラキラと光りに包まれているように感じました。いろいろあったけど、最後は神仏に祝福をされている、そんな母の姿でした。
13,14日は自宅に置きました。1月の入院以来、久しぶりの我が家でした。私が自宅にほとんどいないので、帰りたかったはずの母をとうとう一度も帰宅をさせることができなかった不義を謝りました。13日は私が、14日は弟が側で寝て、最後の自宅の夜を過ごしました。
15日お通夜、16日葬儀は葬儀会館で営みました。思いもよらないほど、たくさんの方々に送っていただき、母はとても幸せそうでした。いいお葬式をさせていただけたと思います。みなさん、ありがとう。母にも有り難うといいたいと思います。
考えてみれば母は1月の段階で死んでいたのかも知れません。現代医療のお蔭で命を長らえたのは間違いありませんが、そのことで現代社会が抱えている延命の問題やターミナルケアの問題にも自分の問題として直面しました。そして、1月には泣いてばかりいた私に、徐々に大きな覚悟も与えてくれました。またそれまであまり知らなかった母の生い立ちを聞く時間も与えていただきました。ほんとにたくさんの学びをこの9ヶ月で母は与えてくれたように思います。いや、今まで母のことや家庭のことを見向きもしなかった戒めさえ母は教えてくれました。
この9ヶ月、家に帰れば毎日、病院に通いました。それは母が私に親孝行のまねごとをさせてくれた時間だったのではと、今は思えてなりません。私を待って待っていてくれた母でしたが、私にとって、とてもとても大事な時間を母は最後にくれたのでした。
通夜の夜・・・、お導師にお願いして、通夜法話の代わりに、少しみなさんにお話をさせていただきました。母への感謝と、いわば弔辞と、それから別れの挨拶でした。いずれ別の機会に紹介できたらと思います。ともかく今日は、13日以来ネットを休んでいた、復帰代わりのご報告とさせていただきます。
お見舞いやご弔意をいただいた多くの方に感謝申し上げます。
今日から金峯山寺では伝法潅頂会。5年ぶりの執行となります。千人結縁潅頂会も合わせて行いますので、月末までめいっぱいの日が続きます。忌中の身ながら、母の菩提のためにも、心を尽くして、勤めたいと思います。

母が旅立ちました

昨日の朝、母が今生の命を終えて、旅立ちました。前日の夜にもうみんなお任せして安心していいよ~と話をしたので、穏やかな臨終だったようです。私は立ち会えませんでしたが、長い間の闘病生活だったので母には感謝しています。ご心配をお掛けしたみなさまにこころより御礼を申しあげます。ゆっくり見送りをさせてただきます。
しばらくネットはおやすみしますが私は元気です。

松島屋片岡仁左衛門親子3代、蔵王堂でご共演!

松島屋片岡仁左衛門親子3代、蔵王堂でご共演!

昨日とおととい、吉野芸能祭2011・松島屋片岡仁左衛門さん親子3代が蔵王堂で共演して、歌舞伎を奉納するという一代公演が行われ、無事終了。

夕べは折りからの栗名月。孝太郎さんの藤娘、仁左衛門・千之助さんの連獅子が名月の月明かりの下で、見事に演じられました。輝くような素晴らしい舞台でしたね。また歌舞伎がいよいよ好きになりました。

一昨日の舞台の記事が読売新聞に載っています。  → http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20111009-OYO1T00198.htm?from=main3

私はというと、二日とも開闢の法要とご挨拶をさせていただきました。めったに1000人くらいの人の前ではあがらないのに、いろいろと注文をつける人がいて、珍しくあがってしまいました。ちょっと悔しいです。でもまあ著名な方や、関係各位のたくさんの方においで頂けて、大変意義深い、苦労のしがいのある時空を体験できました。本当にありがとうございました。

では恒例の挨拶文原稿を披露します(初日終わって長いから短くしろ、みんなで合掌をしてもらうようにしようか…などいろんな命令や発案が加わったので、二日目は少し内容が違うのですが、初日の長い方をベースに二日分を合成して転記します。)


■歌舞伎奉納挨拶

「ようこそ世界遺産の吉野山へ、修験道の聖地金峯山寺へ。そして吉野芸能祭2011 金峯山寺 奉納歌舞伎の舞台にご来山いただきました。

まず初めに金峯山寺よりのご挨拶に先立ち、みなさまにお願いがあります。ここで、みなさんでご本尊にご挨拶を申し上げたいと思いますので、恐れ入りますが、蔵王堂に向かって、その場でお立ちいただき、しばし、合掌をお願いします。 ~法螺吹奏

ありがとうございます。どうぞご着席下さい。

今ほど、行いました法螺の吹奏を以て、今宵の歌舞伎奉納舞台の開式をご本尊にお知らせ致しました。

そもそも、お寺や神社の神域で歌舞伎や能楽などを行うのは、いわゆる伝統古典芸能の原点であります。

現代社会はともすると神仏なき時代のごとき様相を体していますが、古来より世の東西を問わず、人間の営みは、常に神仏とともにあり、仕事にしろ遊びにしろ、人は生活の中に神仏をともにしてきました。

天の岩戸の前で踊ったアメノウズメに始まり、神仏を前に奉納されたものが芸能のルーツであり、芸能を通して神仏の存在をビジュアルに、演者も、観客も体感したことが始まりとされています。…そして人が歌舞音曲を楽しむのは、神仏が中心に、人が楽しむのはいわばその余録に預かるようなことであったのです。

さてこの蔵王堂には蔵王権現という吉野山を象徴するご本尊がお祭りされており、1300年にわたり蔵王権現さまへ捧げられた信仰心によって、この地は聖地となってまいりました。

そういった意味では、観客のみなさまには大変申し訳ないのですが、今日の舞台の中心は、皆様ではなく、この蔵王堂に奥深く鎮座ましますご本尊蔵王権現であり、この場に降臨されている諸仏諸神であります。…今宵はご本尊さまとともに、松島屋片岡家三代ご共演という、希なる特別な歌舞伎の夜を、楽しんでいただくことになります。

見上げれば今宵は栗名月。清浄しい名月の月明かりの下、吉野山と蔵王堂が持つ地場のエネルギーと、神仏の威力が、すばらしい歌舞伎の舞台によって、増幅され、きっと今まで経験したことのない大きな感動が繰り広げられるものと確信をしております。

お待ちかねのみなさんの前でのおしゃべりはこの辺にして、すばらしい聖地と聖なる時間のひとときをお楽しみ下さい。

聖なる力、神仏の力に満たされた素敵な一夜なることを念じ、また金峯山寺にとっては初となる本格的な歌舞伎の開催に尽力いただいた奈良フェスティバル実行委員会及び奈良県や吉野町そして地元吉野山の関係諸氏に対し深く感謝申し上げ、金峯山寺よりのご挨拶といたします。」

****************

歌舞伎はしつらえが大がかりなので、経費を含めて、公演するのは大変な関係者の力添えがいることを改めて実感しました。

吉野は歌舞伎の題材の宝庫。義経千本桜など、現場でやれる日を期待したいし、そういう可能性を拓いていただいた仁左衛門さんの上演でした。

千之助君、かわゆいし、かっこいいし、礼儀正しいし、応援したくなりました。

勝って兜の緒を締めよ!

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今日の名言

吉野山人が勝てると思えば勝てるのだ。自信こそが勝利の条件である。

                             吉野山人

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◎…勝って兜の緒を締めよ!ってか。・・・あ、まだ、勝ってないか(^^;)

satori

悟りって、なにかなあ・・・という夢を見た。

で、悟りにすごく遠い現実をしみじみ感じたね。

せっかく人間に生まれてきたのだから、悟りたいっていう思いは私にあって、だから僧侶になったのはありがたい。サラリーマンが悟りたいって行ったら上司から、おまえは馬鹿か!って言われるに違いないが、ぼーさんが悟りたいっていったら、尊敬の顔で見られたり、ありがたいお話でしたと言われたり、・・・するんだからね。

で、で、ぼーさんがみんな、そんな高尚なことを考えているわけじゃなくて、まあ、結局は生きることで精一杯なわけ。

まあ、それはそれでそういうもんだから、仕方がないけど、自分のことをじーーーと考えると、私の周りにはいろいろなものがありすぎる。

自宅に帰ると、奥さんはとてもいい人なんだけど、片付ける能力が前からあまりないので家の中は物が散乱。子供達も両親のしつけのせいで、片付けられない。

考えてみれば私の親も片付けが苦手な人だったので、私も生来の愚図。単身赴任中の部屋はぐちゃぐちゃ。

何が言いたいかというと、悟りとは無一物でないと、なかなか生まれにくい、っていうことを今日の夢が教えてくれていた。ともかく、ものが多いのは悟りには遠いって感じ。周りになるべく物がない方が悟りに近い生き方だと、まざまざと感じる。

それはものだけじゃない。仕事や人間関係や・・・いろいろ事柄があるほど、悟りにはやはり遠いって思うこの頃。忙しいのが自慢のような今の生活はそういう意味では最悪。まして好きだのキライだの、そういう男女間の執着・感情はもう悟れない絶対条件のようなものですねえ。でもそれが生きてる証みたいなもんなんだけどさ。

良寛になりたい、が口癖だったけど、どんどん、良寛から遠ざかっている今の生活。良寛も女がいたね。でも、良寛的女性関係はかなり難しいかも。そういう意味では一休を目指すしかないかなあ。

ものすごい、わけのわからない夢が、あらためて今の自分をおしえてくれた…というsatoriの話、でした。

いやいや・・・愚痴でした。

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