弔辞
自坊の世話方でものすごくお世話になった方が95歳で亡くなった。
実は大祭の前から悪いと聞いていたので、大祭が終わって、5日の夜にお見舞いに行った。もう意識はないような容態だったが、私が行くと、ぐっと手を握りかえしてくれて、眼もなんとか私を見ようとされているのがわかった。その翌日、亡くなったのである。
6日は吉野に朝から戻ったが、訃報を聞いて、8日に自坊に戻り、お通夜と今日の葬儀に列席した。
弔辞を読ませてほしいとお願いして、用意した。ただ葬儀の時間があまりないと聞いたので、3分30秒バージョンに短くして読んだ。本当は倍くらいの長さを書いたのだが、その原文を紹介します。原文だと8分くらいかかったと思う。
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弔辞
Tさんは素晴らしい方でした。
家庭にあっては愛妻○子さんとともにT家の繁栄と興隆を果たされ、外にあってはTS精工の創業や、地元の消防団長、自治会長、そして市会議員を歴任されるなど、世のため人のためにも大いに尽くされた、まさに人徳人望ともに備わった大人物でした。
とりわけ私にとって、Tさんは、Tのおっちゃん、…T爺で、幼い頃よりとても可愛がっていただきました。亡父とは一つ年下の幼なじみだったこともあって、父も生涯弟のように頼りとし、公私ともに大変お世話になりました。40年前に自坊林南院が建立されて以来は、大峯山の行者として、林南院にとってなくてはならない存在でもあり、世話方の親分としても本当によくしていただきました。
常に偉えそうぶらず慈愛に満ちたそんなTのおっちゃんを私は心より敬愛していました。
あやべ市民新聞の風声というコラムがありますが、そこにT爺のことを二度ばかり書いたことがあります。照れながらも、ものすごく喜んでおられた笑顔が今も忘れられません。
そのうちの一編を紹介し、今生のお別れのはなむけにさせて頂きたいと思います。それは今から13年前にT爺が自伝を出版された時に書いたエッセイです。
親父殿の友人が自叙伝を自費出版されたというので、一冊頂戴した。
「人に読んでもらうようなものじゃないんだけれど、自分の生涯の記録を残しておきたいと思ったもんだから…」と随分謙遜して恵贈頂いたのだが、この本、ものすごく、面白かったのである。気がつけば、原稿用紙にして五百五十枚を越える量の自叙伝を、一昼夜にして読破してしまっていた。
本書は戦後半世紀を過ぎて、太平洋戦争の風化が著しい平和ボケの現今の日本から見れば、おとぎの国の話のようですらある。ところが齢八十歳を越えてなお、矍鑠として活躍されるT翁の自叙伝を通して、郷里綾部の寒村に生まれた一青年が、京都での丁稚奉公を経、青雲の志を持って海軍に志願し、激動の時代に身をゆだねていくそのリアルな記述は、ついつい読み手を戦時下の日本の中へ引き込んでいき、等身大の現実味を持って、戦争時代を体験させてくれたのである。
戦争話というと昨今は慰安婦問題だの、南京事件だのと、マイナスなイメージのみが報道される感じがあるが、『遙かなる軌跡』(北斗書房刊)という全二八六ページに著された実体験の本書には、昭和初期に青春を生きた一人の農家出の日本人が、死を厭わず、祖国の礎となることを誇りとして、懸命に自己を輝かせる爽やかな生き様を教えてくれる。有名なミッドウエーやソロモン海戦など、歴史の上でしか知らなかった戦争記も、一下士官の目で臨場的に記されていて、単なる戦争の賛美ではない、人間物語として、読みごたえある内容であった。読了後、T翁の知己である自分が嬉しくさえなった・・・
以上ですが、戦後の素晴らしい生き様も含めて、T爺と知り合えたことはとても私にとって誇らしいことでした。見事に生き抜いたTさんの生涯の功績をたたえるとともに、頂戴したご恩に心より感謝して、弔辞と致します。Tのおっちゃん、本当にありがとうね。
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本当に福徳のある人でした。心からご冥福をお祈りします。
実は大祭の前から悪いと聞いていたので、大祭が終わって、5日の夜にお見舞いに行った。もう意識はないような容態だったが、私が行くと、ぐっと手を握りかえしてくれて、眼もなんとか私を見ようとされているのがわかった。その翌日、亡くなったのである。
6日は吉野に朝から戻ったが、訃報を聞いて、8日に自坊に戻り、お通夜と今日の葬儀に列席した。
弔辞を読ませてほしいとお願いして、用意した。ただ葬儀の時間があまりないと聞いたので、3分30秒バージョンに短くして読んだ。本当は倍くらいの長さを書いたのだが、その原文を紹介します。原文だと8分くらいかかったと思う。
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弔辞
Tさんは素晴らしい方でした。
家庭にあっては愛妻○子さんとともにT家の繁栄と興隆を果たされ、外にあってはTS精工の創業や、地元の消防団長、自治会長、そして市会議員を歴任されるなど、世のため人のためにも大いに尽くされた、まさに人徳人望ともに備わった大人物でした。
とりわけ私にとって、Tさんは、Tのおっちゃん、…T爺で、幼い頃よりとても可愛がっていただきました。亡父とは一つ年下の幼なじみだったこともあって、父も生涯弟のように頼りとし、公私ともに大変お世話になりました。40年前に自坊林南院が建立されて以来は、大峯山の行者として、林南院にとってなくてはならない存在でもあり、世話方の親分としても本当によくしていただきました。
常に偉えそうぶらず慈愛に満ちたそんなTのおっちゃんを私は心より敬愛していました。
あやべ市民新聞の風声というコラムがありますが、そこにT爺のことを二度ばかり書いたことがあります。照れながらも、ものすごく喜んでおられた笑顔が今も忘れられません。
そのうちの一編を紹介し、今生のお別れのはなむけにさせて頂きたいと思います。それは今から13年前にT爺が自伝を出版された時に書いたエッセイです。
親父殿の友人が自叙伝を自費出版されたというので、一冊頂戴した。
「人に読んでもらうようなものじゃないんだけれど、自分の生涯の記録を残しておきたいと思ったもんだから…」と随分謙遜して恵贈頂いたのだが、この本、ものすごく、面白かったのである。気がつけば、原稿用紙にして五百五十枚を越える量の自叙伝を、一昼夜にして読破してしまっていた。
本書は戦後半世紀を過ぎて、太平洋戦争の風化が著しい平和ボケの現今の日本から見れば、おとぎの国の話のようですらある。ところが齢八十歳を越えてなお、矍鑠として活躍されるT翁の自叙伝を通して、郷里綾部の寒村に生まれた一青年が、京都での丁稚奉公を経、青雲の志を持って海軍に志願し、激動の時代に身をゆだねていくそのリアルな記述は、ついつい読み手を戦時下の日本の中へ引き込んでいき、等身大の現実味を持って、戦争時代を体験させてくれたのである。
戦争話というと昨今は慰安婦問題だの、南京事件だのと、マイナスなイメージのみが報道される感じがあるが、『遙かなる軌跡』(北斗書房刊)という全二八六ページに著された実体験の本書には、昭和初期に青春を生きた一人の農家出の日本人が、死を厭わず、祖国の礎となることを誇りとして、懸命に自己を輝かせる爽やかな生き様を教えてくれる。有名なミッドウエーやソロモン海戦など、歴史の上でしか知らなかった戦争記も、一下士官の目で臨場的に記されていて、単なる戦争の賛美ではない、人間物語として、読みごたえある内容であった。読了後、T翁の知己である自分が嬉しくさえなった・・・
以上ですが、戦後の素晴らしい生き様も含めて、T爺と知り合えたことはとても私にとって誇らしいことでした。見事に生き抜いたTさんの生涯の功績をたたえるとともに、頂戴したご恩に心より感謝して、弔辞と致します。Tのおっちゃん、本当にありがとうね。
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本当に福徳のある人でした。心からご冥福をお祈りします。
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