仏像ブームに思うこと・・・
ウェンディという10万部発行を誇る月刊マンション情報誌の「本音のエッセイ」という欄に拙稿が載りました。
「仏像ブーム」について書いてみました。
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「仏像ブームに思うこと」
今や、空前の仏像ブームといってもいいだろう。奈良・興福寺の阿修羅像が脚光を浴び、みうらじゅんさんの『見仏記』が人気を得、テレビCMでも各地のお寺が紹介されて、ここ数年来、にわか仏像ファンが急増している。「仏像ガール」と自称するライターさんとも知り合った。
この仏像ブームによって、仏像や神像のお姿を拝し、日本の古い伝統文化、精神文化に触れる人々が増えることはとても好ましいことだと思う。
ただ堅いことを言うようだが、仏像や神像は本来見るモノではない。眺めるモノでもない。拝むモノ、すなわち礼拝の対象であり、長い年月にわたって、人々の祈りと願いが込められてきた聖なる存在である。国宝、重要文化財とて単なる美術品や工芸品であるのではない。見るのでもなく、眺めるのでもなく、心を込めて祈りを捧げる対象なのであり、そこを大事にしなくては意味ないんじゃないか、私はそう思っている。
同じようなことを講演会でもよく話する。奈良県の観光振興担当者や旅行社・エージェントなどの依頼を受けて、吉野山や私のいる金峯山寺の歴史や文化について講話をさせてもらうことがあるが、そのたびに、「みなさん、だまされちゃダメですよ。観光用のパンフレットやテレビCMに誘われて、寺や神社に行くのはいいけど、ただ行くだけではいけません。お寺や神社はお参りするところ…、お祀りされているご本尊にぬかずいて、心を込めてお祈りを捧げるところなんですよ。ただボーっと見て来ちゃいけない、ただ単に行ってくるだけではだめなんですよ」と言う。
そんなことは分かっている!って思われる方もいるかもしれないが、それが意外に分かっていない。お寺に来ても、まるで博物館や美術館で展示された彫刻でも見るように、ただボーっと仏像を鑑賞し、拝見して帰る…そんな感じの人が案外多い。いや、仏像ブームによって、そういう人たちが増産されている、そんな気さえしてならない。
手を合わせて拝む、心を込めて祈る。そこに、神や仏との出会いの深い意義がある。長い歴史の星霜を経て、伝えられてきた仏像やご神像の本当の力は、拝むことによってのみ、実感されるのである。
ぜひ、神社やお寺に出かけたときは、聖なる空間での、聖なるモノとの出会いを大切にしていただきたい。単なる仏像ブームで終わるのではなく、自分たちの暮らしの中に神や仏の存在を取り戻す、そういうお参りに繋げてほしいと念願するのである
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