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齢を重ねること

齢を重ねるとは、欲しいものを諦めることだとしたら、それは詮ないことだ。でも、大方の人はそうやって老いていくのかもしれない。そう、私もきっといつかそうなるのだろう…。だからこそ今はまだ、力の限り、欲しいものを手にしようとあがいていたい。それがいかに愚かしくみえようと、疎ましくみえようと。

もちろんこの世のことは仮の世界の出来事。執着するべきものはなにもない、と仏教は説いている。そう…私もそれを学んで僧侶となったのだから、私は間違いなく、堕落の僧である。が、私がさせていただける何かがあるとするなら、堕落の僧としてあるがままに生きて、末法具現の僧のままそれでもなお、人の心に何かを伝えること…。

幸いわたしなんぞの話でも人前で話す機会を作っていただくこともあるし、ものを書かせていただくこともある。ホントにありがたい…。でも、ふと気づくと、「偉い人間なるまえに、偉そうな人間になっている」という愚かしい自分がいて、どうにもならない自分に懊悩もする。

基本、人が生きるということは猥雑なことだと思っている。お金、家族、名誉、職場…その全部に懊悩しながら生きている。だからといって決して、猥雑であることは悪いことではない、と私は思っている。それこそ、猥雑が生む懊悩は、生きている証しなのだ。それは単なる自己弁護ではなく、自己肯定の中でしか人は生きられないことを誰よりも大切にしたいだけ…。

自分に問う…「僕の欲しかったものは何ですか?」…それは立ち尽くす日々である。いや答えは死ぬまで出ないのかもしれない。死んでさえわからないままだろう。それでもなお、やはり欲しいものは手に入れようとする自分を諦めたくない。人間はいづれ土になる。そのときは、どうにも、こうにも、諦めざるを得ないのだから。

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