再びの「父母恩重経」と母の初盆
母の初盆を15日に営んだ。家族全員が顔を揃え、吉野から弟も帰省し、お弟子さんや親戚のおっちゃんなど、10名ほどで母を偲んだのである。
読んだお経は百ヶ日法要でも使った「父母恩重経」。弟は、「これ、なまなましい言葉があって、ちょっとしんどいなあ」と言っていたが・・・。
恩重経は父母の恩徳について、きつい言葉で説かれている。父母というが実はその大半が母の恩についてである。
以前にも紹介したが再掲示する。
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「・・・・・一切の善男子(ぜんなんし)・善女人よ、父に慈恩あり、母に悲恩あり。その故は、人のこの世に生まるるは、宿業を因とし、父母を縁とせり。父にあらされば生まれず、母にあらざれば育たず。これをもって、気を父の胤(たね)に受け、形を母の胎(たい)に託す。
この因縁(いんねん)をもってのゆえに、悲母の子を思うこと、世間に比(たぐ)いあることなく、その恩、未形(みぎょう)におよべり。はじめ胎(たい)に受けしより、十月(とつき)を経るの間、行・住・坐・臥(ぎょう・じゅう・ざ・が)、ともにもろもろの苦悩を受く。苦悩休(や)むときなきがゆえに、常に好める飲食(おんじき)・衣服を得るも、愛欲の念を生ぜず、ただ一心に安く産まんことを思う。
月満ち、日足りて、生産(しょうさん)のときいたれば、業風(ごうふう)吹きて、これを促(うなが)し、骨節(ほねふし)ことごとく痛み、汗膏(あせあぶら)ともに流れて、その苦しみ耐えがたし。父も身心戦(おのの)き恐れて、母と子とを憂念(ゆうねん)し、諸親眷属(しょしんけんぞく)みな悉(ことごと)く苦悩す。すでに生まれて、草上(そうじょう)に墜(お)つれば、父母の喜び限りなきこと、なお貧女(ひんにょ)の如意珠(にょいじゅ)を得たるがごとし。その子、声を発すれば母も初めて、この世に生まれいでたるが如し。
それよりこのかた、母の懐(ふところ)を寝床(ねどこ)となし、母の膝を遊び場となし、母の乳(ちち)を食物となし、母の情(なさけ)を性名(いのち)となす。飢えたるとき、食を求むるに、母にあらざれば喰らわず。渇(かわ)けるとき、飲み物を求めるに、母にあらざれば喰らわず、渇けるとき、着物を加えるに、母にあらざれば着ず。暑きとき、衣(きもの)を脱(と)るに、母にあらざれば脱(ぬ)がず。母、飢えにあたるときも、含めるを吐(は)きて、子に喰らわしめ、母、寒さに苦しむときも、着たるを脱ぎて、子に被(かぶ)らす。
母にあらざれば養われず、母にあらざれば育てられず。その揺籃(ゆりかご)を離れるにおよべば、十指(じゅつし)の爪の中に、子の不浄を食らう。計るに人々、母の乳を飲むこと、一百八十解(こく)となす。父母の恩重きこと、天のきわまりなき如し・・・・・・・」
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なんか母から直接我が身を責められるような経文ではある。それだけに母への感謝を込めて読ませていただいた。
昨日も三重県桑名で、母親が5ヶ月の赤子をパチンコ屋の駐車場に放置して、死なせた。毎年この夏の時期になると、何度も聞く、悲惨な殺人事件である。そのほか、近年は尊属殺人がもう聞きたくないくらい、ニュースで報道され、心が砕けるような想いに陥る。いじめ問題も同様である。
「父母恩重経」は中国撰述の偽経といわれるお経ではあるが、こういう想いをお母様方には是非持ってもらいたい。
そして生まれいずる幸せ、育まれる幸せを人間みんなが感じ合ってもらいたいものである。
母に感謝の、初盆であった。
追伸 母の遺影はいつ見ても笑いすぎ、である。
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コメント
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上記のお経を朗読、読誦させていただきました。ありがとうございます。
投稿: | 2012年8月19日 (日) 08時04分
読んでいただいてありがとうございます。功徳が世界に行き渡りますように・・・。
投稿: 吉野山人 | 2012年8月19日 (日) 23時44分