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「霊峰富士修行」

「霊峰富士修行」

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この7月末、金峯山寺の国峰修行として霊峰富士の登拝修行を行った。素晴らしい山修行となったが、今回の富士国峰修行に至る経緯には少々わけがある。

実は五年前、静岡県富士市で行われた富士山を世界遺産に登録しようという活動の国際シンポジュウムにパネリストとして出演したことがある。そのとき、「富士山の世界遺産登録は観光の山の富士山ではなく、信仰の山の富士山でなくては意味がない。富士山を観光資源として食い物にするために世界遺産登録を目指すは間違っている」と終始主張し、多くの方から賛同を得たのである。その後、その発言が元となって、静岡県で二回、山梨県で二回の講演会とシンポに出ることになる。そしてその都度この主張を繰り返してきたのであるが、実際の富士山となると富士講を呼ばれる信者講も激減し、観光登山一色となってしまっているのが実情である。そこで、やはり口で言うばかりではなく実際に自分自身で、行者として行じなくてはならないと意を決し、ここ三年毎年富士登拝を試みてきたのであった。

富士山は二十数年前に金峯山寺青年部で登頂をしたことがある。しかしそのときは山伏正装ではなく、登山者としての登頂であったが、今回は大先達をつとめた私を含め、本山の一山住職など十九名のうち、十六名が鈴掛衣を着用しての本格的な修行となった。幸い天候にも恵まれ、素晴らしいご来光にも出会え、また二十数年前は山頂浅間大社奥の宮で法螺を吹いて叱られたが、今回は法螺を立てて叱られるどころか、大変な歓迎を受け正式参拝までさせていただくことになった。こうして思うと、ここ二十数年ほどの間に修験道や山伏の扱いが激変したことも実感出来た。修験道ルネッサンスの手応えである。

しかしながら、年々増えている登山客の多さには驚かされ、その人たちの中で、山伏装束の奇異さも感じた。もう富士山は信仰の山として存在できないかもしれないという様相であった。ただだからこそ、富士山登拝修行を行う意味があるのである。山伏がいてこそ、そこに信仰の山が存在するのだと確信している。山頂では多くの登山者に写真をせがまれたが、山伏としての足跡を残していくことは無意味なことではないと、証明されたような気持ちになった。世界遺産の霊山としての富士修行、是非、今後ともこういう修行を続けられればと思っている。

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写真はご来光を拝む私たち。このときすごいことが起こったのですが、この映像では確認しづらいかもしれません。

2枚目は勤行後、雲海を越えて昇ったお日様です。

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コメント

本当に美しい御来光ですね!(*^-^*)
自分の足で頑張って登拝した者だけに与えられるご褒美でしょうね!(*^-^*)
本当にお疲れ様です!(^人^)

ちゃんと鈴掛のお姿で山伏さん達がお参りされたことでコノハナサクヤヒメも喜ばれたのでしょうね~!(^-^)

というか、
修険道の存在意義を富士のお山も認めて下さったのでしょうか?(ぉぃぉぃ笑)

取っておきのご褒美(笑)のことも気になりますが、また別の機会に…(^。^;)

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