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能舞台でトークショー

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先週末の19日。文筆家白洲信哉さんと能舞台での、トークショーをさせていただいた。
大阪山本能楽堂の夜である。

いきなり、「マイクがないので、地声でお願いします」と言われ、
どぎまぎしたが、なんとか無事に終えられた。

ライブのトークショーは過去に色んな場所でなんどかやらせていただいた。
奈良国立博物館の西山厚先生とは奈良市内にある居酒屋さんの開店10周年記念で、なんと店内のカウンターで話した。
映画監督の河瀨直美さんとはなら町センターのホールや、三重県立図書館で二度、ご一緒した。

3人、4人のフォーラムトークと違って、2人のトークセッションは休んでいる暇がない。

1人でやる講演会だと、あらかじめしゃべることは自分で作って話すから、どこでどうなって、最後どう終わるか決まっているが、トークショーはそういうわけにもいかない。話の流れは大体決めてあっても、どう変わってしまうか、やってみるまでわからないことばかりなのだから。っていうか、全部、脚本で決めてあるようなトークショーはつまらない。どうなるかわからないから、その緊張感とライブ感が楽しいのだ。それは見ている人にもそうだろうし、話し手の心の動きもじかに伝わるから、出演者も聴衆も楽しいのだと思う。

白洲さんとは今年4月の新宿朝カル教室講座以来、2度目となる。4月の時は終わった段階で、邪な想いも含めもうすべて尽きた感じがした。しかし、それからいろいろあって、再度やらせていただくことになったが、また、あのときとは違う想いも生まれ、結果的には前回以上の出来だったように思う。

まあ本当のところの判断は出演した私ではなく、参加いただいたみなさんが決めていただくことだとは思うが・・・。

今回の発見のひとつは、山伏の修行と能と、日本人の感性の根っこが一緒であるという白洲さんの提言。つまり自然観、世界観、宗教観が同心円状に広がっている、そこに私自身がしっかりと気づいた。神も仏も山も木も、人の営みもまたおのずからあるがままにあるのだということ・・・。能舞台での出来事だっただけに、まるで翁の神霊が降りてきたような、自覚だった。

あのひとときだけで、私には能舞台でのトークショーの意味を得たと思えた。

お能のことなど、全くの門外漢だが、そこに伝承されている日本人の心は、共感できた夜だった。

ちなみに、白洲正子さんがお能をはじめたのが5歳のとき。そして私が父に連れられて大峯山に登ったのが同じ5歳。そこの符合は舞台で初めて知って話題が弾んだが、そういう話の流れが冒頭から繋がって、1時間半はあっという間に、話終えることが出来た。

白洲さんをはじめ、ご縁をいただいたみなさん、深謝です。

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