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マイブームが続いている「おやすみギャラリー」:今夜からは河瀬直美監督編です。
今日ひさしぶりに、なおみかんとくと話をした、のです。ま、電話でですが・・・。
ヒッキーとエヴァ3主題歌のPVで、コラボ、すごいね。
でも、まあ、いつもの、なおみかんとくのままで、土の匂いがしていたような気がする。そう、奈良という土。。
昨日は信哉さんの都知事選のいきさつを知り、そして今日のなおみかんとくの電話。
少しスランプが続いていた私であるが、スランプ脱出のきっかけとなる、兆しがいろいろあった一日である。
夜間拝観は風邪養生のため、おやすみいただいて、みんなに任せたが、明日は大阪で大護摩供。今夜は早めに寝ますね。
で、おやすみギャラリーの話にもどると、・・・・今夜のなおみかんとく編①は、なおみかんとくと私を合わせてくれたFくんとツリーショット。なおみかんとくがおちゃめですね。で、私は相変わらず、笑い過ぎかも・・・。
今夜から三日連続の、蔵王堂夜間拝観です。
今夜は近鉄グループ主管の夜間拝観・・・お導師は久しぶ
明日、明後日はいつものとおり、吉野山旅館組合主管の夜
秋も深まり、夜は少し寒いですが、冷気の中、身を引き締
今週ずっと続けている、仏教タイム誌の年頭所感バックナンバー⑤・・2012年版、つまり今年の念頭記事です。一応の最終回。来年度版は掲載されてから、また紹介できればと思います。
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■2012編:「日本の復興を願う」
新年明けましておめでとうございます。
昨年三月には東日本一帯を未曾有の大地震が襲い、それに伴う大津波、そして福島第一原発事故と惨事が続きました。我々が見たあの津波や原発事故の映像は、日本だけではなく、世界中に大きな衝撃を与えた人類史的な出来事でした。とりわけ原発事故は大きな物質文明社会への問題を提起したと思います。
自然に善悪などはありません。どんな大きな地震が起きようと、大津波が襲ってこようと、それによって原発事故が起きたとしても、それは地震や津波が悪いのではありません。自然とはそういうものなのであり、それが自然の有り様なのです。
原発事故の映像を見せられるたびにテレビでさんざん聞かされたのは「想定外」という言葉でした。実は自然というのは「想定」などできません。私たち日本人はもともと自然に対して畏敬の念を抱いていました。その自然を自分たちの都合でなんとかなると考えたのが想定するということです。
「想定外」というのは、近代が生んだ原理です。その根底のキリスト教では、神はその形の如く人を創り、人は神に許されて、海の魚や空の鳥など地上の生き物すべてを支配しようとしました。一神教=キリスト教にとって、自然というのは、どのように切り取ってもいいという考えなのです。
私たち日本人は自然に対する畏敬の念を取り戻すときにきているのではないでしょうか。東日本大震災では多くの方々が亡くなりました。「神も仏もいないのか」と考えた人もいたでしょう。でも、あの時、多くの人が持ったのは祈りの心でした。亡くなった方々への祈りであり、もうこれ以上揺れないでくれという祈りでした。
欧米社会の人たちと違って、私たち日本人は自然を飼いならすことなどできないことを知っていました。
福島原発事故によって、福島周辺の美しいあの海、あの山、あの川は汚染され続けています。私たちはあそこに住まう神仏に、そしてそこを守ってきた先人や祖霊たちにどう謝罪したらいいのでしょうか。
物質文明社会の豊かさを享受しようとすれば資源が必要です。しかし、自然を壊してまで手にしたものが本当に私たちを幸せにするかどうか。もし日本にある原発が次々に事故を起こしていくと、日本中のどこにも住めなくなります。そんなことをしていいのでしょうか。
日本人は畏敬の念をもって国土を大事にしてきました。二度と取り戻せないようなことをしてはいけない。また自然が処理をしきれないものを使ってはいけません。
人間は帰属するものがないと生きていくことはできません。是非、もう一度、自分たちが帰属する風土や文化を見直すところからこの国の復興は始めるべきだと私は思っています。 合掌
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*去年の大震災には日本中が心を痛めました。そこを避けずに念頭記事は書けないという当時の心境が甦ります。そしてそれは今も変わらずに私の心にのしかかっています。来年の念頭記事も今年の続きのような内容となりました。また正月明けに、ご紹介出来ればと思います。
*写真はネットから探してお借りした富士山の初日の出です。
今週ずっと続けている、毎年書かせていただく仏教タイム誌の年頭所感バックナンバー④・・2011年版です。
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■2011編 「日本よ、もっと元気になろう」
新年明けましておめでとうございます。
さて昨今はホントに日本が元気がなくて心配です。もっと元気出せよと言いたいですね。
あるブログで、おもしろい調査結果をみつけました。
それは世界中で、創業200年以上の企業を調べると全世界57ヶ国に5710社あり、その内わが国は3100社で全体の43%を占めている、というのです。つまりわが国は世界の中の長寿企業大国なのです。次に多いのはドイツで1560社(22%)、フランス、イタリアは300社程度とのこと。北京五輪で5000年の歴史を自慢した中国は、わずか60社ほどで、日本に文化を伝えたと豪語するお隣の韓国に至っては1社もないのだそうです。実に我が国はすごい国なのです。
ブログでは、そのすごい国になさしめた要因は、万世一系の国柄、勤労の精神、職人の尊重、和の精神、信の精神、三方よし(売り手よし、買い手良し、世間よし)の精神などをあげていますが、これは大いに誇れることでしょう。
最近ほんとに日本は元気がなく、現実的に長引く不景気がみんなを意気消沈にし、しかも自虐的な考えに立つ人たちが国の中枢にいて、みていて穏やかざるものを感じてなりません。そんなに悲観的にならなくてもよいのに、そんなに自分の国のことを卑下しなくてもよいのにと、つい言いたくなりますが、件のブログを見ても、この日本は世界に冠たる長寿企業大国だし、それほどに平和と経済が安定している素晴らしい国だから、こういう結果が導き出されるのだと自信を持ってよいのだと思うのですが…。もっと堂々としたいものです。
戦後日本は経済優先主義で敗戦復興から突っ走って来ました。しかしその経済を支えたのは精神だと思っています。さきほどの、勤労の精神、職人の尊重、和の精神、信の精神、三方よしの精神の基層の部分は、実は日本的な宗教風土によって育まれたと言って過言ではないと、一宗教者の立場からは申し上げたいと思います。
たかが経済です。されど経済です。
日本人の経済を支えてきた精神は日本仏教であり、神道であり、数多の先人たちの大いなる営みであったはずです。伝統的な仏教も神道も経済同様に昨今はなんか元気がないような様相ですが、まず宗教人から元気になって、日本人の自信を取り戻せるようにしなければならないのです。
長寿経済大国は世界に冠たる長寿寺社大国がなさしめたということを自覚したいと思います。 合掌
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*去年行った講演の主題のひとつはこの長寿大国日本の話でした。まだまだ通用しそうなお話しだと思います。
*写真はネットから探してお借りした富士山の初日の出です。
昨日に続いての仏教タイム誌に書いた年頭所感の続き。第3回です・・③=2010年版です(実は2009年版がどこを探しても見つからないので…1年飛びます)。
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■2010編:「文化とは宗教である」
新年明けましておめでとうございます。
新玉の年ののっけから、ナンですが…今まさに、日本文化が危機に瀕しているように感じます。明治維新の欧米化から百四十年。大東亜戦争の敗北から六十数年。哲学者梅原猛氏が指摘するように二度の神殺し(「反時代的密語~神は二度死んだ」)が、日本文化を破壊しつつあります。梅原氏曰く、一度目の神殺しは明治の神仏分離。それは単に神仏の殺害ではなく、神と仏を共に尊んできた日本の精神文化の基層の部分の崩壊を意味し、そして崩壊させてのちに、新たに構築したのが天皇を神として奉り、国家神道を中心に据えて誕生した近代国家だったのです。これによって我が国は東アジアで唯一、近代化にいち早く成功を収め、繁栄を享受するところとなりますが、肥大化しすぎた国家はその挙げ句、欧米列強との衝突によって、大東亜戦争に突入します。そして敢えなく敗戦を迎え、進駐軍政策の下、せっかく神仏分離をしてまで作った国家神道はみごとに解体され、天皇は人間宣言をして、二度目の神殺しが行われるところとなった、というのです。
さてここにいう文化とは何なのでしょうか。文化とはカルチャーであり、土地を耕すという原意を持ちます。 つまり文化とは元々は土地であり、風土であり、国土なのです。ドイツ・ワイマール共和国時代に、作家トーマス・マンはそれを、その風土から生まれた宗教だ、とも言っています(『非政治的人間の省察』)。日本文化の危機は日本の風土の危機であり、日本の宗教の危機ともいえるでしょう。
いま、いろんな場所、いろんな状況下で危機が叫ばれています。世界的にグローバル資本主義が暴れ回る中、経済破綻、自然環境破壊、文明間の衝突、そして内側では、学級崩壊、家庭崩壊、重度の人格崩壊…などなど。それはもしかすれば明治以降の近代化百四十年の中で急速に広まったことであり、しかも単に日本だけの危機ではなく、世界的な文化の危機なのかもしれません。
実に、文明は文化を駆逐するのです。近代というバケモノは高度な物質文明社会、機械文明社会を産み出し、世界各地の文化を壊し続けてきました。文化は風土であり、習俗であり、宗教であるとするなら、世界各地にあったにその土地土地の風土が壊れ、習俗、宗教の消滅を生んだのは、近代文明がもたらした紛れもない災禍でありましょう。決して飛躍的な考え方ではなく、そういう時代に生まれ合わせていることを、現今の宗教人は自覚しなければいけないのではないかと私は思っております。宗教人こそ、文化の担い手の最終砦なのです。
「破壊は再生だ」ともいいます。宗教人はものごとをネガティブに考えず、ポジティブに考えなければなりません。ポジティブに、文化破壊の時代を生きなければならないのです。破壊によって再生がなされるなら、いまこそ再生の時ととらえ、行動すべきなのだと、年頭に当たって意を新たにする次第です。 合掌
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3年間を読み返してみて、同じようなことを言っていることに、改めて気づきました。
ぶれていないといえばそうなのですが、進歩がないといえば進歩がない、とも言える。
昨日、熊本帰りの新幹線の中で、仏教タイムスの年頭記事(年頭所感)を書き上げたという話をFBやツイッターで呟いたが、仏教タイムスでは、もう6年くらい毎年、正月号の年頭所感を書かせて頂いている。
昨日書き上げたのは、来年正月号の分なので、まだ公表はできないが、過去、数年間の文章を今日から毎日紹介したい。
時事的に少々古いものもあるが、案外、色あせていないものもあった。・・・と私は思っている。
よろしければご笑覧あれ!
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■2007年正月所感
「宗教心を前提としない道徳や倫理は存在しない」
新年明けましておめでとうございます。
さて昨年来、日本の教育が悲鳴をあげています。子どもも親も先生もそしてそれを取り巻く全てのものが悲鳴をあげている、と言って過言ではないでしょう。地域社会や各自治体の教育委員会はいうのおよばず国の文部科学省でさえ、ホントの所はどうして良いのかわからないでいます。六十年ぶりに教育基本法が改正になりますが、遅きに失した感さえぬぐえず、教育は国の根幹から問われる問題となっているのです。
私はいろんな機会に子どもの問題は実は子ども自身の問題以前に大人の問題であり、社会全体が抱えた問題の顕著な現れであると警告してきました。子どもは大人の背中をみて大きくなるのです。だから今の社会全体が抱えている閉塞感や喪失感、不安感を全部子どもに抱えてさせてしまったから、陰湿で心ないいじめが後を絶たず、自分の命を軽んじてしまう子どもさえも続出させたのでしょう。
教育の問題は国の根幹であり、教育の迷走は大人社会が歩んできた道の誤りをなによりも雄弁に語っているのです。どこかで間違ったこの国のかたち…。それが今、子どもの問題として問われているのです。親の責任や先生の責任、乃至教育界の問題といった視点では解決し得ない、この国が背負ってしまった不幸なのです。そしてその不幸のおおもとは日本人の宗教心の崩壊にあると私は思っています。それこそがこの国の本当の不幸なのです。
哲学者梅原猛氏が力説されるように、この国は明治維新と大東亜戦争の敗戦期に二度の神殺し、仏殺しを行ないました。そしてモノの豊かさだけを得て、『国家の品格』の著者藤原正彦氏の言葉を借りれば、この国は国の品格を失ったのです。
宗教心を前提としない道徳や倫理は存在しません。また道徳や倫理を失った国は国の体をなさないでしょう。私たちのこの国は明治以後、たかが百四十年ほどで、世界に冠たるモノの豊かさを誇る国になりましたが、そのわずか百四十年で心の貧しい国へと変貌を遂げようとしているのではないでしょうか。もう一度私たちは先人達が有史以来培ってきた神と仏との関係性を取り戻さなければならないと思います。そしてそれは宗教人の担うべき役割なのであります。
東大寺のお水取りは千二百五十四年間、一度も欠かすことなく行われてきました。伊勢神宮の遷宮にいたっては二十年置きに執行され、千四百余年で六十一回を数えてきています。そういう伝統は世界の奇跡だし、その奇跡を未だにこの国は粛々と続けているのです。わが修験道にしても役行者以来千三百年を超えてなお、その法灯を守り、山修行の伝統を守り伝えています。そういう明治以前の神や仏との関係を今一度取り戻すところに、この国のかたちを再生させる道筋があるのではないでしょうか。
「日本をなんとかしたい」と私は思っています。「なんとかしたい」をキーワードに今年から、何が出来るのか、何をどうするのかを始動させたいと思っています。
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*写真はネットから探してお借りした富士山の初日の出です。
今日11月14日から18日まで、世界糖尿病デーの糖尿病撲滅キャンペーンとして、金峯山寺本堂蔵王堂がブルーライトアップされます。撲滅キャンペーンのイメージカラーが青色で、「青の蔵王権現、青の蔵王堂」ということになりました。
実はこの世界糖尿病デーの糖尿病撲滅キャンペーンは2006年から国内外で取り組みが始まっていますが、奈良県では今年の蔵王堂が初めて。
是非、青の蔵王権現…青の蔵王堂を参観してきてください。拝観は4時入堂までですから、4時前に来て、拝観を終える頃には、ライトアップが始まります!!
写真は昨日の実験点灯のもの・・・。綺麗でしたよ。
○ブルーアップスケジュール
11月14日(水)
16:30~18:00
11月15日(木)~18日(日)
16:30~21:30
昨年秋に、京都嵐山で開催された第13回斎宮セミナーでの講演録の抜粋です。講演をご依頼いただいた斎宮である野々宮神社の宮司さんがまとめていただきました。
案外知られていない、本家吉野山の嵐山と京都嵐山の関係。よろしければご笑覧ください。ちなみに写真は吉野山の嵐山です。
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「吉野と嵐山 ~蔵王権現、桜、後醍醐天皇」 金峯山寺 田中利典
この講演会の始まる前に、雨の中を、嵐山の蔵王権現堂にお参りしてきました。一般の方の入山はできないそうで、地元の方にご案内をいただきました。お参りしながら、今日は嵐山の蔵王権現様に呼ばれてきたような思いがして、深いご縁を感じました。
聖地吉野には古来さまざまな方が訪れておられます。神武天皇東征の際には熊野から吉野を通り大和に入られる。壬申の乱では大海人皇子は吉野で挙兵され、天武天皇になられる。皆さんご存知のように斎王の制度が確立したのはこの天武天皇からです。奥さんの持統天皇は天皇に即位後、実に三十一回も吉野に行幸しておられます。この頃の吉野の中心部は吉野山ではなく、麓の宮滝のあたりで、吉野離宮が営まれていました。
吉野山上が中心になるのは修験道の開祖役行者が金峯山寺を開山されて以降になります。平成二十七年は空海が高野山を開いて千二百年を迎えますが、空海も一番最初は、吉野から道を辿って高野山の地に入っています。
開山後は天皇や上皇、あるいは高位高官、各宗諸大徳、庶民に至るまでさかんに吉野・金峯山へ参詣をされ、蔵王権現への信仰が隆盛を迎えます。藤原道長の「御嶽詣」は有名ですし、吉野山へは西行法師、太閤豊臣秀吉や俳聖芭蕉も参詣しています。
開祖役行者ですが、世に伝説上の人物と扱われた時代もありますが、実在の人物です。『続日本紀』六九九年、文武天皇の時代の記録に「役君小角伊豆島ニ流サル。初メ小角葛木山ニ住シ呪術ヲ以テ外ニ称サル、従五位下韓国連廣足初メ師ト為ス、後ニ其ノ能ヲ害シ、讒スルニ妖惑ヲ以テス、故ニ遠処ニ配ス、世ノ相伝ニ言ク、小角能ク鬼神ヲ役使シ、水ヲ汲ミ薪ヲ採セ、若シ命ヲ用イザレバ即チ呪ヲ以テ之ヲ縛ス」とあります。
その役行者が感得した蔵王権現は、大峯山上で一千日の修行をした行者の前に、行者の祈念に応えて、最初は釈迦如来、千手観音、弥勒菩薩が優しいお姿で現れたのですが、罪業の深い人々を悔い改めさせ悪魔を降伏させるには優しすぎるので、役行者がさらに祈ると、岩を割ってご本尊が湧出されました。釈迦・観音・弥勒三体が変化して、厳しい権現の姿で現れたのです。権現の「権」は仮という意味です。仏が仮に神の姿で現れたので「権現」と言います。今風にいえばアバターでしょうか。釈迦如来は過去、千手観音は現在、弥勒菩薩は未来を救済する仏様で、三世救済が蔵王権現の御誓願となっています。仏様が本来の姿で、仮に神の姿で現れたという権現信仰は日本各地に展開します。ご当地の愛宕山に祀られる愛宕権現もそうですね。
役行者は蔵王権現のお姿を山桜の木に刻んで大峯山上と吉野山にお祀りされ、その由来によって、山桜は蔵王権現のご神木となりました。「一枝を切る者は一肢を切る」と言われるほどに大切にされ、また吉野を訪れる人が蔵王権現への信仰の証に桜を献木したことで、吉野山は日本一の桜の名所になりました。
その吉野の桜を、嵐山に移植されたのが後嵯峨上皇です。
「五代帝王記」には「院は西郊亀山の麓に御所を立て亀山殿と名付、常にわたらせ給ふ。大井河 嵐の山に向ひて桟敷を造て、向の山には吉野山の桜を移し植られたり。自然の風流、求めさるに眼を養ふ。まことに昔より名をえたる勝地と見たり」とあります。また、亀山の仙洞(亀山殿)に吉野山の桜をあまた移し植ゑ侍りしが花の咲けるをみて 「春ことに 思ひやられし 三吉野の 花はけふこそ 宿に咲けれ」~(『続古今和歌集』第二 後嵯峨上皇御製)とも出ています。
あの有名な能楽「嵐山」は後嵯峨上皇・亀山上皇の時代の話がモチーフになっており、吉野の神である「子守」「勝手」の神と蔵王権現が登場します。
後嵯峨上皇は、桜だけではなく蔵王権現を勧請し、地名も移しました。吉野の下千本駐車場あたりの山の名前を「嵐山」といいます。また隣接する「ほおづき尾」という地名が嵐山の保津峡となったようです。本家より分家の方が有名ですが、そういうことはよくあることで、山形の蔵王も吉野の蔵王堂が本家です。私も実はつい最近まで知らなかったのですが、嵐山には今も蔵王堂が祀られ「嵐山もみじ祭」という行事が蔵王権現に感謝して行われているのだそうですね。
斎王制度の最後の天皇が後醍醐天皇です。その後醍醐天皇が吉野朝=南朝を開かれたのは一三三六年。帝は金峯山寺西側の本坊実城寺(後の金輪寺)を皇居とされました。これより前には、護良親王が吉野山で挙兵して蔵王堂に立て籠もり、鎌倉幕府軍と対決しています。その後醍醐天皇が亡くなられ、帝を弔うために建立されたのが天龍寺ですが、その建立の地はもと後嵯峨帝の仙洞亀山殿があった所です。後醍醐は後嵯峨上皇の曾孫…まさに、吉野と嵐山の深いえにしを感じます。
明治維新の時には上知令や修験廃止令で大打撃をうけます。神仏和合を旨とする修験道は日本の風土に根ざしたものですが、その風土を明治政府は解体したのです。人間というのはどこかに帰属してしか生きられません。その帰属する風土と精神性を明治以降この国は損ない続けますが、その象徴が修験道の廃止だったように思います。そして明治以来の近代社会がこのところ疲弊をした感があります。そのひずみがこのたびの東日本大震災での原発事故、放射能汚染、そして円高日本などを生んでいるのではないでしょうか。
私は土地、風土、歴史を大切にしようという試みのもとに「NPO紀伊半島の美しい森づくり協議会」(注:平成24年8月に理事長辞任)などの活動もしておりますが、ご当地でも山や川の問題に真剣に取り組んでおられると聞いております。吉野や嵐山の歴史風土を学び、その学びの上でこの地を守るというということは「美しい日本」を守ることに繋がると思っています。皆様の益々のご活躍をお祈り申し上げます。
今週、地元の新聞に掲載された私のコラムです。
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「山紫水明の地・故郷綾部の変貌」
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