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吉野と嵐山の祭・・・役行者と蔵王権現

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祭のあとの・・・月曜日です。
昨日の東南院大祭役行者報恩謝徳大護摩供が行われました。とてもいいお護摩でした。
実は東南院は毎年11月の第2日曜日に、役行者報恩謝徳の大祭を行じていますが、京都の嵐山でも同じ日に蔵王権現感謝祭を「もみじ祭」として行っています。
ご存じの方はご存じのように京都の嵐山はもともと吉野にある「嵐山」という地名(下千本駐車場の南側の山)を後嵯峨上皇の時代に、蔵王権現を勧請して、あわせて桜を移植し、亀山殿という離宮を営んだ際に、地名も移したのです。吉野が本家で京都の嵐山は分家です。保津峡もそのときに移した地名です。
その本家と分家で同じ日に、役行者と蔵王権現への感謝の祭が行われている符合には機縁を感じます。歴史はつながっているのですね。
ちなみに山形の蔵王も本家は吉野。藤原氏が蔵王権現を勧請して、刈田嶺が以来蔵王とよばれるようになりました。
ことほどさように、本家より分家が有名です。

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コメント

おっしゃる通り、関東の山も吉野~熊野の山名をパクッたのが結構ありますね。金峰山、雲取山…色々他にもありそうです(^。^)

私の実家のある愛知県にも田原市に「蔵王山」があり、渡辺崋山一党の所業で廃仏毀釈・修験弾圧の結果、里山修験も壊滅し山頂に相当な規模を誇った蔵王堂以下諸坊の跡も今ではレストハウスに…。
蔵王山の名もエセ神道家と行政によってわけもわからん別名に変えられていましたが、地元民が認識できないために復活。山中も注意して歩くと行場や祭祀の痕跡が見て取れます。
先日帰郷したおり、実家にある弘法大師参籠時の大楠に手を合わせていたら背後から「おい! 坊主。坊主は社地に入ってはならん!」と御老人。
社地もナニもオイラはここで育ったんだが…と苦笑しつつ、大楠を指差し「じゃあ、コレは何なんだ。弘法大師は坊主じゃないのか(笑)」
明治の洗脳、未だ色濃い愛知県でした。

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