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蔵王権現入門「蔵王権現さまのお話し」

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東京日本橋の奈良まほろば館ではこの1月より、「金峯山寺による・修験道のこと、全て教えます講座」を開催しています。

講座内容:
山々が連なり神秘的な空気にあふれた吉野地域は、古くから山岳信仰の霊地とされ、山伏や修験者などの修行の場とされてきました。その中心的な場所、金峯山寺による修験道の講座を新年1月から毎月開講いたします。全12回。1回だけでも受講可能です。

平成25年1月~11月毎月第4土曜日(12月のみ第3土曜日 17時00分~18時30分

過去、5回は半月ほど前に定員いっぱいになっていますが、来月の私の当番はまだ定員になっていません。よろしければお出かけ下さい。

ちなみに6月以降の予定は以下。

6/22 ・蔵王権現入門「蔵王権現さまのお話し」金峯山寺執行長 田中利典

7/27 ・役行者一代記「修験道の開祖・役行者さまのお話」金峯山寺庶務主任 山本雄貴

8/24 ・金峯山寺概説「金峯山寺というお寺」金峯山寺庶務主事 鷲津晴徳

9/28 ・読経2「誰でも唱えられるようになる読経のお話②」金峯山寺執行 樋上孝教

10/26 ・法螺2「山伏が吹く法螺に親しみましょう②」 金峯山寺教学主事 五條永教

11/23 ・修験道概説歴史編「修験道の1300年を振り返る」金峯山寺執行長 田中利典

12/21・入峰修行2「山の修行・千日回峰修行」金峯山寺副住職 柳澤眞悟

シリーズ・山人の自薦書籍⑲:マンガ『役行者さま』

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シリーズ「山人の自薦書籍」・・・いろんなお陰様で、私は自著以外でもたくさんの関連書籍を出していただいています。

今日は第19弾です。
⑲『役行者さま(マンガ)』1993年 金峯山寺刊 定価1000円

http://homepage3.nifty.com/enno-f/syoseki_1.htm

役行者1300年大遠忌(平成12年執行)を慶讃記念して製作された役行者のマンガ本。制作途中で担当出版社が倒産するというアクシデントを乗り越えて、完成する。私が原作者のチョンギ氏と一緒に監修と編集校正を担当した労作。完成原稿を以て、出入りの印刷所に行きましたが、マンガの吹き出しに文字を入れるのがなれていない印刷所だったので、ほんとに苦労をしました。

平成16年に再版。そして今年表紙を一新して三版を出版。

なお市販されていないので、さすがのAmazonにもありませんでした。金峯山寺で販売しています。電話受付もしていますので。。

以下、三版のあとがきを転記します。

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「あとがき」

マンガ『役行者さま』は平成十二年にお迎えした役行者1300年大遠忌に際し編集刊行し、平成十六年には金峯山寺が「紀伊山地の霊場と参詣道」としてユネスコ世界文化遺産に登録されたのを記念して、再版されました。

その再版本も絶版となり、長らく復刻が待たれていましたが、このたびようやく、表紙デザインを一新して、三版の出版となりました。

役行者千三百年大遠忌を機に「修験道ルネッサンス」を提唱し、以来十三年を数えます。その間、混迷を極める現代社会において、いよいよ修験道の興隆に注目が集まっているように感じています。

開祖役行者の生涯とその教えを描いた本書の復刻は、済世利民を目指す験門の更なる発展に繋がることと確信し、併せて役行者報恩への一助となればと念ずる次第です。    合掌

           平成二十五年四月一日
            総本山金峯山寺 執行長 田中利典

南北朝時代の吉野 吉野はなぜ 朝廷たり得たのか

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今月号の「月刊大和路ならら」南朝特集:青葉繁れる南朝の舞台をゆく号でインタビューを受けた取材記事が掲載されています。
カラー口絵写真のあと、記事の冒頭に出していただきました。

「金峯山修験本宗宗務総長 田中利典さんに聞く 南北朝時代の吉野 吉野はなぜ 朝廷たり得たのか」

... ちょっと写真が、なんていうか、ヘン顔ですが・・(^_^;)

よろしければ、ご笑覧ください。独自の自説を丁寧に聞いていただきました。

ならら公式サイト→http://www.narara.co.jp/

以下・・・記事の冒頭を紹介します。

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―古くから神仙境として日本人の精神的な聖地とされてき
た吉野。とりわけ朝廷が置かれた南北朝時代の吉野は特別
な存在だったと思いますが。

 倭と呼ばれていたこの列島が、国名を日本と呼称するようになるのは7世紀後半の天武天皇の時代からですね。その天武天皇が大海人皇子として近江朝廷と戦った壬申の乱(672年)は、この吉野での挙兵からはじまりました。その意味で、日本という国家は吉野からはじまったといえなくもありません。そしてその国名は一度も変わらず現在まで1300年以上にわたって使われています。こんな国は世界中にありません。そしてその間に、国が分裂したのは一度だけです。他のどんな国でもさかんに離散集合を繰り返していますが、日本の場合は一度だけ、それが南北朝時代です。京都の北朝に対して、後醍醐天皇が吉野に入って立てられた南朝。60年近くにわたって都が二つ存在したわけで、こんなことは日本史上、このときしかありません・・・・以下詳細は本誌へ。

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私の記事はともかく、南朝について詳細に取材されていて、大変面白い内容です。オススメします。
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山人の自薦書籍⑱:『大峯奥駈修行 DVD』

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シリーズ「山人の自薦書籍」⑱・・・いろんなお陰様で、私は自著以外でもたくさんの関連書籍を出していただいています。

今日は第18弾。
『大峯奥駈修行 DVD』金峯山寺・奈良テレビ 監修・著作/2010
定価 3500円(税込)
 
http://www.kinpusen.or.jp/book/book_index.htm

2009年、吉野大峯の世界遺産登録を記念して制作され放映された奈良テレビの『総本山・金峯山寺奥駈修行』を金峯山寺と奈良テレビで編集した作品。修験道の修行の中でももっとも厳しい修行といわれる大峯奥駈修行を記録したドキュメントのDVD。

当時大先達を務めていた、私の法話解説や、参加者のインタビュー、修験法具の解説なども収録されています。法話映像はちょっとはずかしいねえ。

編集で入ったスタジオでは「たかじん」の番組ナレーションを担当しているアナウンサーにMCを担当していただき、編集作業があんがい面白かったことを覚えています。

ちなみにこの作品は奈良テレビを通じて市販出来ると思っていたのに、実際はほとんど出来なくて、出回らず、金峯山寺にしか置いていません。お申し込みは金峯山寺まで。ネット販売はいろいろ手続きが進んでないので、お申し込みは電話にて。電話0746-32-8371です。

山人の自薦書籍⑰::絵本『蔵王さまと役行者さま』

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「山人の自薦書籍⑰」・・・いろんなお陰様で、私は自著以外でもたくさんの関連書籍を出していただいています。

今日は第17弾です。
絵本『蔵王さまと役行者さま』出版社: コミニケ出版 (2012/4/1)

http://www.amazon.co.jp/%E8%94%B5%E7%8E%8B%E3%81%95%E3%81%BE%E3%81%A8%E8%A1%8C%E8%80%85%E3%81%95%E3%81%BE-%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%8B%E3%82%B1%E5%87%BA%E7%89%88/dp/4903841049

昨年、コミニケ出版からの依頼で作った作品で、金峯山寺の編集として出した絵本です。監修をさせていただきました。松田大児さんの絵がいいですねえ。

なお今年の7月にはこの絵本の第2弾「蛙飛び」が上梓となります。
ユーモラスな金峯山寺蛙飛びを、同じく松田さんの絵で、面白く紹介しております。
なんと、あのみうらじゅんさんが、帯の推薦文を書いていただいています。その辺の経緯は絵本が出たときにまた・・・。お楽しみにしていてください。

絵本『蔵王さまと役行者さま』の完成時に書いた私の「あとがき」草稿を以下にご紹介します。

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「あとがき」

絵本『蔵王さまと役行者さま』をお届けすることになりました。

松田大児さんの柔らかで楽しい絵を通じて、きっと多くのこどもたちに、「蔵王さま」と「行者さま」のお話がわかりやすく伝えられることでしょう。

この世は困難に満ちています。生きていくことは哀しいこと、苦しいこと、辛いこと、そんなことばかりを重ねていくことだともいえるでしょう。

人は時として弱い生き物です。困難に遭遇したとき、その大波に打ち負かされそうになります。

しかし決して負けてはなりません。困難を克服したとき、はじめて人は生きていくための力をつかむことができるのです。

困難を打ち破る力、それの現れが「蔵王さま」です。

「役行者さま」の願いに応えて、お釈迦様と観音菩薩様と弥勒菩薩様のお力を一つにして出現された「蔵王さま」。神童といわれた「役行者さま」の生い立ちと、山上ヶ岳での「蔵王さま」との出会いを中心に物語は描かれています。千三百年にわたり続いてきた金峯山寺に伝わる修験道の教えですが、今の時代にこそ、もっとも必要とされる生きる力の源を教えています。

打ち続く自然災害、経済の悪化、社会情勢の混乱と人心の荒廃…なにをとっても今の日本は困難に充ち満ちているように心に映ります。こんなときだからこそ、「行者さま」によって祈り出された「蔵王さま」の、困難を打ち砕く大いなるお力が必要なのです。

この物語によって、困難に立ち向かう大きな力を求めるこどもたちの願いが生まれることを念じてやみません。

末尾ながら本書上梓に向けて、多大な才能と労力を発揮いただいた作画の松田大児さんと、コミニケ出版さんに心より御礼を申し上げます。
                                                                   田中利典 拝

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このあとがきは、いろいろな思いを込めた文章でした。

われながら

「この世は困難に満ちています。生きていくことは哀しいこと、苦しいこと、辛いこと、そんなことばかりを重ねていくことだともいえるでしょう・・・」

という文章は泣かせますねえ(^_^;)

山人の自薦書籍⑯:『修験道大結集』

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シリーズ「山人の自薦書籍⑯」・・・いろんなお陰様で、私は自著以外でもたくさんの関連書籍を出していただいています。

今日は第16弾です。
『修験道大結集』金峯山寺 監修・出版社: 白馬社 (2006/6/30) 

http://www.amazon.co.jp/dp/4938651599

世界が注目した日本仏教史上初の「修験道大結集」の全貌をおさめた記録集。

・・・というと大げさですが、巻頭に梅原猛氏の文章を転記させていただいて(ご本人には私がお願いして快諾を得ました)、正木晃氏の鋭い提言を収録しています。

平成11年頃から提唱しはじめた「修験道ルネッサンス」のひとつの形が具現したものともいえます。世界文化遺産に紀伊山地の霊場と参詣道として吉野大峯が登録されたことの慶讃事業として執行した「ユネスコ憲章賛同事業・修験道大結集平和の祈りの大護摩供」の記録集です。金峯山寺監修となっていますが、実質、私の思いだけで、企画編集した渾身の一冊です。

私の編集後記を以下、転記します。

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「あとがき」」

ようやく「修験道大結集」の記録集が上梓の運びとなりました。

本編制作は私にとってここ十年ちかいさまざまな活動の集大成でもあり、思い入れの大きい仕事でありました。

思えば、はじまりは役行者千三百年大遠忌事業でした。平成七年頃から本格的な準備が始まり、聖護院・醍醐寺という本・当両山と、金峯山寺合同による「修験三本山合同事業」が、役行者特別展覧会や三本山合同大法要など、かつてない共同と連帯の成果を生み、平成十二年執行の千三百年忌は役行者ルネッサンスに相応しい一年となりました。そしてその潮流は聖地「吉野大峯」のユネスコ世界遺産登録活動を生み、平成十六年七月に「紀伊山地の霊場と参詣道」として正式に登録されたのです。まさに修験道が世界遺産になったわけであり、修験道ルネッサンスを感じさせる、壮挙でありました。

その修験道ルネッサンスを具現化し、世に問う事業として執行したのが、本誌で記録した「ユネスコ憲章賛同事業・修験道大結集平和の祈りの大護摩供」であります。幸い全国各地の伝統修験教団の協力が得られ、二十三会・十七寺院の大護摩供厳修が世界遺産・金峯山寺蔵王堂宝前で行われました。また結願法要では平和のメッセージに託して、修験者からの平和への祈りが世界に発信されたのです。

末尾ながら本編制作に当たり、「修験道が世界遺産なった」という趣旨そのものの玉稿転載を快諾いただいた梅原猛先生、及び修験道の大応援団を自認して憚らない正木晃先生のお力添えに、心より感謝申し上げます。

また出仕の各寺院教団のみなさま、行者のみなさま、さまざまなご支援をいただいた(社)日本ユネスコ協会連盟、NHK、毎日新聞社、大阪市立美術館、金峯山寺世界遺産奉賛企業各位などなど、数え切れぬご芳情とご協力に厚く厚く御礼を申し上げます。併せて結願法要成満以来、何度も何度も企画を練り直し、その都度ご苦労をおかけした白馬社西村孝文社長に深く感謝の意を表し、編集のご挨拶といたします。

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頑張っていたなあと、自画自賛(^_^;)

都はるみの「むかし」

  • 今、シリーズで過去に拙文が掲載されて書籍を紹介している。もう15回を数えているが、決して回顧主義じゃない。

    飛躍のために、少し過去のことを整理して、自分の中で位置づけをもとうとおもっているだけ。

    ややもすると、むかしはよかったって話になるが、まだまだ私はこれからだって、思っているし、思いたい。

    ところで、最近のおきにうたは都はるみ歌唱・阿久悠作詞の「むかし」・・・・。こうなる前に、もう少し頑張ろうと、いや、こうなっちゃいけないとっていつもこの歌を歌うたびに、誓う私なのでした。

    昔話をするまえに、みなさんも是非。。

    http://www.youtube.com/watch?v=M2msGrBeoco
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仏教を歩く/役小角と「修験道」 (週刊朝日百科)

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『仏教を歩く No16 役小角と「修験道」 (週刊朝日百科)』 [ムック] の改訂版が今週出ました。2004年に出たもので、ほとんど絶版状態でしたので、朗報です。

http://www.amazon.co.jp/%E4%BB%8F%E6%95%99%E3%82%92%E6%AD%A9%E3%81%8F-No16-%E5%BD%B9%E5%B0%8F%E8%A7%92%E3%81%A8%E3%80%8C%E4%BF%AE%E9%A8%93%E9%81%93%E3%80%8D-%E9%80%B1%E5%88%8A%E6%9C%9D%E6%97%A5%E7%99%BE%E7%A7%91-%E9%83%A1%E5%8F%B8-%E6%AD%A6/dp/B009CA9YR4

私は文章を寄せていませんが、「修験道のころば」という一文を恩師の淺田正博先生が書いておられます。
また新装版では知人の田中ひろみさんや釈徹宗さんのエッセイも新連載されています。

秘仏の写真も出ています。

*******なお、これは私の文章は掲載されていないので、いつもの推薦図書シリーズではありません。。

白洲次郎に見るダンディズム

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明日は名古屋です。
「白洲次郎に見るダンディズム」
~白洲次郎のダンディズム。それは骨太であり、自分を信じる力にあったのではないでしょうか。
現代にも通ずる生き方の指針、そこには、白洲流の定義、独特の”美学”があります。
そこから感じとったエッセンスを自分のこれからに活かす方法(ヒント)をドラマで
次郎を演じた伊勢谷友介と孫の白洲信哉とのトークでお届けします。

・・・という趣旨のトークショーが開催されます。すでに予約は満席のようですが、私はNHKで放送された「白州次郎物語」をみてから、白洲さんに魅了され、その後孫の信哉さんと出会いました。その白州次郎物語で白洲次郎役を演じられたのが伊勢谷友介さんでした。楽しみです。

トークショーのサイト↓                                                   http://www.castle.co.jp/wnc/event/shirasu2/index.html

山人の自薦書籍⑮:『祈りの道-吉野・熊野・高野の名宝』

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シリーズ「山人の自薦書籍⑮」・・・いろんなお陰様で、私は自著以外でもたくさんの関連書籍を出していただいています。

今日は第15弾。
図録『祈りの道-吉野・熊野・高野の名宝』大阪市立美術館編:2004年発行

http://www.yasuda-shoten.jp/product/3074

これは世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の登録記念展として、私が大阪市美とNHKを口説いて企画した展覧会。実は大阪市美さんとは、1999年の役行者1300年大遠忌記念特別展「役行者展」でも、企画して、開催した実績があったので、このときも世界遺産登録運動を起こしてすぐに相談をしました。でも実際に登録されるかどうかわからない4年前の段階で、やろうといってくれた大阪市美、NHK事業部、毎日新聞事業部のみなさんに感謝です。大阪市美・名古屋博物館・世田谷美術館と巡回し、合計で33万人が拝観されました。

私が最初に発案したということもあって、図録の解説文「世界遺産としての、吉野大峯の魅力と文化財」を担当して執筆させていただきました。けっこう、渾身の一文です。

資金もないのに大展覧会を二つもやらせていただいたことに感謝です。

ちなみに、来年には世界遺産登録10周年記念展「山の神仏」を同じく大阪市美と毎日新聞大阪事業部、それから毎日放送さんと、紀伊山地三霊場会議が共催で開催することも決定しています。開催時期は平成26年4月8日~6月1日まで。ただし大阪市美単館での開催で巡回はしません。

当然ながら、Amazonには該当の図録はありませんでした。

追記

解説文として書いた「世界遺産としての吉野大峯の魅力と文化財」の拙文の冒頭を転記する。ご参照下さい。

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はじめに
古代より神仙境として憧れられた神秘の聖地吉野。そしてその吉野から熊野にかけて、紀伊半島の中心を背骨のように貫いて存在する大峯山脈…。修験道の開祖役行者によって開かれた修験根本道場が吉野・大峯であり、ここを中心に、日本独特の民族宗教・修験道は1300年の歴史と文化を刻み、その信仰を脈々と現代に伝えてきた。

平成16年7月、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会は日本で12番目の世界遺産として『紀伊山地の霊場と参詣道』を正式に世界遺産リストに登載した。『紀伊山地の霊場と参詣道』のうち、吉野・大峯は修験道の根本霊場であるとともに、国宝・金峯山寺蔵王堂や大峯山寺本堂などの重要文化財を有する『紀伊山地の霊場と参詣道』の中心的コアの一つである。

本稿では、修験道という我が国独特の宗教文化を育んだ吉野山、そして吉野から熊野へと連なる大峯奥駈道が、どのような世界遺産としての意義と魅力を持つものなのかを考察し、最後にこの吉野・大峯の地に関わる主要な文化財を紹介して、世界遺産吉野・大峯の概観を略述する。

吉野、大峯と修験道
吉野山について…。実は吉野山とは山の名でなく、地名であり、正確には吉野川を六田「柳の渡し」で渡った尾根の始まりから桜の名所として知られる下千本、中千本、上千本などを経て、奥千本、青根ヶ峰に至る凡そ8㎞に及ぶ尾根状一帯の総称である。吉野の名はすでに『古事記』、『日本書紀』に記述され、また大海人皇子(天武天皇)による壬申の乱の吉野挙兵や持統天皇の三十数度にわたる吉野行幸など古代から歴史の表舞台に登場し、『万葉集』にも数多く歌われるなど神さぶる聖地として知られている。しかし吉野の歴史を決定づけるのは修験道との関わりの中にこそあると筆者は思っている。

修験道とは、日本古来の山岳信仰に、神道や外来の仏教、道教、陰陽道などが習合して成立した山岳宗教で、簡単に言うと山伏の宗教である。大自然の山中に分け入り、心身を鍛練し、聖なる力、超自然的な神仏の力(験力)を得る者が山伏であり、験を得た者であるから、別に修験者とも呼ばれる。理屈ではなく、自分の五体を通して、実際の感覚を体得する極めて実践的な宗教が修験道なのである。

開祖は役行者神変大菩薩。役行者は正史の上では飛鳥時代後期(634?~701?)に葛城山麓に住した山林修行者としか記されないが、空を飛んだとか鬼神を使役したとか、極めて超人的な伝説を残している。金峯山寺の寺伝によると、役行者は熊野から吉野に分け入り大峯修行道(奥駈道)を開かれるとともに、吉野山から約24キロ南に下った金峯山山上ヶ岳において一千日の参籠苦行を行い、修験道独自の本尊金剛蔵王権現を祈り出し、山上ヶ岳の山上本堂と、その麓に当たる吉野山・山下本堂(吉野山蔵王堂)に、蔵王権現を祀ったと伝える。蔵王権現感得が金峯山寺の濫觴であり、以来吉野・大峯は修験道発祥の根本道場として、空海や聖宝など多くの修行者を集め、中世期、山上と山下に本堂を持つ金峯山寺は寺域に百数十の塔頭寺院を有するなど、山岳信仰の一大拠点として隆盛を極めた。

吉野山の歴史は平安中期の宇多上皇や藤原道長に代表される御嶽詣の流行、鎌倉期の源義経吉野潜行、「歌書よりも軍書に哀し吉野山」と詠まれた南北朝時代の吉野朝廷など様々な史跡と歴史に彩られるが、その根底には常にこの蔵王権現信仰と金峯山寺一山を中心とする吉野修験の一大勢力の存在があったことを見逃すわけにはいかない。とりわけ役行者が蔵王権現を感得した際、そのお姿を山桜の木に刻んだという縁起から、吉野山では山桜を権現のご神木として尊び、信仰者による献木が長年に亘って続いたと伝承し、吉野山は日本一の桜の名所となったことはつとに有名である。その吉野の桜を慕って遠路を厭わず詣でた人々は太閤秀吉の花見をはじめ、枚挙に暇はない。また桜と吉野を語るとき、吉野を愛し3年の侘び住まいした西行法師を忘れてはならないが、その西行を慕った俳聖芭蕉ら多くの文人墨客が行き交うなど、文学的景観も数々有する地へとなっていった。

さて、次に大峯である。大峯とは狭義には現代もなお女人禁制を堅持することで知られる金峯山山上ヶ岳一帯を今日的に大峯山と呼ぶが、本来は吉野山を北端に、更に南は熊野本宮に至るまでの間、山上ヶ岳、弥山、八経ヶ岳、釈迦岳、行仙岳、笠捨山、地蔵岳、大黒岳など仏縁に繋がる山名を冠した、1500メートル級の山々が続く大峯山脈全体を信仰的に尊称して大峯山と呼び習わした。吉野から熊野に連なる大峯奥駈道は、この大峯山脈を尾根づたいに約170キロ跋渉する道であり、修験道における最も由緒深い修行道である。今回の世界遺産登録はスペインのサンティアゴ巡礼の道に続く世界で2つ目の「道」の遺産であると喧伝されているが、「紀伊山地の霊場と参詣道」として登録された3つの参詣道のうち、現代もなお生きた信仰の道として使われているのはこの大峯修行道のみであることを明記したい。奥駈道は遺産ではなく、今も生き続けている動産なのである・・・・・

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若い頃はともかく情熱的に文章を書いていたなあと思います。今はもう書けない。。(>_<)

 ”人が信じる、すべての神と仏に、合掌”

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ここ数日にわたって、とても大事なお役わりの仕事を果たすことが出来て、ほっとしています。

もちろん自分だけの力ではないのですが、私だから果たす役割というのもあったように思います。自分の力を越えた役割は自分自身を磨いてくれますし、鍛え上げてくれます。

たとえば5月14日に終えた奈良県宗教者フォーラムと昨日の紀伊山地三霊場会議高野大会は、まさに私にとって、晴れ舞台でしたね。

そんな晴れがましいことがやりたくてやってきたわけではないですが、結果的に、東大寺や薬師寺春日大社天理教などなどをはじめ奈良県中の宗派をこえた宗教者が修験道をテーマにしてフォーラムを各寺社がお金まで出してやってくれて、その実行委員長、平和祈願祭の大護摩供導師、フォーラムのコーディネータの三役を、私がみなに望まれてやらせていただいたわけです。
 
また昨日の紀伊山地三霊場会議では、高野山金剛峯寺を思うがままにつかって、施設の使用だけではなく、松長座主の講演をはじめ宗務総長以下内局全員が参加して、総会や懇親会が開けたことも、なんともいいようがない使命と充実感を感じました。

でもまあ、調子に乗らないようにしたいと行けませんね。

以下、5月14日の奈良県宗教者フォーラムでの、平和祈願祭で読み上げた、「平和の祈りのメッセージ」と転記します。

奈良県中の宗教者の方が共同して、このメッセージが発信出来たことも大きな喜びです。

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奈良県宗教者フォーラム実行委員会「平和の祈りのメッセージ」

 ”人が信じる、すべての神と仏に、合掌”

私たち人間は、地球の住人です。
その地球、そして大宇宙の森羅万象の中で、私たち人間は特別に優れているとか、
劣っているとか、そういうことはありません。
あらゆる命、あらゆる存在が、全て等しくこの世にあります。

しかし、人間はその真理を忘れ、今に至りました。
欲望を満たすことだけが生きる意味ととりちがえ、森羅万象をないがしろにする。
人間同士、些細な理由で互いをわけへだて、差別する。
宗教、人種、歴史、文化…。互いの価値観のちがいを、ことさらにあげつらい、
蔑み、妬み、争い、ときには殺し合う。なんとあさはかなことでしょう。

歯止めのきかない自然環境破壊、頻発するテロや戦争、すべてが、その結果です。
今、人間はみずから播いた災いの種に苦しめられています。
そして、この苦しみは、私たちの子や孫の世代まで、
そのもっと、ずっと先の世代まで続くのです。

人間は、自然との深い関わりなしに、その歪んだ心を正すことはできないのです。
山に伏し、野に伏し、自然を、そこに坐す神仏を祈る修験道は、
そうした人間の心に巣食う罪、過ちを戒め、五体を通した修行の中で、
清め、再生することを実践してきました。
大自然の霊気に接することで、
山を、木々を、一切の存在、命を敬い、感謝する心を育んできました。

人と人は、過去にとらわれず、互いを思いやる。すべてを咎めず、許す。
その精神は「恕」の一文字に集約されます。

私たち第10回奈良県宗教者フォーラム「神と仏と日本のこころ」実行委員会はこの合同平和祈願祭・修験道採灯大護摩供に際し、神道・仏教・修験道さらに天理教や立正佼成会など日本で育まれたあらゆる宗教の垣根を越えて、この「恕」の心を、世界に、未来に発信します。

そして、地球上の山川草木、さらには大宇宙のありとしある全存在とともに、
宗教、人種、歴史、文化の違いを超え、すべての人間に、森羅万象の一切に、
「地球平穏・世界平和」への祈りを捧げ続けることを宣言します。

                 第10回奈良県宗教者フォーラム実行委員会
                          委員長 田中利典 敬白

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山人の自薦書籍⑭:週刊仏教新発見第6号「金峯山寺編」

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シリーズ「山人の自薦書籍⑭」・・・いろんなお陰様で、私は自著以外でもたくさんの関連書籍を出していただいています。

今日は第14弾。

週刊仏教新発見第6号「金峯山寺編」 出版社: 朝日新聞社 (2007) 

http://www.amazon.co.jp/%E9%80%B1%E5%88%8A%E4%BB%8F%E6%95%99%E6%96%B0%E7%99%BA%E8%A6%8B-%E9%87%91%E5%B3%AF%E5%B1%B1%E5%AF%BA-2007-29%E5%8F%B7-%E6%9C%9D%E6%97%A5%E3%83%93%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA/dp/B006MVMKGI/ref=sr_1_3?s=books&ie=UTF8&qid=1369120234&sr=1-3&keywords=%E9%80%B1%E5%88%8A%E4%BB%8F%E6%95%99%E6%96%B0%E7%99%BA%E8%A6%8B+6%E5%8F%B7

週刊ウイクリーブックとして2007年に刊行されたシリーズの第6号。全30号シリーズの、6号目で、たくさんある名刹寺院を差し置いて金峯山寺が出たことは、なかなか衝撃的でした。

「山中を駆け巡る奥駈行こそ、修験道の核心である」と題した私の一文が写真入りで4ページ載っています。

さすがに6年前のものなので、Amazonで新品はありません。金峯山寺でも昨秋まで販売していたのですが、今は在庫切れで、今後も増刷の予定はありません。

以下、拙文の冒頭部分を転載する・・・

***********************

「懺悔懺悔、六根清浄」の声が、大峯の山々、谷々をこだまして響きわたる。これこそ、山伏たちが大峯奥駈修行でおこなう掛け念仏だ。「やりたかったんだよな、これ」ってつぶやいた女性参加者がいた。現代の大峯奥駈修行は専門の山伏も一般参加者も一緒になって行じる集団修行。プロもアマも一緒に修行するという在家主義の修験道信仰を代表する修行なのである。

時期は大峯山山上ヶ岳が開いている五月から九月。主要な修験寺院主催の奥駈行は概ね夏場に行じられる。

大峯奥駈には昔から順峯修行と逆峯修行の二通りの行じ方があり、熊野から吉野に向かって行じるのが順の峯、吉野から熊野に向かうのが逆の峯とされる。奥駈修行を開いた修験道の開祖役行者は最初熊野から入り大峯山脈を縦走して吉野に至ったと言い伝えられており、その伝承によって熊野から入るのを順の峯と呼ぶ。その大峯山中には七十五の靡(なびき)と呼ばれる行所・拝所が点在し、それらひとつひとつに祈りを捧げながら行じるのが奥駈修行。靡とは、役行者の法力(神通力=超能力)に、草木も靡いたというところから名付けられたとされ、修験道に由来する神や仏の居所や、役行者以来続く峯中の霊蹟・行場を指している。

大峯奥駈修行の行程

金峯山寺の奥駈修行は逆峯修行を行じている。逆峯修行は本来、吉野川で垢離取り(川の中に入り身を清める)をする六田・柳の渡しから始まるが、金峯山寺は吉野山蔵王堂を基点に熊野へと向かう。

まだ夜も明けやらぬ午前四時。蔵王堂に整列した奥駈修行者一行は本尊蔵王権現への勤行を捧げ、道中安全無事満行を祈念して、第一日目が始まる。ブォ~ブォ~と出立を告げる法螺の音が漆黒の夜空に鳴りわたると、俄然、参加者の気持ちは引き締まる。目指すは大峯山山上ヶ岳。約二四キロの行程を十一時間で歩くのである。その間、吉野山内の勝手神社、水分神社、金峯神社など各社を巡拝し、大天井ヶ岳の横駆けを通り、鐘掛け岩・西の覗きの表行場を行じて、午後三時過ぎ、山上ヶ岳山頂の大峯山寺(元金峯山寺山上本堂)に入堂、ようやく初日の行程が終わる。山上ヶ岳は役行者が千日の苦行の末、修験道独特の御本尊金剛蔵王権現を感得(祈り出した)した修験道の聖地。修験道発祥の聖地中の聖地である・・・

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「山人の自薦書籍⑬:『修験道修行大系』

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シリーズ「山人の自薦書籍⑬」・・・いろんなお陰様で、私は自著以外でもたくさんの関連書籍を出していただいています。

今日は第13弾。

『修験道修行大系』修験道修行大系編纂委員会:出版社: 国書刊行会 (1994/06)

... http://www.amazon.co.jp/修験道修行大系-修験道修行大系編纂委員会/dp/4336034117

慶応大学教授宮家準博士を中心に聖護院・醍醐寺・金峯山寺など修験道の主な教団や関係者が編纂委員会を組織し、それぞれの立場から現代修験を紹介した名著。執筆者には宮家博士ほか、金峯山寺五條順教管長、聖護院宮城泰年執事長、醍醐寺仲田順和執行長、駒沢大学教授長野覚氏など。私も編集員として金峯山寺に関わる修行内容編集を担当しました。

またこの本がご縁となって、のちのちの修験三本山協議に発展します。

Amazonでは画像もありません。中古品しかありませんが、探せば安値で手に入ります。

シリーズ・山人の自薦書籍⑫:『葬式仏教は死なない―青年僧が描くニュー・ブッディズム 』

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シリーズ「山人の自薦書籍」⑫・・・いろんなお陰様で、私は自著以外でもたくさんの関連書籍を出していただいています。

その第12弾。
『葬式仏教は死なない―青年僧が描くニュー・ブッディズム 』出版社:白馬社・編集:全日本仏教青年会 (2003/08)                                                       

http://www.amazon.co.jp/%E8%91%AC%E5%BC%8F%E4%BB%8F%E6%95%99%E3%81%AF%E6%AD%BB%E3%81%AA%E3%81%AA%E3%81%84%E2%80%95%E9%9D%92%E5%B9%B4%E5%83%A7%E3%81%8C%E6%8F%8F%E3%81%8F%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%83%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%BA%E3%83%A0-%E5%85%A8%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BB%8F%E6%95%99%E9%9D%92%E5%B9%B4%E4%BC%9A/dp/4938651424

本書は私が全日本仏教青年会の副理事長時代におこなった全国大会のシンポジウム記録。大樹玄承さんが理事長だったけど、大会の仕切りを友人のT氏に依頼して、理事長以下、加盟団体のみなさんの協力を得て、ほとんどふたりで中身はやらせていただいた。

はじめから青年会の編集で、記録集を作成するつもりで大会も企画したが、シンポジウムで講師のひろさちやさんがコーディネーターの私やパネリストの高橋卓志さんとのやりとりで、怒ってしまい、ひろさんが呼んでいた春秋社での出版が出来なくなり、T氏のご縁で、京都の白馬社から上梓することとなった、なかなか苦労した本。

ひろさんが怒っちゃったので、かえって、シンポは面白くなりました。でもあとで謝ったけど、どうしても許してもらえなくて、出版社を替えないと上梓できなかったのです。

ひろさんの講演と私がコーディネートしたシンポジュウム記録や葬式仏教の現状を調査した報告書のほか、「青年僧が描くニュー・ブディズム」と題した私のまとめ文も載っている。もう10年も立つが、私が仏教青年会でいろいろやらせていただいた集大成の一冊(私は副理事長を7年させていただいた。結構、異例なのです)。

もちろんAmazonでは新品は売ってないが、中古品はあるらしい。
金峯山寺ではまだ在庫があります。

以下、所収された私の文章の原稿がありましたので、最初の部分を添付します。ご参照ください。考えが、若ーーい!(^_^;) ・・・正直照れる。。

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まとめ――青年僧が描くニュー・ブディズム   田中利典

シンポジウム中でもコメントしたが、私は昔「檀家制度があるかぎり、僧侶の資質は上がらない。日本仏教をダメにする」と思っていた。しかし近年は宗旨替えをして「檀家制度があるからまだましなんだ」と思うようになった。偉そうに言うと「今ならまだ間に合う。日本仏教も捨てたものじゃない」と思っているのである。全日本仏教青年会全国大会「葬式仏教を考える~日本仏教活性化への道」のテーマに関わったのはまさしくそういった思いを持ってのことであった。

◎「葬式仏教」と揶揄される二つの理由

「葬式仏教」という言葉は、僧侶が自らを認めて使う言葉ではなく、外から仏教のあり方を揶揄して使用される批判的な言い方である。全国大会のテーマを決める実行委員会の席上、一部の理事から「僧侶自らが葬式仏教という言葉を使うのには抵抗がある」と反対意見が出たのも、世間の批判に対する嫌悪感の表れであろう。ではその葬式仏教のどこが問題なのであろうか。

私は二点を考えている。

一つ目は仏教原理からみて葬儀に関わる仏教は間違いである、という見方である。基調講演の中でひろさちや氏も「お釈迦さまは葬儀は出家者のすることではないと言われた」と述べられ、「今の日本の様子をみたらお釈迦様はさぞや驚かれるだろう」とさえ言っておられる。ところが逆にそんなことを聞いたら「えー、お釈迦さんってお葬式の親分じゃないの?」と一般の人からはびっくりされるくらい、日本仏教は仏教本来の原理原則から離れ、葬儀や法事に奔走している感がある。実際に今回の全国大会に際して行った僧侶アンケートの結果を見ても、その七割以上が、葬儀あるいは法事や墓地に関わる葬送儀礼の収入に依存しており、祈祷や拝観収益などを大きく凌駕していた。葬式仏教と言われる所以である。

しかし、だからといってお葬式や先祖回向に携わってきた日本仏教が全否定されるわけではないと私は思っている。

シンポや全体会でひろ氏が述べられた仏教原理主義への回帰は見識である。仏教原理を離れてしまっては仏教でもなんでもなくなってしまう。しかしながら私たちの先人は仏教伝来以前からある、我が国独特の祖霊信仰や、あるいは後に出てくる怨霊思想などと仏教原理を融合させ、日本ナイズした形で受容して、日本の精神文化を形成してきた。原理を捨てたのではなく、活用して変容させ、日本文化の血肉としたと言えるのではないだろうか。少なくとも今の日本仏教の基盤はそこにある。

問題は葬儀への関わり自体を否定するのではなく、仏教原理をどう活かして葬儀に携わるのかということであろう。今、多くの僧侶は宗門立の大学で仏教を学ぶが、大学で学ぶ仏教は仏道の実践ではなく、頭で学ぶ仏教原理ばかりである。そして卒業した彼らが直面する現実は葬式仏教の現場である。肝心の、大学で学んできた仏教原理をどう実践し、どう活かしていくかは個々人の問題として、放置されたままなのである。

二つ目の問題点は、肝心の僧侶たちがはたして葬儀自体を厳粛に執行できているのかという問題である。

こういっては失礼かも知れないが、葬儀屋さんは商売で葬式をしている。同様に僧侶も商売で葬式をしている、とすればまさに葬式仏教、葬式坊主のそしりは免れない。

人生最終の通過儀礼の場で僧侶が必要とされているのは、宗教人としての聖職性や引導者としての信頼性があるからである。仏教原理の体現者としての実践性に帰依をするから、檀徒は檀那寺に信頼を寄せてきたのである。

それが檀家制度に胡座をかき、寺を私物化し、商売で葬式をやっているかのような姿勢を僧侶が取ったとき、葬式仏教と揶揄されることになったのではないだろうか。葬式を厳粛に執行しているというのは仏教者として真摯に関わっているということである。

アンケート調査の結果を見ても「葬式仏教と批判されても仕方がない事実がある」と答えた人が八割を超え、僧侶自身の後ろめたさを感じさせる結果となったが、もっと自信をもって僧侶として葬儀に関わらなくてどうするんだと言いたい。

葬儀屋主導である、時間が限られている、などという言い訳も聞きたくない。たとえどうであれ、三界の導師として、死者や遺族に向き合う自信がなくて、僧侶と言えるであろうか。葬式仏教大いに結構! と言い飛ばすくらいの信心決定がないのなら、商売坊主に違いないのである。

◎葬儀をめぐる現代的問題

実は葬儀の問題は大変に複雑な要素を含んでいる。

「葬儀は習俗である」とひろ氏は一刀両断にされたが、今はその習俗・習慣もくずれている。明治初期に行われた神仏分離施策によって、神仏習合という我が国の精神文化の基層の部分を支えてきた独特の習俗は打ち壊され、戦後は家や家族、村を中心とする共同体社会の急速な崩壊によって、精神文化だけでなく慣習や社会制度など、あらゆる分野で大変革を迎えた。その結果、僧侶も習俗がわからない。神官も、村の長老もわからない。だれも習俗がわからなくなっている。

そもそも仏教葬儀式自体が習俗の上に、各宗派の教義を融合させて出来上がったという経緯がある。だから同じ宗派の葬儀式や追善儀礼も、土地土地によって多種多様である。その習俗が壊れ、変容している現状の前に、僧侶もまた立ちつくしているといえよう。
正しい葬儀とは何なのか、今は誰もがそれを知らない時代なのかも知れない。「自分らしい葬儀」「友人葬」「音楽葬」などが流行る所以である。

しかし仏教徒としての葬儀、僧侶が関わる厳粛な葬儀を行うという定義は明白であろう。宗旨によっていささかの違いはあるにせよ、仏教原理の体現者として、死者に対してはこの世の執着を除き、遺族には故人の死への悼みを癒すと共に、死を通して今生の自らの命の意味に目覚めさせる務めを果たすことであろう。シンポのまとめとして私が提言した「オーダーメイドの葬儀を心掛ける」とはそういう意味である。

実は冒頭で「檀家制度が日本仏教をダメにする」と書いたのには二つの意味合いがあった。

ひとつは檀家制度によって日本仏教は葬式仏教化し、社会のインフラが整い分業化が進んだ今日では寺院は葬儀のみをすればよいということになって、仏教本来の仏教教理の体現という側面が損なわれたという点と、檀家制度は寺族の世襲制や寺院私物化を促し、僧職自体が職業化してしまった点である。いずれにしても僧侶としての資質を問わずに僧侶となってしまう状況を生んでしまったというような一面を持つ。

しかしながらマイナス面だけを見ていた若い頃と違って最近檀家制度の優れた面に目がいくようになった。

日本仏教は明治初期に起きた神仏分離政策による廃仏毀釈運動や、戦後の農地解放による寺院の財政基盤の喪失など近代社会を迎えてから幾たびかの大きな法難に遭っているが、ある意味、檀家制度が支えとなって生きながらえた。もちろん先に指摘したとおり、僧侶の資質を低下させた面もあろうが、傍らでは多くの優れた僧侶を輩出してきた事実もある。日本仏教自体が死に絶えてはどんな優秀な僧侶も生まれ得ないだろう・・・

シリーズ・山人の自薦書籍」⑪:『OKUGAKE 吉野から熊野へ、駈ける』:

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シリーズ「山人の自薦書籍」⑪・・・いろんなお陰様で、私は自著以外でもたくさんの関連書籍を出していただいています。

今日は第11弾。
『OKUGAKE 吉野から熊野へ、駈ける』: 出版社: JRC (2012/3/31)

http://www.amazon.co.jp/OKUGAKE-%E5%90%89%E9%87%8E%E3%81%8B%E3%82%89%E7%86%8A%E9%87%8E%E3%81%B8%E3%80%81%E9%A7%88%E3%81%91%E3%82%8B-%E9%87%91%E5%B3%AF%E5%B1%B1%E5%AF%BA/dp/4903295893/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1368795126&sr=1-1&keywords=okugake

昨日の『天界の道』につづいて、写真集です。

昨年編纂出版された六田知宏さんの写真集。解説として、私と白洲信哉さんとの対談が載っています。この対談はその後、朝カル新宿教室と大阪山本能楽堂での二人の対談に繋がり、白洲さんと仲良くしていただくきっかけにもなりました。

また昨年3月末から6月にかけて、金峯山寺仁王門修理勧進事業の蔵王堂秘仏ご本尊ご開帳での併設展として、出版記念写真展が開催されました。白洲さんの全面的な協力のもとに金峯山経塚の遺品も展覧出来た、私にとって思い入れの大きい写真集となりました。

写真は世界遺産5周年記念の奈良テレビ特別番組で、同行取材された金峯山寺大峯奥駈修行の様子を白黒撮影していただいたもので、編集者の瀬井さんが情熱を傾けて、4年がかりで本にしてくれました。

***************

◎以下に、解説のための対談文、初校の文章をちょっと書きます・・・

白洲 吉野大峯修験は修験道の中でもっとも重要な霊場と聞きます。まず最初に吉野大峯修験についてざっくりとお話いただけませんか。

田中 修験道は今から千三百年の昔、役行者によって開かれたとされます。その役行者が大峯の山上ヶ岳で一千日の苦行の末に、金剛蔵王権現という修験独特のご本尊を祈り出されました。そしてその蔵王権現のお姿を山桜で刻み、山上ヶ岳の山頂と、その麓の吉野山に祀られたのが、金峯山寺の開基であり、吉野大峯修験の始まりとされています。

白洲 ありがとうございます。で、その修験ですが、明治時代以前、僧侶の半数は修験者だったと聞きます。明治初年の日本の人口は約3000~3500万人くらいとされていますが、その頃に山伏の数は約17万人だったというのはすごい数ですね。彼らは具体的に何に携わっていたのでしょうか。

田中 山伏は、いろんな生業をしていたようです。山伏神楽や、山修行の案内、寺・神社への奉仕、村の祈祷師や卜占など、人々の生活に関わる猥雑なところも含めて、日本人が神や仏と関わる部分、つまり世俗と神仏との仲介役として山伏の役割は大きかったと思います。

白洲 世俗と神仏との仲介役という言葉には、日本的な信仰のあり方やアニミズムを感じます。カミの存在が身近にあり、物質的に貧しくても心豊かな生活。そういう価値観の生活の中で山伏の果たしたあり方とは何でしょう。

田中 まさに白洲正子さんが感じてられた世界にヒントがあるように思います。日本の長い歴史の中で、人々は神と仏を分けることなく、信仰してきました。世界中がキリスト教やイスラームなど一神教の価値観で埋め尽くされる中、日本の神道や仏教は草木に至るまで自然のそのものに神を感じています。

白洲 生誕100年に開催した「白洲正子展」の隠れたテーマは「修験道」でした。祖母が数多く残した文章は、すべて神仏習合に集約されていると思っています。白洲正子の文章を読んでいると、仏教はシルクロードから中国、韓国を経て日本に伝来する過程で日本独特のあり方に変質し、土地に根付く地主神と折り合いをつけて在来の神々と交わりながら発展してきたのだと分かります。これは修験道の本質的なところに通じるし、他の国と決定的に違う誇るべきことだと思います・・・・・

 

シリーズ・山人の自薦書籍⑩:『天界の道 吉野・大峯 山岳の霊場』

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シリーズ「山人の自薦書籍」・・・いろんなお陰様で、私は自著以外でもたくさんの関連書籍を出していただいています。

今日は第10弾。
『天界の道 吉野・大峯 山岳の霊場』出版社: 小学館 (2006/10/24)
永坂嘉光先生の写真集ですが、解説をあの山折哲雄先生と肩を並べて、私が一文を書かせていただいています。
自分的にはかなり光栄に思っています。写真も綺麗です。秘仏の権現さまも掲載されています。
是非・・・。

シリーズ・山人の自薦書籍⑨:『図説 役行者―修験道と役行者絵巻 』

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シリーズ「山人の自薦書籍」⑨・・・いろんなお陰様で、私は自著以外でもたくさんの関連書籍を出していただいています。

今日は第9弾。

『図説 役行者―修験道と役行者絵巻 』出版社: 河出書房新社 (2000/08)

巻頭エッセイ(修験道のこころ葛城山と修験入峰修行の世界)
序章 役行者と修験道(役行者の実像
役行者と葛城山・金峯山
役行者の後継者たち―修験道の成立 ほか)
第1部 「役行者絵巻」を読む(武蔵・多武峰神社(武藤家)所蔵「役の絵巻」
大英博物館所蔵「ゑんの行者絵巻」
大阪青山短期大学所蔵「えんの行者絵巻」
滝安寺所蔵「箕面寺秘密縁起絵巻」)
第2部 役行者と修験の美術(役行者像
蔵王権現像
修験の尊像 ほか)


ただやはり15年も前の本なので、新品はAmazonにはありません。

シリーズ・山人の自薦書籍⑧:『山伏入門―人はなぜ修験に向かうのか? (淡交ムック)』

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シリーズ「山人の自薦書籍」⑧・・・いろんなお陰様で、私は自著以外でもたくさんの関連書籍を出していただいています。

今日は第8弾。
『山伏入門―人はなぜ修験に向かうのか? (淡交ムック)』淡交社 (2006/03)

http://www.amazon.co.jp/dp/4473021076/ref=cm_sw_r_fa_dp_DLUKrb0QSR0TB

本書は聖護院の宮城泰年門主(編纂当時は執事長)の監修で編集された。私は金峯山寺の沿革と、大峯山の女人禁制問題について、文章の書かせていただいていて、掲載されている。

ブログの横バーからも申し込めます。

なお、大峯山の女人禁制問題について書いた文章の草稿がデータとして持っていたので、以下、転記します(掲載された文章の大部分は同じです・・・たぶん)。

ただし、長いです・・・(^_^;)

□女性と修験道        田中利典

(1)女性と修験道

奈良国立博物館で講演を終えたときのことである。私に近づいて来られた一人の女性から「修験道は女人禁制なのですね?」と訊かれた。一瞬、質問の意味が理解できず、きょとんとしてしまったが、ああそうかと気が付いた。

ご存じのとおり、今なお、大峯山の山上ヶ岳一体は女人禁制が守られている。それゆえ、修験道そのものが、あらゆる面で女人禁制をたもっていると思われたのであろう。

そのときは、簡単に「違いますよ」と答えたものの、問われるまでもなく、これは修験道にとってすこぶる重要な問題である。そこで以下に、私論ながら、女人禁制の観点から女性と修験道について、一文を寄せさせていただく。

結論から先に言うと、修験道は決して女人禁制ではない。それは、大峯山に関わる修験道の伝統教団で組織された醍醐寺・聖護院・金峯山寺の修験三本山内における男性女性の教師数比率を見れば、一目瞭然である。平成十年に調査によれば、醍醐寺が男性が六十八%女性が三十二%、聖護院は男性七十三%女性二十七%、さらにわが金峯山寺は男性女性が半々であった。

金峯山寺は、もともと山上と山下に本堂があった(本書*ページ参照)。山上本堂は厳格な精進潔斎や女人禁制を守り、冬場は閉ざされた。それに対し、山下本堂は、老若男女が誰でもいつでも参拝できる寺として、いとなまれてきた。明治期の神仏分離・修験道禁止の法難の後は、山上本堂と山下本堂が別々に経営され、現在の金峯山寺はその山下本堂を中心に歩みを刻んできた。こういう歴史の経緯から、女性参加の数が他の二山より多いのかもしれない。いずれにしろ、修験三本山の現状をみるかぎり、修験信仰そのものが女人禁制では決してない。

実際に今は、奥駈修行や伝法潅頂、護摩加行、法螺講習などといったあらゆる金峯山修験本宗の経歴行階修行に、女性も男性とまったく同等に参加している。それは醍醐寺や聖護院においても変わらないと聞く。

それはそうであろう。修験道は、その出発点から、在家信仰のかたちをとり、男女の両性に対して開かれていたのだから。その証拠に、開祖の役行者は、役の優婆塞とも呼ばれた。優婆塞は在家の男性信仰者を意味し、女性の在家信仰者を意味する優婆夷とセットになる。このように、開祖以来、信仰の上では、分け隔てしないのが修験道の本分なのである。

ただし、修験道は山上ヶ岳の女人禁制に象徴されるとおり、修行の領域において、女性を直接的なかたちでは受け入れて来なかったのも、歴史的な事実である。代参であるとか、修行に入る男性を送り出し家庭内で共に精進潔斎をして守り支えるといった、間接的なかたちでしか、山上ヶ岳と女性との関わりはなかった。

先述したように、修験三本山は現在、あらゆる修行において男性女性を分け隔てしてはいない。もっとも現実には、山上ヶ岳の女人結界だけではなく、大護摩供修行への女性山伏の参加を容認していない修験寺院もある。女性が山伏装束を身につけるのさえ、抵抗を感じるという寺院もある。しかし、それをもって、修験道は全て女性差別と否定するのはおかしな話である。むしろ女性を間接的しか受け入れて来なかった修験道の修行の歴史が、このようなかたちで残っていると解釈したほうが的を射ている。

しかし、これも時間の問題なのかも知れない。これだけ女性があらゆる分野に直接参加を果たしている時代に、女性が修行に直接的なかたちで参加できないというのでは、将来の信仰のありようは考えにくいからである。

少なくとも修験三本山では、早くから男と女の扱いを分け隔てしないという道を開いている。その延長線上に、女性が修行に直接的なかたちで参加する日の来ることは、もはや疑いようがない。したがって、修験信仰そのものが女性の参加を拒んでいるなどというのは大変な誤解といっていいとおもう。

(2)山上ヶ岳の女人禁制はどうして生まれたか?

しかしながら、現状として、大峯山山上ヶ岳は今も女人禁制が守られている。

そこでまず最初に、山上ヶ岳の女人禁制はどうして定められたのか?を考えてみたい。

「女人禁制」の規程が公的に定められたのは、七五七年施行の『養老律令』に規定する「養老僧尼令」が最初である。これは僧坊における男女相互の立ち入り制限を目的としていた。つまり「女人禁制」と「男子禁制」は、セットのかたちで定められていたのである。

そしてそれは、男女僧尼が誤って性交渉におよぶことを未然に防ぐ「不淫戒」と称する根本戒にゆらいしていた。ちなみに本来、このような戒律は、宗団、寺院の各個の自主的な規定にまかされるべきである。ところが、当時の仏法擁護の施策の結果、僧尼の数が急激に増加し、各小の自主的な規定では思うに任せない事態になってしまった。そのために、公的な機関が取り締まる必要が生じ、このような規程が生まれることになった。こうした規則によって女性が入山禁止になった寺に、たとえば比叡山延暦寺や高野山金剛峰寺がある。いずれも戒律による禁制であることは、文書によって明らかにされている。

さて、本題の大峯山の女人禁制である。大峯山とは本来、吉野より熊野に至る連山の総称であり、現在、世間一般に大峯山と呼ばれる山は、正確には金峯山山上ヶ岳のことにほかならない。したがって、問題となる女人禁制の地域は、金峯山の山上一帯ということになる。

この金峯山を指して、『本朝神仙伝』には「…金剛蔵王守レ之 兼為二戒地一 不レ通二女人一之故也」とあり、戒律の生きている地と解されている。また金峯山は中国で書かれた『義楚六帖』(九五四年)にも「未だかって女人が登ったことのない山で、今でも登山しようとする男は三ヶ月間酒・肉・欲色(女性)を断っている」と記されている。

比叡山においても伝教大師の『山家学生式』に、同じように酒・女を断つ一条が見られる。これらはいずれも不飲酒戒・不淫戒の徹底をはかろうとする意図から出ていた。こうした事例からいうならば、古代における「禁制」は、男女ともに戒律を遵守するための用語であり、「女人禁制」という言葉は熟語として定着していなかったことがわかる。

しかし「女人禁制」は、現実には男子禁制の部分を脱落させ、ひたすら女性にのみ禁制を強要する用語として受け継がれてきた。その原因はいくつも指摘できる。主な原因としては、平安時代の初期以後、女性の出家制限が始まったこと。また律令仏教の基本であった官僧官尼体制がなくなったことにみられるように、国の仏教政策が変化を遂げて、十世紀ころには尼寺が衰退し、男子禁制があまり意味をもたなくなった事実などである。

かくして残った「女人禁制」の僧寺では、その内容が、戒律を中心とした国家主導型から、各寺院の自己規制型の女性対策へと変遷し、禁制と開放のいずれかを選ぶという事態に至ったのである。その結果、特に厳しい修行の道場としての密教寺院や、修験系の山岳仏教では女人禁制を金科玉条とするようになり、その後も民間信仰や神道思想、また法華経の五障三従の思想などと融合しながら、長く受け継がれてきたのである(『新時代に向けた修験三本山の軌跡』(役行者千三百年御遠忌記録編纂委員会・国書刊行会発行」所収の「資料・女人結界に関する見解」を引用)。

(3)女人禁制は存続か、撤廃か?

明治初頭、女人禁制の解除を指導する維新政府の太政官布達によって、日本の多くの霊山、寺院は禁制を解いていった。そのなかで、ひとり大峯山のみ、いろいろな事件や騒動を経験しつつも、平成の現在に至るまで禁制堅守を続けることになってきた。将来に向けて今後、大峯の女人禁制問題はどうなるのか。修験道と女性を考えるとき、本件は避けて通れない問題となっている。

そこで、女人禁制ついて、存続を願う立場、撤廃を願う立場の両方から、その是非を考えてみたいと思う。

前項で述べたとおり、本来、女人禁制の制度は修験道のみのものではない。しかし明治の混乱期を通じて、日本の霊山の中で大峯山が女人禁制を唯一残した結果、役行者以来の修験道千三百年の伝統が女人禁制に象徴されるという事態をまねいた。「大峯山から女人禁制をはずしたら、大峯信仰の大義名分がなくなってしまい、大峯講社の存在意義が失われる」とさえ語る大峯山関連の信者講がある。こういう人々にすれば、女人禁制は千三百年続いたという修験の伝統の象徴であり、その伝統の保持こそが大峯山伏のアイデンティティにすらなっている。

加えて、禁制にもたれかかるあまり、大峯山の尊厳性さえも禁制をよりどころとして保たれている感がある。もとより修行場や聖地には、非日常性が欠かせない。その点から言えば、女人禁制はまさに非日常性の象徴であり、日本全国の各霊山がその非日常性を失うなかで、大峯山のみが唯一残ったことによって、希少価値としての異境という尊厳性がもたらされた部分があったといえなくもない。

聖地にとって非日常性が欠かせない要素であるとすれば、女人禁制解除による女性参加は日常性を山に入れることになる。またハイキング登山やスポーツ登山の流行は修行の山、聖地の山を今以上に俗化させてしまいかねない。それでなくても、修行の厳しさは時流の中で摩滅しつつあり、禁制によって何とか最低限の修行性が保持されているのが実情である。だから、これを除くとなれば、いよいよその修行性は損なわれてしまう危険性は大きい。

また伝統にしろ、聖地性にしろ、ひとたび禁制を解除すれば二度と元には戻れないことになろう。以上は、禁制堅持を願う立場としては、当然の思いといっていい。

これに対して、女人禁制のみを主張するのは論拠に乏しいという意見もある。女人禁制は先に見たように、修行上の戒律を根底に置いて定まったものである。ところが現在、他の厳しく制限されてきた飲酒などの戒律が軽視されるなかで、もし禁制を声高に唱えるならば、それに見合う飲酒や肉食といった修行上の他の戒律にも厳しさを求めなければならないことになる。

女人禁制が、女性差別や女性蔑視の思想から定められたのではなく、修行上の戒律を根底に置いて定められたとしても、今日および将来にわたって、女性の入山を認めないというのは、許されるであろうか。たとえそれが戒地としての結界であっても、国立公園の公開性の問題や、男女の機会均等の主張など、女性排除の事実が社会的に問題視されるであろう。まして他の戒律がなおざりにされ、戒地としての意味が希薄になりつつある現状では、将来ますます厳しい糾弾の対象となることが大いに危惧される。

もちろん宗教上の戒地とは一種の宗教観にゆらいする特別な場所である。山を女性神の象徴として畏れる世界観などが作り出すコスモゾーンともなっている。したがって、社会的な視点でうんぬんするのは文脈がちがうとも考えられる。

そんな状況の中、平成十年には奈良県教職員組合の「男女共生教育研究推進委員会」女性会員が大峯登山を強行したのをはじめ、平成十五年には市民グループの「世界文化遺産登録にあたって『大峰山女人禁制』の開放を求める会」が結成され、開放を求める署名を集めて開放の要望書とともに内閣府及び奈良県、大峯山寺などに提出している(金峯山寺にも届けられている)。また平成十七年十一月には全国の性同一性障害者ら約三十人のうちメンバーの女性ら3人が強行登山するなど、女人禁制に否定的な登山家の挑戦や、ジェンダフリーの思想や解放同盟からの女性差別としての糾弾、ならびに売名行為を繰り返す人たちの徘徊など、世間の様々な要求や動きが続出し後を絶たない状態であるが、さて、それらに対し、それでも禁制堅持を守る体制が確立できるのかといえば、いささか心許ないというのも現状であろう。

世間のあらゆる分野での、男性女性の機会均等化は、女人禁制に対する社会通念を変化させ、維持することへの世間的なコンセンサスを失いつつある。過去の禁制が容認された時代の女性観と現代の女性観とのあいだには根本的な違いがあり、ここにすこぶる現代的な問題が定位している。また本件に関するマスコミ報道が、極端な二項対立をあおるような「伝統か差別か?」といった偏った論調で語られる現実も、無視できないところまで来ている。

ここで原点に立ち戻って考えてみれば、もともと大峯山の聖地性が、女人禁制のみであったのではない事実に気付く。「女人禁制であるから大峯山が霊山なのだ」という意見には、十分に気を付ける必要がある。大峯山は女人禁制であろうとなかろうと聖地に違いなく、修験道の根本道場たることは揺るぎない。とすれば、女人禁制を解除したらただの山になったというような情けない山であるはずがない。

ただし、霊山であるからこそ禁制が生まれたのであり、コスモゾーンとしての禁制によって今日まで聖地性が高められてきたことも事実である。これらすべてを総合的に理解したうえで、何が本で何が末であるのか、よくよく考えなければならない。

石槌山、出羽三山はじめ、女人禁制を解除してもなお霊山であり続ける山々。それらに比べ、大峯山の聖地性が劣るはずがない。大峯山伏のアイデンティティが女人禁制のみである、というわけではないと私自身は強く思う。

いま、私たちがなすべきは、いったい何か。それは、この禁制論議を千載一遇の奇貨として、山の尊厳を回復することではないのか。

奇しくも平成十六年七月に「吉野大峯」および「大峯奥駈道」はユネスコ世界文化遺産に「紀伊山地の霊場と参詣道」として登録された。この世界遺産登録を契機として、大峯の自然環境保全や信仰の山の尊厳回復に努めなければ、現代社会の大きな流れの中で翻弄され、踏みにじられてしまいかねない。

女人禁制を解除するか否か以前に、すでに心ない登拝者によって山の尊厳は貶められつつある。信仰を支えるものの変化に正面から向き合うとともに、まず行者自身が自らを戒め、自分たちのお山を守る自浄努力を果たすべきであろう。出来うるならば、開放か、堅持かの双方の立場を超えて、同じ修験信仰を心に持つ女性たちとともに…。
           
(4)総括として

以上、あたえられた紙面の都合上、要点を絞って考察してきた。現況から推察すれば禁制堅持の重要性は極めて大きいものがあるとしても、いずれは何人かの手によって、あるいは時代の流れの中で、禁制撤廃の時代を遠からず迎えてしまうのではないと、私は思っている。

とするならば、自分の代では絶対守る、あるいは守って欲しいというのは問題の先送りであり、感情論でしかないのだという指摘もできる。

現在、大峯に関わりを持つ私たちが、なにをおいても取り組むべき課題はなにか。それは、大峯山の将来の信仰をどう守り伝えていくか、修験道がどう歩んでいくのか、自分たち自身の手で、信仰者としての真剣な取り組みなのではないか。しかも、誰かの手によって世俗の問題におとしめられる前に、である。

大峯の女人禁制はあくまでも信仰上の問題である。ゆえに信仰の領域内で、解決していかなければ、今まで守ってきた意義さえも失われてしまいかねない。信仰上の問題として、当事者の大峯山寺はじめ、各本山、各関係修験者・信徒たちが、大きな立場から、この問題に真剣に向き合うことが、本当の意味での、先人達への、また孫子の代への自分たちが果たすべき責任なのではあるまいか。

もちろん、各宗団内や各修験寺院内の女性信者、女性教師の声にも耳を傾けるべきであろう。実際、内部の女性たちの禁制にかかわる賛否は、関係者以外の女性たちやジェンダーフリーを振りかざして撤廃を要求する人たちほどではないにしても、男性とともに山上ヶ岳の登拝を望む声はある。その逆に、声高に言わないものの、現状維持を望んでいる女性も多い。

さて、最後に私の思いである。遡って、役行者千三百年御遠忌(平成十二年執行)に際し、当事者の大峯山寺と修験三本山が協議の上、女人結界撤廃を推し進めたが、地元や信者講との合意に至らなかった。今思えば、性急すぎたところもあったし、議論も尽くし切れていなかったとも思う(この辺の経緯は『新時代に向けた修験三本山の軌跡』(役行者千三百年御遠忌記録編纂委員会・国書刊行会発行」を参照いただきたい)。しかし私は禁制論議は、すでに開ける開けないの段階ではなく、どう折り合いをつけて女性参加の道を探るのかを問うべき時期にきていると思っている。

ただし、ことわっておきたいのは、これは決して人権論議やジェンダーフリーの思想に動かされての問題提起ではなく、大峯山の信仰、修験道の信仰の継承そのものに関わる視点からの結論である。もっというなら千年以上にわたって私たちの修験の先人たちが守り続けてきた女人禁制という希有な宗教伝統を後世に引き継ぎ、その中で新たなる信仰の形を受け継ぐためにも、何らかの形で直接的な女性参加の道を開きつつ、伝統も残していくという方途を探そうというのである。私は平成八年に始められた修験三本山御遠忌連絡協議会において、大峯山の女人禁制論議が提起されて以来、終始一貫して、撤廃するにしろ、堅持するにしろ、当事者の大峯山寺や修験道の内部が臭いものにふたをするような態度ではなく、二十一世紀に向けて大峯の信仰の継承のため、正面からこの問題に取り組むべきだと主張してきた。そういう意味では私は撤廃論者でも、堅持論者でもなく、フリーハンドで、本論議の有り様を模索し続けてきたつもりである。しかし役行者千三百年遠忌を前後しての動き以来、未だに本問題を真剣に結論つけようという内部的な動きは進まず、世間的には奈良県教職員組合や今回の性同一性障害者らによる強行登山などが繰り返され、その都度ハラハラしながら当事者の対応を見守ってきたのである。

性同一性障害者による強行登山を前後して、インターネット掲示板の「2チャンネル」で匿名参加の議論の中から、女人禁制擁護と今回の強行登山に対する非難のホームページが立ち上がり、禁制擁護を応援する署名活動が始められた。修験道内部の動きが鈍い中、いよいよ女人禁制論議は撤廃を求める人たちだけではなく、擁護を願う人たちの間でも、当事者の関与を抜きにして、一人歩きをし始めたのである。結界を擁護する人たちは一般の中にもこんなに結界堅持を指示してくれる人がいるではないかと、嬉々としていることだろうが、ホントにそうだろうか。信仰に直接携わる人間を抜きにしての論議は賛否いづれの論議も盛り上がれば盛り上がるほど、危惧を抱かなくてはならないと私は思っている。世間の風潮や意見に引きずられる形で、本論は語ってはいけないのである。前項までにみてきたように、女人禁制を取り巻く環境は激変を遂げ続けている。だからこそ建設的な結論の構築が必要であると思うのである。

たとえば四国の石鎚山のように、一定の期間に限定して禁制を解除するとか、結界そのものの範囲をさらに考え直すとか、具体的な事例を念頭において、議論を始めることであろう。そして大切なのは禁制解除を契機として、修験道の興隆をどう押し進めるか、大峯の尊厳性を回復するために、新たな規律をどう確立するか、もっとも大切である大峯の自然をどう守っていくのか、根本的な変革が押し迫られているのである。

冒頭で述べたように、ただ開けただけでは、山の尊厳を損ない、自然環境の破壊に繋がりかねず、開けない方がよかったということになろう。そうならないために、血を伴い、傷を負ったとしても、目の前の変革を受け入れ、新たな大峯信仰の確立を果たさなければならないのである。

女性と修験道の関係は、役行者以来、修験道が脈々と法灯を保ち、現代社会においてなお活き活きと生き続けて行く上で、新しい展開へ向かう大きな課題である。

修験道に関わる全ての人の賢明なる智慧によって、早期に禁制論議の結論を見ることを期待してやまない。

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さすがに8年前の原稿なので、今の私の禁制論とは少し違和感がある。その間少し私も変節したところがある・・・のかもしれない。

現在の私の禁制論はまた機会を設けて、紹介することにする。

奈良県宗教者フォーラム吉野山大会、無事終了

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昨日の奈良県宗教者フォーラム吉野山大会、無事終了。

実行委員長・平和祈願祭採灯大護摩供の導師・シンポジウムのコーディネータという三つの大役をひとりで果たし、さすがに今日はくたくた・・・。

今日の奈良新聞には、一面トップ、カラー写真で掲載をされました。ありがたいです。ちょっと励みになりますね。

全10回の大会の中、第8回と今回の2回も実行委員長をつとめさせていただきました。みなさまのお力添えに、深く感謝を申し上げます。

実はこの大会前に、いろいろあって、開催自体を心配しましたが、ホントに無事に終えられたことは、なににもまして、有り難いと実感しています。

蔵王権現様、役行者さま、そしてみなさまの法援に深く深く感謝です。

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山人の自薦書籍⑦: 『吉野・大峯の古道を歩く―紀伊山地の霊場と参詣道 』

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シリーズ「山人の自薦書籍」⑦・・・いろんなお陰様で、私は自著以外でもたくさんの関連書籍を出していただいています。

今日は第7弾です。
『吉野・大峯の古道を歩く―紀伊山地の霊場と参詣道 』出版社: 山と溪谷社; 改訂第2版 (2002/10/1)

http://www.amazon.co.jp/%E5%90%89%E9%87%8E%E3%83%BB%E5%A4%A7%E5%B3%AF%E3%81%AE%E5%8F%A4%E9%81%93%E3%82%92%E6%AD%A9%E3%81%8F%E2%80%95%E7%B4%80%E4%BC%8A%E5%B1%B1%E5%9C%B0%E3%81%AE%E9%9C%8A%E5%A0%B4%E3%81%A8%E5%8F%82%E8%A9%A3%E9%81%93-%E6%AD%A9%E3%81%8F%E6%97%85%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA-%E8%A1%97%E9%81%93%E3%83%BB%E5%8F%A4%E9%81%93-%E5%B1%B1%E3%81%A8%E6%B8%93%E8%B0%B7%E7%A4%BE%E5%A4%A7%E9%98%AA%E6%94%AF%E5%B1%80/dp/4635600300

世界遺産登録に併せて、奈良県の企画で出された本。写真入りで14頁にわたって、「大峯奥駈の世界」という私の文章が掲載されています。

途中で県の担当者が代わり、こいつが不出来な人で、文章の訂正を言うてきました。それなら全部削除してくれと言い合いになりましたが、最後は心優しい山人さん。少しだけ書き換えて、懐の大きいところをみせました。ただもうどこだったか忘れています(>_<)。

この自薦シリーズは最終20冊くらいになります。そのうち、まともな原稿料をいただいたのは3分の1にも満たないのですが、この本はちゃんと原稿料をいただきました。

10年以上前なので、新刊本はAmazonではないようです。

山人の自薦書籍⑥:『新時代に向けた修験三本山の軌跡』

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シリーズ「山人の自薦書籍」⑥・・・いろんなお陰様で、私は自著以外でもたくさんの関連書籍を出していただいています。

今日は第6弾。
『新時代に向けた修験三本山の軌跡』役行者千三百年御遠忌記録編纂委員会編 出版社: 国書刊行会 (2003/03)

http://www.amazon.co.jp/%E6%96%B0%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AB%E5%90%91%E3%81%91%E3%81%9F%E4%BF%AE%E9%A8%93%E4%B8%89%E6%9C%AC%E5%B1%B1%E3%81%AE%E8%BB%8C%E8%B7%A1-%E5%BD%B9%E8%A1%8C%E8%80%85%E5%8D%83%E4%B8%89%E7%99%BE%E5%B9%B4%E5%BE%A1%E9%81%A0%E5%BF%8C%E8%A8%98%E9%8C%B2%E7%B7%A8%E7%BA%82%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A/dp/4336045186

平成8年からはじめた聖護院・醍醐寺・金峯山寺の修験三本山による、役行者1300年合同遠忌事業に関して、40数回に及ぶその会議の全容と、平成12年に執行した合同法要の詳細を記録した本です。女人禁制解除に向けた討議や、役行者特別展などの事業について、細かく記録しました。私にとっても、修験道ルネッサンスへの足がかりとなる大きな取り組みのひとつとなりました。

目次

シンポジウム 役行者と修験道(宮城泰年・仲田順和・田中利典・久保田展弘)
記録 三本山・護持院法要記録
報告・資料 三本山共同事業報告書
座談会 御遠忌合同協議の総括―女人結界について

母のいない二度目の母の日

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今日は母の日です。

二回目の母のいない母の日・・・。

おかあさんがあるみなさんは、今日はお母様を出来る限り心にとめていた

だいて、大事にして差し上げて下さい。

去年も母の日に書きましたが、だんだん母のことが遠くなっていきます。
満中陰のときに、母の思い出を書いた随筆を再掲載して、母を偲びたいと思います。

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「母と回転焼き」

10月に母が亡くなり、もう満中陰を迎えます。本当に早いものです。
 
母は今年1月に危篤になり、医者からも余命一週間と宣告されましたが、その後、入院治療加療のおかげで、一時期は車イスに乗って病院の食堂で食事が出来るくらいまで回復しました。闘病生活9ヶ月。その間は、今まで、あまり母のことに気をかけなかった息子にとって、母を病室に見舞うことで、親孝行のまねごとをさせてもらった貴重な時間でした。

少し元気になった頃、何が食べたいってきくと、「回転焼き、買ってきてんか」と言いました。それから、病院に行くときは、病院近くにあるカドヤさんという回転焼き屋さんで、回転焼きを買って持参するようになりました。あまりたくさんは食べられないので、毎回、一個だけを注文しましたが、いつ行っても、カドヤさんは面倒がらずに、快く、一個の回転焼きを売っていただきました。母が美味しそうに食べていたことが今でも思い出されます。

お葬式の朝、ふと、回転焼きのことを思い出しました。棺にいれてあげようと思い、カドヤさんに寄りました。普段は一個しか頼まなかったのですが、その日は母が好きだった三つの味の回転焼きを三つ全部注文しました。いつも一種類の一個しか頼まないので、いぶかしく思われたのか、「今日は三つなのですね?」とお店の方に声をかけられました。「はい‥、母が好きだったので、いつも買わせていただいていました。その母が亡くなり、今日はお葬式なので、いっぱい食べさせてやろうと思って‥」というと、「お金はいらんから」と言われて、温かい三つの回転焼きを渡していただきました。その優しさに、思わず涙が出ました。

母のことばかりを思ってはいられませんが、でも、カドヤさんの前を通るたびに、美味しそうに回転焼きをほおばっていた母の顔が思い出されて、心がちくり、とします。母の思い出が嬉しくなる、カドヤさんの親切に今でも感謝です。

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権現さまが好き!

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◎今月の蔵王清風(金峯山時報連載中の山人随筆コラム欄)

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「権現さまが好き!」
...
「東大寺の大仏様はとても大きくて、とても素晴らしい。でも大仏様はお側に近寄っても、その眼の先はいつも遠いところを見ておられる。それは大仏様が国家安穏、風雨順時という大きな願いで、この國全体を見守っておられるから」っていう法話をよくする。続きがある。

「それに比べて、蔵王権現様はその前に座ると、その座った人の心の中を見透かすように、カッと見開いた眼で、まるでのぞき込むように前屈みになって、私達に近づいておいでになる。大仏様も権現様もどちらも有り難いが、私は自分のことをじっーと見つめていただく権現様が大好きだ」とお話しする。

この三月末から六月九日まで、仁王門修理勧進の蔵王堂秘仏ご本尊の第三期ご開帳が始まっている。ご本尊の前に、額づくたびに、いつも、自分の心の中が見透かされているようで、有り難いし、怖いし、嬉しくなる。蔵王堂内陣には期間中、発露の間が設けられているが、まさに参拝者ひとりひとりが権現様に自分の心を発露する空間である。きっと座った誰もが、有り難くて、怖くて、嬉しくなっておられると確信している。

四月末からは、週末ごとの夜間拝観も始まっている。夜の権現様はまたまた昼間とは違うお顔をお見せになり、大迫力となる。ご宝前の導師席に佇み、闇夜に響く梵唄声明の流れる中で、権現様のお顔を見上げると、時には涙が止まらなくなるときがある。あるいはすでに亡なった父や母に見守られているような温かい気持ちになる。前の猊下に教えられた「ご本尊に嫌われるなよ!」っいう言葉を権現様から直接頂戴したような気持ちになる時もある。

蔵王一仏信仰というが、あまり難しく考えることはいらない。権現様をいかに自分が好きであるか、権現様からいかに好かれているか、そこを問えばよいのだと思う。ご開帳はじかにそういうことを感じさせていただく有り難い機会なのである。本宗宗徒のみなさまこそ、ともにそうあっていただきたいと念ずる次第…。 
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よろしければ感想をレスくださいね。

山人の自薦書籍⑤:『山の宗教―修験道とは何か (別冊太陽―日本のこころ)』

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シリーズ「山人の自薦書籍」⑤・・・いろんなお陰様で、私は自著以外でもたくさんの関連書籍を出していただいています。

今日は第5弾。
『山の宗教―修験道とは何か (別冊太陽―日本のこころ)』出版社: 平凡社 (2000/10)
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http://www.amazon.co.jp/%E5%B1%B1%E3%81%AE%E5%AE%97%E6%95%99%E2%80%95%E4%BF%AE%E9%A8%93%E9%81%93%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B-%E5%88%A5%E5%86%8A%E5%A4%AA%E9%99%BD%E2%80%95%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E3%81%93%E3%81%93%E3%82%8D-%E4%B9%85%E4%BF%9D%E7%94%B0-%E5%B1%95%E5%BC%98/dp/4582921116/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1368231898&sr=1-1&keywords=%E5%B1%B1%E3%81%AE%E5%AE%97%E6%95%99%E3%80%80%E5%88%A5%E5%86%8A%E5%A4%AA%E9%99%BD

本書では 監修の久保田展弘先生らに混じって「 役行者とは何者か-絵巻を読み解く」と題する一章を書かせていただきました。ムックですので、ふんだんに役行者絵巻の写真が使われています。
...
ただ発行が2000年。15年も前ですから、Amazonにも新刊ではないようです。お求めは中古品になります。
まだ教学部長だった時代の、思い出の一冊です。

修験道ルネッサンスの、ひとつの集大成

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今月・・・5月14日に金峯山寺で開催する、奈良県宗教者フォーラム第10回記念大会「神と仏と日本のこころ~修験道の真実と未来」。参加者申し込みはすでに終了はしているが、是非注目をしていただきたい。

奈良県宗教者フォーラムは東大寺や薬師寺など南都を中心にした奈良県内の伝統仏教名刹寺院と、春日大社などの古刹の大神社、そして天理教や立正佼成会などの新宗教の教団が、宗旨宗派宗教の枠をこえて10年前から活動をしてきた。私は第5回大会から実行委員を務めている。

全体を通してのテーマは「神と仏と日本のこころ」。そして、このテーマが導き出したのが、修験道だった・・・。そこで第8回大会から今回の10回大会まで、修験道をテーマに開催されてきて、今回はこの三年間のいわばその集大成。
...
第8回大会に引き続いて、実行委員長を仰せつかり、金峯山寺での開催となった。

そういう意味では私にとって、役行者ルネッサンス、修験道ルネッサンスを提唱以来、14年越しの取り組みが、ある意味、世間に認められて、南都や奈良県内の各宗派宗教の皆さん方のお力添えを得たともいえるし、大会開催に繋がったともいえる。そして、なにより、私自身の集大成ともいえる大会となるのだ。

平和祈願祭は宗派を越えての各寺社や新宗教、キリスト教関係者など多数の参加の下、蔵王堂境内で修験独特の法儀である採灯大護摩供を修法させていただく。また平和のメッセージも奏上する。自画自賛するわけではないが、このメッセージをこの大会で採択された意義は大きい。

大護摩供祈願祭の参拝はフリーだし、フォーラムも少しは当日参加の受付は出来ると思うので、興味のある方は5月14日に吉野山においで下さい。

詳しくは以下のブログに以前に書いています↓

http://yosino32.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-4696.html
もっと見る

一昼夜法華経不断経修行会

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今年で15年目を迎える金峯山青年僧の会・一昼夜法華経不断経修行会が今日の午前11時から始まった。明日の午前11時まで休み無く交代で法華経を序品から28品まで唱え続ける。
今年も蔵王堂秘仏蔵王権現様の宝前で続けられる。拝観時間中は脇壇で行っている。

この法会のご縁を願われる方は是非、お参りいただければと思う。
 
*写真は先ほど終えた開闢法要。


明日11時からは結願法要となる。

 

自薦書籍④:『天台―比叡に響く仏の声 (龍谷大学仏教学叢書 3)』

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シリーズ「山人の自薦書籍④」・・・いろんなお陰様で、私は自著以外でもたくさんの関連書籍を出していただいています。

今日は第4弾です。『天台―比叡に響く仏の声 (龍谷大学仏教学叢書 3)』:自照社出版 (2012/03)

本書は龍谷大学で四年前に行われた「天台の教義と実践」の連続講座を編集した講義録です。私も参画しています。母港での講義だったので、思いで深い講演録となりました。

http://www.amazon.co.jp/dp/4903858766/ref=cm_sw_r_fa_dp_txdJrb1JQHN96

*内容講師は以下(自照社出版のサイトから・・)・

「教観双美」(教義と実践行の二者一具)といわれる天台仏教のありようを、声明や造像を含めた幅広い視点から捉える。千日回峰行者など13人の多彩な執筆者による論考を収載。【龍谷大学仏教学叢書3】


【目次より】
第一章 中国天台の教義
 中国天台の特色…………………坂本廣博
 天台における修行の理念………武 覚超
第二章 日本天台の教義と展開
 日本天台の教学論争……………淺田正博
 天台本覚思想論…………………末木文美士
 院政期の浄土教…………………道元徹心
第三章 天台の実践行
 好相行の実際……………………堀澤祖門
 常坐三昧の体験を通して………小林祖承
 常行三昧の体験を通して………高川慈照
 天台の論議と看経行……………清原恵光
 千日回峰行の体験を通して……藤波源信
 天台修験の教義と実践…………田中利典
第四章 天台声明と芸術
 天台声明の実際…………………齊川文泰
 天台の仏像を彫る………………向吉悠睦
紀行文………………………………道元徹心

自薦書籍③『学べる!世界遺産の本奈良』

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シリーズ「山人の自薦書籍③」・・・いろんなお陰様で、私は自著以外でもたくさんの関連書籍を出していただいています。

今日は第3弾です。『学べる!世界遺産の本奈良』 (あをによし文庫)。

あの東日本大震災直後、経団連会館でおこなった産業経理協会での講演録を編集して、掲載していただいています。講演会自体が大変思い出深いものだったので、私にとっても意義深い本のひとつです。

http://www.amazon.co.jp/%E5%AD%A6%E3%81%B9%E3%82%8B-%E4%B8%96%E7%95%8C%E9%81%BA%E7%94%A3%E3%81%AE%E6%9C%AC%E5%A5%88%E8%89%AF-%E3%81%82%E3%82%92%E3%81%AB%E3%82%88%E3%81%97%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%A4%A7%E5%92%8C%E7%9C%9F%E5%A5%88/dp/4878065079/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1368057147&sr=1-1&keywords=%E5%AD%A6%E3%81%B9%E3%82%8B%EF%BC%81%E4%B8%96%E7%95%8C%E9%81%BA%E7%94%A3%E3%81%AE%E6%9C%AC%EF%BD%9E%E5%A5%88%E8%89%AF


帯に河瀨さんの顔が大写りで載っていますが、彼女は帯の推薦文をお願いして書いていただけで、、本文中にはありませんので、あしからず・・・。

自薦書籍②『うわさの人物 神霊と生きる人々』

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シリーズ「山人の自薦書籍②」・・・いろんなお陰様で、私は自著以外でもたくさんの関連書籍を出していただいています。

今日は第二弾『うわさの人物 神霊と生きる人々』(集英社)。

怪奇小説作家の加門七海先生にインタビューされた記事が掲載されています。実は兄弟でインタビューに出ているというレアな本です。

http://www.amazon.co.jp/dp/4087748324/ref=as_li_tf_til?tag=dancininthera-22&camp=243&creative=1615&linkCode=as1&creativeASIN=4087748324&adid=0RFWT4PVYFNJZA8XJEPV&&ref-refURL=http%3A%2F%2Fyosino32.cocolog-nifty.com%2Fblog%2F2013%2F05%2Fpost-610f.html

ブログの横バーからでも申し込めます。

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くまぶしくんvs山伏くん???

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最近、くまぶしくんの人気が凄い・・・こんなに売れるとは思わなかったので、追加注文がすっかり遅くなって、みなさんに迷惑をおかけしています。20日過ぎくらいには入荷するはずですので、しばらくお待ちください。

さて、実は平成12年執行の役行者1300年遠忌のときに新しいキャラを作ったことがある。ただそのキャラがあまりに私に似ていたので、顰蹙を買い、却下された。人形やキーホルダーも試作したが、公にはならず、私の個人所蔵となっている。

もったいないので、節分会の福豆袋のデザインとして、キャラは細々と残った。

あと私の自著『修験道っておもしろい!』の本のカバーにも使っている。

もうひとつ、自坊のキーホルダーお守りも500個限定で作って、大方は講演会などで差し上げた。残ったわずかな分だけ、販売もしたが、もうほとんど、残っていない。
結構、いいキャラだったなあ。でも、くまぶしくんには叶わない・・・。

FBでお尋ねいただいたので、紹介する。

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シリーズ・山人の自薦書籍①:『宗教者に聞く!―日本編〈下〉 (リレー講座 現代社会と宗教)』

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シリーズ「山人の自薦書籍①

・・・いろんなお陰様で、私は自著以外でもたくさんの関連書籍を出していただいています。

シリーズで紹介しようと思いますが、第一回目は、その中でも偉い各宗派の高僧さまとともに出たというので、私にとっては大変意義のあるものの一つ、立命館大学でのリレー講座の講演録が載った書籍を紹介します。 

『宗教者に聞く!―日本編〈下〉 (リレー講座 現代社会と宗教)』

読売新聞大阪本社の編で、法蔵館から発行されました。

http://www.amazon.co.jp/dp/4831856401/ref=cm_sw_r_fa_dp_E9WHrb0CYBYH7

ブログの横バーからでも申し込めます。

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富士山世界文化遺産国際シンポジウム「世界遺産と富士山の象徴性」

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富士山の世界文化遺産登録のニュースがこのところ、いろんなメディアで取り上げられている。この6月には間違いなく、本登録されることだろうと思う。

以前にも書いたとおり、5年前に静岡県富士市で行われた「富士山世界遺産推進国際シンポジューム」にパネリストとして呼ばれて以来、富士山の世界遺産登録には関わりを持ち、静岡、山梨両県での講演会に何度か呼ばれることとなった。この5月26日には静岡県の浅間大社での講演会にも行くことになっている。

そんな中、一番最初の国際シンポでの、対談録の生原稿が出てきた。久しぶりに読んだが、結構面白いし、今こそ、富士山の世界遺産登録を前に、多くの人に語っておかないといけないような内容がそこにはあった。それで改めてブログにアップする。

基調講演後、パネリストとして参加されたカメロンさんやミッチェル氏さんのお話しはカットして、私のところだけをアップした。コーディネーターの稲葉信子さんのお話しも私の発言に関わるところだけを書いているので、ご了解いただきたい。

なんか、あの頃はホントにけなげに頑張っていたなあと、今更ながら、私的には懐かしい記録である。富士山の世界遺産登録に興味、意見のある方はどうぞ・・・。

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                      富士山世界文化遺産国際シンポジウム
                    - テーマ 世界遺産と富士山の象徴性 -

                            パネルディスカッション

【コーディネーター】
 稲葉信子氏(筑波大学大学院人間総合科学研究科世界遺産専攻教授)

【パネリスト】
 クリスティーナ・カメロン氏(モントリオール大学建築学部教授)
 ノーラ・J・ミッチェル氏(バーモント大学客員准教授)
 田中利典(金峯山修験本宗宗務総長、金峯山寺執行長)

                2008年11月9日(日)15:30~17:00
                  富士市交流プラザ多目的ホール(富士市富士町)
                                       
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(稲葉)
いくつかの霊場が集まっている「紀伊山地の霊場と参詣道」。いくつかの霊場が集まっているものの中の一つの霊場をずっと守ってこられた方です。

 けれども、少し、ご自身の紹介を兼ねて、それから富士山との関係、あるいは、特に信仰やあるいは日本人の精神的なもの、日本人の想いと世界遺産の関係について、世界遺産に登録する準備の段階からその後にへ向けて考えておられたことについて、少しお話しをいただけたらなと思います。よろしくお願いします。

(田中)
みな皆さん、こんにちは。ただ今ご紹介をいただきました田中でございます。「紀伊山地の霊場と参詣道」は平成16年に世界遺産登録を受けました。この世界遺産は、吉野・大峯と、高野と熊野という3つの霊場と、それぞれの霊場に関わる3つの参詣道から成り立っています。その3つの中の、1つのコアである吉野・大峯にある中心的な寺院の一つが私のいる金峯山寺という寺院で、我国独特の山岳宗教ー山伏の宗教である修験道の総本山からやってまいりました。

さて私は今はドキドキしてこの舞台に座っています。何をドキドキしているかというと、この舞台にいるの女性の先生方ばかりで男性は私一人なのです。こんな大切なフォーラムにまるで世の男性を代表してここにいるようで恐縮しております(笑)。

まあ、それはさておき、このシンポに呼ばれましたことに、私は天の使命を感じております。別に男の代表としての天命というわけではございません。少しスクリーンで写真を紹介したいと思いますが…ちょっと見えにくいですけれども…これは今から160年ぐらい前、1849年(嘉永2年)に出た嘉永版の「大日本永代節用無尽蔵」(節用集)という書籍です。節用集というのは、簡単に言うと百科事典のようなもので、江戸後期に出版されたものは、全300ページぐらいある大部なものでした。江戸後期の節用集には、この嘉永版の他にも文久版とか寛政版とか色々あるのですが、それらの口絵(最初に出てくる絵)には、常に吉野山の桜の眺望図と、富士山の眺望図の二つが描かれています。その意味は、この二つが外国にはない、日本を代表する、日本の絶景として当時はシンボライズされていたということなのです。

  ところでこの吉野・大峯を世界遺産にしようと最初に手を挙げたのは実は私です。おかげさまで、吉野は平成16年に世界遺産登録されました。で、今、富士山が世界遺産登録に向けて努力をなさっている…その富士山の世界遺産に私がお手伝いに呼ばれることになった。節用集に描かれるとおり、日本の二つの絶景の内、先に吉野が世界遺産に登録されたわけですが、そのきっかけを作った私に、今度は富士山の世界遺産登録にお手伝いをしなさいと、いわれていると思ったのです。それはまさに江戸時代からの約束であり、いわば天命だというわけです。天命というのは自分で天命と思うから天命なのですよね。そのように思って今日はやって参りました。
 
  先ほど稲葉先生からご質問がありましたが、吉野・大峯を世界遺産に登録しようという活動は、吉野・大峯が持つ歴史性・唯一性を、広く世の人たちに再認識していただきたいという、私の切なる思いから始まりました。
  明治初期に、私どもの修験道という宗教が禁止された時代があったのですが、これによって、修験道を育んだ吉野・大峯の地が持つ歴史性とか聖地性とかも同時に損なわれることになります。その後修験道の禁止も解かれ、徐々に復興をするのですが、それでも未だに損なわれたままの部分が大きく、そんな中で世界遺産を通じて、日本国民全体の中に、あるいは地域の人たちの中に、この地の聖地性・歴史性の意識回復を計ることができたらなあという思いを持ったのです。
 
  二つ目は、吉野・大峯が持つ歴史性・聖地性を司ったというか、基盤としたもの…それはこの地に栄えた日本古来の山岳信仰である修験道という宗教なのですが、この修験道そのものが、明治以後の欧米化・近代化政策による修験道禁止によって、力を失います。後で詳しく申し上げたいと思いますが、修験道というのは近代以前の価値観を持った宗教なのですが、まるで近代化政策の生贄のようにして衰えさせられることとなりました。その修験道を、世界遺産登録を通じて再び高揚させたい。そういう思いがありました。
 
  更にもう一つ。これも大変重要な目標だったのですけれども、修験道は山で修行する宗教なのですが、ここ20年ばかりの間に、その修行の場となる肝心の吉野・大峯の山々の自然環境破壊が極めて急速に進みました。後で紹介しますが、私たちには大峯の大自然の中で行う奥駈修行という修行があります。私がこの修行に初めて行きましたのは27年前なのですが、27年前には潤沢に保たれていた大峯の自然環境が、ここ20年ぐらいで、急速に壊れてきたのです。ご存じのように、世界遺産というのは、自然と文化を二つながらに保護・保全していこうというのがその精神ですから、世界遺産登録運動を通じて大峯の環境保全を図っていきたいと発願しました。
 
  で、もう少し言いますと、私は手を挙げた段階からこの地域は世界遺産になるだけの価値があるという自信がありました。けれどもたとえ世界遺産登録されなくても、そのような活動を通じて地域の人々に、この土地が持っている価値、歴史性や聖地性の認識を取り戻してもらうきっかけになればという思いで活動を始めました。幸い、3年あまりで世界遺産登録されたのですが、この辺のところは後ほどもう少し詳しく申し上げたいと思います。

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(稲葉)
  田中さん、。修験という言葉がございましたが、文化と、そうですね、自然と人間、仏と神などどういうことなのか、仏と神ですかね。そういうもの2つが一緒になっていますね。「紀伊山地の霊場と参詣道」を世界遺産にしていく時の、非常に重要な一つのキーワードとして、日本人は、あるいはアジアの人はがとい言うべきでしょうか、そういう形で、非常に自然と密接に生きてきた、そのことが何か意味を持つということに関して、日本は十分にそれを証明したわけですけれども。
 
  修験ということは1300年以上の歴史があるということだと思いますが、吉野・大峯の自然を修行の場とされてしている修験道が、もう修験ってことは1300年以上の歴史があるということだと思いますけれども。その修験道が世界遺産としてどういう価値を表明しているのかということについて、お話しをいただきたいということと、それからもう一つ、ベテランである田中さんから、ベテランから見て、富士山というものをどのようにう考えたらいいのか、富士山の、ここでいう「象徴性」という言葉で、何を言っているのかということについて、どう思われていますかお話しいただけますでしょうかしら。ご意見を。

(田中)
今の日本の人にも修験道を説明するのは難しいわけですから、まして外国の方に説明するのは非常に難しいわけであります。これには、先ほど少しふれました明治の修験道禁止に問題の始まりがあります。

日本人は今から1450年前に仏教を受容いたします。仏教を受容してしばらくは崇仏派の蘇我氏と廃仏派の物部氏との相克があり、神さまと仏さまの間で多少もめたことはありましたが、その後は基本的に1300年間、神さんと仏さんは仲良くやって参りました。そのことを神仏習合といいます。

さてご存じのように、明治期に神仏分離が行われます。神仏習合を壊すわけです。それで今は、神さんと仏さんは別々のものになってしまいました。修験というのは、神仏習合という神道と仏教が夫婦関係のような中で生まれた宗教で、いわば夫婦の間でできた子どもみたいなものですから、神と仏を分け隔てなく拝んできました。その修験道が明治に神仏分離されることによって、神道になるか、あるいは山伏を辞めて還俗(げんぞく)するかという、そういう時代がありました。神仏分離を断行した神仏判然令が明治初年に出ましたけれども、明治の5年にはご丁寧に修験道廃止令というものまで出まして、修験道の全面解体が行われます。そのせいで現在の富士山にも修験信仰がほとんど残っていないようになりました。ところが「紀伊山地の霊場と参詣道」には修験道の世界が現代も息づいています。で、これを簡単に説明するのはすこぶる難しいので、修験とはどのような宗教なのかが簡単にわかる映像を持ってきました。ここでその映像で見ていただければと思います。

  この映像は夏に吉野から熊野にかけて、あるいは熊野から吉野にかけて、大峯山脈を縦走する大峯奥駈という約10日間ほどの山修行の様子です。私たちは1日約13時間、集団で山の中を抖數(←トソウ。抖數の數は手偏に數)、つまり山を歩き通す修行をするのです。山念仏とか掛け念仏と言われる「さんげ、さんげ、ろっこんしょうじょう」というかけ声を唱えながら歩くのですが、山中にいる神や仏に相まみえ、大自然の中に深く抱かれて、そこに神を観じ、仏を観じ、人間の眼耳鼻舌身意(げんにびぜつしんい)、つまり六根といいますが、いわゆる煩悩をつくり出すところの人間の身と心を懺悔(さんげ)して神・仏に近づいていく…そういう修行をするわけであります。
 
  行に出発する段階では、お堂があり祠があるのですが、山の中に入って行きますと、祠もお堂もなくて、ついには、石を拝み、木を拝み、空を拝み、大自然そのものを拝んでいく。ただひたすら神・仏がおられることを前提に歩き通す。そういう修行を行うのが修験道なのです。このように山深い深山幽谷をくたくたになって歩く、そういった修行をするわけであります。
 
  世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」は、熊野という神道の霊場と、それから高野山という真言密教の霊場、それから吉野・大峯という修験の霊場、この3つの異なる聖地が道によって繋がれています。つまり、日本人が神や仏を分け隔てなく拝んできた、いわゆる多様な信仰の形が現在も残っている。で、その残り方が自然の中に育まれながら、自然そのものに神・仏を感じる、日本人が持ってきた自然に対する畏怖、恩恵に対する感謝、そういったものが今もまだ奥駈修行など形や実践を通して残っているところに、私は世界遺産たるべく、日本の宝としての価値があるのではないかと思っています。世界遺産というのは、実は、個々の国の宝を、まず先に個々の国自身が自覚をして、それを個々の国の宝としてだけではなくて、世界共有の宝として守っていこうという、そういう理念の上に成り立ったものですから、まず自分たちの宝物を自覚することが大切なのではないでしょうか。
 
 ま、そのような思いがどこかで通じて、うまく世界遺産になったのかなという気持ちでございます。
 さて本題の富士山のことなのですけれども、このシンポ出演の話をいただいた時に、私はお寺の小僧さんをちょっと呼びましてね、「君は富士山っていうとどういう印象を持つか」と聞いたんです。そうすると、彼は即座に「日本の象徴です」と答えました。それで更に、「では君、富士山は日本の何を象徴してんねん?」と聞いたわけです。そうするとじっと考えた挙げ句、「わかりません。」と言いました。
「日本の象徴はわかるけど、日本の何を象徴してんねん。」「わからない」…と言うのですね。それで、質問を変えましてね。「日本の象徴は富士山ていうのはよくわかる。ではほかに何がある?」と聞いたんです。彼、しばらく考えましてね。「桜!」と答えました。確かに、桜もある種日本の象徴で、先ほどの「節用集」では吉野の桜と富士山がまさに日本の象徴とされていたわけですから、そういう代表的象徴の意味があるのかなと思ったのですが、その桜って日本の何を象徴しているのでしょうか。これは、日本人の憧れの生き様である散り際の潔さ、そういうような、ある種日本の心情というか、そういったものを象徴しているのが桜でありましょう。

  ではもう一度戻って、富士山が日本の何を象徴しているのか?実はこれを考える時に、欧米と日本との違いというのをまずみておかなければいけません。目の前には欧米の方がいらっしゃるので少し気をつけてしゃべらないといけません(笑)が、キリスト教が広まった後の欧米は、山には悪魔が棲んでいると考えた。キリスト教以前の欧米世界には、いろんな信仰がありまして、山には聖なるものも存在したのですが、キリスト教が根付いた後以降は山は悪魔が棲む場所になった。トーマス・マンの「『魔の山」』とか、あるいは映画の「ハリー・ポッター」や「ロード・オブ・ザ・リング」を見ると、森や山にいるのは悪魔なのですね。ところが、200年ぐらい前から自然科学が発達してきて、山には悪魔がいなくて、氷と岩の塊であるということがわかってきました。そこでやっと欧米人は登山を始めるのです。ですから、西洋登山はわずか200年ぐらいの歴史しかないのです。ところが、日本人というのは、それこそ役行者という修験道の開祖以来1300年にわたって山を崇めるとともに、山に入って修行してきた。山の中で神や仏に近づいて来た、そういうカルチャーを持ってきました。  
   
  もう少し言いますと、富士山ですが、日本人は昔から富士山の絵を描いてきたのです。欧米で山を絵に描くというカルチャーはもともとなかったのですが、日本では、国宝の那智滝図はじめ、自然そのものに神聖性を見てその自然の姿をそのまま描いてきたのです。キリスト教社会の絵というのは宗教画であって、山や自然そのものをそのような目で見るカルチャーというのはなかったようなのです。で、そういう欧米とは違う、日本人が持ってきた文化、宗教心、自然観、そういうものの延長線上に「紀伊山地の霊場と参詣道」の持っている多様な信仰と、それから自然観っていうのがあるのですが、富士山もそういった意味では、日本で最も高い秀麗な山であるが故に最も優れた聖山なわけです。そういう日本人が自然に対して抱いてきた自然観、自然に対する畏怖、畏れ、あるいは神・仏に対する神聖なる思い、そういうものの全部の象徴が富士山に集約されているのではないでしょうか。
 
  先ほど、北斎の津波の絵が紹介されましたが、あの絵を北斎は津波として描いたのではないのです。あの勢いのある波の躍動の中に、自分を超えた聖なるものを感ずる感性があったから、あの構図を絵にしたのです。しかしながら、今まだキリスト教社会の人達はあれを津波としか理解できない。欧米のお二人の先生には大変申し訳ない、…申し訳ないですけれども、そういう大きなカルチャーの違いがある、ってことなのです。
 
  実はようやくグローバリズムの行き詰まり、いわば近代の破綻が見えつつあり、欧米諸国においても、そういった近代以降の欧米主義的な価値観ではない、カルチャーの違いに気付こうという流れがここ数年の間に広がっていると聞き及んでいます。いや、もうそろそろ、そういった違いに気付かなければいけない。近代以前のもの、あるいはキリスト教以前に持っていたものが、この日本の中にはまだ残されていて、そういうものの象徴としての富士山に気付くことが大変大事なことではないかと私は思っています。
 
  美しいということと、聖なるものであることというのは、大変近しいものであると私は思います。美しいものは完成形に近いものであります。それはまた神と仏の領域でもあります。富士山は、その姿からして神・仏の領域に近い景観を持っていて、しかも1000年にわたり、私たち日本人は、あの富士山の中に浅間大菩薩や木花開耶姫を始め様々な神・仏を見てきた。そこに気付かなければ、富士山の世界遺産性ってのは、なかなか生まれないのではないかと、私はそのように思います。
 

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(稲葉)
 ここで田中さんに伺いたいと思います。紀伊山地の時にも色々そういう作業をされてこられた中で、修験の価値を証明していくプロセス、あるいはそういうことについて、その価値をどういう形で説明されてきたのか、ということについて、少しお話しをいただければと思います。

(田中)
はい。先ほど申し上げましたように、修験道というのは明治期に国によって禁止された宗教です。それ以後復興は遂げたとはいえ、なんと、明治期に修験道禁止によって還俗(げんぞく)させられた山伏の数というのが、17万人だったというのですね。ちなみに現在日本には約22万人のお坊さんがいるのですが、明治初期の日本の人口は3300万人からせいぜい4000万人ですから、現代の人口1億2700万人の中の22万人より遙かに17万人は多いわけです。それほど、明治以前は山伏さんがそこら中にいて、私たち庶民の生活に深い関わりがあったのです。それが忽然といなくなったわけですから、今の日本人に山伏のことを説明するのが難しいのもおわかりいただけると思います。でも、まず日本人に知ってもらわなければいけないわけであります。…で、あの、長くなっていいですか?

(稲葉)
はい、もちろん。

(田中)
仏教でね、山川草木悉皆成仏(さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)という思想がありますが、日本人はこれをよく見聞きしてますよね。これ、山も川も木も草も全部仏性を持っていて、成仏するんだという思想なのですが、実はもしこれをお釈迦さんが聞いたらきっと腰を抜かすほどビックリされると思うのです。お釈迦さんは決して、木や草やまして石や岩に仏性なんか認めていないのです。これは中国を経て日本に伝わって来た仏教が、ある種、もともと日本にあった神道的なものと融合して出来できた、いわば日本独特の思想なんですね。八百万の神ですね。修験というのは、そういう思想というか、自然観の上に成り立った宗教なのです。日本独特のカルチャー、文化というのをまず自覚することが大事なのです。先ほどの繰り返しになりますが、西洋人が北斎の版画を見て感動するのは、版画自身が富士や波の絵の中に聖なるものを感じる感性のもとに描かれいるからなのです。それは、少なくともキリスト教以降の欧米にはなかったカルチャーなのです。だから、欧米人も逆に感動するのです。それは、私たちが伝え保持してきた大変大事なものなのです。この自覚は、富士山の世界遺産登録を見ていく時に非常に重要であるということを、繰り返し申し上げておきたいと思います。

  で、修験という大変わかりにくいものや、修験が成り立つ吉野・大峯の価値をどう伝えるかというのは、頭の中だけで考えると難しい。しかし、私自身が実践を通して、先ほど見ていただいた山修行の中に見つけることが出来た。明治以降の日本は近代化することによってそれ以前のものを随分損なっていくのですが、明治以前のものを見ようとした時に、山修行にはたくさん残されている。神も仏も分け隔てなく、尊んでいく…、自然の中にある自分を超えたものへの畏怖を持ち、崇めていく。そういったものは近代以降本当に急速に衰えていったのだけれども、私が奥駈修行で得た体験的なものをそのまま伝えることで、理解されるようになった…、世界の人々に届いたのではないかと思います。実際に私自身が世界遺産委員会に行って話したり、しゃべった訳わけではないのですが、日本の調査官やイコモスの調査に立ち会う時など、担当の人たちに訴える中で、奈良県での推薦の道筋が開けてきたのではないかと思っています。

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(稲葉)
今までの取り組みと、それから、これからどういう形で取り組んでおられるのかということを少しお話しいただけますか。

(田中)
平成16年に世界遺産登録され、吉野に限ってはその年の観光客は20倍に増えました。
で、それ以降の17年、18年、19年も世界遺産に登録される前よりも常に2倍増をキープしております。実は世界遺産による動員の平均値が、だいたい登録された年度が1.8倍増で、3年経つと元に戻って4年経つと減っちゃう、というらしいのですが、それを考えると、私どもの場合は取り組みも成功した例になると思います。ところがね、先ほど言いましたように単に観光客を増やすのではなく、吉野の聖地性・歴史性を再認識させる、それから自然環境を守っていくきたいという目標があったのですが、観光客が増えて逆に環境破壊になるようなことであれば、何のための世界遺産かわけわからなくなってしまいます。これは大変ゆゆしき問題です。

私はこれまでこの世界遺産を通じてもう200回ぐらい講演会とかシンポジウムに呼んでいただいて、たくさんの方々と知り合うことができました。特にイコモス(国際記念物遺跡会議)の委員である宗田先生という方にお会いした時に、イコモスが定めた国際文化観光憲章の中にカストーディアン(第一の門番)という大変重要な概念があることを教えていただいたのです。カストーディアンとは、世界遺産の自然と文化を守っていく役目を担う人々のことを指すのですが、「田中さんはやっぱり自分で手を挙げたんですから、世界遺産登録で逆に荒らしてしまってはいけない。第一の門番としての役割をなすべきだ」というアドバイスをもらったのです。それでそういう意識を持って取り組んでおります。カストーディアンというのは、たとえば、この富士山の場合では、浅間神社の神主さんもそうですし、地域の人々もそうですし、行政の人々もそうですよね。富士山を世界遺産にする以上は、カストーディアンに自分がなるんだということを自覚と覚悟を持って進めなければいけないのではないでしょうか。

  「紀伊山地の霊場と参詣道」には三重・和歌山・奈良の三県協議会という三県の合同の会議があるのですが、私は世界遺産登録された年に、これとは別の、吉野・大峯の保全に関する官民一体の連絡協議会を立ち上げました。毎年一回金峯山寺で、奥駈道に関っている市町村と、修験の寺院、それから関連保護団体などと合同で、一年の事業計画を確認し合う保全のための連絡会議を開いています。
 
  更に来年は「紀伊山地の霊場と参詣道」の登録5周年に当たるのですが、この5周年を記念して高野山、熊野三山、吉野・大峯の3霊場で、保持寺社同士の、保全のための協力会議を発足させようと準備をしております。今年12月5日に第1回の準備会を開くのですが、来年には正式に発足させようと準備を進めているところです。
 
  「紀伊山地の霊場と参詣道」っていうのは、実はその中から宗教性を抜くと世界遺産としての意味がなくなってしまう遺産です。ところが行政というのは…特に日本は世界で唯一に近い形で政教分離がガチッとした国ですから…もう宗教という言葉を聞いただけで腰が引けてしまい、その分野になかなか入ってこられないところがあります。ですからやはり守っていくためには保持者同士で、そういう協力を深めていくような協議会を作らなければならないと思っているのです。常に第一の門番という使命をどこかで感じながら、皆さんと共に歩む道を探っています。日本のこれまでの世界遺産は、こう言ってしまうと語弊があるかもしれませんが、カストーディアンがいない世界遺産ばっかりなのですよ。是非、富士山については初めから第一の門番を作るという意図を持ってやっていただければ、と思っております。

(稲葉)
ありがとうございます。

(ミッチェル)
とても素晴らしいお話しが佳境に入ってきたと思います。色々な組織の中で、それぞれが色々な組織の中で役割を果たしていかなければならないわけですね。そしてそれぞれのやり方で貢献していくことが必要だと思います。

 それによって保護されていくのだと思うのです。将来のビジョンを持ってらっしゃる、連絡協議会を持つというようなことは、とても良いことだと思います。それは、やはり富士山の場合にもそのようなういうことが起こると良いと思います。また、色々な組織も関与させてそれぞれなりの役割を果たしてもらうことが必要だと思います。それぞれの役割が果たされると、良い将来が生み出されると思いますうのですね。「全ての人たちが、門番の役割を果たしてくださいね」と田中先生がおっしゃいましたね。それはとても素晴らしいことだと思います。それぞれが自分のミッションを持ちって、自分の機会を生かし、貢献していくことが必要だと思います。

それだけではなく、例えば技術的な援助が必要な場合もあるでしょう。だから色々なツールがあるので、それぞれの組織に参画してもらって、計画管理に参加してもらうことで、全部が合わさって追加していくと素晴らしく強い能力を持つことができるようになると思いますよ。そしてそのビジョンを将来に向けて実施していくことができるようになるかだろうと思います。

田中さんに質問したいと思います。と言いますのは、このテーマというのは、非常に私も気になりますし、ここちょっと少し心配な点もあるのですね。と言いますのは、宗教性のある世界遺産であるというは吉野の方ですけれども、しかしその、例えば、巡礼の道とい言いますか、そこには宗教的な意味もあるということでした。

しかし、問題としていわゆる冒険観光というのが進出してきております。つまり、経験しようということで冒険的な気持ちで人がどんどん来る。新しい体験をしたいということで観光客が押し寄せる。そういった人たちは、特に世界遺産を目指して行きたがるのです。ちょっと少し変わったている体験をしたいからと、世界遺産を目指すような観光客になります。つまもり、重要性の、神聖だからという理由かそういうことで来るわけではありません。もちろん、遺産によっては、観光客が積極果敢に介入してくる。むしろ宗教の儀式を妨げるような行動すらとる観光客が増えていまする。変わっているし面白いから体験したい。過去に見たことがないからという理由だけで、つまり、敬意を示さないでそのようなういったところに入ってくる。つまり世界遺産の重要性を無視するしているような観光客が来ています。そのような観光客の世界が、今広がって進出してきています。

そこで、お聞きしたいのは、吉野では何か積極的な対策をとっていらっしゃるのでしょうか。つまり、こうした観光を管理するあるいはコントロール、対策をとっていらっしゃいますか。それとも来る人はみんな皆受け入れていらっしゃるのでしょうか。

(田中)
(お話のように)行政はそういう単に観光客を呼び込むキャンペーンをたくさん仕掛けました。それで、連絡協議会をつくることにしたのです。

放っておくと、どんどんアドベンチャー的巡礼者を呼んでくることになりますからね。奈良県は吉野大峯の奥駈道だけではなく、小辺路のという熊野古道の世界遺産も持っているのですが、熊野古道はそうあまり危険な道ではないので、それでもいいのです。ところが奥駈道というのは、一般の人がアドベンチャー気分で入ると、危険も多いし命に関わる危ないところがたくさんある。やはり山伏たちが長い伝統の中で培ってきた道であって、決してハイキング道でも、単なる登山道でもない。そこのところをきちっと行政には働きかけて注意してやってもらうようにしているのです。それでも、勝手に入る人については、やはりなかなか止めるわけにはいかないですね。そこは課題です。常に私たちが言い続ける以外にないのかなと思っています。

そういう意味では日本の宗教家というのは、結構消極的なのですよ。近世初めに信長が刀狩りを行って以来、日本の宗教者は欧米と違って権力や武力を持っていませんから、常に体制側に付いてきたので、できることはといえば体制の中で可能な限りの抵抗をするだけです。こういったシンポジウムに出るのも、その、一つの抵抗というか、その一助となるのですけれども…。こういった渉外活動を通じて、「あの道はハイキングの道ではないから、危ないですよ」ということは言い続け、行政が安易な観光客誘致をやりたがるのを止めることぐらいしかない。

先ほど申し上げましたように、来年はその枠を広げて紀伊山地全体の保持者同士で協力会を作り、互いの意識を高めていこうと考えています。あくまでもそういう程度の取り組みなのでちょっと頼りないかもしれないですが、日本の伝統宗教はいづれそんなものなのですから。

(稲葉)
いやいや。でも修行者にはやはり日本語を喋る人でないと、ということがを求められていますよね。

(田中)
はい。外国人の方も最近は修行においでになりますが、参加して貰うには条件があります。それは日本語ができる人以外は修行には連れて行かないということ。なぜなら、私たちがフランスに行ってフランスの文化を学ぶ時や、アメリカに行ってアメリカの文化を学ぶ時は、フランス語なり英語なりができないと学べないわけであります。同じように外国の方が日本に来て、修験道という日本人にさえわかりにくいような日本の文化を学ぶのであれば、まず日本語を勉強しなさい、と思うのです。

またね、日本語を学んでいないと大変危ないのですよ。修行ではまだ外が暗いうちから歩くのですが、道中、暗闇の中で「段差注意」とか「根っこ注意」とか、注意が飛ぶんです。前にいる人たちは見えますけど、行列の中の人間は見過ごしてしまうので伝令を伝えていかないと、事故に繋がる。ところでね、一昨年の奥駈修行にドイツ人が来ましてね、途中で伝令が何度もとぎれるのですよ。「何してんねやー」と先達が怒るのです。「いやぁ、ドイツ人が日本語がわからへんから、そこでとぎれて後ろに伝令が行かない。」となったわけです。これは大変に危ない。このように実際に危ないこともあるので、私たちは参加者はすべからく日本語ができることを前提にしていて、そういう人しか連れて行かないというルールを定めています。

(ミッチェル)
え、では、もし、私が理解した限りではするといたしますと、これは良い例をお話しになったと思います。つまり、何かどこかの組織がいろんな色々なことを促進している。しかしその一方ではそれをコントロールする必要が出てくるし、しなければいけない。その場合、ですから何か方法を見つけるといいかもしれません。例えば協議会のようなものをつくる。そこでこのような目標を一つにすることで整合性を持たせ、、調整を図ったらどうでしょうか。つまり、ほかのグループが促進したようなことを少しだけコントロールして解決するためにほかの人が関わると。そうするとこのような協力関係をつくることができると思います。どのような環境なら意味があって、招いてもいいのかと、特性にあった形の良き観光といったものをがそこで調整して決めることができるのではないでしょうか。そのためには、誰に意志決定権があるのか等、というようなことで関係者の意見の整合性を図ることが大事じゃないかと思います。

ですから、そうすればお互いにもっと整合性をもってバランスの取れた形で政策を進めることができます。つまり、どのようなういった人たちに来てほ欲しくて、そのためにはそしてどのようなういったメッセージをそのために発信できるかということも意見をまとめられると思います。

(田中)
私どもの取り組みもある程度の成果は上がったと思います。奈良県に対しても、単にアドベンチャー的な観光客を呼ぶことに協力せず、まず行政の担当者を山の修行に連れて行ったりして、こちらの思いを理解させる方法をとりました。そういうことで少しは奈良県も変わりました。それをやっていなければ、多分、アドベンチャー的な人たちばかりが呼び込まれて、随分ひどいことになっていたと思います。

(稲葉)
ありがとうございました。観光というものはの参加のプロセスやがあり、交流のプロセスもありですので、観光は一方的なものではないはずですのもの。特に文化遺産、あるいはや自然遺産、あるいは世界遺産の観光については、そうしたことを考えて、何のための観光かということと何を伝えたいのかということを考えるとで、観光の質とレベルが生まれてくる。このことについて、お互いのステークホルダーや、関係者、もう少しちょっと堅く言うと利害関係者なんですけれども、利害と言うと堅いのであまり使いたくありませんがないんですけれども、利害関係者が協議をしていったうえでコンセンサスを得ていくということが大事なのんだと思いますね。

 それからもう一つ。カストーディアンという言葉が出てきましたけれども。カストーディアンとは、地元で守っている人たちということですが、それを田中さんは「第一の門番」という言葉で表現されていました。あの、カストーディアンは日本語に置き換える時と困るのんですがけれども、確かに「第一」ですね。

というのは、例えば世界遺産をで守る際になんでも行政がずっと上まであるわけですよね。それから、行政のその先には例えばユネスコがいて、あの、ユネスコが必ずしも別に世界遺産を守るわけではありませんがけれども、色んな意味でユネスコをサポートするものとして、地元の外に行政があるわけです。けれども、一番大事なのは地元が何をどう考えるかということです。それが第一の門番、=カストーディアンということですね。田中さんからあるいは田中さんがしておられる活動の実践を通して、それが一番大事なことだということを私たちは本日充分学んだでいるんだろうと思います。

 どうもありがとうございました。

 あの、そろそろ終わりにしなければいけません。実は30分早く始まったのでて、4時30分ぐらいに終了するぐらいつもりでいましたが、現時点でそれでも15分オーバーでしております。あの、富士山の象徴性ということでお話しをして参りましたけれども、象徴性ということが少しわかってきたのではないでしょうか。「いや、それでも富士山は日本のシンボルだけれど何がシンボルなのかよくわからない」という感想でしょうか。どうなのか。いくつかのキーワードが出てきましたと思います。

 世界遺産にしていくためには、それをさらにもう少し詳しくその価値をわかりやすく世界に示していくということと、それからもう一つご理解いただきたいのは、それと同時に、それを保存管理していく体制が整っているということが大事ということなんだと思います。その2つについて、今日は勉強をさせていただきました。どうもありがとうございました。

(田中)
いいですか。

(稲葉)
はい、どうぞ。

(田中)
あの、さきほどっもうしあげましたように、私は江戸時代からの約束の天命を持って来ましたから(笑)、ここで、最後に提言をと言われておりましたので、これが天命と思うことがあり、お話しさせていただきます。提言というより、お願いというか、提案のようなものですが…。

カメロンさんも講演の時におっしゃいましたけれども、世界遺産というのは登録がゴールではないのですね。私は「紀伊山地の霊場と参詣道」で最初に手を挙げた時から、世界遺産は登録されたのがゴールではなく、スタートだという位置づけで当初から活動をしてまいりました。登録に向けて手を挙げた時に、すぐさまNHKを口説いて、世界遺産登録の展覧会「祈りの道展」という企画を始め、登録されたと同時にその展覧会を開催しました。これは33万人を動員しました。

それから、登録年には日本中の山伏を集めて、22回にわたり、様々な流儀の大護摩供という修験独特の行事を開催しました。その大護摩では世界平和の祈りを行いました。また日本ユネスコ協会連盟を通じて、世界の人たちにも平和の祈りに参加協力を仰ぎました。併せて、地元吉野町に働きかけて、吉野にユネスコ協会をつくるようにお願いし、世界遺産登録と同時期に吉野にユネスコ協会を設立させました。世界遺産はもともとユネスコで始まったものですから、地元にユネスコ協会は是非必要だと思って、活動をしたのです。そういった地道な活動があったから、その年には観光客が20倍になったのですが、ただ、ゴールではなくスタートだというのは、単なる観光開発のスタートではないのです。なんども申し上げたように、保全・保護のためのスタートであり、そこが肝心です。富士山の場合は、日本のシンボルとして、山を畏怖する…日本人が持ってきた山を畏怖する信仰心、あるいは自然観、これをもう一度取り戻すという地域の活動が大変大事になるだろうと思います。

  私は今日、女性の先生方とともにこの会に出席できたのが大変ラッキーだったと思っています。女性はスピリチュアル性が高い、霊性が高い存在でありまして、男よりもはるかにスピリチュアルなものを持っておられます。巫女さんってのは女の人ですからね。で、こういった霊性の高い人たちにまず富士山の力を理解して、語って欲しいのです。男にはわかりにくいのです。女の人の方がわかるはずです。ですから、是非、地元の人々に富士山の良さを、女性の力でわからしめてくださるようにお願いしたい。
 
  聞き及んだところでは、今年の富士登山者は過去で一番多く、45万人だったそうです。はっきり言いますと、本当は土足で聖地を踏みにじるような人には来てもらわなくてもいいのであります。聖地性を取り戻すことの方が大事なのです。色々なことを言いましたが、実は吉野でも道半ばの状態でありまして、実のところ、なかなか地域の意識は上がっていません。ぜひ是非、この富士山では、地域の意識を上げていただきたい。私は先にたとえ登録されなくてもいいと思いながら、世界遺産登録への手を挙げましたと言いましたが、富士山は世界遺産登録に名乗りを挙げてから、ゴミが取り除かれ、掃除が行き届くようになって、見違えるように山がきれいになったそうです。これは素晴らしいことだと思います。こういう活動を是非続けていただきたい。
 
  吉野は今、桜の危機が言われております。これは、実は、地域の劣化が原因なのです。吉野の桜は、蔵王権現という我々の御本尊の御神木として、1000年にわたって地域の人々が守ってきたのですが、その蔵王権現に対する信仰が明治の神仏分離・修験道禁止以来薄れて、結果、桜の手入れが行き届かなくなり桜の危機を迎えることになりました。これは信仰を守ってきた地域の劣化だと私は思っています。同じように、富士山の神聖性についても、実は、地元の人によって壊されている部分がたくさんあると思います。これは十分気をつけていただきたい。世界遺産になったこともあって、吉野の桜は、読売新聞とNHKが注目をし、読売新聞や金峯山寺及び地元が中心となって「吉野桜を守る会」という会ができました。これも、世界遺産の一つの力の現れだろうと思います。そういう力をつくる世界遺産登録を目指していただきたい。
 
  最後に、観光の問題があります。観光について、この中にも観光業者の方がおられるでしょうからよく聞いていただきたいのですが、観光というのは、本当は長い目で見ることが一番大事なのです。観光は、それまでその土地で培われたものを壊したのでは意味がないのです。長い年月にわたって、人々に守られているから、観光の価値が継続するわけで、一時のことで食いつぶしていったら、その価値は、あっという間になくなってしまいます。本当の意味で観光開発をするのなら、保護・保全のスタンスを持ってその地を見ていかないと、本当の観光にならないということを肝に銘じていただきたいと思います。
  是非、静岡県と山梨県の方にはがんばっていただきたい。先ほど申し上げましたように、富士山というのは、日本人が持ってきた自然観・宗教観の象徴であります。で、今の日本はそれを、日本人全体の問題として損ないつつあります。富士山の登録を通じて、日本人が大事にしてきたそういう自然への畏怖心、人間中心で生きるのではなく、神仏がいて、先祖があって、自然があって、そういう周りのものを大切にする。そういった明治以前の人たちが普通に持っていた感性を、取り戻すきっかけになるような、そんな世界遺産活動にどうぞしていただきたいとお願い申し上げたい。
 
  このことを申し上げて、私の天命としての提言を終わりたいと思います。ありがとうございました。

*****************

なお、このシンポは以下に詳しくまとめられて報告書となっている。ご参照ください。

http://www.mtfuji.or.jp/about/activity/sympo.html

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*上写真は節用集の富士眺望図と芳野山桜の図。

今期の蔵王堂夜間拝観、始まっています。

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蔵王堂秘仏蔵王権現さまの夜間特別拝観の今期は4月27日から始まっています。
今期は6月1,2日までの土・日限定。今回も吉野山の旅館組合と協力して、宿泊者限定で参加していただきます。

以前にも書きましたが、私は伝法灌頂という修行会のたびに、夜の蔵王堂に寝泊まりして、夜の蔵王堂はまた昼間とは違うお顔をしているのをよく知っています。すなわち、とても霊的な空間になるのです。

静寂の大伽藍の中で、霊的な雰囲気に包まれながら、蔵王権現様のお力を存分にいただいてください。ご開帳時に伴奏曲として唱和する諸天讃という声明もとても素敵ですよ。

なお、私が導師法話を担当するのは、5月4日と11日12日19日、6月1日を予定しています。

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富士山の世界文化遺産登録

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昨日、富士山の世界文化遺産登録がICOMOSによって諮問された。

私は2008年以来、数度にわたって、静岡県や山梨県の世界遺産推進のための国際シンポや講演会に関わり、いくつかの持論を展開してきた。私が「紀伊山地の霊場と参詣道」として登録された吉野大峯の登録推進を提言したというご縁で、ICOMOSの先生方とも親しくした関係もあり、富士山に呼ばれることとなった。

その一部を紹介する。

・静岡県富士市  2008年11月
「吉野大峯はここ20年くらいで環境が急速に壊れてきた。
世界遺産は自然と文化を保護・保全するもの。
ここは世界遺産になる価値があると思ったし、
もしならなくても環境がいい方へいけばいいと活動を始めた。
日本の多くの世界遺産は主体者がいないが、
ぜひ富士山は、浅間神社の関係者や地元の人、役所の人たちが
イコモスがいう「カストーディアン(第1の門番)」となってほしい。
世界遺産の登録は保護・保全のスタート。
明治以前の日本人が持っていた霊性、感覚を
取り戻すような感覚を取り戻すような活動をしてほしい」

・山梨県富士吉田市 2009年2月
「富士山は江戸時代まで信仰の対象の山だった。それが明治の廃仏毀釈で壊され、“観光の山”としての歴史を歩んでしまった。世界遺産を目指すことは、ゴールではなく、保護のためのスタートだという意識で取り組んでもらいたい。そのためには、富士山の聖地性を自覚することが大事だ」
この講演は山梨日日新聞2009年2月24日掲載記事で、より詳しく載せて頂いています。
→ http://www.fujisan-net.jp/SEKAIISAN/20090224_02.html

・・・まあ、私の力がいかほどの、役に立ったかどうか、定かではないが、霊山としての富士山の環境保全に、世界遺産登録がきっかけとなることを期待したい。本登録決定は6月だが、ICOMOSの諮問は大きな権限を持っているので、ほぼ決まったも同然といえるでしょう。

なお抜粋の文は私の講演を聴いて、ブログにアップして頂いた方の文章を拾いました。

新緑本番、青の季節!

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いよいよ5月。吉野山全山が新緑に輝く季節である。

昨年はJR東海の「うましうるわし奈良」キャンペーンで、新緑の吉野山と秘仏蔵王権現様のご開帳を広報展開していただいた。今年は自分でやらないといけないので、手が届く範囲内でさまざまな媒体にお願いをした。

そういう思いを込めて書いたのが「やまとびと」5月号掲載の「青の吉野山、青の蔵王権現」である。

ブログでは、再アップとなるが、新緑の季節本番ということで、もう一度、紹介させていただく。

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***************************

「青の吉野山、青の蔵王権現」

吉野といえば日本一の桜の名勝。 「一度は行ってみたいものです…」などと言われる。もちろん桜花爛漫の吉野山の絶景は素晴らしい。
しかし、桜が散って新緑の時期を迎え、心地よい五月の風が渡る吉野山が、私は一年中で一番好きである。

新緑なのだから、正確には「緑」なのだが、私にとってはこの時期の吉野山のイメージは青、である。朝靄の中、あるいは暮れなずむの夕闇のひととき、一瞬、新緑の全山が薄青色に染まり、修験の聖地にふさわしい佇まいを見せてくれるのだ。

第一、桜の時期と違って、山には人の姿がまばらである。桜の頃の喧噪がまるで夢だったかように、しーんと静まりかえる町並みには、俗世から抜け出たような爽やかな時間が流れている。

今年のこの五月、吉野山のシンボル金峯山寺蔵王堂で、秘仏本尊金剛蔵王権現の特別ご開帳が行われている(*)。
蔵王堂の秘仏本尊はお肌の色が普通ではない。鮮やかな青黒色である。何年か前に放送されたNHK仏像ベスト10で、「色の鮮やかな仏第1位」にも選ばれたことがあるほど、その鮮やかな青黒色は、拝む人の心を奪ってはなさない。青の吉野山と、青の蔵王権現…。まさに新緑の季節にこそ、ベストマッチな風景と言えるであろう。

加えて、蔵王権現の青は、ただの青ではない。深い意味がある。「青黒は慈悲を表す」と仏典に記されるとおり、お肌の色に、仏の慈悲が示されている。
お参りされた方はご存じだと思うが、蔵王権現は怒髪天をつくばかりの、忿怒の形相をなさっている。それは悪魔降伏の姿なのだが、ただし、単に怖いというだけではなく、仏の慈悲で人々を救い導く、大きな願いを持った怒りの現れなのだ。内なる悪魔を封じ、外なる悪魔を破る力、とも言えようか。

親が子を叱る。叱って導く。その怒りは常に深い親の愛、親の心を奥に秘めているが、そういう親の情愛のような、慈悲の怒りを青黒は表している。

新緑から深緑へと移ろい行く季節の中で、一度、青い吉野に訪れてみてはどうだろう。青の慈悲に癒やされ、心が清らかになること、請け合いである。

     (*)蔵王堂秘仏本尊特別ご開帳は6月9日まで開催中。

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