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シリーズ・山人の自薦書籍⑧:『山伏入門―人はなぜ修験に向かうのか? (淡交ムック)』

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シリーズ「山人の自薦書籍」⑧・・・いろんなお陰様で、私は自著以外でもたくさんの関連書籍を出していただいています。

今日は第8弾。
『山伏入門―人はなぜ修験に向かうのか? (淡交ムック)』淡交社 (2006/03)

http://www.amazon.co.jp/dp/4473021076/ref=cm_sw_r_fa_dp_DLUKrb0QSR0TB

本書は聖護院の宮城泰年門主(編纂当時は執事長)の監修で編集された。私は金峯山寺の沿革と、大峯山の女人禁制問題について、文章の書かせていただいていて、掲載されている。

ブログの横バーからも申し込めます。

なお、大峯山の女人禁制問題について書いた文章の草稿がデータとして持っていたので、以下、転記します(掲載された文章の大部分は同じです・・・たぶん)。

ただし、長いです・・・(^_^;)

□女性と修験道        田中利典

(1)女性と修験道

奈良国立博物館で講演を終えたときのことである。私に近づいて来られた一人の女性から「修験道は女人禁制なのですね?」と訊かれた。一瞬、質問の意味が理解できず、きょとんとしてしまったが、ああそうかと気が付いた。

ご存じのとおり、今なお、大峯山の山上ヶ岳一体は女人禁制が守られている。それゆえ、修験道そのものが、あらゆる面で女人禁制をたもっていると思われたのであろう。

そのときは、簡単に「違いますよ」と答えたものの、問われるまでもなく、これは修験道にとってすこぶる重要な問題である。そこで以下に、私論ながら、女人禁制の観点から女性と修験道について、一文を寄せさせていただく。

結論から先に言うと、修験道は決して女人禁制ではない。それは、大峯山に関わる修験道の伝統教団で組織された醍醐寺・聖護院・金峯山寺の修験三本山内における男性女性の教師数比率を見れば、一目瞭然である。平成十年に調査によれば、醍醐寺が男性が六十八%女性が三十二%、聖護院は男性七十三%女性二十七%、さらにわが金峯山寺は男性女性が半々であった。

金峯山寺は、もともと山上と山下に本堂があった(本書*ページ参照)。山上本堂は厳格な精進潔斎や女人禁制を守り、冬場は閉ざされた。それに対し、山下本堂は、老若男女が誰でもいつでも参拝できる寺として、いとなまれてきた。明治期の神仏分離・修験道禁止の法難の後は、山上本堂と山下本堂が別々に経営され、現在の金峯山寺はその山下本堂を中心に歩みを刻んできた。こういう歴史の経緯から、女性参加の数が他の二山より多いのかもしれない。いずれにしろ、修験三本山の現状をみるかぎり、修験信仰そのものが女人禁制では決してない。

実際に今は、奥駈修行や伝法潅頂、護摩加行、法螺講習などといったあらゆる金峯山修験本宗の経歴行階修行に、女性も男性とまったく同等に参加している。それは醍醐寺や聖護院においても変わらないと聞く。

それはそうであろう。修験道は、その出発点から、在家信仰のかたちをとり、男女の両性に対して開かれていたのだから。その証拠に、開祖の役行者は、役の優婆塞とも呼ばれた。優婆塞は在家の男性信仰者を意味し、女性の在家信仰者を意味する優婆夷とセットになる。このように、開祖以来、信仰の上では、分け隔てしないのが修験道の本分なのである。

ただし、修験道は山上ヶ岳の女人禁制に象徴されるとおり、修行の領域において、女性を直接的なかたちでは受け入れて来なかったのも、歴史的な事実である。代参であるとか、修行に入る男性を送り出し家庭内で共に精進潔斎をして守り支えるといった、間接的なかたちでしか、山上ヶ岳と女性との関わりはなかった。

先述したように、修験三本山は現在、あらゆる修行において男性女性を分け隔てしてはいない。もっとも現実には、山上ヶ岳の女人結界だけではなく、大護摩供修行への女性山伏の参加を容認していない修験寺院もある。女性が山伏装束を身につけるのさえ、抵抗を感じるという寺院もある。しかし、それをもって、修験道は全て女性差別と否定するのはおかしな話である。むしろ女性を間接的しか受け入れて来なかった修験道の修行の歴史が、このようなかたちで残っていると解釈したほうが的を射ている。

しかし、これも時間の問題なのかも知れない。これだけ女性があらゆる分野に直接参加を果たしている時代に、女性が修行に直接的なかたちで参加できないというのでは、将来の信仰のありようは考えにくいからである。

少なくとも修験三本山では、早くから男と女の扱いを分け隔てしないという道を開いている。その延長線上に、女性が修行に直接的なかたちで参加する日の来ることは、もはや疑いようがない。したがって、修験信仰そのものが女性の参加を拒んでいるなどというのは大変な誤解といっていいとおもう。

(2)山上ヶ岳の女人禁制はどうして生まれたか?

しかしながら、現状として、大峯山山上ヶ岳は今も女人禁制が守られている。

そこでまず最初に、山上ヶ岳の女人禁制はどうして定められたのか?を考えてみたい。

「女人禁制」の規程が公的に定められたのは、七五七年施行の『養老律令』に規定する「養老僧尼令」が最初である。これは僧坊における男女相互の立ち入り制限を目的としていた。つまり「女人禁制」と「男子禁制」は、セットのかたちで定められていたのである。

そしてそれは、男女僧尼が誤って性交渉におよぶことを未然に防ぐ「不淫戒」と称する根本戒にゆらいしていた。ちなみに本来、このような戒律は、宗団、寺院の各個の自主的な規定にまかされるべきである。ところが、当時の仏法擁護の施策の結果、僧尼の数が急激に増加し、各小の自主的な規定では思うに任せない事態になってしまった。そのために、公的な機関が取り締まる必要が生じ、このような規程が生まれることになった。こうした規則によって女性が入山禁止になった寺に、たとえば比叡山延暦寺や高野山金剛峰寺がある。いずれも戒律による禁制であることは、文書によって明らかにされている。

さて、本題の大峯山の女人禁制である。大峯山とは本来、吉野より熊野に至る連山の総称であり、現在、世間一般に大峯山と呼ばれる山は、正確には金峯山山上ヶ岳のことにほかならない。したがって、問題となる女人禁制の地域は、金峯山の山上一帯ということになる。

この金峯山を指して、『本朝神仙伝』には「…金剛蔵王守レ之 兼為二戒地一 不レ通二女人一之故也」とあり、戒律の生きている地と解されている。また金峯山は中国で書かれた『義楚六帖』(九五四年)にも「未だかって女人が登ったことのない山で、今でも登山しようとする男は三ヶ月間酒・肉・欲色(女性)を断っている」と記されている。

比叡山においても伝教大師の『山家学生式』に、同じように酒・女を断つ一条が見られる。これらはいずれも不飲酒戒・不淫戒の徹底をはかろうとする意図から出ていた。こうした事例からいうならば、古代における「禁制」は、男女ともに戒律を遵守するための用語であり、「女人禁制」という言葉は熟語として定着していなかったことがわかる。

しかし「女人禁制」は、現実には男子禁制の部分を脱落させ、ひたすら女性にのみ禁制を強要する用語として受け継がれてきた。その原因はいくつも指摘できる。主な原因としては、平安時代の初期以後、女性の出家制限が始まったこと。また律令仏教の基本であった官僧官尼体制がなくなったことにみられるように、国の仏教政策が変化を遂げて、十世紀ころには尼寺が衰退し、男子禁制があまり意味をもたなくなった事実などである。

かくして残った「女人禁制」の僧寺では、その内容が、戒律を中心とした国家主導型から、各寺院の自己規制型の女性対策へと変遷し、禁制と開放のいずれかを選ぶという事態に至ったのである。その結果、特に厳しい修行の道場としての密教寺院や、修験系の山岳仏教では女人禁制を金科玉条とするようになり、その後も民間信仰や神道思想、また法華経の五障三従の思想などと融合しながら、長く受け継がれてきたのである(『新時代に向けた修験三本山の軌跡』(役行者千三百年御遠忌記録編纂委員会・国書刊行会発行」所収の「資料・女人結界に関する見解」を引用)。

(3)女人禁制は存続か、撤廃か?

明治初頭、女人禁制の解除を指導する維新政府の太政官布達によって、日本の多くの霊山、寺院は禁制を解いていった。そのなかで、ひとり大峯山のみ、いろいろな事件や騒動を経験しつつも、平成の現在に至るまで禁制堅守を続けることになってきた。将来に向けて今後、大峯の女人禁制問題はどうなるのか。修験道と女性を考えるとき、本件は避けて通れない問題となっている。

そこで、女人禁制ついて、存続を願う立場、撤廃を願う立場の両方から、その是非を考えてみたいと思う。

前項で述べたとおり、本来、女人禁制の制度は修験道のみのものではない。しかし明治の混乱期を通じて、日本の霊山の中で大峯山が女人禁制を唯一残した結果、役行者以来の修験道千三百年の伝統が女人禁制に象徴されるという事態をまねいた。「大峯山から女人禁制をはずしたら、大峯信仰の大義名分がなくなってしまい、大峯講社の存在意義が失われる」とさえ語る大峯山関連の信者講がある。こういう人々にすれば、女人禁制は千三百年続いたという修験の伝統の象徴であり、その伝統の保持こそが大峯山伏のアイデンティティにすらなっている。

加えて、禁制にもたれかかるあまり、大峯山の尊厳性さえも禁制をよりどころとして保たれている感がある。もとより修行場や聖地には、非日常性が欠かせない。その点から言えば、女人禁制はまさに非日常性の象徴であり、日本全国の各霊山がその非日常性を失うなかで、大峯山のみが唯一残ったことによって、希少価値としての異境という尊厳性がもたらされた部分があったといえなくもない。

聖地にとって非日常性が欠かせない要素であるとすれば、女人禁制解除による女性参加は日常性を山に入れることになる。またハイキング登山やスポーツ登山の流行は修行の山、聖地の山を今以上に俗化させてしまいかねない。それでなくても、修行の厳しさは時流の中で摩滅しつつあり、禁制によって何とか最低限の修行性が保持されているのが実情である。だから、これを除くとなれば、いよいよその修行性は損なわれてしまう危険性は大きい。

また伝統にしろ、聖地性にしろ、ひとたび禁制を解除すれば二度と元には戻れないことになろう。以上は、禁制堅持を願う立場としては、当然の思いといっていい。

これに対して、女人禁制のみを主張するのは論拠に乏しいという意見もある。女人禁制は先に見たように、修行上の戒律を根底に置いて定まったものである。ところが現在、他の厳しく制限されてきた飲酒などの戒律が軽視されるなかで、もし禁制を声高に唱えるならば、それに見合う飲酒や肉食といった修行上の他の戒律にも厳しさを求めなければならないことになる。

女人禁制が、女性差別や女性蔑視の思想から定められたのではなく、修行上の戒律を根底に置いて定められたとしても、今日および将来にわたって、女性の入山を認めないというのは、許されるであろうか。たとえそれが戒地としての結界であっても、国立公園の公開性の問題や、男女の機会均等の主張など、女性排除の事実が社会的に問題視されるであろう。まして他の戒律がなおざりにされ、戒地としての意味が希薄になりつつある現状では、将来ますます厳しい糾弾の対象となることが大いに危惧される。

もちろん宗教上の戒地とは一種の宗教観にゆらいする特別な場所である。山を女性神の象徴として畏れる世界観などが作り出すコスモゾーンともなっている。したがって、社会的な視点でうんぬんするのは文脈がちがうとも考えられる。

そんな状況の中、平成十年には奈良県教職員組合の「男女共生教育研究推進委員会」女性会員が大峯登山を強行したのをはじめ、平成十五年には市民グループの「世界文化遺産登録にあたって『大峰山女人禁制』の開放を求める会」が結成され、開放を求める署名を集めて開放の要望書とともに内閣府及び奈良県、大峯山寺などに提出している(金峯山寺にも届けられている)。また平成十七年十一月には全国の性同一性障害者ら約三十人のうちメンバーの女性ら3人が強行登山するなど、女人禁制に否定的な登山家の挑戦や、ジェンダフリーの思想や解放同盟からの女性差別としての糾弾、ならびに売名行為を繰り返す人たちの徘徊など、世間の様々な要求や動きが続出し後を絶たない状態であるが、さて、それらに対し、それでも禁制堅持を守る体制が確立できるのかといえば、いささか心許ないというのも現状であろう。

世間のあらゆる分野での、男性女性の機会均等化は、女人禁制に対する社会通念を変化させ、維持することへの世間的なコンセンサスを失いつつある。過去の禁制が容認された時代の女性観と現代の女性観とのあいだには根本的な違いがあり、ここにすこぶる現代的な問題が定位している。また本件に関するマスコミ報道が、極端な二項対立をあおるような「伝統か差別か?」といった偏った論調で語られる現実も、無視できないところまで来ている。

ここで原点に立ち戻って考えてみれば、もともと大峯山の聖地性が、女人禁制のみであったのではない事実に気付く。「女人禁制であるから大峯山が霊山なのだ」という意見には、十分に気を付ける必要がある。大峯山は女人禁制であろうとなかろうと聖地に違いなく、修験道の根本道場たることは揺るぎない。とすれば、女人禁制を解除したらただの山になったというような情けない山であるはずがない。

ただし、霊山であるからこそ禁制が生まれたのであり、コスモゾーンとしての禁制によって今日まで聖地性が高められてきたことも事実である。これらすべてを総合的に理解したうえで、何が本で何が末であるのか、よくよく考えなければならない。

石槌山、出羽三山はじめ、女人禁制を解除してもなお霊山であり続ける山々。それらに比べ、大峯山の聖地性が劣るはずがない。大峯山伏のアイデンティティが女人禁制のみである、というわけではないと私自身は強く思う。

いま、私たちがなすべきは、いったい何か。それは、この禁制論議を千載一遇の奇貨として、山の尊厳を回復することではないのか。

奇しくも平成十六年七月に「吉野大峯」および「大峯奥駈道」はユネスコ世界文化遺産に「紀伊山地の霊場と参詣道」として登録された。この世界遺産登録を契機として、大峯の自然環境保全や信仰の山の尊厳回復に努めなければ、現代社会の大きな流れの中で翻弄され、踏みにじられてしまいかねない。

女人禁制を解除するか否か以前に、すでに心ない登拝者によって山の尊厳は貶められつつある。信仰を支えるものの変化に正面から向き合うとともに、まず行者自身が自らを戒め、自分たちのお山を守る自浄努力を果たすべきであろう。出来うるならば、開放か、堅持かの双方の立場を超えて、同じ修験信仰を心に持つ女性たちとともに…。
           
(4)総括として

以上、あたえられた紙面の都合上、要点を絞って考察してきた。現況から推察すれば禁制堅持の重要性は極めて大きいものがあるとしても、いずれは何人かの手によって、あるいは時代の流れの中で、禁制撤廃の時代を遠からず迎えてしまうのではないと、私は思っている。

とするならば、自分の代では絶対守る、あるいは守って欲しいというのは問題の先送りであり、感情論でしかないのだという指摘もできる。

現在、大峯に関わりを持つ私たちが、なにをおいても取り組むべき課題はなにか。それは、大峯山の将来の信仰をどう守り伝えていくか、修験道がどう歩んでいくのか、自分たち自身の手で、信仰者としての真剣な取り組みなのではないか。しかも、誰かの手によって世俗の問題におとしめられる前に、である。

大峯の女人禁制はあくまでも信仰上の問題である。ゆえに信仰の領域内で、解決していかなければ、今まで守ってきた意義さえも失われてしまいかねない。信仰上の問題として、当事者の大峯山寺はじめ、各本山、各関係修験者・信徒たちが、大きな立場から、この問題に真剣に向き合うことが、本当の意味での、先人達への、また孫子の代への自分たちが果たすべき責任なのではあるまいか。

もちろん、各宗団内や各修験寺院内の女性信者、女性教師の声にも耳を傾けるべきであろう。実際、内部の女性たちの禁制にかかわる賛否は、関係者以外の女性たちやジェンダーフリーを振りかざして撤廃を要求する人たちほどではないにしても、男性とともに山上ヶ岳の登拝を望む声はある。その逆に、声高に言わないものの、現状維持を望んでいる女性も多い。

さて、最後に私の思いである。遡って、役行者千三百年御遠忌(平成十二年執行)に際し、当事者の大峯山寺と修験三本山が協議の上、女人結界撤廃を推し進めたが、地元や信者講との合意に至らなかった。今思えば、性急すぎたところもあったし、議論も尽くし切れていなかったとも思う(この辺の経緯は『新時代に向けた修験三本山の軌跡』(役行者千三百年御遠忌記録編纂委員会・国書刊行会発行」を参照いただきたい)。しかし私は禁制論議は、すでに開ける開けないの段階ではなく、どう折り合いをつけて女性参加の道を探るのかを問うべき時期にきていると思っている。

ただし、ことわっておきたいのは、これは決して人権論議やジェンダーフリーの思想に動かされての問題提起ではなく、大峯山の信仰、修験道の信仰の継承そのものに関わる視点からの結論である。もっというなら千年以上にわたって私たちの修験の先人たちが守り続けてきた女人禁制という希有な宗教伝統を後世に引き継ぎ、その中で新たなる信仰の形を受け継ぐためにも、何らかの形で直接的な女性参加の道を開きつつ、伝統も残していくという方途を探そうというのである。私は平成八年に始められた修験三本山御遠忌連絡協議会において、大峯山の女人禁制論議が提起されて以来、終始一貫して、撤廃するにしろ、堅持するにしろ、当事者の大峯山寺や修験道の内部が臭いものにふたをするような態度ではなく、二十一世紀に向けて大峯の信仰の継承のため、正面からこの問題に取り組むべきだと主張してきた。そういう意味では私は撤廃論者でも、堅持論者でもなく、フリーハンドで、本論議の有り様を模索し続けてきたつもりである。しかし役行者千三百年遠忌を前後しての動き以来、未だに本問題を真剣に結論つけようという内部的な動きは進まず、世間的には奈良県教職員組合や今回の性同一性障害者らによる強行登山などが繰り返され、その都度ハラハラしながら当事者の対応を見守ってきたのである。

性同一性障害者による強行登山を前後して、インターネット掲示板の「2チャンネル」で匿名参加の議論の中から、女人禁制擁護と今回の強行登山に対する非難のホームページが立ち上がり、禁制擁護を応援する署名活動が始められた。修験道内部の動きが鈍い中、いよいよ女人禁制論議は撤廃を求める人たちだけではなく、擁護を願う人たちの間でも、当事者の関与を抜きにして、一人歩きをし始めたのである。結界を擁護する人たちは一般の中にもこんなに結界堅持を指示してくれる人がいるではないかと、嬉々としていることだろうが、ホントにそうだろうか。信仰に直接携わる人間を抜きにしての論議は賛否いづれの論議も盛り上がれば盛り上がるほど、危惧を抱かなくてはならないと私は思っている。世間の風潮や意見に引きずられる形で、本論は語ってはいけないのである。前項までにみてきたように、女人禁制を取り巻く環境は激変を遂げ続けている。だからこそ建設的な結論の構築が必要であると思うのである。

たとえば四国の石鎚山のように、一定の期間に限定して禁制を解除するとか、結界そのものの範囲をさらに考え直すとか、具体的な事例を念頭において、議論を始めることであろう。そして大切なのは禁制解除を契機として、修験道の興隆をどう押し進めるか、大峯の尊厳性を回復するために、新たな規律をどう確立するか、もっとも大切である大峯の自然をどう守っていくのか、根本的な変革が押し迫られているのである。

冒頭で述べたように、ただ開けただけでは、山の尊厳を損ない、自然環境の破壊に繋がりかねず、開けない方がよかったということになろう。そうならないために、血を伴い、傷を負ったとしても、目の前の変革を受け入れ、新たな大峯信仰の確立を果たさなければならないのである。

女性と修験道の関係は、役行者以来、修験道が脈々と法灯を保ち、現代社会においてなお活き活きと生き続けて行く上で、新しい展開へ向かう大きな課題である。

修験道に関わる全ての人の賢明なる智慧によって、早期に禁制論議の結論を見ることを期待してやまない。

**************

さすがに8年前の原稿なので、今の私の禁制論とは少し違和感がある。その間少し私も変節したところがある・・・のかもしれない。

現在の私の禁制論はまた機会を設けて、紹介することにする。

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ファティマ第三の預言とノアの大洪水について。
h ttp://ameblo.jp/haru144/

第二次大戦前にヨーロッパでオーロラが見られたように、
アメリカでオーロラが見られました。
また、ダニエル書の合算により、
御国の福音が宣べ伝えられるのは、5月15日だと理解できます。
エルサレムを基準にしています。


2018年 5月14日(月) 新世界           +1335日 
            ダニエル9:2         イスラエル建国70年

2018年 3月30日(金) ノアの大洪水         +1290日 過越14日-15日 
2014年 9月17日(水) ダニエル12:11            +0日
2013年 5月15日(水) ダニエル9:24  マタイ24:14    -490日  第一次中東戦争から65年


天におられるわれらの父とキリスト、
死者復活と永遠のいのちを確信させるものです。

全てあらかじめ記されているものです。
これを、福音を信じる全ての方、
救いを待ち望む全ての方に述べ伝えてください。

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