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7日の蓮華会から蓮華入峰を終えてから、家族サービスも含めて怒
今日も一日大変だった。会議と来客の合間に、27日の東京・よみ
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つい、22日に東京生活4泊5日を終えたばかりなのに、また出張
明日は朝から愛染供養法一座。午前中に自由大学の資料をつくって
26日は東京品川のJR東海本社へ、ら異変の世界遺産10周年イ
で、27日はそのイベントの本番。よみうりホールは満席らしい。
28日は角川本社第2ビルでの東京自由大学での講演。今回の東京
さすがにちょっとゆっくりしたいです。もっと見る
5年前に書いた読売新聞の記事最終回です。
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「修験道といま」⑤ー神仏和合の再興
お正月には初詣、子どもが生まれれば宮参り、お彼岸やお盆には墓参りをして、結婚式は神式かキリスト教の教会へ。そして葬儀はお坊さんを呼ぶ。また家庭には仏壇と神棚が違和感なく祀られる、それが日本人の宗教事情なのだが、欧米の人たちからみればそんなごった煮ような宗教姿勢は奇異に映り、不思議がられる。いや近頃では日本人自身が自分たちのことを「無宗教だ、無信心だ」と言いだす始末。どうやらもともと多様な形で継承されてきた日本人の宗教心を日本人自身が見失ったようだ。
こうなったのには理由がある。我が国は仏教伝来以来、千年以上にわたって神と仏を分け隔てなく拝んできた。ところが、明治政府が行った神仏分離政策によって、融合していた神と仏が分けられてしまったのである。実はこの政策による一番の被害者が修験道であった。
修験道は八百万の神と、八万四千の法門から生ずる数々の仏たちを、等しく拝する日本独特の民俗宗教である。この修験道が神仏分離によって一時禁止された。そして修験道の禁止から、わずか140年の間に、神社もお寺も別々のものとなり、この国の人たちは神と仏を別物と考えるようになった。あれもよいこれもよいと異なるものであっても分け隔てしない修験道的な、そして日本人的な信仰心が忘れ去られてきたのである。
しかしようやくもともと持っていた多様な信仰心への回帰がはじまったようだ。それは修験道の山修行に集う人々にも見て取れる。たとえばこの夏の修行に参加した人たちの多種多様性は、極めて面白い。天台宗、真言宗、日蓮宗、浄土宗など伝統寺院の僧侶、そして権禰宜職にある神職や教派神道の教師さんたちが、私たち山伏と一緒になって、神も仏も隔てなく拝み、汗をかきかき山の行に没頭するのである。
あるいは、平成16年に「紀伊山地の霊場と参詣道」として吉野大峯地域がユネスコ世界文化遺産に登録されたが、これこそこの地が持つ神仏混淆の日本的多様性と、修験信仰の聖地性が世界に認められたからだと言えよう。
また神仏分離そのものが、神道界側からも仏教界側からも大きく見直され出した。
平成20年9月8日に、日本最大の霊場会が正式発足した。これは伊勢神宮を中心に、京都・奈良・大阪・滋賀・和歌山・兵庫のいわゆる西国各地に点在する150もの大寺・大神宮・大社が網羅された巡礼の会「神仏霊場会」であるが、これこそ神仏混淆の再興である。明治以後140年を経て、ようやく神仏分離の見直しに神社とお寺が手を携え始めたのである。
近代化の行き詰まり、グローバル化への抵抗が、神仏混淆に代表される多様な価値観を再評価させつつある。修験道への関心の高まりも実はその辺に起因するのでは…と私は密かに思っている。(読売新聞2008年8月掲載)
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ここしばらく吉野を留守にしていたので、最後の文章の掲載がずいぶん遅くなりました。
まあ、そんなに期待して読んでいただいていたわけではないので、関係ないでしょうが・・・。
ともかくこれで読売新聞誌上での、掲載文は終わりです。
「修験道といま」③ ー山修行
私の盟友・宗教学者の正木晃氏が提言している、賞味期限が残った二十一世紀型の宗教の要件とは次の五つに集約される。
一つは自然と関わっている。二つは参加型。三つ目は実践型。四つ目は心と体に関わっていること。五つ目は統括的…逆の言葉で言うと排他的でないこと。この五つだが、修験道はその全ての条件を満たしている数少ない日本の宗教だと氏は絶賛する。おもはゆい気持ちもあるが、私もその気になっている。
とりわけ自然との関わりが深い宗教というなら修験道は一番であろう。
修験道は日本古来の山岳宗教に神道や外来の仏教、道教などが習合して成立した日本独自の民俗宗教であると説明されるが、その基盤は山岳信仰にある。大自然の中に分け入り、神仏を隔てなく拝み、大自然と一体になる宗教。山に伏し野に伏して修行するから山伏と呼ばれ、大自然を道場にするという、自然との関わりこそがその生命なのである。
私は先年、インド医学のルーツともいうべきアーユルベーダを学んだ。そのときアーユルベーダの博士に「毎日必ず陽が沈む頃にじっと夕陽を見つめなさい」と教えられたことがある。最初意味がわからなかったが、ずっと見つめているとそのうち氷解した。落日の夕陽とは一日の終わりを告げている。夕闇に染まる太陽は自然の大いなる運行を教え、人間もまた自然の一部として生きていることを実感させてくれるのである。自然と切れてはいけないとアーユルベーダは教えているのだ。
逆に現代社会は自然ととうに切れている。自然の一部である存在を忘れ、人間中心に生きているのが都会の生活なのではないだろうか。もう何年も夕陽を見つめたことのない人ばかりが暮らす街…それが大都会だろう。
蓮華入峰に参加した統合失調症の青年が「最初来たときは歩く自信などぜんぜんなかったのに、途中で絶対帰ってはいけない、絶対帰ってはいけないと山に言われているような気がして、とうとう最後まで歩き通すことが出来ました」と自慢げに話していた。正に山修行の自然力に触れたから、修行をやり遂げたのだろう。統合失調症も引きこもりも、都会の疎外された生活が生んだ現代病である。もちろんさまざまな原因はあろうが、自然との関係を取り戻すとき、その多くの患いは癒される。それも山岳信仰の持つ大きな力であると思っている。(読売新聞2008年8月掲載)
「修験道といま」② ー無痛文明時代
修験道の魅力のひとつは身体性を持っていることだ。
修験とは実修実験、あるいは修行得験ともいう。実際に自分の身体を使って修行をし、験(しるし)を得るという意味である。理屈ではなく、自分の五体を通じて実際の感覚を得る宗教なのである。
生命学者の森岡正博氏が面白い文明論を展開されている。曰く、現代社会は物質文明が高度に進んだ結果、無痛文明に陥っている。往古は自分で歩くしか移動の方法はなかったのに車や飛行機が発達し、家事すら、掃除は掃除機が、洗濯は洗濯機がする、そんな時代になって、自分自身の肉体を使うことが極端に減ってきた。つまり体が楽することばかりを優先する社会が生まれてきたという。これを無痛文明、痛みを感じない文明、あるいは家畜化された文明であると森岡氏は論ずるのだ。つまり人間が家畜化され、心と体のバランスが損なわれて、本来身体の主であるべき心が、身体に隷属することになる。…これを聞いたとき、私はだからこそ、山修行の持つ身体性は現代社会に重要な役割を持つのだと確信した。
山での修行で我々が一番に感ずるのは、どんなに偉そうなことを言っても、この体ひとつでもって山の中を歩くしかない、という現実である。そしてくたくたになって思うのは、自分を超えたものの存在、つまり山中に在す神仏の存在である。我々の修行は大自然の中に曼荼羅世界を見て、神と仏を拝みながら歩くのであるが、山修行のよいところは、聖なるものに包まれる中で、心と体のバランスを取り戻すところにあるのではないだろうか。都会生活ではいろんな場面で心に疎外感を持たされるが、山修行に没頭すると、実感として、心と身体のバランスを取り戻し、魂と肉体の一体感を感受するのである。
先日、今年の蓮華入峰に参加した人から手紙が届いた。「修行に行って身も心も垢が流れ落ちたような気分で家に帰ることが出来ました。それまではいやでいやで仕方がなかった自分の生活に生きる自信が甦ったような気分です。有り難うございました」。
山修行は無痛文明に陥った現代社会への妙薬となっているのではないだろうか。そんな思いにさせていただいた手紙であった。
お陰様で今年の蓮華奉献入峰修行も無事終えることが出来ました。参加総勢103名。新客など何人かが途中でリタイヤしましたので、最終的は95名が満行できました。今年も大先達をつとめさせていただきましたが、ほんとに無事でほっとしました。
今年は私もいろいろなことがあったので、思いをもって望んだ蓮華入峰でしたが、たくさんの方々に支えられ、例年以上にありがたい修行となりました。
今年の蓮の花を山上本堂のご宝前にお供えし、大壇の上に登らせていただいて導師として勤行をしたとき、「これだけ多くの力で、応援、支援、祝福していることに気づけよ・・・」って言われたような、そんな気持ちにさせられました。
さて、毎年の蓮華入峰修行では多くのことを学びます。もう5年も前ですが、そんな蓮華での学びを読売新聞で5回にわたって、連載させていただいたことがあります。
自分で言うのもなんですが、5年たっても、あまり色あせていないように感じます。よろしければご笑覧ください。
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「修験道といま」①~蓮華奉献入峰
「さーんげさんげ、ろーこんしょうじょう~」と唱えながら大自然を跋渉する修験道の山修行。以前、「やりたかったんだよな、これ!」って呟いた女子大生の参加者*がいた。
ここ十年くらいの間に、修験道の山修行は何度もマスコミに取り上げられ、年々注目を浴びつつあり、一般からの参加希望者も多い。とりわけ今年七月に行った蓮華会・蓮華奉献入峰修行に参加した人の顔ぶれは、現代社会を象徴するようだった。
蓮華会は私のいる金峯山寺の伝統法会で、大和高田市奥田地区の弁天池の蓮の花を、吉野山の蔵王堂をはじめ、大峯の諸神諸仏に献花する行事。奈良県の無形民俗文化財にも指定を受けている。この行事の中で行われる「蔵王堂蛙飛び」は大きな着ぐるみの大青蛙が登場する奇祭としてつとに知られるところである。その蛙飛び行事の翌日八日に、吉野山から大峯山山上ヶ岳まで、山中に蓮華を供えつつ行ずるのが蓮華奉献入峰である。
さて今年の入峰参加者は九十七名。そのうち、宗内の教信徒以外の一般人は約半数。他宗門の僧侶のほか、さまざまな業種の方がいた。団塊の世代も多い。定年退職をして、その記念になにか自分を試したくて参加した人。妻に勧められて来たという人もいた。例の姉歯建築士の耐震偽装問題の後始末に奔走している設計士もいたし、ニート、引きこもり、統合失調症など、心に病を抱える若者も来ていた。慶応大学の現役学生、一部上場の運送会社社長、農家のおやじ、公務員、占い師、鍼灸師、経営コンサルタントなどなど、例年にも増して多彩な顔ぶれだった。
彼らは山修行に一体なにを期待して参加しているのだろうか?あるいは現代人にとって山の修行はどんな意味をもつのだろうか?
修行を終えた参加者がぽつんと呟いた。「歩いている間中、足が痛くて痛くて仕方なく、もうやめよう、もう帰ろうと何度も思いましたが、終わってみると無事に修行し終えたことが有り難くて有り難くて仕方がありません。来年は是非もう少し身体を鍛え直して、みなさんに迷惑を掛けないように参加したいです…」。また別の参加者は「さ~んげさんげ、と掛け念仏を唱えるたびに山の神仏に抱きしめられているような感動を覚えました」といった。
金峯山寺では五月から十月まで毎月一般の人に呼びかけて山修行を行っているが、その中でも七月の修行会は一日十二時間も行ずる厳しい行程である。しかし厳しい修行の方が喜びを感ずる人が多いと私は思っている。
*東南院の大峯奥駈修行は後半行程に女性の参加を許可している。この女子大生の話はもう二十年くらい前の奥駈でのこと。
明日は金峯山寺の伝統行事「蓮華会」です。
金峯山寺の蓮華会とは毎年の7月7日に、当山の開基であり、修験道の開祖でもあられる役行者さまの威徳をたたえる行事として行っている伝統法会で、役行者さまがご誕生の際に産湯をつかったと伝えられる、奈良県大和高田市奥田区にある弁天池で採取した蓮の花を、金峯山寺蔵王堂のご本尊蔵王権現御宝前へお供えします。
明日8日には、大峯山山上ヶ岳の拝所および山上本堂にもお供えし、丸2日間にわたって行われます。
この蓮華会の中で、天下の奇祭として名高い「蛙とび行事」が行われます
この行事には別の由来が伝わっています。今からおよそ1000年前、白河天皇の延久年間のころといいます。高慢で神仏をあなどっていたある男が、大峯山山上ヶ岳へ登り、蔵王権現や仏法を謗る暴言を吐いたところ、たちどころに仏罰が下って、その男は大鷲にさらわれ大峰山中の断崖絶壁の上に置き去りにされたそうです。
高慢な男もさすがに後悔し、震えあがっているのをちょうど通り合わせた金峯山寺の高僧があわれに思い、その男を蛙の姿に変えて助け出しました。そのあと吉野山に連れ帰り、蔵王堂で一山僧侶の読経の功徳によって、もとの姿に戻した、というのです。
この由来を以て、金峯山寺では修験道の験比べとして、法力を見せる作法を、蓮華会の中で執り行っています。
なお、この「蛙飛び行事」は今年コミニケ出版から絵本になりました。
詳しくはブログを参照ください。
http://yosino32.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/post-e756.html
随分前にご依頼を受けていた奈良の帝塚山大学の特定教授ですが、正式に、来年から「文学部・文化創造科」として発足することになり、理事長さまが今日おいでになり、報告を受けた。
先日、河瀨直美さんがこの文化創造科の特任教授に就任される報道があったが、いわゆる同僚ということになるのかなあ・・・・。
7月3日の記事
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130702/wlf13070209010005-n1.htm
ここには私の名前は載っていませんが、記事に載っている春日大社の宮司さんや東大寺の森本長老など、みなさんと一緒に、私やそのまま就任したようです。
帝塚山大学文学部・文化創造科は以下に詳しいです。
「父母の年忌」
今月13日に亡父の13回忌を迎える。早いものである。実は母も今年の10月に3回忌を迎える。それで昨日、母のをちょっと早めて、合同で二人の年忌法要を、身内だけでささやかにおこなったが、このところ、なにかにつけて、両親のことを思い出している。
その中でも、とりわけ、父が死んだときに、母に告げた自分の言葉が思い出される。私は通夜の席で、父の亡骸に寄り添っている母に「10年間は絶対葬儀を出さないからね」と言ったのである。母は黙ってうなずいていた。父の葬儀を終えて、その後、半年くらいはなにかにつけて体調を崩し、父の死によって身も心もすっかり弱ってしまった風だった。ところが、一年もしないうちにすっかりぴんしゃんして、父の介護から解放された自由さと、気ままな生活を得たような感じで、すこぶる元気になった。
母はそれから7年くらいは元気に暮らしてくれていたが、亡くなる前の2年半は病がちで、最後は病院での10ヶ月に及ぶ闘病生活の末、一昨年に亡くなった。ちょうど父が死んで、10年と3ヶ月を生きたことになる。息子の言った「10年は葬式を出さない」という約束を守ってくれたのだった。母と父は10歳違いだったので、享年はともに86歳。なんと月命日も同じ日であった。こんなことなら10年といわず、15年とか20年とか言えば良かったなどと、今更ながら、悔いたりもしている。
「父母がこの世を去りてふと想う我に帰すべき故郷はありや」。ーこれはこの春、ふいに浮かんだ私の駄作の歌だが、父母を失う喪失感というか、寂寥感は、年月を追う毎に深くなるようにも感じる。充分な親孝行をしてやれなかった後ろめたさの、裏返しなのかもしれない。そんなせいか、昔はお盆や彼岸以外はあまりお墓参りなどしなかったが、ここ数年、よくお墓にもいくようになった。もう取り戻せない情愛が、人生の儚さを改めて教えてくれているようにも感じるこの頃である。
『父母恩重経』に曰く「父母の恩重きこと、天のきわまりなきが如し…」というが、亡くしてから気づく愚かさに今更ながら、愚禿の身を恥じている。
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