父母の年忌
「父母の年忌」
今月13日に亡父の13回忌を迎える。早いものである。実は母も今年の10月に3回忌を迎える。それで昨日、母のをちょっと早めて、合同で二人の年忌法要を、身内だけでささやかにおこなったが、このところ、なにかにつけて、両親のことを思い出している。
その中でも、とりわけ、父が死んだときに、母に告げた自分の言葉が思い出される。私は通夜の席で、父の亡骸に寄り添っている母に「10年間は絶対葬儀を出さないからね」と言ったのである。母は黙ってうなずいていた。父の葬儀を終えて、その後、半年くらいはなにかにつけて体調を崩し、父の死によって身も心もすっかり弱ってしまった風だった。ところが、一年もしないうちにすっかりぴんしゃんして、父の介護から解放された自由さと、気ままな生活を得たような感じで、すこぶる元気になった。
母はそれから7年くらいは元気に暮らしてくれていたが、亡くなる前の2年半は病がちで、最後は病院での10ヶ月に及ぶ闘病生活の末、一昨年に亡くなった。ちょうど父が死んで、10年と3ヶ月を生きたことになる。息子の言った「10年は葬式を出さない」という約束を守ってくれたのだった。母と父は10歳違いだったので、享年はともに86歳。なんと月命日も同じ日であった。こんなことなら10年といわず、15年とか20年とか言えば良かったなどと、今更ながら、悔いたりもしている。
「父母がこの世を去りてふと想う我に帰すべき故郷はありや」。ーこれはこの春、ふいに浮かんだ私の駄作の歌だが、父母を失う喪失感というか、寂寥感は、年月を追う毎に深くなるようにも感じる。充分な親孝行をしてやれなかった後ろめたさの、裏返しなのかもしれない。そんなせいか、昔はお盆や彼岸以外はあまりお墓参りなどしなかったが、ここ数年、よくお墓にもいくようになった。もう取り戻せない情愛が、人生の儚さを改めて教えてくれているようにも感じるこの頃である。
『父母恩重経』に曰く「父母の恩重きこと、天のきわまりなきが如し…」というが、亡くしてから気づく愚かさに今更ながら、愚禿の身を恥じている。
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