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産経新聞「ルネサンス!山の宗教」全編

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世の中はすごい。先日、②と③だけ、取材記録のシリーズで、データを紹介した産経新聞の「ルネサンス!山の宗教」を全編持っている人がいて、送っていただいた。

よって、一挙に全編を掲載します。ご笑覧ください。

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ルネサンス!山の宗教① 2010.10.25 大阪夕刊

 

山嫌いの「へなちょこ山伏」 聖なるものに守られながら歩く。

金峯山寺執行長 田中利典さん  

 

 平城遷都1300年祭が開催されている平城宮跡(奈良市)に立つと、遙か遠くに吉野・大峰の山々が神々しく見える。奈良の宗教文化を知るには平城京だけではまだまだ甘い! 古代から僧侶や貴族らは吉野・大峰の神仏を崇拝してきた。吉野山・金峯山(きんぷせん)寺(奈良県吉野町)では今、ど迫力で平成の魑魅魍魎(ちみもうりょう)を払う蔵王権現立像(重文)を特別開帳中。この聖地から、自らを「へなちょこ山伏」と揶揄(やゆ)しつつも「修験道(しゅげんどう)ルネサンス」を唱える田中利典・同寺執行長(55)が熱弁をふるう。(聞き手 岩口利一)

 

 --あえて野趣ある響きの「山伏」と呼ばせていただきますが、山伏の世界に入られたきっかけは

 

 田中 2歳のときに重い肺炎になりました。その際、山伏で祈祷(きとう)師の父が母に「わが子の命も救えないのか」と言われ、父は大峰・山上ケ岳(奈良県天川村)の蔵王権現に「この子が無事5歳になったら一緒に参る」と願を懸けた。そのおかげで治って、5歳になると山上ケ岳に連れて行かれたのです。

 

 --その後は

 

 田中 私の意思とは関係なく、2歳の大病が縁で気がつくと山伏になっていたという感じです。ただし、山は嫌いで、山伏になっていなかったら山なんかに絶対行ってない。半分、仕方なく山に行くようになった。そのうち「大峯奥駈(おくがけ)道」(吉野~熊野の山々にのびる修行の道)を歩くようになり、7、8回目のときに山の修行も素晴らしいと思うようになりました。

 

 --山が嫌いだったとは意外ですね

 

 田中 はっきり言って私は「へなちょこ山伏」ですわ。体力もなく、何とか自分の体を持って上がるだけで精いっぱい。それが気がつくと、大峯奥駈は16回ほどになりました。山伏の父が願を懸けたおかげで大病が治って山に連れて行かれたことを思うと、山伏への道が自然に開かれていたような気がします。

 

 --山修行に対する気持ちはどう変化したのですか

 

 田中 山に行くと臭くて、かゆくて、痛くて、寒くて、暑くて…。本当に嫌なことばっかり。でも、毎年行っていると歩くだけで精いっぱいだったのが、だんだんと体がなじんできて周りが見えるようになる。仲間の浮き浮きした気持ちが分かるし、自分自身もそう。毎年同じ道だが、毎年歩く自分が違うし、気象も風景も違う。山は毎年行かないと分かりません。

 

 --厳しい山修行にどのようなありがたさを感じられますか

 

 田中 私たちは山に神仏がいることを前提に歩きます。神仏に実際に出会うわけではないけれども、拝みながら歩くうちに自分を超えた聖なるものの存在を感じ、守られながら歩いていることのありがたさをかみしめるようになります。

 

 --日常生活にはない、大自然の中での貴重な体験ですよね

 

 田中 自分一人で生きているのではなく、自然の恩恵を受け、人々に助けられながら関係性を持って生きていることが、1日12時間ほど歩くとだんだん分かってくる。苦しさの中で自我の枠が外れる瞬間がある。どんなにつらい奥駈でも、終わって帰って来ると今年は素晴らしかったなと思うようになりました。

 

 --山での失敗談もあるでしょう

 

 田中 いっぱいありますよ。私はもともとひざが悪く、山に行くとつらい。34歳くらいのときにそのひざを痛めて、普段なら午後4時ごろに到着する前鬼山に9時ごろに着いた。遅れる人の気持ちがよく分かりました。人間はやはり失敗を重ねて成長するのですね。

 

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ルネサンス!山の宗教② 2010.10.26 大阪夕刊

 

白装束で「非日常」の修行 いったん死んでリセットする。

金峯山寺執行長 田中利典さん

 

 --「修験道(しゅげんどう)」とはどのような宗教、道なのか教えてください

 

 田中 ひと言で言うと自然の宗教。日本独特の山岳、神祇(じんぎ)信仰と外来の仏教、道教、陰陽(おんみょう)道が融合して出来上がった。古来の信仰に外来の思想がうまく組み込まれ熟成されたのです。修験道は非常に日本ナイズされた仏教。明治に修験道廃止令が出されたが、修験には近代以前の日本人の神仏習合が脈々と残っているのです。

 

 --そんな修験道は大きな可能性を秘めているわけですね

 

 田中 今、街中で山伏の格好をしてたら、ちんどん屋さんと間違われるかもしれない。ある講演に山伏の姿で出たら、抱きつかれたことがある。オオサンショウウオみたいに、ほとんど天然記念物状態ですわ。変であるだけ「異界」のもので、山伏は体験し伝える貴重なものを秘めていると思います。

 

 --ところで、仏教は極端にならない「中道」という立場をとります。釈迦は享楽を受けた後、苦行に入ったが、苦行の無意味さを知った。それなのに修験道ではなぜそこまでして厳しい山に登るのですか

 

 田中 人は極端を知るからこそ真ん中を知ることができる。お釈迦さんは享楽と苦行の両方を知ってから後に中道を見つけられた。あのお釈迦さんでさえそうなのだから、私たち凡庸な者は自分なりに楽しい思い、苦しい思いをしてからそこにとらわれない生き方を知ることができる。頭で考えるのではなく、自ら実感すべきです。始めから中道ありきは凡人には分かりづらいと思いますよ。

 

 --なるほど。実践を大切にするのが修験道なのですね

 

 田中 山では一見自分の力で歩いているように思うが、自分の力で歩いていないと感じざるを得ないことも多々あります。山で危険な目に遭(あ)って助かると、何か大きなものに導かれ、守られていると体感する。普段の生活ではあまり仏様のおかげで生きているとは思わないでしょう。

 

 --修験道の目的とされる「擬死再生」とはどういうことを言うのですか

 

 田中 日本人は古来、「ハレ」(非日常)と「ケ」(日常)を行き来する知恵がある。ケでは気が衰え、穢(けが)れてくるので、元に戻るためにハレに入り、寺社参りや山修行で聖なるものに触れる。山修行で非日常を送る。山修行には白の死に装束で入って擬似的にいったん死に、聖なるものに触れる。それで生まれ変わって再び日常で生活する。つまりハレによってリセットする。これが擬死再生の修行なのです。

 

 --ハレの山修行をすると何かが変わるのですね

 

 田中 山修行を終えると「精進(しょうじん)落とし」をする。ある先達はせっかく聖なるときを過ごしたのに最後にどんちゃん騒ぎをしてもったいないと言う。でもそれは違うのです。

 

 --後のどんちゃん騒ぎの方を楽しみに山に行く人もいますよね

 

 田中 山修行を終えた人は自分では聖と思っているけど、日常側から見るとそれもある種の聖なる穢れ。それに、日常にあまり聖なるものが入って来るとバランスを崩すので少し精進で落とす。自分の中で精進は残っていくもので、聖なるまま帰らないのが大切。それを担いだまま日常で生きるのは周りには迷惑なことです。修行後に精進落としをして普通になっても立派な人は立派な人のままです。(聞き手 岩口利一)

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ルネサンス!山の宗教③ 2010.10.27 大阪夕刊

 

困難な時代の庶民の味方 役行者は親しみあるスターです。

金峯山寺執行長 田中利典さん 

 

 --修験道(しゅげんどう)の開祖、役行者(えんのぎょうじゃ)(役小角(おづぬ)、7~8世紀)はどのような人物だったのでしょう

 

 田中 役行者が生きた時代は豪族たちの群雄割拠から「日本」としてまとまって歩み始めたころです。内政的に大変革期で、外圧もあった。役行者は日本が産声をあげたときに活躍し、宗教的に象徴化された存在となった。国家体制が形成される際には庶民側の論理が蹂躙(じゅうりん)されるのが常で、役行者は庶民側に立った。それがために「続日本紀」にあるように伊豆島に流されました。

 

 --流罪ということは、いかに庶民らへの影響力が大きかったかということでしょうね

 

 田中 役行者は困難な時代に庶民側に立ち、反体制的なものが伝えられていく。日本宗教史上、聖徳太子、弘法大師・空海に次ぐスーパースターといえます。庶民の味方だったゆえに土俗的信仰である修験道の開祖となった。伝説も多く、そこに親しさとおおらかさが感じられます。

 

 --空を飛んだという伝説はどう思われますか

 

 田中 五穀・塩を断つ行をすると、体がものすごく軽く感じられる。そんな体験からするとまんざら空想の世界とも思えません。修行で心身離脱するのかもしれない。それに、役行者はお母さんに関する伝説も多い。非常にお母さん思いの庶民派だったのでしょう。全国各地で寺を開くが、住んだ寺はないというのもいかにも役行者らしい。

 

 --そんな役行者が山上ヶ岳で感得した蔵王権現はどのような神なのですか

 

 田中 恐ろしいお姿をした蔵王権現は内憂外患の時代に、役行者が悪魔をやっつける本尊を願って、出現した。現在も人心が虫食まれる悪世で、蔵王権現の人々を導く強い力が求められています。

 

 --時代性が似ていると

 

 田中 日本の人口は順調に増え続けてきたが、ここにきて減り始めました。これは大きな変化で、過去の節目を考えるべき。日本が成立し始めたとき蔵王権現が出現した。蔵王権現は力強い怒りの姿だが、その奥に仏の慈悲を秘めている。そんな神を生み出したあり方を考えるべきでしょう。蔵王権現は青黒い肌が慈悲を表しており、じっと拝んでいると、「怒」が次第に「恕(じょ)」(許すこと)に変化していきますよ。

 

 --それは不思議ですね

 

 田中 今は「仏像ブーム」ですが、仏像は見るのではなく、拝むものです。特別開帳では蔵王権現の前に発露の間を設けているので、さあ、あなたも正直に心の中をさらけ出して拝みなさい。

 

 --怒の中に恕を秘めた蔵王権現を生み出した吉野・大峰は奥深いですね

 

 田中 吉野は歴史上わりあいと反体制側に立ってきた。後醍醐天皇も南朝を開かれるなど、吉野は役行者以来反体制の精神が脈々と受け継がれている。壬申(じんしん)の乱で勝利した大海人(おおあま)皇子(天武天皇)以外はみな敗者だが、吉野は聖地性を持ち続け、再起を図る場として崇(あが)められたのです。

 

 --再起を図る場というのはおもしろい。そうして吉野の歴史は1300年間連続しているのですね

 

 田中 平城京は奈良時代にしか出てきませんが、吉野は日本史上連続して登場する。それに、平城京は飛鳥や藤原に都が転々とした末に誕生した都で、その間に聖地、吉野にも人々の行き来があった。奈良の歴史は吉野を含め県内全体で考えるべきです。(聞き手 岩口利一)

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ルネサンス!山の宗教④ 2010.10.28 大阪夕刊

 

自然と「共生」は「共死」伴う 山の神に祈らずして保全はない。

金峯山寺執行長 田中利典さん 

 

 --執行長は吉野・大峰を含む「紀伊山地の霊場と参詣道」を世界遺産登録(平成16年)へと導かれました。どのような思いがあったのですか

 

 田中 山の聖地性と自然の豊かさを守りたいがために登録の運動を進めました。しかし、登録後、山に入ると、今まで見られなかったようなところでも多くの登山者に出会うようになった。山を守りたいという一心で登録に導いたのに、それによって反対に自然が荒らさるのではないかという危惧(きぐ)が生まれました。

 

 --少し後悔されたのですか

 

 田中 山が荒れることを心配しながらその年は歩き、最後に拝み返しという場所で、山並みに向かって勤行したときのことです。

 

 「お前が手を挙げて世界遺産登録されたことによって多くの人が入山し自然が荒れたとしても、それを自分のせいとして考えるのは大きな思い上がりだ。人間は自然の一部で、荒れるというのなら自然は人間とともに死んでやる」。そんなことを大峰の神々に言われた気がしたのです。

 

 --山伏らしい神秘的な体験のようにも聞こえますが、どういう意味なのでしょう

 

 田中 人間は「自然との共生」と簡単に言うけれど、「共生」は「共死」を伴うのです。一緒に死ぬということを前提に考えないと、本当の共生はできない。だからこそ自然を守っていかないといけないと強く思いました。

 

 --各方面に引っ張りだこの中、8月には「紀伊半島の美しい森林づくり協議会」の理事長にも就任されました

 

 田中 山伏が声をあげたからって森林の間伐は進むとは思わないが、共生は共死を伴うという危機感があります。行政だけでなく民間の動きも大事。山が荒れると川が荒れ国土が荒れることを考えると、国だけに任せておけません。間伐は行われるが、間伐材を山から出してそれを生かす循環システムはまだ構築されていない。間伐材で紙や燃料を作るなどのシステムを成功させ吉野から全国に広げたいのです。

 

 --間伐されないままの暗い森も多いようですね

 

 田中 間伐も大切ですが、根底にはこんなことがあります。山伏は山を曼(まん)荼(だ)羅(ら)世界として崇(あが)め、かつて一般の人々も山に聖なるものを見いだす感覚がありました。それが、山は商売道具とされ、目に余る勢いで植林された。そんな経済、物質至上主義が山を荒らした。昔は山の神に祈りながら作業をしたもので、こういう精神なしでは本当の山の保全はありません。

 

 --本来の山はどんな姿だったのでしょう

 

 田中 植林の山に神はいないと思います。自然林に風が渡り、日が差し、鳥が鳴き、下草が生えているところにこそ神々しさを感じる。日本人はそういう感覚を必ず持っている。吉野の桜も枯れている木が多く、他から桜を持ってきて植えたのが一因らしい。これは桜を神木としてでなく物として考えたため。現代社会は神仏よりも金が中心になってしまったのです。

 

 --山の再生にはやはり野性的な山伏の力が必要ですね

 

 田中 近代の災いに気づいて山を再生させ、美しい国土を取り戻すことを提唱するのが、現代の山伏の役目だと思います。(聞き手 岩口利一)

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ルネサンス!山の宗教⑤ 2010.10.29 大阪夕刊

 

自然とかかわり地球を守る 修験道通じて文化を見直したい。

金峯山寺執行長 田中利典さん 

 

 --執行長が提唱する「修験道(しゅげんどう)ルネサンス」とはどういうことなのですか

 

 田中 平成12年に役行者(えんのぎょうじゃ)の1300年御遠忌(おんき)を迎えました。その前から「役行者ルネサンス」を唱え、それを機縁に「修験道ルネサンス」ということになった。修験道は日本人の精神文化を担ってきたが、明治の近代化政策は修験道を廃止し、これによって打撃を受けた。それで修験道を通じて近代を見直すことにしたのです。

 

 --近代の見直しですか

 

 田中 近代は日本文化を壊してきた。「グローバリゼーション」などまさにそれで、その土地にあった花や木があり、風土に根ざすものこそが文化。修験も駆逐された文化で、それを見直すことで近代のありようを考え直したい。修験には自然とのかかわり方が秘められています。

 

 --修験道は今後注目されそうですね

 

 田中 最近は権現(仏が神になって現れた姿)信仰について考えています。今、神仏習合が言われ始めているが、明治以前のあり方ではない。明治以前は権現が中心で、蔵王権現こそまさに神仏習合の姿。それを知ることが日本人の多様性を考えるうえで大切です。

 

 --日本人の多様性とは

 

 田中 神仏習合は単なる仲良しクラブではありません。多様性は大乗仏教が入ったことで普遍的になった。蔵王権現は釈迦の姿が権化し現れたもので、普遍性がある。すなわち「一即多」「多即一」。1つに多くが含まれ、多くは1つに起因している。蔵王権現は過去を表す釈迦如来、現在の千手観音菩薩、未来の弥勒(みろく)菩薩と言うが、それは1つの方便で、蔵王権現はお釈迦さんと同体です。

 

 --「一即多」は華厳(けごん)経の考え方ですね

 

 田中 そう。今まで蔵王権現についてこのような説明がされたことはなく、今、権現を「一即多」で読み説こうと思います。

 

 --修験道ルネサンスというよりも「権現ルネサンス」ですね。ところで、きらびやかな伽藍(がらん)が並ぶ平地の宗教に対し、山の宗教は野性的な生命力を秘めていると思うのですが

 

 田中 平地の伽藍というのはつまり都会の伽藍で、自然との関係が希薄になっていく。特に今、都会の論理で進めることは破綻(はたん)が見えつつある。山の宗教は自然とのかかわりがあり、地球環境を守るうえで大きな可能性があります。

 

 --平城京の大寺と金峯山との関係は

 

 田中 東大寺と関係が深い。説話によると、大仏造立の金が金峯山に求められたが、蔵王権現は「金峯山の金は56億7千万年後に弥勒が現れるときに敷き詰めるものだ。近江の石山で祈りなさい」と告げられた。その通りにすると陸奥から金が出たという。

 

 --東大寺に遠慮してもらったようなものですね

 

 田中 東大寺二月堂修二会(しゅにえ)(お水取り)で読み上げられる神名帳(じんみょうちょう)で、一番に登場するのが「金峯大菩薩」、つまり蔵王権現。こうしたことからいかに平城京と吉野山がつながっていたかがうかがえます。

 

 --来年以降の「ポスト平城遷都1300年」はいかにお考えですか

 

 田中 金峯山寺としてはここ10年ほど取り組んできたことがバージョンアップし今、「権現ルネサンス」となった。奈良県が持っている価値は寺社。しかし、行政は政教分離を言う。それが遷都1300年で寺社と連携し、奈良市以外の吉野などにも目が向きつつある。これを継続していただきたいです。=おわり(聞き手 岩口利一)

 

たなか・りてん 金峯山修験本宗宗務総長、金峯山寺執行長。昭和30年、京都府綾部市生まれ。龍谷大学仏教学科、叡山学院専修科卒業後、金峯山寺に入った。平成13年に同寺執行長などに就任。「紀伊山地の霊場と参詣道」の世界遺産登録を導いた。著書に「修験道っておもしろい!」「はじめての修験道」などがある。

 

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有り難いことです。長文読んでいただいて感謝。。

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