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菩薩のこころ

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「菩薩のこころ」

修験道は開祖役行者以来の菩薩集団である。役行者は神変大菩薩と称されたが、その末徒たる我々修験の徒はすべからく菩薩行を行じる者でなくてはならない。

さて、菩薩の教えというものは世界共通なのだと思う。そう思ったのは、かの修道女の聖者マザーテレサが残したある言葉に出会ったときだった。キリスト教も仏教も修験道も、聖者の目指すところ、願うところは同じなんだと心に響いたのである。

その言葉を少々長いが以下引用する。

   ◇

 人は不合理、非論理、利己的です。
 気にすることなく、人を愛しなさい。

 あなたが善を行うと、
 利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。
 気にすることなく、善を行いなさい。

 目的を達しようとするとき、
 邪魔立てする人に出会うでしょう。
 気にすることなく、やり遂げなさい。

 善い行いをしても、
 おそらく次の日には忘れられるでしょう
 気にすることなくし善を行い続けなさい。

 あなたの正直さと誠実さとが、
 あなたを傷つけるでしょう。
 気にすることなく
 正直で誠実であり続けないさい。

 助けた相手から
 恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。
 気にすることなく助け続けなさい。

 あなたの中の最良のものを
 世に与え続けなさい。
 けり返されるかもしれません。

 気にすることなく、
 最良のものを与え続けなさい。
 気にすることなく、
 最良のものを与え続けなさい…。
           (マザーテレサ)

実はこの言葉に出会ったとき、私は思わず泣いていた。マザーの慈悲に泣いたのである。菩薩の心に泣いたのである。人はときどきどうしても立ち止まらないといけないときがある。立ち止まって、菩薩の心を見つめ直してみるときがいるのだ。私はマザーの言葉に泣きながら、自分の内なる菩薩の心を、じっと静かに問い直していた。(蔵王清風:25.8)

*************

今月の金峯山時報のエッセイを少し改編して転載した。

大乗仏教における善とは「上求菩提下化衆生」に叶う生き方をすることであり、それに叶わない生き方が悪であるとされる。「上求菩提下化衆生」とはいわゆる菩薩行のこと。

人生にはいろんなことがあり、いろんな障害や、いろんな人間に会うが、その都度、自分の生き方を菩薩行に問うて、考えたいと、改めで、マザーテレサの言葉に思った。

マザーテレサは死後も、いろいろ批評がある。賛否両論があるが、それらのことを踏まえるからこそ「あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。気にすることなく、善を行いなさい・・・」と言い放つマザーの言葉は、更に私の胸を打った。評価は後世に託すので、いいのだと思う。

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コメント

マザーテレサは日本人に対して、あなた方は心が貧しいと言いました。印度の貧しさから見れば、ここまで日本人は心底頑張って大東亜戦争敗北から立ち直った訳です。貧民たちの気持ちになりなさいということと当時受け止めていて、このおばはん何いってけつかる!と思ったのも事実です。菩薩の気持ちになりなさいということだったんでしょうね(^.^)

zuikyouさん。

菩薩のこころで生きるのって、なかなか大変ですよね。
でもこころしておきたいとおもいます。

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