「吉野の桜と蔵王権現」
大和ハウスさんが吉野の桜保護の運動にお手助けをいただ いている。サクラエイド活動である。その一環として昨年 末に「さくら」と題すすカラー写真満載の小誌が出た。窪 塚さんや江森さんたちの写真に混じって、私の記事も載っ ている。以下、拙文だが、紹介したい。
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「吉野の桜と蔵王権現」 金峯山寺 田中利典...
日本各地に桜の名所は数多くありますが、その筆頭はやは り吉野山でしょう。その吉野山の桜は、決して、観光地や 名所地にしようとして植えられたものではありません。す べて金峯山寺の御本尊蔵王権現様に献木されたお供えの「 生きた花」なのです。
千三百年の昔、我が国固有の民俗宗教・修験道の開祖とさ れる役行者が、金峯山上で一千日の修行をされた末、蔵王 権現という修験道独特の御本尊を祈り出されました。そし てそのお姿を山桜の木に刻んでお祀りされたのが金峯山寺 の始まりであり、以来、山桜は蔵王権現のご神木とされま した。役行者は「桜は蔵王権現の神木だから切ってはなら ぬ」と里人に諭されたといわれ、吉野山では「桜は枯枝さ えも焚火にすると罰があたる」といって、大切に大切にさ れてきました。江戸時代には「桜一本首一つ、枝一本指一 つ」といわれるほどに、厳しく伐採が戒められたのです。
桜とはそもそも神聖な木で、古来より、霊を鎮める霊力が あると信じられてきました。サクラという言葉は、「サ+ クラ」に分解できます。サは、五月(サツキ)のサ、早苗 (サナエ)のサと同じで、稲を実らせる穀物の霊です。ク ラは、盤座(イワクラ)のクラで、神が降りてくる場所と いう意味をもちます。したがって、サクラ全体では、「稲 の穀霊が降りてくる花」ということになります。日本人に とって満開の桜は、稲の霊の依代でもあるのです。
ところで、今、日本にある桜の名所の大半は、もともと各 地に自生していた桜ではなく、明治初期に品種改良によっ て誕生した「ソメイヨシノ」です。人が楽しむために植え られた桜なのです。
しかし吉野の桜は蔵王権現のご神木であり、神仏に供えら れたものとして一千年以上にわたって守り伝えられてきま した。蔵王権現の聖地を荘厳する桜なのです。
現代社会に生きる私たちは、なにかというと、人間を中心 した生活を送りがちです。自分の都合のみを優先させる時 代といえます。しかし古来からの日本人の営みは、自然と 共に生き、自然の恩恵と脅威の中で暮らしてきました。決 して人間中心ではなく、自然と共生し、共死してきたので す。だからこそ、自然の中に宿る神を祀り、仏を尊んでき たのでした。いわゆる大自然と共に生きてきた日本人の心 が、桜をご神木と敬い、権現への信仰の象徴を生んだとい えるでしょう。
吉野の桜は、今、危機的な状況を迎えつつあります。その 吉野の桜を守ることは、花を穀霊の依代としたように、自 然の中に神を見、仏を感じてきた日本人の心そのものを守 る営みに繋がることと確信をしています。
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いろんなところで、桜の話はしているが、私の思い込みの 部分も大きい。しかし、怖れず話をしていきたいと思って いる。
保護活動はまだまだ道半ばである。
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「吉野の桜と蔵王権現」 金峯山寺 田中利典...
日本各地に桜の名所は数多くありますが、その筆頭はやは
千三百年の昔、我が国固有の民俗宗教・修験道の開祖とさ
桜とはそもそも神聖な木で、古来より、霊を鎮める霊力が
ところで、今、日本にある桜の名所の大半は、もともと各
しかし吉野の桜は蔵王権現のご神木であり、神仏に供えら
現代社会に生きる私たちは、なにかというと、人間を中心
吉野の桜は、今、危機的な状況を迎えつつあります。その
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いろんなところで、桜の話はしているが、私の思い込みの
保護活動はまだまだ道半ばである。
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