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朝日新聞奈良版に登場

従軍慰安婦のねつ造記事問題で、いまだに謝罪のない朝日新聞にはちょっと距離を置きたい気持ちだが、だいぶ前に取材を受けた記事が今日、奈良版に載った。

記者はなじみの人なので、よく書いていただいている。

よろしければご覧ください。
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「修験道の真実と未来」

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「修験道の真実と未来」

東大寺や法隆寺、そして春日大社などの南都諸社寺をはじめ、薬師寺や石上神宮、わが金峯山寺など奈良県下の古刹と、天理教や立正佼成会といった新宗教が、宗派や宗旨をこえて協力し活動している奈良県宗教者フォーラム実行委員会。神も仏も日本のこころ・・・というテーマで活動が続く、、超宗教の集いであり、奈良県独特の取り組みと言える。

この本年の大会が今日、午後1時から春日大社で開催される。数えて第11回大会となる。今年のテーマは「大和と伊勢神宮」。私はこのフォーラムには第2回大会から参加し、第6回大会から実行委員を仰せつかってきた。

さて、今日の第11回大会の日に、過去第8回から第10回まで3年間の大会記録が、『修験道の真実と未来ー神と仏と日本のこころ』と題して、宗教者フォーラム編で京阪奈教育情報出版より刊行され、発売されることになった。会場で新発売されるのである。

実は第8回大会と昨年の第10回大会は金峯山寺を会場に催されたが、8,9,10回と3大会連続で「修験道」がテーマとされた。8回と10回の金峯山寺大会の実行委員長は私がつとめたが、その私と、連続修験講座の提案者である春日大社の岡本彰夫権宮司が編集委員となって、今回の大会記録集を制作したのである。

修験道の入門編、中級編、考究編と3部立てとなっており、かなり面白い。

定価は1300円(税別)。金峯山寺をはじめ、全国で発売される。

以下。私の巻末文を転記する。

*********

おわりに

奈良県宗教者フォーラムの大きな特徴は、実行委員会を構成する奈良の古社寺と新宗教との、宗教の枠を越えた仲のよさである。他府県の宗教界ではあまり聞かない状態といえよう。

修験道は明治の神仏分離、修験道廃止の施策によって、壊滅的な状況に陥り、以降、徐々に復興は遂げているといえ、宗教史や文化史の上でも、正統な評価を与えられていない。とりわけ伝統宗教の中では、他の古社寺同様に、日本人古来の信仰形態を伝えているにも関わらず、あまり関係性を持たないのが実情といえた。

そんな中、奈良の古社寺と新宗教の代表的宗教者による本会が、修験道とがっぷり四つに組んだ三年にわたるフォーラムを成功に導いたのは、偏に、この宗教者同士の仲のよさであると言って過言ではない。

一神教世界はいざ知らず、日本は仏教伝来の昔から、神と仏は仲むつまじく、互いに影響を持ちながら、日本人の精神文化を育んできた。今回テーマとなった修験道はその土壌のもとに生まれた日本人の民俗宗教である。

もちろん長い歴史の中では、神道と仏教の間で多少の争いはあったにしろ、神仏和合の心が、日本人の宗教心の根幹を作り上げて来たのは間違いない。

そういう意味では、神仏分離が断行された明治以後、様相は一変したとはいえ、今なお、その神仏和合の心のもとに集う当会の意義は大きい。

もともと宗教者同士の勉強会で始まった当会であるが、本書の上梓を機に、更に宗教者以外の多くの方々との繋がりを広げつつ、十年の節目を経て、大いなる発展を果たすものと確信をしている。  (編集委員 田中 利典)

「大峯山」

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「大峯山」
大峯奥駈というと、大峯山という名前をもつ特定の山があると思いがちだ。このあたりの地理をよく知らない人のなかには、大峯奥駈は大峰山という特定の山を中心に、おこなわれていると信じている人もいるらしい。
しかし、地図のどこを探しても、大峰山という特定の山はない。
では、どこを指して大峯山と呼ぶのかというと、広い意味と狭い意味の、二つある。
広い意味では、北の端の吉野山から南の端の熊野本宮に至る、一五〇〇メートル級の山々がつづく山脈全体を、大峰山と呼ぶ。具体的な山の名前でいうと、山上ヶ岳・弥山・八経ヶ岳・釈迦ヶ岳・行仙岳・笠捨山・地蔵岳・大黒岳などで、どれも仏教にかかわる命名がされている。
狭い意味では、山上ヶ岳の一帯を、大峰山と呼ぶ。ちなみに、この一帯は、いまでも女性が入ることを許さない。いわゆる女人禁制の場所だ。
また、大峰山には、証菩提山とか大菩提山という別名もある。「菩提」というのは、古代インドの言葉だったサンスクリット(梵語)で、悟りを意味するボーディを、漢字を使って音写したものだ。古来、山伏たちは大峰山に入ることで、菩提=悟りを得ようとしたので、証菩提山とか大菩提山という名前がつけられた。
なお、金峯山寺という寺の名前のゆらいとなった金峯山も、特定の山としては存在しない。広い意味での大峰山のうち、吉野山から山上ヶ岳に至るまでに山々を、総称して金峯山と呼んできた。
これらの山々をむすぶ尾根道こそ、まさに大峰奥駈道なのだ。その距離は、すでに述べたとおり、一七〇キロメートルほどもある。そこは、険しい山道だが、同時にこのうえなく美しい姿の山々、鬱蒼たる大森林、澄み切った水の流れる大渓谷が展開する場所でもある。一度でもこの道を歩けば、この一帯が吉野熊野国立公園に指定されている理由を、誰でも簡単に納得できる。それほど、素晴らしい場所なのだ。
そして、この大峯奥駈道を修行の場として選んだ役行者の、さらにそれを受け継いできた歴代の山伏たちの、見識がいかに優れていたか、誰でも実感できる。
 ー『はじめての修験道』(田中利典・正木晃共著/2004年春秋社刊)「第四章 修行の世界」より

「山の論理と都会の論理」

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「山の論理と都会の論理」

最近、百名山登山とか、中高年の登山が流行っていますが、どうも私は無宗教です無信心ですといった日本人のカルチャー、一神教的な価値観に洗脳されて西洋人と同様に自然を物として見る、畏怖する心を忘れた、そういう心で山との関わりを持つことに、大変な危険を感じています。

日本人はもっと敬虔な思いで自然と関わってきたのであります。山にいくと山の論理に従うことを前提に体も鍛えたし、準備もしたわけでありますが、今は自分達の論理、都会の論理でそのまま入っていくから道に迷って遭難するわけであります。

山に入ると誰も助けてくれません。万一の山岳事故になって、助けようとすると(山岳救助隊や経費やらで)大変なことになるわけであります。そういったことがどうもおかしくなっている。

今の日本人はどこか一神教的な価値観の上澄みだけに侵されているところがあって、西洋的な急作りの自分達の勝手な価値観で何でも行ってしまう。

私達の先祖たちはそんなことはしてこなかったはずだと思います。たぶん100年前にこの日本山岳会が設立なった時の先人たちというのは、明治以前のカルチャーをたくさん持った人たちが日本的な登山の形を踏まえて試行錯誤しながらお作りになったんだろうと思います。

今は明治以前のものって本当に少なくなってしまいました。私は、修験の身でございますが、修験も明治に殺されながら、まるで天然記念物のようになりながらも、なんとか生きてまいりました。

そんななかで、今申し上げたような価値観が実は残されているのだということを申し上げているわけです。そういった意味で、これからの日本的な登山のありかたを創造するというのが、大変大事なのではないか、と思うわけであります。

  ー日本山岳会創立100周年、関西支部創立70周年記念講演会・田中利典「役行者と修験道」(平成17年11月 於高野山大学)より

「あとからくる者のために」

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「あとからくる者のために」

今日は59回めの誕生日・・・朝から(正確に言うと4日ほど前からですが・・・(^_^;))、たくさんの方々にお祝いのメッセージをいただきました。

頑張ってお返事をしたり、いいねを押したりしていますが、全員の皆様にはなかなかお答え出来ません。お許し下さい。

でも、こんなにたくさんの方々にお祝いのメッセージをいただいて、ほんとに、とてもとても幸せです。

誕生日には常々、「ご両親に生んでくれて有り難うと言いましょう…」と人に言っています。

そういいながら自分自身は、実は母が亡くなる5年ほど前から、ようやく言えただけで、なかなか実際に実行するのは難しいですね。母も照れますしね。

母は平成23年になくなりましたが、亡くなる年も病床で、「生んでくれてありがとう」と言ったら、恥ずかしがってか、聞こえないふりをしてはぐらかされたことを、今でも懐かしく覚えています。

そんなわけで、3年前の10月に母を亡くして以降は、直接親に有り難うは言えない子供になってしまいました。まあこの歳まで言えたのは幸せは方だと思います。

それで、2年前からはお仏壇に向かって、有り難うを言うことにしました。 今日も自宅に帰ってきて、仏壇に2本の「みたらし団子」をお供えして、「おとうちゃん、おかあちゃん、生んでくれてありがとう」と言いました。

59回めの誕生日に、父や母のことを考えながら、ふと、坂村真民さんの「詩」を思い出しました。

今日、たくさんいただいた御礼に、その詩を転記します。

父母を思い、我が子を思い、世を思い、世界を思う。

そういう思いで、これからも、生きて行きたいと思います。

みなさまへの感謝を込めて・・・

******

「あとからくる者のために」  作 坂村真民

あとからくる者のために

苦労をするのだ

我慢をするのだ

田を耕し種を用意しておくのだ

あとからくる者のために

しんみんよお前は 詩を書いておくのだ

あとからくる者のために

山を川を海を きれいにしておくのだ

あああとからくる者のために

みなそれぞれの力を傾けるのだ

あとからあとから続いてくる

あの可愛い者たちのために

未来を受け継ぐ者たちのために

みなそれぞれ

自分で出来る何かをしてゆくのだ

*******

短い詩ですが、すばらしいです。

私は父母のあとからきた者。

子供や孫は私のあとからくる者。

それは親だけではなく、たくさんの先人達先輩達がそうだし、

これからあとに続くたくさんの若者達、子供達がみんなそうだ。

だれでもみんなが、誰かのために生まれてきて、

誰かのために生きている。

だからこそ、私も、あとからくる者のために、

私は私になりにちゃんと生きて行きたい。

そんなことを改めて感じた誕生日でした。

深謝。

「懺悔して身心を正常にする」

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「懺悔して身心を正常にする」

入峰修行では、修行者は声を合わせて山坂に来るたびに「懺悔懺悔(さんげさんげ)、六根清浄(ろっこんしょうじょう)と唱えながら足を進めます。

体の芯から声を出していきます。声を出して歩いていくことで、次第に余計なことが消えていき、なにも考えられなくなります。頭も空っぽになっていくのです。

「懺悔」は「さんげ」と仏教では読みます。キリスト教の「懺悔(ざんげ)とは、同じ字句ですが、仏典には「ただ懺悔の力のみ、よく積罪を滅す」と示されています。

「あらたむるにおそきことなし」です。生きていくとは、二度と履(ふ)み行うまいと、仏の前に頭を垂れなければならないことのいかに多いことか、そのことに気づかされます。

山を歩いていると、まことに懺悔懺悔の連続なのです。このように、身をもって懺悔し、自己を見つめていくことが、すなわち身心を清浄にしていくことになるのです。

私は、そもそも懺悔こそが宗教心の基本ではないかと思います。罪悪深重のおのれに目覚めることこそが、慈悲の心をつちかい、広く人々の幸せを願う生き方になるのだと思います。それを身体から実感させていただく入峰修行は、まことにありがたいと感じます。

  ー拙著『体を使って心をおさめる 修験道入門 (集英社新書)』より

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『体を使って心をおさめる 修験道入門 (集英社新書)』
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「自然は既に悟っているーその2」

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「自然は既に悟っているーその2」
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明治維新から約150年が経とうとしています。確かに、日本は経済発展を遂げましたが、現在の日本人のこころの依りどころ、もしくはこころの有り様というのは、既に取り去られて久しい気がいたします。哲学者梅原猛さんがおっしゃった「明治以前の取り戻すべき感性」があるとすれば(朝日新聞『反時代的密語』「神は二度死んだ」2004年5月)、まずそういったことを見直すところから入っていかなければなりません。

私は修験道の立場から発言しますから、修験者として言...っていますが、私は別段、「修験道だけが優れている」と思っている訳ではありません。確かに、修験道には、今日申し上げたように、たくさんのキーワードが残されていますが、同様に、神道にも仏教にも数多くのキーワードが残されているのです。ただし、近代合理主義の弊害に気付きがないと、なかなか元々からあった、日本人の多様な精神文化を取り戻すことは叶わないように思います。

「宮参りもするが、墓参りもする」日本人の心情というのは、決して卑下するものではないと思います。一神教を信じる人たちが行っているように、ひとつの価値観で物事を括ろうとしている限り、いつまで経っても争いは絶えません。日本においては、イスラム教徒とキリスト教徒が喧嘩しているのを、私はついぞ見たことがありません。日本人が全てを受け入れてきたように、「多様なものを持っている」ということが大事です。

「多様性」とは、単に宗教だけを指すのではなく、自然との関わり、人との関わりの中で育まれるものでもあります。「日本には四季があり、豊かな自然環境がある」また「地震や台風など、自然災害が多い国」と言われますが、もし、日本がもう少し北に位置していれば北方文化(大陸・遊牧文化)になったでしょうし、もう少し南に位置すれば南方文化(海洋・漁労文化)になっていったのです。しかし、日本は、中国や韓国から(儒教や仏教や道教といった高度に体系化された)文化が入ってくる一方、北方及び南方からも、それぞれ独自な文化が入ってくる反面、南東側は地球で一番広い太平洋だけが広がっている・・・・・・すなわち、諸文化の集積地だった訳です。それが、多様な文化を並立して育んできたのです。

むしろ、こうも言えるのではないでしょうか。「もしかすると、ひとつの価値観で括ろうとすることで衝突が起こり、自然をもの(対象物)として見ることで破壊を進めてきた二十世紀の反省を促す、あるいは提言を与えられるような価値観を日本の歴史・文化は持っているのではないか」と・・・・・・。

ぜひ、宗教者のほうから、今後そういった提言を続けていく、そういうことが大切なのではないかと思います。今の日本は、何処に立っているのか? これから何処へ行こうとしているのか? 明治以降、宗教者もある種そういう価値観(近代合理主義)に手を貸し、共に歩んできた面があったと思います。しかし、もう一度明治以前の価値観を見直すことを自らの教えの中に見出すことが出来れば、より日本を活性化させることに繋がるのではないかと思います。

 ー大阪国際宗教同志会 2005年度総会 国際シンポジウム記念講座「水・森・いのち」より
 

「自然は既に悟っている」

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「自然は既に悟っている」
修験道の教義で最も大事なことは、「自然は既に悟っている」ことだと思います。難しい教義で申しますと、「本覚(ほんがく)」と「始覚(しがく)」と言うのですが、もともと(自然が)悟っているから、修行することによって始覚山伏が本覚になれる訳です。

すなわち、「大自然は既に悟っているから、そこへ分け入って修行することで、人間も悟ることができる」のです。ですから、本覚になるための修行の場が、先ほど申し上げたような大自然の中です。これこそが、修験道の教義の根本ではないかと思っております。...

縷々申し上げましたが、一神教というのは、イスラム教でも、ユダヤ教でも、キリスト教でも、人の上に超越(絶縁)した存在としての「神」がいます。それに対し、われわれ日本人の感性においては、「自然の中に神も仏もいる」、あるいは「自然そのものが宇宙神である大日如来(天照大神)」であったりする訳です。そして、人の営みもまた、自然の一部なんです。

環境問題を考える時、自然をもの(対象物)として突き放して見ている限りは、本当の意味における環境問題の解決策は生まれてこないと思います。これからは「人の営みも、神も仏も自然の一部であって、自然そのものがすでに大きないのちである」といった視点が必要であり、逆に、これを妨げる存在は何か? というと、それが「近代合理主義」だと思います。

私たちは明治以降、この「近代合理主義」に少し洗脳されてきたのではないでしょうか?

面白いことに、日本人は生まれたら宮参りを、お盆やお彼岸には墓参りを、そしてお正月には初詣をします。結婚式に至っては、八割方がキリスト教式か、神式です。その上、クリスマスにはキリスト生誕のお祝いをし、死んだらおおかたの人がお坊さんを呼んで葬式を出します。そんなことをしているにも関わらず、「あなたは宗教を信じていますか?」と人から尋ねられると「いえ、私は無宗教です」とか、「私は無信心です」と言うでしょう? これはおかしいと思いませんか?本当に無宗教(無信心)の人ならば、そんなことはしません。

では、何故、皆このように答えるのでしょうか? 確かに、一神教を信ずる人たちから見れば、「宮参りをし、クリスマスを祝い、法事をするような」無節操な人々は無信心です。けれども、それは一神教を信じる人々の価値観であって、日本人はずっとそういうことをやってきた訳です。


 ー大阪国際宗教同志会 2005年度総会 国際シンポジウム記念講座「水・森・いのち」より

「身の苦によって心乱れざれば、証課自ずから至る」

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「身の苦によって心乱れざれば、証課自ずから至る」

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役行者の教えのなかで、最も大切なもの。それが「実修実験」だ。「修行を実践して、体験を実現する」という意味で、同じことを「修行得験」と表現する場合もある。

こういうと、なんだかとても難しそうに聞こえるが、ようするに、自分自身の身体で体験しなければ、なにもわからないということだ。言い換えれば、いくら頭でわかったつもりでいても、それではダメということだ。あくまで身体をとおして学ぶことが大切なのである。

しかし、だからといって、身体ばかりに頼っていては、やはりまずい。修験道の修行は、運動競技とはちがう。「ファイト! ファイト!」の、いわゆる体育会系の発想では、身体は鍛えられても、心がおろそかになってしまいがちだ。

この点について、役行者は「身の苦によって心乱れざれば、証課自ずから至る」(『役行者本記』)と述べている。「修行を積んで身体を苦しめなさい。もし、その苦しみによって心が乱れないならば、悟りの境地も神通力(超能力)も、ごく自然に身に付く」という意味だ。

きびしいトレーニングによって身体を鍛え上げていくと、人によっては、心が乱れて、獣的になってしまうことがある。アテネ・オリンピックでも、ハンマー投げのアニシュみたいに、禁止されているドーピングまでして金メダルを獲ろうとした連中がけっこういたが、ああいう連中はまさに心が獣化している。

同じようなことは、残念ながら、宗教の世界でもある。とくに修験道のように、きびしい修行を課して身体を鍛え上げなければならないタイプの宗教の場合は、その傾向が強い。そういう点を、役行者は注意しているのだ。

きびしい修行を積んで自分自身の身体を鍛え上げていくことが、自分自身の精神を鍛え上げていくことに直結するように、心掛けなさい。それが役行者の教えといっていい。

もちろん、きびしい修行を積んで自分自身の身体と精神を鍛え上げていくことは、いつの時代でも、辛く苦しいことだ。

ところが、私たちの現代文明は、人間を、とりわけ人間の身体を、辛さや苦しみから解放することをめざしてきた。ひたすら楽に、ひたすら快適に、が現代文明の方向だった。いわゆる文明の利器、つまり自動車も飛行機も電化製品も、インスタント食品も冷凍食品もレトルト食品も、みなそのために開発されたモノばかりだ。その結果、現代人は楽することや快適に過ごすことに慣れきってしまっている。

しかし、楽することや快適に過ごすことの果てに待っていたのは、病んだ身体と心だった。豚みたいに食べて肥満になり、高血圧になり、糖尿病になり、心臓病になる。心を病んで、うつ病になり、人格障害になり、無気力になる。うつろな心を満たすために、ブランド品を買いあさり、お酒に依存し、ドラッグに依存する。お金を儲けるために、自分の身体すら売る。

こういう悪癖にはまりこんでいる現代人にとって、きびしい修行を積んで自分自身の身体と精神を鍛え上げていくことは、これまでのどの時代に生きた人々よりも、辛く苦しい。しかし、現代人がこのどうしようもない悪癖から抜け出し、清浄な身体と心をとりもどすためには、もう一度きびしい修行によって、自分自身の身体を鍛え上げ、自分自身の精神を鍛え上げるしか、もう道はないのではないか。

「きびしい修行によって身体を苦しめて、しかもその苦しみに負けないならば、心は浄められ、解放される」。役行者のこの教えこそ、現代人にとって最高の贈り物といっていい。

 ー『はじめての修験道』(2004年春秋社刊)「第四章 修行の世界」より

「地蔵盆に・・・・」

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8月24日は地蔵盆。金峯山寺では千体地蔵さまの施餓鬼法要を営んでいるが、何年か前に自坊にいたときに書いた文章を転記する。

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「地蔵盆に・・・・」

過日、家の近くのお地蔵さんで地蔵盆のお参りをした。近所の子供達と親が集まり、掃除をして、お供えをして、お勤めをしたのだ。

お勤めは般若心経と地蔵菩薩の真言。「おん・かー・かー・か・びさまえー・そわか」と子供達にもお地蔵さまの真言を教えて、一緒にお唱えをしてもらった。

いつの頃からか、日本人は無宗教であるという流言が世間に充ち満ちている。耐えられない流言だ。日本人は決して無宗教であるはずがない。日本人ほど宗教的な民族はいないといっていくらい宗教的なのだ。ばかな文化人か、欧米政策に踊らされた売国奴の人種が垂れ流す誠に無知な流言なのである。

なにをもって日本人は宗教的な民族であるかというと、冒頭に書いた地蔵盆の光景などはその典型的な一例である。

村の辻辻にはお地蔵さんが祀られていて、その土地土地に住む子供たちの成長を見守り続け、子供達も村々の鎮守様同様に、辻の地蔵様を拝んできた。そんなことは誰でもが知っていたし、どこでも行われていたことだった。無宗教の民族がそんなことをするはずがなく、いまだ細々ながらでも続けられているはずがない。

子供のそばでいつも見守るお地蔵さんのことは誰もが知っている。 お地蔵さんも拝む、村の鎮守さまも拝む、家の仏壇も拝む、神棚も拝む…それは日本独自の習俗や信仰なのかもしれない。少なくともキリスト教やイスラム教など一神教社会のような唯一絶対の神だけしか認めない民族からすれば、いろんな神さん仏さんを雑多のまま拝んでしまう日本人は無宗教に映るかも知れないが、四季の恵み豊かな日本の風土は、一神教を誕生させた砂漠の民たちには理解できない、多様な価値観を肯定する優れた感性が培われてきたのだ。地蔵盆のお勤めをしながら今更ながらそんな思いを抱いていた。

 

「おん・かー・かー・か・びさまえー・そわか」のかーかーかーとはお地蔵さんの笑い声である。子供と共に生き、子供の成長を見守り続けた地蔵様の歓声である。この声が聞こえる限り、日本の明日はまだまだ捨てたもんじゃないと思っている。

子供達に地蔵さんの真言を唱えさせながら、いつまでもこの地蔵さんの笑い声がとぎれない日本の民衆文化を自負心を持って、継承させていきたいと願うものである。

        (宝) ー金峯山時報拙著コラム「蔵王清風」掲載文から

「ものをなすということ」

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「ものをなすということ」

1つは、私が無いこと。「無私」であること。自分の欲とかが前に出ると「こと」は成りにくいですよね。

もちろん、私だって欲はありますよ…、ありますけど、やはりものごとを「私」しないというのが、人と一緒に仕事をする上で、ものが成る1つの大事な要素だと思います。

もし、私のこれまでの活動も、世界遺産登録をして何か金儲けをしようとか、地位を上げようとか、そういう私的な目的がどこかにあったら、協力してくれる人がすごく減っていたと思うんですね。

そういう意味では、ものを成す上では、なるべく「私」が少ない方がいい、ということを常に思っています。当然、人間には「私」がありますが、出来るだけ無いほうがものは成りやすいでしょう。

次に、理念が大事だと思います。理念というか、目的というか、そういうのをきちんと持っていて、それを全て皆に披瀝するかしないかは別にして、きちんと最初に理念というかコンセプトというか、そういうものを自分の中に持っていないと、途中でわけわからなくなってしましますから。

それが確立していると、臨機応変にいろいろな発想や可能性を皆が生んでくれる。「私」がないことと、理念をきちんとして、コンセプトを持っておくというは大事なものを作っていく要素だと私は思いますね。

    ー宇宙航空研究開発機構インタビュー2005年「 宇宙飛行士と山伏修行」より

「菩薩のこころ」

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相変わらず、夜中が寝られない。昨夜は9時半に床についたが、やはり先ほど眼が醒めた。それで、ネれないので、プチ著述集をアップする。今夜はちょっと私的な思いのある文章である。

実は昨日の昼間、長年、おつきあいをいただいた先輩行者さまが蔵王堂を参拝された。私とは45年くらいのおつきあいとなる。つい、この春までは元気にご一緒していたのに、密かに病気が進行していて、気がつかれたときには手遅れといえるほど、病魔に犯されていたのである。でも、どうしてももう一度、吉野に参拝したいというお気持ちで、その意に添って、娘さんがストレッチャー寝台車を手配され、介護車に乗って上山されたのだった。

6月に2度、お見舞いにいったが、そのときには、まだ病室でなんとか会話も出来た。でも今回はもう会話は出来なかった。でも私の言葉に眼で答え、指をしっかり握っていただいたのが、どうにもせつなくて、たまらなかった。

蔵王堂内では山内のみんなで、ご法楽のお勤めを一緒にした。本尊様の御宝前で、ストレッチャーの上に横たわったままだったが、行者さんのまわりで、いままでお世話になってきた学僧や、山内僧侶が法螺やお経をともに唱えたのだった。

話はここからである。ご法楽を終えて、みなから少し離れたところで、娘さんから私だけに話があった。「総長さんですね。いつも母が総長さんが書かれた機関誌の文章を切り抜いては大事に持ってカバンに入れていたんですよ・・・」と、ビニール袋に、大事そうに覆われた拙著の随筆の切り抜きをみせていただいたのである。それをみて私は涙が止まらなかった。

今夜は元気になってもらいたいと思いをこめて、その文章をアップする。

**************

「菩薩のこころ」

修験道は開祖役行者以来の菩薩集団である。役行者は神変大菩薩と称されたが、その末徒たる我々修験の徒はすべからく菩薩行を行じる者でなくてはならない。

さて、菩薩の教えというものは世界共通なのだと思う。そう思ったのは、かの修道女の聖者マザーテレサが残したある言葉に出会ったときだった。キリスト教も仏教も修験道も、聖者の目指すところ、願うところは同じなんだと心に響いたのである。

その言葉を少々長いが以下引用する。

   ◇

 人は不合理、非論理、利己的です。
 気にすることなく、人を愛しなさい。


 あなたが善を行うと、利己的な目的で
 それをしたと言われるでしょう。
 気にすることなく、善を行いなさい。


 目的を達しようとするとき、
 邪魔立てする人に出会うでしょう。
 気にすることなく、やり遂げなさい。


 善い行いをしても、
 おそらく次の日には忘れられるでしょう
 気にすることなくし善を行い続けなさい。


 あなたの正直さと誠実さとが、
 あなたを傷つけるでしょう。
 気にすることなく
 正直で誠実であり続けないさい。


 助けた相手から
 恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。
 気にすることなく助け続けなさい。


 あなたの中の最良のものを
 世に与え続けなさい。
 けり返されるかもしれません。

 気にすることなく、
 最良のものを与え続けなさい。
 気にすることなく、
 最良のものを与え続けなさい…。 (マザーテレサ)

大乗仏教における善とは「上求菩提下化衆生」に叶う生き方をすることであり、それに叶わない生き方が悪であるとされる。「上求菩提下化衆生」とはいわゆる菩薩行のこと。

人生にはいろんなことがあり、いろんな障害や、いろんな人間に会うが、その都度、自分の生き方を菩薩行に問うて、考えたいと、改めで、マザーテレサの言葉に思った。

マザーテレサは死後も、いろいろ批評がある。賛否両論があるが、それらのことを踏まえるからこそ「あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。気にすることなく、善を行いなさい・・・」と言い放つマザーの言葉は、更に私の胸を打った。評価は後世に託すので、いいのだと思う。

  ー金峯山時報平成25年8月号掲載拙著「蔵王清風・菩薩のこころ」から

*************

行者さんは、なぜか、この文章だけをとても大切に持っておられたのである。

長い人生、いろんなことがあったに違いない。それだけに、修験行者の菩薩として生きて来た自負として、私の文章を肌身離さず持っていただいていたのかもしれない。

もう前のように元気で、頻繁に上山していただくことは叶わないかも知れないが、少しでも元気になっていただきたいと、心より願ったのであった。

新TV見仏記⑪ 吉野編 ・・・今夜放映!

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みうらじゅんさんといとうせいこうさんの「 新TV見仏記⑪ 吉野編」の放映は今夜の夜中・・・というか、明日24日午前1時35分から2時35分まで。桜本坊や金峯山寺など、吉野の寺社が取材されています。

私はみうらさんとは以前に雑誌で対談したこともあり、ついつい説明しすぎて、デレクターさんに叱られたという、珍しい取材でした。ま、そんなことで、おしゃべりはカットされている可能性大ですが、でも、ちょこっと映るかもしれません。

夜中なので、録画でもしてください!中味はちょっと心配です。

ともかく、ポップな蔵王堂になっていると思うのですが・・・。

番組サイト=http://www.ktv.jp/kenbutsu/index.html

なお、DVD「 新TV見仏記⑪ 吉野編」は 2014年11月26日リリース!

詳細は以下↓
http://www.tc-ent.co.jp/products/detail/TCED-2390?prev=lineup

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「急告!弘法大師の道トークセッション参加車募集」

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「急告!弘法大師の道トークセッション参加車募集」

今年5月に開闢再興した吉野と高野を結ぶ「弘法大師・吉野ー高野開創の道」トークセッションを9月19日夕方、東京有楽町の東京フォーラムで開催することになり、私も出演する。

トークのお相手は高野山大学名誉教授の村上先生。
 

もともとこの「弘法大師の道プロジェクト」の発端は、5年前にさかのぼる。私と同郷人で、金剛峯寺執行であった村上執行との出会いがはじまりだ。その年、那智勝浦町で開催された世界遺産シンポジウムで、たまたまパネリストとして村上先生とご一緒した。歳は10数年違うが、同じ京都府綾部市の出身だということで意気投合した私は、当時、村上執行が着手されていた、高野山開創の道調査の助勢を依頼されたのであった。
 
 
高野山開創の道とは、高野山を開かれた弘法大師空海が、最初、吉野から大峯に入り、高野の地に至られたという伝説の道である。

 
『性霊集』など弘法大師に関わる幾つかの文書に「空海、少年の日、吉野から南に一日、西に二日行きて、幽玄の地に至る。名付けて高野という」と記されるが、その高野へと導かれた道を探そうというのが開創の道の企画であった。高野山から天辻峠までの和歌山県側は調査を終えたが、そこから先は奈良県側なので、「お前、手伝え」と同郷の大先輩から命じられた。

そこで私は、即座に奈良県庁の友人に連絡をして、奈良県挙げての事業として取り組んでもらうこととしたのである。

あれから5年。何度かの調査踏破を重ねて、ようやくこの5月に、吉野ー高野を結ぶ弘法大師高野開創の道を再興するところとなったのであった。

吉野と高野の聖地を結ぶ道は来年に開創1200年を迎える高野山の慶祝プロジェクトであるとともに、平成の御代に新たな意味をもって、吉野と高野の聖地同士を繋ぐ壮大な事業となった。それは世界遺産登録十周年を迎えた「紀伊山地の霊場と参詣道」の内、唯一繋がってなかった吉野と高野の間を結ぶことで紀伊山地の世界遺産霊場全体を一体化することでもある。

そういった意義や今後のこの道の可能性について、私と村上さんで熱く、東京の人たちに語りかけるというトークセッション。入場無料なので、近隣の方は是非おいで頂きたい。定員になり次第、クローズするんで、お急ぎください。来週月曜日から、申し込みは受付ている・・・はずです。詳細は以下。

  **************

□弘法大師の道トークセッション
「空海はそのとき、なにを考えたか~吉野から南に1日、西へ二日」

日 時 2014年9月19日(金)
    18:30開演(18:00開場)〜 20:00頃まで
会 場 東京国際フォーラム ガラス棟7階 G701
    (東京都千代田区丸の内3丁目5番1号)
入場料 無 料
主 催 奈良県
事前申込み 必要(先着順)定 員100名

(申し込み方法)
・ハガキまたはFAX
 必要事項(講演名・講演日・住所・氏名(ふりがな)・電話番号・年齢・
 参加希望人数)を明記いただき、奈良県地域振興部南部東部振興課あてご送付ください。
・Eメール
 必要事項を明記いただき、次のアドレスまでお送りください。
 kobo@office.pref.nara.lg.jp
※聴講券等の発行はいたしません。定員に達し次第、お断りする場合のみご連絡いたします。
※申込後にキャンセルされる場合は事前にお知らせください。

○お問い合わせ先
  奈良県地域振興部南部東部振興課
  〒630-8501 奈良県奈良市登大路町30番地
  電話 0742-27-1515 / FAX 0742

「秘仏本尊・蔵王権現」

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「秘仏本尊・蔵王権現」

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大きな蔵王堂の中には、これまた大きな秘仏本尊である三体の蔵王権現がまつられています。さらには、高さが四・五九メートルもある松材寄木造りの蔵王権現像が堂内の回廊に客仏として安置されています。

客仏というのは、この堂内にまつられるために造られたものではなく、諸事情によって本来の場所ではないところに納められている仏像のことで、金峯山寺の客仏は、明治の廃仏毀釈のときに山内から蔵王堂に移されたものです。

秘仏本尊に次ぐ大きな客仏の蔵王権現もまた、かつて奥千本にあった安禅寺蔵王堂のご本尊でしたが、明治の廃仏毀釈で寺が壊されたため、ここに移されたのです。

それにしても、なぜ、蔵王権現の本尊は秘仏なのでしょうか。

蔵王権現というのは「仮に現れた姿」です。それを隠すというのは論理的に矛盾しますし、隠すような大きさの像ではありません。また、文書にも秘仏という記載はありません。私は、これについて「蔵王権現像はもともと秘仏だったわけではなく、歴史的な必然で秘仏になった」という結論に達しています。

常時開帳していたわけではなかったようですが、明治以前は人々が蔵王権現を拝むことができていました。本居宣長による吉野の紀行文『菅笠日記』にも、蔵王権現を、前にかかっていた戸帳を開けて参拝した様子が残されています。

しかし、金峯山寺が廃寺まで追い込まれた法難の時代に、明治政府は「蔵王権現はまつってはならぬので、お像を外に出して壊せ」と命じました。ところが、蔵王堂は、蔵王権現を造りながら建てたお堂でしたから、蔵王堂ごと壊さないと本尊を外に出すことができない構造だったのです。ですから当時、私たちの先人たちは苦慮の末、扉を閉めて拝めないようにした上で、ご神体としての鏡を前面に置いて法難の時をしのいだのです。

のちに金峯山寺は仏寺に復帰してもとの信仰を取り戻しますが、蔵王権現参拝はいったん政府により禁止されたものであったがゆえに、禁止令以降は幕を掛け、秘仏として扱うようになった……「秘仏・蔵王権現」というのは、まさに先人たちの知恵によって守られてきた歴史の証であると、私は思っています。

  ー拙著『体を使って心をおさめる 修験道入門 (集英社新書)』より

*秘仏ご本尊は今年、吉野大峯の世界文化遺産登録10周年記念行事として11月1日から30日まで1ヶ月間ご開帳されます。


『体を使って心をおさめる 修験道入門 (集英社新書)』
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「世界遺産吉野大峯、最初の提言」

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相変わらず、夜中に目が覚める・・・(>_<)

で、シリーズ、過去の著述プチ掲載です。

*********

「世界遺産吉野大峯、最初の提言」

世界遺産登録に手を挙げたのは、吉野大峯の聖地性、歴史性を地元の人に自覚していただきたいという思いからで、修験者自身がもう少し自負心を持ってほしいとも思ったからです。

また、壊れつつある大峯の自然環境と修行の場を守っていきたいとの思いもありました。世界遺産条約の精神は、それぞれの国の固有の文化を共通の宝物として守っていこうということが根本にあり、そういったことをより所に「紀伊山地の霊場と参詣道」でも推し進めていきたい。

山岳修行の霊場、あるいは山岳信仰の場が世界遺産になったわけですが、それらは自然との関わりを大切にしてきた日本人独特の精神文化です。

今回の世界遺産は日本人の基礎の部分をなしてきた神仏習合、あるいは自然との深い関わりの中に何をみていくか、ということを一番の課題として提言するべきであると思います。

ー『文化遺産に関する国際シンポジウム(2004.7.31 於奈良新公会堂)』「紀伊山地における文化遺産について」

*ちょうど10年になりますねえ・・・シンポジュウムの公式サイト
  ↓
  http://www.nara.accu.or.jp/newsletter/sekaibunkanews11/symposium.html

「外国人と修験道」

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「外国人と修験道」

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外国人の方も最近は修行においでになりますが、参加して貰うには条件があります。それは日本語ができる人以外は修行には連れて行かないということ。

なぜなら、私たちがフランスに行ってフランスの文化を学ぶ時や、アメリカに行ってアメリカの文化を学ぶ時は、フランス語なり英語なりができないと学べないわけであります。

同じように外国の方が日本に来て、修験道という日本人にさえわかりにくいような日本の文化を学ぶのであれば、まず日本語を勉強しなさい、と思うのです。

またね、日本語を学んでいないと大変危ないのですよ。

修行ではまだ外が暗いうちから歩くのですが、道中、暗闇の中で「段差注意」とか「根っこ注意」とか、注意が飛ぶんです。前にいる人たちは見えますけど、行列の中の人間は見過ごしてしまうので伝令を伝えていかないと、事故に繋がる。

ところでね、一昨年の奥駈修行にドイツ人が来ましてね、途中で伝令が何度もとぎれるのですよ。「何してんねやー」と先達が怒るのです。「いやぁ、ドイツ人が日本語がわからへんから、そこでとぎれて後ろに伝令が行かない。」となったわけです。

これは大変に危ない。このように実際に危ないこともあるので、私たちは参加者はすべからく日本語ができることを前提にしていて、そういう人しか連れて行けないのです。

富士山世界文化遺産国際シンポジウム
-「テーマ・世界遺産と富士山の象徴性パネルディスカッション」より
 於 2008年11月9日 富士市交流プラザ多目的ホール

「災害日本と祈り」

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昨日の広島市安佐地区の豪雨災害は大変なことになっていますね。数日前に、自宅で豪雨の恐ろしさにおののいたので、とても他人ごととは思えません。

被災された多くの方々に心よりお見舞いを申し上げます。また亡くなった方のご冥福をお祈り致します。

・・・ちょっと前に書いた文章ですが、再掲載します。

***************

 
「災害日本と祈り」
あの東日本大震災からすでに3年が過ぎました。被災地に生きるみなさんの苦渋の生活は未だ復興の行く末もみえぬまま、日本全体といえば「のど元過ぎれば熱さ忘れる」の態で、まるで「あれはなかったことにしよう」とばかりの様相。原発再起動などのことも含め、震災以前の状況に戻そうという世の流れを憂います。

しかし、全国民的に「決してなかったことになどできない」っていうことを知るべきだと私は思います。自分の出来る範囲を越えてでも、出来る限りの復興支援を続けて行かなければならないと思っています。

さて、あの大震災で人々を救ったものには三つがあったと言われています。そしてその三つは、戦後の日本が忌み嫌い続けたモノでもあったとも言われます。

一つめは自衛隊・軍隊でした。被災地を献身的に支え、多くの人々を救済し、孤立した人々に命懸けで手の差し伸べたのは、自衛隊でした。また賛否両論があるとはいえ、アメリカの海兵隊もトモダチ作戦のもと、たくさんの日本人を助けてくれました。

二つ目は、天皇陛下でありました。東北の被災地の人々だけではなく、未曾有の災害に心を病んだ日本人全体の心を支えたのは、時の総理大臣の言葉ではなく、天皇陛下の、国民へのお見舞いのお言葉でした。また病身を押して、自らたびたび被災地や避難所見舞われた、陛下ご夫妻のお姿だったのです。

大東亜戦争の敗戦後、自虐史観と左翼主義に陥ったこの国の人々は自衛隊と天皇制度を忌避続けてきたように思います。しかし未曾有のあの状態の中、国民の光となり得たのは、まさに自衛隊と天皇陛下でした。

もう一つは、祈り、であります。

家族、肉親、友人を亡くし、心砕ける想いで生き残った人たちは、逝った人々への鎮魂を祈り、またもうこれ以上の災害が起こらないで欲しいと、願いました。祈りや願いさえ失い絶望した人もあると聞きますが、生き残った人のほとんどは、祈りや願いの中に生きる力を得て、うつむくことを止めたのでした。それを宗教と呼ぶのは語弊もあるでしょうが、そもそも日本人の宗教とは、日々、神や仏や、先祖や自然の恩恵への、祈り、願いが本質であります。

戦後の日本は政教分離のもとに、この日本人の本質である、神仏への祈りさえ忌避続けてきたわけですが、あの未曾有の大災害は、自然への畏怖・畏敬や、神仏への祈りの記憶を呼び覚ますほどのすさまじさだったのです。

あの大震災を「なかったことにしてはいけない」とするなら、この災害日本と言われる風土の中に生きて、育みつづけてきた日本人の神仏、自然への祈りを、今こそ取り戻すべきときだと私は確信しています。

強欲資本主義によって、これ以上この国の風土と文化を壊してはいけない、そこに多くの人々が気づいてほしいと、年頭に当たり、新たに、願わずにはいられません。

    ー「仏教タイムス紙年頭」所感記事から転記

*****************

改めて、祈りの心を考えたいと思います。

 

「十界修行」

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「十界修行」

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入峯修行ではただ単に行ずるのではなく、その方法として十界修行をあてているが、その十界修行とは次の十をさす。

一、地獄界…忍苦(地獄は八寒八熱の苦しい世界。入峯修行の際、炎熱に苦しみ、風 雨寒冷をしのいで耐える地獄道克服の修行である)

二、餓鬼界…知足(餓鬼は貪欲にして飢渇に苦しむ世界。入峯修行の際、空腹を感じ 水に渇するも、不平不満を言わず粗食に甘んじて、足ることを知る餓鬼道克服の修行である)

三、畜生界…労役(畜生は重い荷物を背負って苦役に使われる。入峯修行の際、重い荷物を背負い急坂を登り、労苦をいとわないことが畜生道克服の修行である)

四、修羅界…精進(修羅は闘争に明け暮れる。この心を、精進努力する精神に転ずる。峯中人に遅れないよう努め、奮発の心=勇猛心を起こすことが修羅道克服の修行である)

五、人間界…抖數(心の罪垢煩悩を払い、本有の心に生まれ変わる行。懺悔をし諸悪莫作、諸善奉行に励み一歩一歩頂上に向かう人間の修行)

六、天道界…歓喜(天は歓喜の世界である。山頂の絶景を楽しみ、喜びに満ちて寿命の延びる思いのするのは天道の修行である)

七、声聞界…聞法(先達に従って法を聞き、先規に通達して心を浄めるは声聞の行)

八、縁覚界…沈思(自然の縁にふれて覚る行。沈思して大自然の声を聞き、迷いを振り払う修行)

九、菩薩界…奉仕(同行相助け、自他を分けない上求菩提下化衆生の菩薩行である)

十、仏 界…感謝祈念(峯中、大自然と一体となり仏と一体となって感謝の気に満ちて世界平和、浄仏国土を祈る修行)

この十の段階を実際に山修行での日々に体験させてくれるのが修験道の実践主義の大きな特徴と言える。

ー『大法輪/2005年4月号 大法輪閣刊』拙稿「修験道の入峰修行」より

*修験は実用的な面とは別に、法衣や修行の行為に深い教学的な意味を付加させている。なかにはかなり後付けがましい感もあるが、教行一致は大切な教えとも言える。威儀即仏法でもある。ただ、実際に山に行き、体験すると、きつい登り坂に地獄の苦しみを感じ、山頂を吹き抜ける風に仏の慈悲を目の当たりにするといったように、十界の様を実感する、どこかで腑に落ちる世界があるのが有り難い。

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「世界遺産と吉野大峯」

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「世界遺産と吉野大峯」

吉野大峯から熊野に至る紀伊山地一帯、中でも修験道の伝統を残す大峯奥駈道は、神仏宿る聖地として日本固有の宗教文化を最も色濃く今日に伝える貴重な文化遺産である。

異なる宗教の共生、自然と人間との共生という二重の意味で、前述の世界遺産の精神とも重なり合うこの宝物をきちんと守り活かしてゆくことは、真に豊かな日本の国家を築くことのみならず、ひいては世界に対して共存共生の一つのお手本を示すことにさえなり得ると確信するものである。

キリスト教やイスラム教のような一神論的なもので世界全体をグローバル化することの綻びは、21世紀の幕開け年に起きた米国同時多発テロやそれに関わる不幸な紛争によって世界も認識するところであり、むしろ修験道や山の宗教が持ち得た多神教的な、互いの価値観を認め合うところにこそ、共生の源があるのではないだろうか。

『紀伊山地の霊場と参詣道』の大峯奥駈道が世界遺産として持ち得る意義は、役行者以来、長年にわたり受け継がれてきた日々の修行の実践を通じて、環境破壊と宗教対立に満ちた今日の世界に向けて伝えることのできる数多くのキーワードを有していることである。そういう視点を活かすところから大峯の世界遺産登録を見つめて欲しいと願うものである。

修験道に生きる筆者からの、大峯の世界遺産に関する提言と願いである。

ープチ著述集260820 『吉野・大峯の古道を歩く―紀伊山地の霊場と参詣道 』(歩く旅シリーズ 街道/山と渓谷社大阪支局 2002.10刊)拙稿「大峯奥駈の世界」から

*10年以上前に書いた文章ですが、まだまだ新しさがあると思うのは自画自賛??ちなみに今年は登録10周年です。

「山川草木悉皆成仏は日本ならでは」

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「山川草木悉皆成仏は日本ならでは」

仏教でね、山川草木悉皆成仏(さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)という思想がありますが、日本人はこれをよく見聞きしてますよね。

これ、山も川も木も草も全部仏性を持っていて、成仏するんだという思想なのですが、実はもしこれをお釈迦さんが聞いたらきっと腰を抜かすほどビックリされると思うのです。

お釈迦さんは決して、木や草やまして石や岩に仏性なんか認めていないのです。これは中国を経て日本に伝わって来た仏教が、ある種、もともと日本にあった神道的なものと融合して出来できた、いわば日本独特の思想なんですね。八百万の神ですね。

修験というのは、そういう思想というか、自然観の上に成り立った宗教なのです。日本独特のカルチャー、文化というのをまず自覚することが大事なのです。

先ほどの繰り返しになりますが、西洋人が北斎の版画を見て感動するのは、版画自身が富士や波の絵の中に聖なるものを感じる感性のもとに描かれいるからなのです。

それは、少なくともキリスト教以降の欧米にはなかったカルチャーなのです。だから、欧米人も逆に感動するのです。それは、私たちが伝え保持してきた大変大事なものなのです。この自覚は、富士山の世界遺産登録を見ていく時に非常に重要であるということを、繰り返し申し上げておきたいと思います。

で、修験という大変わかりにくいものや、修験が成り立つ吉野・大峯の価値をどう伝えるかというのは、頭の中だけで考えると難しい。しかし、私自身が実践を通して、先ほど見ていただいた山修行の中に見つけることが出来た。

明治以降の日本は近代化することによってそれ以前のものを随分損なっていくのですが、明治以前のものを見ようとした時に、山修行にはたくさん残されている。

神も仏も分け隔てなく、尊んでいく…、自然の中にある自分を超えたものへの畏怖を持ち、崇めていく。そういったものは近代以降本当に急速に衰えていったのだけれども、私が奥駈修行で得た体験的なものをそのまま伝えることで、理解されるようになった…、世界の人々に届いたのではないかと思います。

実際に私自身が世界遺産委員会に行って話したり、しゃべった訳わけではないのですが、日本の調査官やイコモスの調査に立ち会う時など、担当の人たちに訴える中で、奈良県での推薦の道筋が開けてきたのではないかと思っています。

富士山世界文化遺産国際シンポジウム
-「テーマ・世界遺産と富士山の象徴性パネルディスカッション」より
 於 2008年11月9日 富士市交流プラザ多目的ホール

*写真は奥駈仲間で富士登拝修行をしたときのもの。

「修験道と21世紀の宗教の要諦」

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「修験道と21世紀の宗教の要諦」

私は、宗教学者の正木晃先生と大変親しくしており、『はじめての修験道』(春秋社刊)と言う本を二人で書いたりもしたのですが、先生は修験道の可能性について、この様に言っておられます。

二十一世紀型の宗教の要諦は、五つ。
まず自然と関わりを持った宗教でないと、これからはしんどいであろう。

それから、参加型であること。お坊さんが拝んで、後ろで信者さんが拝むのではなくて、一緒に行じる、一緒に菩提心を養っていく、そういうような参加型でないといけない。

それから、実践的でないといけない。頭の中だけでことを運ぶのではなくて、実践的な宗教でないと、二十一世紀にはしんどいであろうと。

それと、心と体に関わること。
そして、排他的でないこと、いわゆる総合的であること。

修験というのは、まさに自然を道場に行ずるわけであります。また、奥駈修行にしろ、山の修行にしろ、一般の方も一緒に歩いていただいています。まさに参加型であります。それから、実践の修行であるから、当然、実践的であります。

それと、まさに体の修行を通じて、心の状態を作っていく、心と体に関わります。また、あらゆる人たちを受け入れてきました。排他的ではありません。天台宗のお坊さん、真言宗のお坊さん、神主さん、皆一緒に修行していただいています。総合的であるという意味で、二十一世紀にこれから必要とされる要諦というなら、修験というのは全て持っているということになります。

これからは、修験が重ねてきたものの中に、現代的に生かしていくものがたくさんあるのではないかというわけであります。

最後に私の意見を継ぎ足しますと、風土としての宗教についてです。

日本は日本としての有り様が、私はあってしかるべきだと思います。インドに生まれた仏教でありますが、中国を経て、日本にやってまいりました。お念仏にしても禅にしても、ある意味、非常に日本的な発展の形で、私は出来てきたと思います。

これを私たち自身が大事にしていく、見直していく。そういったものの一つとして、修験道は極めて日本的風土が生んだ宗教であるわけで、その視点を大事にすることは、決して意味のないことではないと私は思っております。

ー『天台―比叡に響く仏の声』 (龍谷大学仏教学叢書3:自照社出版 (2012/03) )  「第三章 天台の実践行」より

「富士山と世界遺産」

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「富士山と世界遺産」

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実はようやくグローバリズムの行き詰まり、いわば近代の破綻が見えつつあり、欧米諸国においても、そういった近代以降の欧米主義的な価値観ではない、カルチャーの違いに気付こうという流れがここ数年の間に広がっていると聞き及んでいます。

いや、もうそろそろ、そういった違いに気付かなければいけない。近代以前のもの、あるいはキリスト教以前に持っていたものが、この日本の中にはまだ残されていて、そういうものの象徴としての富士山に気付くことが大変大事なことではないかと私は思っています。  

美しいということと、聖なるものであることというのは、大変近しいものであると私は思います。美しいものは完成形に近いものであります。それはまた神と仏の領域でもあります。

富士山は、その姿からして神・仏の領域に近い景観を持っていて、しかも1000年にわたり、私たち日本人は、あの富士山の中に浅間大菩薩や木花開耶姫を始め様々な神・仏を見てきた。そこに気付かなければ、富士山の世界遺産性ってのは、なかなか生まれないのではないかと、私はそのように思います。

 

富士山世界文化遺産国際シンポジウム

-「テーマ・世界遺産と富士山の象徴性パネルディスカッション」より

 於 2008年11月9日 富士市交流プラザ多目的ホール

「仏罰が当たった蛙男」

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「仏罰が当たった蛙男」

ばあーんばぁーんとドラが打ち鳴らされると、その音に合わせて、ピョンピョンと飛び跳ねる大青蛙。毎年夏に行われる金峯山寺の伝統行事、奇祭「蓮華会蛙飛び」です。

ある雑誌の対談で、イラストレーターのみうらじゅんさんと対談したことがあります。その時、みうらさんは対談の内容はそっちのけで、蛙飛び行事の話ばかりをされていたことがありました。「ともかくあの祭りはものすごく面白い」と、大賛辞を浴びたのでした。

確かに面白いです。大青蛙の着ぐるみが出てくるような宗教行事は希有のものだし、動きそのものもとってもユーモラスなのです。

「蛙飛び行事」を執り行う側として、長年出仕をしていると気づかないものですが、外側から見るとしたら、あんなに面白い行事はないのかもしれません。…みうらさんとお話しながらそんなことを思っていました。

その頃から、この蛙飛びが絵本か童話にならないかと漫然と思っていました。そして、このたび念願が叶い、絵本「かえるとび」をお届けすることになりました。

きっかけは、前作の絵本「蔵王さまと行者さま」の制作でした。前作と本作両方に携わっていただいたコミュニケ出版下井謙政さんと、作画の松田大児氏さんとの出会いがなければ、本書が世に出ることはなかったでしょう。金峯山寺絵本シリーズの第二弾が「かえるとび」なのです。

「親の因果が子に報い…」というのは仏教の教えではありません。仏教では「自分の業因で自分の結果が出る」と教えます。

大きな悪業を重ねた罪は自分で負わなければならないのです。

蛙になった男のように、仏罰に当たって目覚めるのならまだ救いがあるともいえます。

「かえるとび」に教えられた仏様、蔵王さまの教えが、少しでも世に広がっていけば、世知辛い世の中も少しは良くなるのでは…と念じて、巻末のご挨拶と致します。

 ー絵本『蛙飛び』(金峯山寺編集/コミニケ出版刊)の「巻末あとがき」より

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仏罰が当たったかのような体調不良が続いています。

今日は朝から大雨・・・。本当だったら今夜は友人と五山の送り火を見に行くことになっていたのですが、どうにも夕べから食欲がなく、背中の痛みが尋常ではないので、節制して約束もドタキャンで、朝から断食しています。

仏罰について考えてみました。

2年前の文章ですが、仏罰が当たる、というようなことを言わなくなった世の中は、へんな権利ばかりを主張するややこしいことになっているようです。

「むかし、むかし、あるところに極悪非道の乱暴者がおりました。ある日、その男が金峯山にのぼり、蔵王権現や修験者に暴言をいいました。すると仏罰があたり、大鷲がどこかから飛んできて、男を断崖絶壁の上に置き去りにされました・・・」という物語がこの蛙飛び行事を作りました。仏罰が当たることを伝えていくことに大きな意味を感じます。

体調不良も含めて、今日は一日、凹んでいます。やはり健全なる肉体に健全なる精神が宿るのですね。

「山修行で気づくこと」

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「山修行で気づくこと」

「なぜ人は山に登るのだろう?」「そこに山があるからだ!」と答えた高名な西洋の登山家がいますが、それでは答えになっていないですね。人が山に登るのは山に、あるいは登るという行為になにかがあるからです。

民俗学者は言います。「日本人は昔、山は祖霊が住まうところと見ていた。死んだ人間は山に登り、子孫を守る祖霊となると考えた」。

これは昔の話なのでしょうか。私はちがうと思っています。現代でも日本人の自然に対する思いの根底には、山にはなにやら厳かな聖なるものがあると感じていると思います。

われわれ山伏は修行として山に入ります。そして山中では山を拝み、樹を拝み、岩を拝みながら修行します。山や樹や岩そのものに聖なるものを観るのです。山修行とは人間の存在を超えた聖なるものとの対峙なのです。

日本は明治以降急速に近代化・欧米化したことによって、数多くの物質文明社会の恩恵を享受しましたが、反面、高度に発達した物質文明による災いも随所にもたらされています。地球的な規模で進む自然環境破壊は人類存亡に関わる大きな問題です。東日本大震災に伴う原子力発電所事故による災禍も、完全収束まで気の遠くなるような時間がかかることでしょう。

四季の移ろいがはっきりしている日本にあって、自然からの恵みの豊さの中で育まれてきた、人間と聖なるものとの日本的な良き関係が壊されたことは、日本人にとってなによりも大きな痛手だと思います。

近代化は、霊山にハイウェイを開発し、鎮守の森を切り倒し、神仏と共に暮らしてきた日本人の、聖なるものへの尊厳心を著しく壊し続けて繁栄しました。福島原発周辺の山や川や海は、放射能汚染によって、人だけでなく、そこに住まう神々や祖霊の尊厳も損ないました。

そんな中、不便さの中に身をおき、自然の中にわけ入り、自分自身の身体を使って神仏との対峙を経験する山伏修行は、難しく言うなら、近代化以前に培われた日本人の原風景に回帰できる可能性を秘めています。

 ー拙著『体を使って心をおさめる 修験道入門 (集英社新書)』より
http://www.amazon.co.jp/%E4%BD%93%E3%82%92%E4%BD%BF%E3%81%A3%E3%81%A6%E5%BF%83%E3%82%92%E3%81%8A%E3%81%95%E3%82%81%E3%82%8B-%E4%BF%AE%E9%A8%93%E9%81%93%E5%85%A5%E9%96%80-%E9%9B%86%E8%8B%B1%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E7%94%B0%E4%B8%AD-%E5%88%A9%E5%85%B8/dp/4087207382/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1400665951&sr=8-1&keywords=%E4%BF%AE%E9%A8%93%E9%81%93%E5%85%A5%E9%96%80

「神と仏はほぼ同じ」

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「神と仏はほぼ同じ」
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神と仏というと、現代人は、どうしても別々に分けて考えてしまいがちです。しかし、私たちのご先祖は、神と仏を分けて考えたりはしませんでした。両者の距離は、現代人では想像もできないくらい、近かったのです。

  日本に「仏」が、正式なルート(仏教公伝)で入ってきたのは6世紀半ばと言われています。今から1450年くらい前のことです。
...
このとき日本人は、仏を神の一種として受け入れました。今まで拝んできた自分たちの神に対し、外国から新しく入ってきた神という認識です。それは仏を「蕃神(あたらしくにのかみ)」と呼んだ事実からよくわかります。

もちろん、争いが全然なかったわけではありません。教科書にあるように、排仏派の物部氏と崇仏派の蘇我氏が戦いました。

しかし、戦いはこれっきりでした。崇仏派が勝利した後、1300年間はさしてもめることなく、仲良くやってきました。人間関係にたとえれば、蜜月状態といっていいでしょう。その原因は、仏教が急速に日本化したことにあります。

たとえば、伝来当初につくられた木製の仏像の多くは、クスノキを素材にしています。なぜクスノキかというと、クスノキが神の木としてあがめられていたからです。いわゆる霊木信仰です。このように、仏教は日本に入ってきた最初の段階から、もともとこの国にあった神信仰をとり入れ、神信仰と融合していくのです。

これに対して神信仰もまた、大いに仏教の影響を受けました。そもそも日本の神信仰は、知的な操作とはあまり縁がありませんでした。宗教を哲学的に構築したり説明したりするために欠かせない教義も、ほとんどありませんでした。

ですから、この領域における仏教の影響は絶大でした。神信仰に教義という発想を導入し、神信仰を体系的に整えさせたのです。その結果、誕生したのが神道です。造形面での影響も甚大でした。神社建築も神像も、みな仏教の影響です。

神と仏の仲むつまじい関係は、日本の宗教に、決定的な足跡をのこしてきました。神と仏が、争わず、互いを敬い祀りあう関係こそ、日本の宗教の特質と言っていいのです。

  ー近刊拙著『修験道の真実と未来』(京阪奈情報教育出版刊)「第一部・修験道入門基調公演」より

*写真は6年前の「神仏霊場会発起人会」の会議…140年ぶりに神仏分離を立て直す動きが始まっています。

「自然の営み」

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「自然の営み」
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私は毎年50人くらいで山に修行に入っていきます。木を拝み、岩を拝みながら、山修行するのですが、本当に木や岩を拝みます。ある場所では大木が森の真ん中に生えていまして、そこで一心不乱に般若心経をとなえます。森を拝むわけでございます。

そういうことを繰り返し、紀伊半島の深い自然のなかで抱かれて修行をしていると、次々とそれまで持っていた価値観…私は昭和30年生まれで高度経済成長の申し子のような世代でそういった今時の価値観をもっておるわけでございますが…それが山修行によって取れてしまう。...

そして取れてしまって何が残るのか、というと、どうも私たちは一番大事しなければいけないありようを忘れてきて、違うものを大事なものとして勘違いしてきたのではないか、そういう気づきに行き着くわけであります。

文化財保護、文化遺産を守ることにいたしましても、モノを守るのではなく、その文化財を生んだ、先ほど風土というお話がございました、宗教というお話もありましたが…風土も宗教も、あらゆるものが人の営みの上に関係性をもって行われて来たものだと思います。

その人の営みのなかでどう、自然と関わりを位置づけていくか、価値観をどこにおいていくか、それをきちっと見つめていかないと、本当の森づくりであるかとか文化財の保護とかは言えないのではないかと思うのです。

理屈ではなくて体ひとつで歩いて修行したおかげで気づいたことでございます。体ひとつで歩いたときに、我々は単なる地球上にある自然の一部でしかないのだということを思い知らされるわけであります。

人間がどんな営みをしてどんなすごいものを造り出したとしても、それら全部がやはり自然の営みである。その自然がすでに悟っていて、いわば神仏そのものであり、その恩恵のなかでわたしたちは生かされているんだ。文化財を守るという人の営みも、自然の営み、神仏の営みの一部であるということに気づかなくてはならないと私は思います。


      ー森と文化財を守る有識者会議:2004年12月14日 シンポジウム 「文化遺産を未来につなぐ森づくり 2005 ~祈りの場と 心をつなぐ森づくり~」より

「神仏分離の弊害」

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「神仏分離の弊害」

明治に修験道が解体され、一説には17万人もの山伏が職を失ったといわれています。そしてそれは修験道を失っただけではなくて、日本人が長い間培ってきたものを捨てることになった。その捨てたことの弊害が今いろんなところでいろんな形で出てきていると私は思っています。

神仏分離によってなにが起きたかというと、神と仏が殺されてしまった時代なのです。昨今、日本人は信仰心が薄いといいますが、それはどうも神仏をないがしろにし続けてきた結果なのではないか。

日本人は神と仏をないがしろにして、代わりに何を大切にしてきたかというと、どうも、経済的な価値観…それをお金とよんでもいいし、モノと呼んでもいいかもしれませんが、神に代わってそういったものをどこかで心に中心にとっかえてしまった、そんな気がいたします。

今までの日本の神社仏閣は、修復のために、よその国のよその森林のよその神仏が棲んでいるものを壊してまで持ってくるというのはありえないことだったでしょう。そのありえなかったことが起こったのは、ひとつには神仏よりもなによりも、お金とかモノを第一に考える価値観のせいなのではないでしょうか。

  ー森と文化財を守る有識者会議:2004年12月14日 シンポジウム 「文化遺産を未来につなぐ森づくり 2005 ~祈りの場と 心をつなぐ森づくり~」より

「ハレの装置としての山修行」

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「ハレの装置としての山修行」

日本人は古来よりハレとケを行き来して生きていました。ケとは終わらない日常のことをいいます。日常の生活をずっと続けて行くと、だんだん気が衰え弱ってくる。そして、弱ってくると病気になる。それをケガレと日本人は考えました。そこで、気を元に戻す。それを元気というのです。この、元に戻す行為をハレといいます。

つまり、ハレとは非日常であり、日常を離れて聖なるものに触れること。正月、桃の節句、
午の節句、夏や秋のお祭り……。すべて、聖なるものにふれる非日常の行事で、ケによって崩れたバランスを復元する機会なのです。お正月にお屠蘇を飲むのも、端午の節句に菖蒲【ルビ:しょうぶ】湯に浸かるのも、秋に収穫祭をして大いに騒ぎ、ふだんは食べない美味しいものを食べるのも、ハレとしての装置なのです。

しかし、ものが豊かになった現代では、毎日がハレのようなぜいたくな生活になり、ハレをなかなか意識できません。ずっとハレのような生活を続けるのなら、それこそがケになります。そうしたときに、なにがハレの装置になり得るか。そこで山修行なのです。

山に入り、汗をかきかき山歩きすることは非日常であり、日本人にとって山は神仏のおわす聖なる世界にふれることです。ですから、修験道の山の修行というのは、ハレが失われた現代社会の中で、ハレの装置としての機能を果たすことができると私は思っています。しかも、きわめてすぐれた役割を果たせると思います。それに、誰にでもできます。体力の問題はありますが山を歩くというのは、たいへんハードルが低い行為です。

こんな時代だからこそ、修験道の山修行が求められる大きな意味があると言っていいでしょう。

 ー拙著『体を使って心をおさめる 修験道入門 (集英社新書)』より
http://www.amazon.co.jp/%E4%BD%93%E3%82%92%E4%BD%BF%E3%81%A3%E3%81%A6%E5%BF%83%E3%82%92%E3%81%8A%E3%81%95%E3%82%81%E3%82%8B-%E4%BF%AE%E9%A8%93%E9%81%93%E5%85%A5%E9%96%80-%E9%9B%86%E8%8B%B1%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E7%94%B0%E4%B8%AD-%E5%88%A9%E5%85%B8/dp/4087207382/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1400665951&sr=8-1&keywords=%E4%BF%AE%E9%A8%93%E9%81%93%E5%85%A5%E9%96%80

「文化とは宗教である」

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「文化とは宗教である」

明治維新の欧米化から百四十年。大東亜戦争の敗北から六十数年。哲学者梅原猛氏が指摘するように二度の神殺し(「反時代的密語~神は二度死んだ」)が、日本文化を破壊しつつあります。

梅原氏曰く、一度目の神殺しは明治の神仏分離。それは単に神仏の殺害ではなく、神と仏を共に尊んできた日本の精神文化の基層の部分の崩壊を意味し、そして崩壊させてのちに、新たに構築したのが天皇を神として奉り、国家神道を中心に据えて誕生した近代国家だったのです。

これによって我が国は東アジアで唯一、近代化にいち早く成功を収め、繁栄を享受するところとなりますが、肥大化しすぎた国家はその挙げ句、欧米列強との衝突によって、大東亜戦争に突入し、敢えなく敗戦を迎え、そして進駐軍政策の下、せっかく神仏分離をしてまで作った国家神道はみごとに解体され、天皇は人間宣言をして、二度目の神殺しが行われるところとなった、というのです。

さてここにいう文化とは何なのでしょうか。文化とはカルチャーであり、土地を耕すという原意を持ちます。 つまり文化とは元々は土地であり、風土であり、国土なのです。ドイツ・ワイマール共和国時代に、作家トーマス・マンはそれを、その風土から生まれた宗教だ、とも言っています(『非政治的人間の省察』)。

日本文化の危機は日本の風土の危機であり、日本の宗教の危機ともいえるでしょう。

いま、いろんな場所、いろんな状況下で危機が叫ばれています。世界的にグローバル資本主義が暴れ回る中、経済破綻、自然環境破壊、文明間の衝突、そして内側では、学級崩壊、家庭崩壊、重度の人格崩壊…などなど。それはもしかすれば明治以降の近代化百四十年の中で急速に広まったことであり、しかも単に日本だけの危機ではなく、世界的な文化の危機なのかもしれません。

実に、文明は文化を駆逐するのです。近代というバケモノは高度な物質文明社会、機械文明社会を産み出し、世界各地の文化を壊し続けてきました。文化は風土であり、習俗であり、宗教であるとするなら、世界各地にあったにその土地土地の風土が壊れ、習俗、宗教の消滅を生んだのは、近代文明がもたらした紛れもない災禍でありましょう。決して飛躍的な考え方ではなく、そういう時代に生まれ合わせていることを、現今の宗教人は自覚しなければいけないのではないかと私は思っております。宗教人こそ、文化の担い手の最終砦なのです。

「破壊は再生だ」ともいいます。宗教人はものごとをネガティブに考えず、ポジティブに考えなければなりません。ポジティブに、文化破壊の時代を生きなければならないのです。破壊によって再生がなされるなら、いまこそ再生の時ととらえ、行動すべきなのだと、年頭に当たって意を新たにする次第です。

    ー仏教タイムス紙年頭所感記事から転記

*写真は2012年3月に東北を慰霊にまわったときの、南三陸町の写真です。

「修験道と女性」

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「女性と修験道」

奈良国立博物館で講演を終えたときのことである。私に近づいて来られた一人の女性から「修験道は女人禁制なのですね?」と訊かれた。一瞬、質問の意味が理解できず、きょとんとしてしまったが、ああそうかと気が付いた。

ご存じのとおり、今なお、大峯山の山上ヶ岳一体は女人禁制が守られている。それゆえ、修験道そのものが、あらゆる面で女人禁制をたもっていると思われたのであろう。

そのときは、簡単に「違いますよ」と答えたものの、問われるまでもなく、これは修験道にとってすこぶる重要な問題である。そこで以下に、私論ながら、女人禁制の観点から女性と修験道について、一文を寄せさせていただく。

結論から先に言うと、修験道全体は決して女人禁制ではない。それは、大峯山に関わる修験道の伝統教団で組織された醍醐寺・聖護院・金峯山寺の修験三本山内における男性女性の教師数比率を見れば、一目瞭然である。平成十年に調査によれば、醍醐寺が男性が六十八%女性が三十二%、聖護院は男性七十三%女性二十七%、さらにわが金峯山寺は男性女性が半々であった。

金峯山寺は、もともと山上と山下に本堂があった。山上本堂は厳格な精進潔斎や女人禁制を守り、冬場は閉ざされた。それに対し、山下本堂は、老若男女が誰でもいつでも参拝できる寺として、いとなまれてきた。明治期の神仏分離・修験道禁止の法難の後は、山下本堂と山下本堂が別々に経営され、現在の金峯山寺はその山下本堂を中心に歩みを刻んできた。こういう歴史の経緯から、女性参加の数が他の二山より多いのかもしれない。いずれにしろ、修験三本山の現状をみるかぎり、修験信仰そのものが女人禁制では決してない。

実際に今は、奥駈修行や伝法潅頂、護摩加行、法螺講習などといったあらゆる金峯山修験本宗の経歴行階修行に、女性も男性とまったく同等に参加している。それは醍醐寺や聖護院においても変わらないと聞く。

それはそうであろう。修験道は、その出発点から、在家信仰のかたちをとり、男女の両性に対して開かれていたのだから。その証拠に、開祖の役行者は、役の優婆塞とも呼ばれた。優婆塞は在家の男性信仰者を意味し、女性の在家信仰者を意味する優婆夷とセットになる。このように、開祖以来、信仰の上では、分け隔てしないのが修験道の本分なのである。

                 ー『山伏入門』拙稿「女人禁制と修験道(淡交社)より

「無痛文明と修験道」

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「無痛文明と修験道」

修験道の魅力のひとつは身体性を持っていることだ。

修験とは実修実験、あるいは修行得験ともいう。実際に自分の身体を使って修行をし、験(しるし)を得るという意味である。理屈ではなく、自分の五体を通じて実際の感覚を得る宗教なのである。

生命学者の森岡正博氏が面白い文明論を展開されている。曰く、現代社会は物質文明が高度に進んだ結果、無痛文明に陥っている。往古は自分で歩くしか移動の方法はなかったのに車や飛行機が発達し、家事すら、掃除は掃除機が、洗濯は洗濯機がする、そんな時代になって、自分自身の肉体を使うことが極端に減ってきた。つまり体が楽することばかりを優先する社会が生まれてきたという。これを無痛文明、痛みを感じない文明、あるいは家畜化された文明であると森岡氏は論ずるのだ。

つまり人間が家畜化され、心と体のバランスが損なわれて、本来身体の主であるべき心が、身体に隷属することになる。…これを聞いたとき、私はだからこそ、山修行の持つ身体性は現代社会に重要な役割を持つのだと確信した。

山での修行で我々が一番に感ずるのは、どんなに偉そうなことを言っても、この体ひとつでもって山の中を歩くしかない、という現実である。そしてくたくたになって思うのは、自分を超えたものの存在、つまり山中に在す神仏の存在である。

我々の修行は大自然の中に曼荼羅世界を見て、神と仏を拝みながら歩くのであるが、山修行のよいところは、聖なるものに包まれる中で、心と体のバランスを取り戻すところにあるのではないだろうか。都会生活ではいろんな場面で心に疎外感を持たされるが、山修行に没頭すると、実感として、心と身体のバランスを取り戻し、魂と肉体の一体感を感受するのである。

先日、今年の蓮華入峰に参加した人から手紙が届いた。「修行に行って身も心も垢が流れ落ちたような気分で家に帰ることが出来ました。それまではいやでいやで仕方がなかった自分の生活に生きる自信が甦ったような気分です。有り難うございました」。

山修行は無痛文明に陥った現代社会への妙薬となっているのではないだろうか。そんな思いにさせていただいた手紙であった。

   ー読売新聞連載「修験道といま~無痛文明時代」より 

「我を捨てる」

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「我を捨てる」

奥駈修行は吉野から熊野まで歩きますが、それは単に熊野に行くことが目的ではなくて、吉野から熊野に至る行者道・奥駈道で身心脱落するような経験をしながら歩き、神仏との関係の世界を持つことが大事なのであり、その結果、最後には熊野に至るということなんです。 こうした日本人が古くから自然の中で感じてきた、その豊かさ、そして脅威や怖さ…自然は怖いですからね、晴れていてもちょっとした天候の加減で遭難したり、危険が伴う。

そういうところに身を置いて、自然と直に対峙をし、人間の力を超えた世界に触れ、人間性を取り戻したり、自分の悪いところを清めていただく。そういう行として山を行くのであって、西洋登山のような自然を征服するとか、人間のある種の満足感を達成するために行くとか、そういうものではない。修験道の魅力とは日本人がこれまで持ってきた神仏との関係、信仰的な世界に裏打ちされた山との関わり方だと思うんですよね。

初めて修行に来られた方を「新客」と言うんですね。私たちの修行は、私のように何度も行っている人間も、初めて来た人も同じように一緒に歩く。その時、新客の人に常に「我を捨てましょう」と言います。

都会の生活、日常生活では何でも自分中心に生きている部分があるじゃないですか。けれど山に行くと都会で生活している論理というか、いわゆる自分の都合を山に持ち込むのではなくて、神仏の山の世界の在り方に合わせること、それが修行なんです。自分の自我を持ち込んだままではその世界に入っていけないので「我を捨てましょう」と言うのです。

難しいんですけどね、なかなか捨てられるものではないのですが。でも歩き始めて6時間くらいはみんな元気に歩いていても、8時間も超えてくるとね、「なんでこんなことしてんねん」と愚痴が出る。更に「懺悔懺悔六根清浄」と1時間くらい唱え続けていると、「なんでこんなにしんどいのに声出さなあかんねん」とかいろいろと思うわけです。

それでもそれがさらに、10時間も超えると「まあ言われるようにしよ」、「終わりと言われるまでしよう」とあきらめが出てくる(笑)。却ってすんなりと我を捨てて、我の塊であった自分が消えて、ちょっと素直に、「俺もこんなんでええのかな」とか「重荷がとれたな」とかね、そういうことになるんですね。

その歩く行為の中に、自分を超えたもの、それは神でも仏でもいいのですが、そういうものとお経を唱えながら対峙する時間や相向かう時間があって、それによって自分の我がとれていくような、気づきが生まれるような…そんな儀礼というかシステムが山の修行の中ではまさに1000年もかけて作られてきた、そういう凄さというか、心地よさがあるんだと思います。

      ー弘法大師の道特別対談「田中利典×鏑木毅」より
     ↓
       http://www.okuyamato.pref.nara.jp/kobodaishi/koubou_01.html

「懺悔懺悔六根清浄」

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「懺悔懺悔六根清浄」

山々、谷々をこだまして響きわたる「さーんげさんげ(懺悔懺悔)、ろっこんしょうじょう(六根清浄)」の掛け念仏。テレビ番組などで何度か紹介されたこともあり、ご存じの方もあるでしょう。

峻険な登り道にかかると、必ず先頭を行く奉行さんから掛け念仏の大合唱が始まります。延々と続く山坂道。一心不乱に声を出し、身体を前へ進めます。そうすることで、身も心も知らず知らずのうちに、掛け念仏と同化していく、そんな気にさせてくれる大合唱なのです。この大合唱が大切なのです。

われわれ修験者にとって、山は神仏の顕現そのものと観念します。いわゆる曼荼羅の世界。そのお山に行って、一日中、一心不乱に修行三昧に埋没します。大声を出して、山坂道に苦悩します。自分を奮い立たせ、掛け念仏を唱和します。

「懺悔」とはまさに神仏にひれ伏す世界。とてつもない汗が身体中から流れ出ると同時に、六根(つまり眼・耳・鼻・舌・身・意の六つ)がきれい浄化されていく、そういう思いを体験するのです。

人間は、眼と耳と鼻と舌と身体を使って、ものを見、ものを知って、行動し、心(意)でもって判断します。意識するしないに関わらず、「身と心」でもって行為していくわけです。罪・汚れもまた、心と身体で重ねていく。

その罪・汚れを懺悔し、その罪を作るもととなる六根を清浄にしていただけるのがこのお山での一時なのです。それはまた現代風に言葉を換えれば、神仏によって「癒される」一時と言えるでしょう。

都会の雑多な喧騒を離れ、癒しの山へ入るとき、われわれの心と身体は蘇生するのです。蘇生させていただいているという実感が、山伏の入峰修行にはあります。古来より入峰修行は一度死んで生まれ変わる擬死回生の修行といわれましたが、現代でもなお、新しい意味をもって生き続けています。

そういう意味では修験道というのは、ひじょうに親切な教えであるともいえます。山伏は、山に臥し、野に臥して修行をするから山伏なわけで、山岳修行が修験道の基本です。山を曼荼羅世界、神仏在す世界と見て、「懺悔、懺悔、六根清浄」と唱えながら、実際に自分自身の身体を使って歩いていく。そこになにか気づきを得ることがあるのです。

ただ机の上で学んでいるだけでは、実感に結びつかないようなことでも、山の中で修行すると、誰もが実感できる、そういう世界が保たれています。

役行者の遺訓に曰く、「身の苦によって心乱れざれば証果自ずから至る」の教えそのものです。そんな役行者以来の宗教的実践を重んじるあり方はある意味、時代を越えた万人向きの親切な教えということができます。

    ー拙著『体を使って心をおさめる 修験道入門 (集英社新書)』より

「自然に善悪はない」

「自然に善悪はない」

もともと自然に善悪などはありません。どんな大きな地震が起きようと、大津波が襲ってこようと、台風が来て、河川が決壊し、土砂災害が起きようと、それによって日本中の原発が事故を起こしたとしても、それは地震や津波や台風が悪いのではありません。自然とはそういうものなのであり、それが自然の有り様なのです。

私たちは自然に対する畏敬の念を取り戻すときにきているのではないでしょうか。3年前の東日本大震災では多くの方々が亡くなりました。「神も仏もいないのか」と考えた人もいたでしょう。でも、あの時、多くの人が持ったのは祈りの心でした。亡くなった方々への祈りであり、もうこれ以上揺れないでくれという祈りでした。

もともと私たち日本人は自然を飼いならすことなどできないことを知っていました。

福島原発事故によって、福島周辺の美しいあの海、あの山、あの川は汚染され続けています。私たちはあそこに住まう神にどう謝罪したらいいのでしょうか。

物質文明社会の豊かさを享受しようとすれば資源が必要です。しかし、自然を壊してまで手にしたものが本当に私たちを幸せにするかどうか。もし日本にある原発が次々に事故を起こしていくと、日本中のどこにも住めなくなります。そんなことをしていいのでしょうか。

日本人は畏敬の念をもって国土を大事にしてきました。二度と取り戻せないようなことをしてはいけない。人間は帰属するものがないと生きていくことはできません。是非、もう一度、自分たちが帰属する風土や文化を見直すところからこの国の復興は始めるべきだと私は思っています。

    ・・・・台風の襲来を目の当たりにしながら、昔の講演録を紐解いてみました

拙著『修験道入門・・・』奈良新聞の書評

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奈良新聞の本日号、読書の欄で拙著が紹介されました。

記事は東京支社の矢部記者のものだと思います。よく書いていただいています。


ただ売り上げランキングはあまり反映されませんでした・・・。(>_<)

「普遍という嘘に気づこう!」

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「普遍という嘘に気づこう!」

明治以降、私たちはなにか騙されてきたのではないでしょうか。

近代というものがヨーロッパ社会で生まれて以降、世界はユニバーサル、あるいはグローバルという美名のもとに、一つの価値観で画一化することを目指してきました。ユニバーサルもグローバルも普遍性を持っているという理解なのです。

そして現にいまもグローバリゼーションという嵐によって、その土地の文化、その土地の風土が世界中で破壊され続けています。

しかしその風土、その土地で生まれたものを大事にすることのほうが、人類や地球にとっては普遍的なことなのではないでしょうか。

数学者の藤原正彦さんが『国家の品格』(二〇〇五年、新潮新書)という名著の中で書いているように、いくらチューリップが美しいからといって、世界中の花をチューリップだけにしてしまってはたまったものではありません。サクラが似合う国、ブーゲンビリアが似合う国、ユリが似合う国、サボテンの花が似合う国──それぞれの国柄に合わせたいろいろな花があっていいのです。

カルチャーとは「耕す」ということが原義であり、まさにそれぞれの風土が生んだ言語、宗教、経済行為など、それぞれの多様性の中にこそ人類の普遍的価値があると考えるべきだと思っています。

明治以降、近代化の名のもとに欧米的な価値観を植え付けられてしまった私たちですが、いままさに、あらためて自分たちの風土を見つめ直して、その文化を耕していくことが求められていると言っていいでしょう。

           ー拙著『体を使って心をおさめる 修験道入門 (集英社新書)』より

「修験道はもっとも日本的な宗教」

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「修験道はもっとも日本的な宗教」

日本人の山に対する感覚は、欧米の文化と比較してみると、特徴がより際立ちます。欧米人には、キリスト教成立以降の社会では山を仰ぎ見るような信仰はありませんでした。たとえば、トーマス・マンの小説『魔の山』、あるいはハリウッドの『ロード・オブ・ザ・リング』や『ハリー・ポッター』などの映画を見てもわかるように、欧米では、森や山は悪魔が住みつくところとみなされています。

欧米人の彼らがすすんで山に入るようになるのは、わずか二百年ほど前のことです。自然科学の発達により、山にいるのは悪魔ではなく岩や氷の固まりであるとわかってきて、そこからようやく西洋の登山の歴史は始まります。日本ではあまり知られていないのですが、西洋登山は極めて新しいものなのです。

欧米の宗教(ユダヤ教・キリスト教・イスラム教など)文化圏の自然に対する考え方は、八百万の神の文化のある日本とは大きく異なります。キリスト教などでいうところの「神」は自然の中には存在しません。神は自然を創造しましたが、自然と同化してはいないのです。神はつねに自然の外にいる「絶対者」です。

その絶対の神と契約した人間にとって、自然は、神から与えられたものとされています。神との契約によって、自然をどのように切り取ってもよい、意のままに扱ってもよい、という論理のもとに発達してきました。これがキリスト教精神を基層とした欧米の文化の考え方です。欧米の森のほとんどは一度切り取ったあと、新しく植えた森、つまり悪魔を追放して住みとった森なのです。

日本人にとっての森は、そのままが聖なる存在です。“自然は、「Nature(ネイチャー)」ではなく、「おのずからあるもの」ととらえる”、それが日本人にとっての自然観です。その目線の中で、森は神仏のおわす場所として本来の姿を活かしながら大事に守られてきたのです。

聖なるものがおわす山や森の世界に入るということは、聖なるものにふれることであり、聖なるものからエネルギーをいただくという考えがあります。こうした宗教意識の基層の部分に深くかかわってきたのが修験道です。

このような日本の古き山岳信仰に、神道や外国から入ってきた仏教、道教、陰陽道などが習合して成立したのが修験道であり、山伏の宗教です。

ですから、修験道こそ日本人の感覚に根ざした、もっとも日本らしい宗教と言っていいでしょう。

           ー拙著『体を使って心をおさめる 修験道入門 (集英社新書)』より

「君が代」 ・・・ぜひ!

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お祝いの歌の代表作として紹介されたのが、「君が代」です。

「君」は君主をあらわすと­いう人がいますが、それは間違いです。漢字の「君」は、「口」ヘンと「尹(イン)」を­組み合わせた文字ですが、「尹(イン)は、「手」に「|」(つえ)を持っている姿です­。これは「聖職者」をあらわします。「口」は、その聖職者が口を開けて、何かを説いて­いる姿です。つまり「君」という字は、会意形成文字で、高貴な人をあらわす文字です。­読みは「クン」です。 「君主(クンシュ)」となると「高貴な人=君(きみ)の主人」なので、それだけ偉い人­です。

つまり「君」という字は、高貴な人であり、だからこそ、源氏物語は朝顔の君や、­藤袴の君など、美しい女性たちに「君」の尊称をつけています。

「君」が天皇をあらわす­というのなら、源氏物語の女性たちは全員、天皇ということになってしまう。

実は、古代­日本語で「き」は男性、「み」は女性をあらわす言葉なのです。 日本神話に登場する最初の男女神は、イザナ「キ」、イザナ「ミ」であり、「おきな=翁­」「おみな=嫗」という言葉もあります。イザナキ、イザナミ以前の神々は性別がなく、­日本の神々で最初に性別を持った神として登場するのが、イザナキ、イザナミです。その­最初の男女神は、イザナキ、つまり「いざなう男」、イザナミ「いざなう女」として登場­します。「いざなう」は、漢字で書けば「誘う(いざなう、さそう)」です。

つまりイザナキ、イザナミの物語は、誘(さそ)いあう男女の物語でもあるわけです。 二人は天つ御柱で出会い、 キ「我、成り成りて、成り余るところあり」 ミ「我、成り成りて、成り足らざるところあり」 と声をかけあい、互いの余っているところと、足りないところを合体させて、子を産みま­す。 ここで大切なことが、男女が互いに「成り成りて」というところです。

「成り」というの­は、完全に、完璧に、という意味です。知性も肉体も、まさに完璧に成長し、成熟したの­です。ところが、完璧に成長したら、互いに「余っているところ」と「足りないところ」­があった。これは矛盾です。 そこで二人は互いの余っているところと、足りないところを合体させて「子」が生まれた­のです。「きみ」とは、「完全に完璧に成長した男女の喜びであり、尊敬し敬愛する人の­喜びであり、「きみが代」は、その「愛し尊敬する人の時代」という意味となります。

そ­の「愛し尊敬する人の代」が、「千代に八千代に」と続くのです。歌はさらに「さざれ石­の巌となりて」と続きます。

さざれ石は、小さな小石が結束して大きな岩石となっている­という点です。ひとつひとつは小さな小石でも、大きな力でみんなで団結したら、それは­大きな「巌」となる。つまりさざれ石は、「きみ=男女」の結束、そして生まれて来る子­供達や新たに親戚となる者たちなど、そのすべての人々が、大きな力のもとで固く固く団­結しあい、協力しあうことの象徴でもあります。

そして最後に「君が代」は、「苔のむす­まで」と締めています。 苔は、冷えきったり乾燥しているところには生えません。濡れていて、水はけの良いとこ­ろに生育します。カビとは違うのです。

つまり、濡れたものと、固いものがしっかりと結­びついたところに苔は生えます。すなわち「苔」は、「きみ=男女」が、互いにしっかり­と結びつき、一緒になって汗を流し、涙を流し、互いにしっかりと協力しあい、長い年月­をかけて生育する。それは、男女のいつくしみと協力を意味します。

そんな意味の歌である 。

・・・・この記事はFBの「神道の心を伝える」が、【ねずさんのひとり言】の情報を転記されたものを再転記したものです。

ねずさんはここ

http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1602.html

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実に素晴らしい、です。 りっぱな大人、りっぱな日本人でありたいものです。 りっぱな日本が続いて行きますように・・・。

高野山1200年至宝展の特別ゲスト

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昨日は阪神百貨店で開催されている高野山1200年至宝展の特別ゲストに招かれ、30分ほど、「弘法大師の道を開く」という表題で、お話をさせていただきました。

夕方6時からというのに、50人ほど座れる椅子はほぼ満席で、気持ちよくお話をさせていただきました。

ま、私の法話はともかく、展示がすばらしい。入口では、いきなり、私の映像がばんばん流れていますが、そこを過ぎると、高野山の至宝がたくさん展示されていて、とても興味深い内容でした。
...
実は昨日は午後から醍醐寺展にも行きましたが、正直、醍醐寺展よりも人の入りは多いくらいでした。ま、梅田の駅前と、奈良公園とはかなりハンデがありますが・・・。

この土日は台風で出歩くのが難しいようですが、必見の内容です。

お近くの方はぜひご鑑賞ください。

追伸 私が出ている弘法大師の道再興開闢修行の映像と、トレランの第一人者鏑木毅さんとの対談が流れています。そちらも注目下さい。

阪神百貨店の高野山1200年至宝展

http://www.hanshin-dept.jp/hshonten/information/living-jewels/living/00178083/?catCode=201004
 

山嫌いの山伏による、山修行のすすめ・・・

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大仰にいえば、修験道を理解することで、日本人が明治以降の近代化で失わざるを得なかったものを取り戻すきっかけになればとの思いもある。

現代人が抱える豊かさの裏の虚しさは、日本人の暮らしに根ざしていた宗教観や信仰心を失ったことと無関係ではない。それは神や仏への信仰を失ったという意味にとどまらず、猥雑な暮らしの中の宗教性・信仰心、あるいは生きる寄りどころの喪失だともいえる。

そういうものを再び獲得する可能性が修験道、とくに山修行による身体の実践にあるのだ。

『修験道入門』で、私は山ブームの延長上にある、一歩踏み込んだ深く心に作用する世界への勧誘を行っている。一歩踏み出すかどうかは、読んだあなた次第である。

・・・集英社「青春と読書6月号・山嫌いの山伏による、山修行のすすめ」より

第5回紀伊山地三霊場公開フォーラムのお知らせ

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第5回紀伊山地三霊場公開フォーラムのお知らせです。

○開催趣旨
自然と共生する祈りの場としての紀伊山地の特異性が「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界文化遺産に登録されて10年。仏教・神道・修験道が混然と生き続ける紀伊山地は奥深い魅力にあふれています。今回のフォーラムでは三霊場の持つ聖地性と魅力について改めて考えます。

...

○日時案 平成26年10月18日(土)13:30~15:50
○会場:あべのハルカス「大会議室」
     大阪市阿倍野区阿部野筋1-1-43 
○テーマ案「紀伊山地の霊場と参詣道世界遺産登録10年、その聖地としての魅力」
○入場料案 1000円(歴史街道会員は無料)
○内容
   第1部 講演会  講師田中利典金峯山寺宗務総長 13:30~14:10
       「紀伊山地の聖地性とその魅力」
   第2部 パネルディスカッション 14:20~15:50
       「紀伊山地三霊場のこれからを考える」
       コーディネーター:田中利典金峯山寺宗務総長
       パネリスト:作家玉岡かおる氏
             村上保壽高野山大学名誉教授
             九鬼家隆熊野本宮大社宮司
             齋藤龍一大阪市立美術館学芸員
   主催 紀伊山地三霊場会議  共催 歴史街道推進協議会
   協賛  近畿日本鉄道株式会社、南海電気鉄道株式会社
      西日本旅客鉄道株式会社
   後援 奈良県、和歌山県

申込方法:ハガキ・FAX・Eメールで下記の事項を明記のうえ、お申込みください。
後日、参加証をお送りします。(事前申込み、先着順)
応募先:〒530-0005 大阪市北区中之島2-2-2 大阪中之島ビル7F
歴史街道推進協議会「紀伊山地三霊場フォーラム」係
問い合わせ:歴史街道推進協議会担当:浅田、稲永
TEL 06-6223-7745(平日10~17時) FAX 06-6223-7234

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当初、植島啓司先生に基調講演とコーディネータをお願いしておりましたが、先生の都合で、急遽、私が代わることになりました。

歴史街道の会員のみなさまには一部、植島先生でのご案内が出ましたが、変更になっております。ご了解ください。

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