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「秘仏本尊・蔵王権現」

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「秘仏本尊・蔵王権現」

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大きな蔵王堂の中には、これまた大きな秘仏本尊である三体の蔵王権現がまつられています。さらには、高さが四・五九メートルもある松材寄木造りの蔵王権現像が堂内の回廊に客仏として安置されています。

客仏というのは、この堂内にまつられるために造られたものではなく、諸事情によって本来の場所ではないところに納められている仏像のことで、金峯山寺の客仏は、明治の廃仏毀釈のときに山内から蔵王堂に移されたものです。

秘仏本尊に次ぐ大きな客仏の蔵王権現もまた、かつて奥千本にあった安禅寺蔵王堂のご本尊でしたが、明治の廃仏毀釈で寺が壊されたため、ここに移されたのです。

それにしても、なぜ、蔵王権現の本尊は秘仏なのでしょうか。

蔵王権現というのは「仮に現れた姿」です。それを隠すというのは論理的に矛盾しますし、隠すような大きさの像ではありません。また、文書にも秘仏という記載はありません。私は、これについて「蔵王権現像はもともと秘仏だったわけではなく、歴史的な必然で秘仏になった」という結論に達しています。

常時開帳していたわけではなかったようですが、明治以前は人々が蔵王権現を拝むことができていました。本居宣長による吉野の紀行文『菅笠日記』にも、蔵王権現を、前にかかっていた戸帳を開けて参拝した様子が残されています。

しかし、金峯山寺が廃寺まで追い込まれた法難の時代に、明治政府は「蔵王権現はまつってはならぬので、お像を外に出して壊せ」と命じました。ところが、蔵王堂は、蔵王権現を造りながら建てたお堂でしたから、蔵王堂ごと壊さないと本尊を外に出すことができない構造だったのです。ですから当時、私たちの先人たちは苦慮の末、扉を閉めて拝めないようにした上で、ご神体としての鏡を前面に置いて法難の時をしのいだのです。

のちに金峯山寺は仏寺に復帰してもとの信仰を取り戻しますが、蔵王権現参拝はいったん政府により禁止されたものであったがゆえに、禁止令以降は幕を掛け、秘仏として扱うようになった……「秘仏・蔵王権現」というのは、まさに先人たちの知恵によって守られてきた歴史の証であると、私は思っています。

  ー拙著『体を使って心をおさめる 修験道入門 (集英社新書)』より

*秘仏ご本尊は今年、吉野大峯の世界文化遺産登録10周年記念行事として11月1日から30日まで1ヶ月間ご開帳されます。


『体を使って心をおさめる 修験道入門 (集英社新書)』
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