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「神仏分離の弊害」

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「神仏分離の弊害」

明治に修験道が解体され、一説には17万人もの山伏が職を失ったといわれています。そしてそれは修験道を失っただけではなくて、日本人が長い間培ってきたものを捨てることになった。その捨てたことの弊害が今いろんなところでいろんな形で出てきていると私は思っています。

神仏分離によってなにが起きたかというと、神と仏が殺されてしまった時代なのです。昨今、日本人は信仰心が薄いといいますが、それはどうも神仏をないがしろにし続けてきた結果なのではないか。

日本人は神と仏をないがしろにして、代わりに何を大切にしてきたかというと、どうも、経済的な価値観…それをお金とよんでもいいし、モノと呼んでもいいかもしれませんが、神に代わってそういったものをどこかで心に中心にとっかえてしまった、そんな気がいたします。

今までの日本の神社仏閣は、修復のために、よその国のよその森林のよその神仏が棲んでいるものを壊してまで持ってくるというのはありえないことだったでしょう。そのありえなかったことが起こったのは、ひとつには神仏よりもなによりも、お金とかモノを第一に考える価値観のせいなのではないでしょうか。

  ー森と文化財を守る有識者会議:2004年12月14日 シンポジウム 「文化遺産を未来につなぐ森づくり 2005 ~祈りの場と 心をつなぐ森づくり~」より

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