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「自然は既に悟っているーその2」

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「自然は既に悟っているーその2」
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明治維新から約150年が経とうとしています。確かに、日本は経済発展を遂げましたが、現在の日本人のこころの依りどころ、もしくはこころの有り様というのは、既に取り去られて久しい気がいたします。哲学者梅原猛さんがおっしゃった「明治以前の取り戻すべき感性」があるとすれば(朝日新聞『反時代的密語』「神は二度死んだ」2004年5月)、まずそういったことを見直すところから入っていかなければなりません。

私は修験道の立場から発言しますから、修験者として言...っていますが、私は別段、「修験道だけが優れている」と思っている訳ではありません。確かに、修験道には、今日申し上げたように、たくさんのキーワードが残されていますが、同様に、神道にも仏教にも数多くのキーワードが残されているのです。ただし、近代合理主義の弊害に気付きがないと、なかなか元々からあった、日本人の多様な精神文化を取り戻すことは叶わないように思います。

「宮参りもするが、墓参りもする」日本人の心情というのは、決して卑下するものではないと思います。一神教を信じる人たちが行っているように、ひとつの価値観で物事を括ろうとしている限り、いつまで経っても争いは絶えません。日本においては、イスラム教徒とキリスト教徒が喧嘩しているのを、私はついぞ見たことがありません。日本人が全てを受け入れてきたように、「多様なものを持っている」ということが大事です。

「多様性」とは、単に宗教だけを指すのではなく、自然との関わり、人との関わりの中で育まれるものでもあります。「日本には四季があり、豊かな自然環境がある」また「地震や台風など、自然災害が多い国」と言われますが、もし、日本がもう少し北に位置していれば北方文化(大陸・遊牧文化)になったでしょうし、もう少し南に位置すれば南方文化(海洋・漁労文化)になっていったのです。しかし、日本は、中国や韓国から(儒教や仏教や道教といった高度に体系化された)文化が入ってくる一方、北方及び南方からも、それぞれ独自な文化が入ってくる反面、南東側は地球で一番広い太平洋だけが広がっている・・・・・・すなわち、諸文化の集積地だった訳です。それが、多様な文化を並立して育んできたのです。

むしろ、こうも言えるのではないでしょうか。「もしかすると、ひとつの価値観で括ろうとすることで衝突が起こり、自然をもの(対象物)として見ることで破壊を進めてきた二十世紀の反省を促す、あるいは提言を与えられるような価値観を日本の歴史・文化は持っているのではないか」と・・・・・・。

ぜひ、宗教者のほうから、今後そういった提言を続けていく、そういうことが大切なのではないかと思います。今の日本は、何処に立っているのか? これから何処へ行こうとしているのか? 明治以降、宗教者もある種そういう価値観(近代合理主義)に手を貸し、共に歩んできた面があったと思います。しかし、もう一度明治以前の価値観を見直すことを自らの教えの中に見出すことが出来れば、より日本を活性化させることに繋がるのではないかと思います。

 ー大阪国際宗教同志会 2005年度総会 国際シンポジウム記念講座「水・森・いのち」より
 

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