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「大峯山」

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「大峯山」
大峯奥駈というと、大峯山という名前をもつ特定の山があると思いがちだ。このあたりの地理をよく知らない人のなかには、大峯奥駈は大峰山という特定の山を中心に、おこなわれていると信じている人もいるらしい。
しかし、地図のどこを探しても、大峰山という特定の山はない。
では、どこを指して大峯山と呼ぶのかというと、広い意味と狭い意味の、二つある。
広い意味では、北の端の吉野山から南の端の熊野本宮に至る、一五〇〇メートル級の山々がつづく山脈全体を、大峰山と呼ぶ。具体的な山の名前でいうと、山上ヶ岳・弥山・八経ヶ岳・釈迦ヶ岳・行仙岳・笠捨山・地蔵岳・大黒岳などで、どれも仏教にかかわる命名がされている。
狭い意味では、山上ヶ岳の一帯を、大峰山と呼ぶ。ちなみに、この一帯は、いまでも女性が入ることを許さない。いわゆる女人禁制の場所だ。
また、大峰山には、証菩提山とか大菩提山という別名もある。「菩提」というのは、古代インドの言葉だったサンスクリット(梵語)で、悟りを意味するボーディを、漢字を使って音写したものだ。古来、山伏たちは大峰山に入ることで、菩提=悟りを得ようとしたので、証菩提山とか大菩提山という名前がつけられた。
なお、金峯山寺という寺の名前のゆらいとなった金峯山も、特定の山としては存在しない。広い意味での大峰山のうち、吉野山から山上ヶ岳に至るまでに山々を、総称して金峯山と呼んできた。
これらの山々をむすぶ尾根道こそ、まさに大峰奥駈道なのだ。その距離は、すでに述べたとおり、一七〇キロメートルほどもある。そこは、険しい山道だが、同時にこのうえなく美しい姿の山々、鬱蒼たる大森林、澄み切った水の流れる大渓谷が展開する場所でもある。一度でもこの道を歩けば、この一帯が吉野熊野国立公園に指定されている理由を、誰でも簡単に納得できる。それほど、素晴らしい場所なのだ。
そして、この大峯奥駈道を修行の場として選んだ役行者の、さらにそれを受け継いできた歴代の山伏たちの、見識がいかに優れていたか、誰でも実感できる。
 ー『はじめての修験道』(田中利典・正木晃共著/2004年春秋社刊)「第四章 修行の世界」より

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