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「修験道はもっとも日本的な宗教」

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「修験道はもっとも日本的な宗教」

日本人の山に対する感覚は、欧米の文化と比較してみると、特徴がより際立ちます。欧米人には、キリスト教成立以降の社会では山を仰ぎ見るような信仰はありませんでした。たとえば、トーマス・マンの小説『魔の山』、あるいはハリウッドの『ロード・オブ・ザ・リング』や『ハリー・ポッター』などの映画を見てもわかるように、欧米では、森や山は悪魔が住みつくところとみなされています。

欧米人の彼らがすすんで山に入るようになるのは、わずか二百年ほど前のことです。自然科学の発達により、山にいるのは悪魔ではなく岩や氷の固まりであるとわかってきて、そこからようやく西洋の登山の歴史は始まります。日本ではあまり知られていないのですが、西洋登山は極めて新しいものなのです。

欧米の宗教(ユダヤ教・キリスト教・イスラム教など)文化圏の自然に対する考え方は、八百万の神の文化のある日本とは大きく異なります。キリスト教などでいうところの「神」は自然の中には存在しません。神は自然を創造しましたが、自然と同化してはいないのです。神はつねに自然の外にいる「絶対者」です。

その絶対の神と契約した人間にとって、自然は、神から与えられたものとされています。神との契約によって、自然をどのように切り取ってもよい、意のままに扱ってもよい、という論理のもとに発達してきました。これがキリスト教精神を基層とした欧米の文化の考え方です。欧米の森のほとんどは一度切り取ったあと、新しく植えた森、つまり悪魔を追放して住みとった森なのです。

日本人にとっての森は、そのままが聖なる存在です。“自然は、「Nature(ネイチャー)」ではなく、「おのずからあるもの」ととらえる”、それが日本人にとっての自然観です。その目線の中で、森は神仏のおわす場所として本来の姿を活かしながら大事に守られてきたのです。

聖なるものがおわす山や森の世界に入るということは、聖なるものにふれることであり、聖なるものからエネルギーをいただくという考えがあります。こうした宗教意識の基層の部分に深くかかわってきたのが修験道です。

このような日本の古き山岳信仰に、神道や外国から入ってきた仏教、道教、陰陽道などが習合して成立したのが修験道であり、山伏の宗教です。

ですから、修験道こそ日本人の感覚に根ざした、もっとも日本らしい宗教と言っていいでしょう。

           ー拙著『体を使って心をおさめる 修験道入門 (集英社新書)』より

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