「諦める」
「諦める」
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鏑木:
僕は苦しいことを楽しむ、ということですね。苦しいことなんて日常やる機会ないじゃないですか。
言い換えればめったに味わえない苦しい状況も含めて楽しもうという。サインと一緒に書くんですけどね、「楽しむ勇気」って。「オレ、こんな苦しいところまでやってるよ、へへへ」みたいな(笑)。それがすごく重要ですね。それを乗り越えると無心の境地ですよね。何も考えてない、ひたすらゴールへ突き進んでるという自分というか。それが心地よくもありますよね。
田中:
修験道の場合も少し似ているところもあるんですけどね。私は「諦めるしかないな」と。
諦めた時には歩けるんです。例えばここで止めたらこういう理由がたつとかいろいろ考えるじゃないですか、それも諦める(笑)。来たんやから行かなしゃあないやないかと。
とにかく行こ、と諦める。諦めるのがいちばん。自分のいろんな想いも諦める。
それしかないんですよ。足が痛い、痛いけどしようがない、諦めて歩こう、と。ひきつっても、怪我しても、まあ怪我したもんはしようがないと諦める、受け入れる。
そうすると終わった後にね、ありがたいんですよね。
自分の足にもありがたいし、助けてくれた周りにもありがたいし、いろんなものがありがたい。
それは途中で諦めたりいろんな理由をつけてリタイアすると、ありがたいというところまで心がいかない。
始めからありがたいと思ってたら嘘ですよね。本当に苦しいところを乗り越えて、諦めて到達すると、本当にありがたい
ー弘法大師の道特別対談「田中利典×鏑木毅」より
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http://www.okuyamato.pref.nara.jp/kobodaishi/koubou_01.html
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